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成人式が各地で悲喜こもごも
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、令和3年の成人式の開催が危ぶまれた全国各地、高松市は10日サンポートホール高松で3回に分けて開催し、計2,336人が出席。出席率は前年比3.5ポイント減の52.9%で、過去10年で最低を記録しました。10日は香川県内9市町が、成人式を挙行した。

開催に踏み切った市町でも、全体的に会場分散や式典簡素化、ライブ配信などいろいろな手を使って、「密閉・密集・密接」を避ける方法がとられたようです。増田高松市長の時代には、『荒れる成人式』として全国的に話題になったことがありました。今となっては懐かしいのですが、増田市長が悪いのでもなく、そういう時代でありました。ああいうのは、伝播するのですね。

年末の帰省と同じように、首都圏などからの成人式帰省も悪く言われたりして、新成人も前途多難のように思いますが、成人式が開催できたことに感謝の心をもって、素直に喜んで関係者に心の中で一礼ですね。
私自身は昭和47年1月15日、その頃は15日が成人式と決まっていて、長男の誕生日がこの日で日本中で祝ってくれていました。ところが途中から、1月第2月曜日に変更されたのです。

私は自分の成人式は、東北福島県にいました。女子のように晴れ着を着るでもなしに、正月明けで東京にいても仕方ないのでぶらぶらしていました。しかし今頃になって、経営者の端くれとして世間を眺めていたら、『成人式』はあるかないかであれば喜ぶ人、なくなれば悲嘆に暮れる人、あの人この人と関係者の顔が浮かびます。

弊社の社員さんでも、二人が成人式でした。勿論当事者は子どもさんですが、女子を持つ母親は成人式で忙しいと聞いていたモノで『祝成人』を渡したのですが、『会長!!うちの男子も成人です』と声かけられ、急遽もう一つ『祝成人』のポチ袋を作りました。やはり成人式は女子の晴れ着ですね。

スマートフォン(スマホ)の写真を見せてもらいましたが、一番輝いているのがこの日(前写しもありますが)の写真でしょう。高松で新成人が騒いでも『成人式』は中止にならず、新型コロナウィルス感染症の今年も実施されました。その後の祝賀会はなかったのだろうと思いますが、私も成人式の晴れ着は大賛成です。

孫の成人式まであと18年足らず。そのくらいまでなら、何とか晴れ着姿を見て冥土の土産が出来るように思います。花嫁姿は無理としても、何とか『成人式』までは、元気でいたい。そのためにも、新型コロナウィルスに感染するわけにはいかない。クリスマスから今日まで、かみさんに嫌がられてもステーホームであります。


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| 社長日記 | 09:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
三木町の渡邊邸へ招かれて
こう書くと、『ああ茶会か』と思われる御仁も多いかと拝察します。私は『茶道』は全く分からず、またそんな粋筋でもありません。昨年秋田県の横手の『かまくら』を見に行った仲間に誘われたモノです。食事をしながら、お手前もと計画していましたが、首都圏に緊急事態宣言が発出されたのを契機に、この食事計画は弁当に変わりました。

『揚家(あげけ)を語らずして讃岐の茶室を語るな』と言う言葉があります。京阪にまで聞こえた数寄屋大地主『揚家十茶室』のうち、五つを移築した渡邊邸。伝承の『鯰魚庵』と合わせて名席六室が、ここにはあります。当主の小橋あやみさんが、母親から伝え聞いた『うんちく』をわれわれ数名に話してくれます。

説明書きによると、数寄者で茶人の父が、2004年になくなり空き家になった実家に2007年夏、泥棒が入りました。これがきっかけで再建が始まり、傷んだ茶室の修復と荒れ放題だった庭の手入れをすればするほど、家は生き返っていきました。『渡邊邸』は、すべてお茶を楽しむように建てられています。おいで頂く皆さまに、お抹茶一服と庭をゆっくり眺めて頂ければと存じます。

『揚家』について何と読むのか困るような姓ですが、『揚=あげ』です。中国・朝鮮半島から渡来した家かと思うかも知れませんが、桓武(かんむ)平氏の末裔で、もとの姓を久保といい、阿波から讃岐に来ました。四世幸方の時に古高松に移住、六世好清が上野(あげの)と改姓し、九世分潮の時に唐風に『揚』と改めました。

「揚一萬石」といわれ、幕末の長者番付で全国で十四番目の資産家で、明治・大正時代にも古高松の屋敷から高松の瓦町まで、他人の土地を踏まずに行けたという話です。
ごさんべえのぺーじhttp://gos.but.jp/index.html
渡邊邸は、この揚家(あげけ)の10あった茶室のうち5つを譲り受けて移築しています。当然新築の方が、費用的には安かったと小橋あやみさんは言います。

ことでん長尾線「白山駅」下車徒歩約7分のところにあります。かならず連絡して下さい。090-1572-7877











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| 社長日記 | 09:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
SDGs(持続可能な開発目標)に繋がるうどんのRE活用
2021年01月09日(土曜日)13:00~『Wa!Journey!Go Green in Japan#3』という、日本らしいエコな取り組みとその地域の食を紹介する番組。『TSKさんいん中央テレビ』と『OHK岡山放送』が、マレーシア向けに制作した番組を日本語にして放送するもの。昼食時、自宅でOHK岡山放送番組で観たものです。

『さぬき麺業』の香川政明社長が登場し、ひとしきりさぬきうどんをPRしたのちに、肝は釜から上がって20分以上経過した『廃棄うどん』の処分方法がSDGs的にRE活用されているという展開。その昔、私が製麺をしていた30年前には、20分という制限は勿論なくて翌日でも食べていました。それが今では、『茹でたて』が当たり前で20分で廃棄されるという。一見勿体ないのだが。

その取り組みとは、『うどんまるごと循環プロジェクト』。生産過程で出る切れ端や、20分経過で商品にできない『廃棄うどん』など捨てられるうどんで発電用エネルギーガスを作り、電気に変え、さらに残りかすは『堆肥』にしてうどんの原料、小麦畑に蒔いて飼料に使うというユニークな取り組みだ。

その廃棄されるうどんから、電気を作るその発電システムは、地元・高松市香南町の産業用機器製造業者『ちよだ製作所』が考案したモノ。『バイオガス/エタノール実証プラント』と名付けられた一連の仕組みは、2013/7/31 四国新聞様にて、『「うどん発電」開始へ/廃棄麺のメタンガス利用』としてご紹介(現在はリンク切れ)いただきましたと、同社のホームページーに掲載されています。そんな前からの取り組みだったのか。

さらにそこには、食物残渣等を酵母菌により発酵してエタノールを生成し、発酵終了後に蒸留を行ないエタノールを精製するシステムです。現在、うどんの製造過程で出る廃棄うどんを用い、発酵および蒸留試験を行なっています。また、本装置で得られた発酵残渣をバイオガス発酵設備に投入し、バイオガス及び液肥を得るようにしています、とも書かれています。

廃棄うどんから、うどんの原料である小麦への肥料を作る取り組み。まさにSDGs(持続可能な開発目標)の一つであります。別のHP・ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)には、建設機械製造メーカーのちよだ製作所は2013年7月31日、食品廃棄物の廃棄麺からメタンガス主成分のバイオガスを取り出し、発電を行う、「うどん発電事業」を開始したと発表した。年間発電量は、一般家庭50世帯分の18万キロワット時を見込む。

ちよだ製作所は、香川県内の製麺会社の工場からでる廃棄うどんを原料にバイオエタノールを生産しているが、エタノール生産後も出る残りかすの有効活用策を模索していた。うどん発電は、廃棄うどん1.5トンと飲食店から回収した生ゴミ1トンを1日分の燃料として使用。うどんや生ゴミを入れた発酵槽を37度に保温することでメタンガスを発生させ、発電機のタービンを回して発電する。

同社では今後、うどん発電事業をモデルケースにうどん発電の発電プラントの受注生産も計画している。このプロジェクトとは別だが、うどんにはもう一つ環境問題を孕んでいる。麺を茹でた後の、湯水処理です。デンプンが溶け出しているため、ぬるぬるした湯水になっています。

これのこし器も、別の企業で開発されているようですが、こちらも大型機械で、一般のうどん屋さんでは導入がなされていないと思います。昔は、牛や馬に与えていたことも散見されました。人糞がまだ肥料になっていた時代と、ほぼ同じ頃のはなしですが。


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| 社長日記 | 10:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
KSB瀬戸内海放送の新社屋移転
頂戴した年賀状の整理をしていましたら、『KSB瀬戸内海放送』の社屋移転を報じたモノがありました。瀬戸内海放送は昨年来、高松市上之町の塩江街道沿い旧電電公社ラインマンセンター跡地に、新社屋を建設していました。秋頃にアンテナ工事が終わり、われわれ通りがかるモノは、いつから移転するのかと期待感が高揚していました。

開局すると道路が混むとは思うのですが、今まで高松市内でも遠くにあったモノが、身近に近づいてきたのは心ワクワクするモノがあります。放送局は装置産業ですから、やたらめったら引っ越しできるモノではありません。放送法の免許制度も絡んできます。また場所の選定は、いろいろな制限下で行われたことでしょう。

残念ながら弊社の仲介案件ではありませんが、図上で計測したところでも6,600㎡(約2,000坪)ほどあります。これほどの空き地は、そうそうあるものではありません。やはり巨大情報網を持つマスメディアのなせる技かなと感心しきり。「私たちは2021年1月18日(月)に高松市上之町2-1-43に社屋を移転します次の50年に向けた取り組みの第一歩を踏み出します」年賀状には、このように書かれてありました。

瀬戸内海放送が誕生し、第一声をアナウンスしたのは昨日の年賀状で紹介した杉本量平氏です。このことは彼の自慢の一つで、たびたび聞かされました。あれから50年になるのですか。地方のテレビ局の今後のあり方も、大変だと思います。テレビを観ない若年層も、いるようです。テレビからインターネットへ、広告媒体がスライドしています。

KSB瀬戸内海放送は、1987(昭和62)年から30年間続いた『高松冬のまつり』主管三者(高松市・高松栗林ライオンズクラブ・KSB瀬戸内海放送)の一つとして、『高松冬のまつり』を盛り上げて下さいました。主催者側ですから当然と言えばそれまでですが、言い出しっぺの高松栗林ライオンズクラブのメンバーとしては、力強い支援を感じていました。

次の楽しみは、このニュースをNHKやRNC西日本放送、その他他局が移転報道すのかどうか。普通に考えたら『ビッグニュース』であります。恐らくマスコミ向けの、セレモニーもあることでしょう。マスコミは『事実』を流しますが、また『事実』でも敢えて流さないモノもあります。当日の四国新聞も、楽しみです。全面広告があるかな。日経新聞も考えられますが。

年賀状には、いろいろな新情報が入っていることがあります。単なる新年の挨拶だけでなく、何か訴えたいことがあって暮れの忙しい時期に出すのであれば、それを書き込まないと損だと思います。流石に郵便番号を書いてないモノは少なくなりましたが、電話FAXは当然のこととして今で言えばホームページアドレスとか、Eメールアドレスもあれば盛り込むと良いと思います。

年賀状と言う『ローテク』が、DX(Digital Transformation)という『ハイテク』の入口になるかもしれません。すべてプラス思考で、令和3年はそんな年になるように思います。


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| 社長日記 | 10:33 AM | comments (0) | trackback (0) |
年賀状の今昔2021
日本郵政の年賀状の点検が、やっと終わった。私は暑中見舞いは失礼派ですが、年賀状は力を入れて作って、それでも今年は昨年からカットして都合1,000枚の賀状を24日までに投函しました。年賀状は総務の大西香子さんが、もう10回は作ってくれています。それも昨今は、足元のプリンターで時間を掛けてプリントしています。とは言ってもおざなりの、プリント印刷した年賀状に過ぎないのですが。

表も裏も、彼女のコンピューターからはき出されます。文章は私が作りますが、イラストは大西香子画伯の作品であります。届かなくて帰ってくる可愛そうな子が、10~15枚はあります。『あれ、どうして』と思う人のは、電話をして確認して『再配達』と朱書きして63円切手を貼り直して、配達をお願いすることにしています。

今年の俗に言う年賀状は、増えたのでしょうか。弊社は2割ほど減しましたが、その作業は私がすべて行います。増やすのは比較的簡単ですが、リストから『NO』にするのは、大いにためらいます。それでも1件一件、関係性や昨年貰ったかなどを考慮しながら選択します。小欄の読者でも、今年は届かなかったという人もいることでしょう。ゴメンなさい。

頂いたモノも私は一枚一枚拝見して、自分のアドレスデーターと比較します。年末年始はノートパソコンがトラブって、どの人に送ったか分からなかったのですが、今日すべての受信した年賀状を確認しました。頂いていながら、お送りしていないほんの一部の人には追加で送りましたが、それにも限界があります。

今年の拝受した年賀状の総数は、730枚でした。われわれの商売では、出さなければならない人と、頂く人は異なる場合が多いのです。つまり相手にとって客先の弊社には、出さないわけにはいかない。逆に弊社からの客先へはこちらから出しますが、返信は滅多にありません。全くプライベートとなると、これが概ね一致するようになるのでしょうね。

書いてあることも読みます。今年が最後だという断りも、中にはあります。それはそれで良いと思います。またネット社会ですから、eメールやスマートフォンの一斉送信も手の込んだモノがあります。それぞれの思い思いで、新年の喜びが伝わればそれで十分かと思います。弊社も私がやめたら、『失礼します』となるようです。

時代だと言ってしまえばそれまでですが、年賀状には多くの情報が詰まっています。またそれに気がつかなければ、いけないのです。コンピュータデーターを見ないと心配ですが、この人は出しただろうという程度の瞬間芸は、まだ出来ます。データーと付き合わしながら、来年は出さないとと考えて、同時にデーターの整理をしています。

以下に弊社の力作(駄作ですが)と、今年一番のインパクト作品を貼り付けておきます。頂きながら失礼しているみなさま、本年も宜しくお願い申し上げます。

2021弊社年賀状 杉本量平作

遠藤素弘作 高商野球部後援会

きくしま歯科医院作 田川健三作 西精工㈱作


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| 社長日記 | 09:12 AM | comments (0) | trackback (0) |
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