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邪馬台国は沖縄だったby木村政昭
年末に経済アナリストの藤原直哉氏にメールして、『今年最後の質問』を聞いてみました。この前に私は、田中英道氏の『邪馬台国は存在しなかった』(勉誠出版2019年1月7日初版発行)を読んでいて、古くから言われている邪馬台国の九州説や幾内説には無理があるように思っていました。よって消去法で、田中英道説「存在しなかった」が正しいのだろうかと藤原直哉氏に尋ねたのです。

経済アナリストにもかかわらず、藤原直哉氏は政治・時事・歴史(古事記・日本書紀)にも通じていて、そうそう飛行機の世界にも精通されています。要するに、私からすると何でも知っている先生であります。もうかれこれ、20年以上のお付き合いになります。つい最近まで『高松藤原塾』が続いていましたが、残念ながら解散が決まりました。

沖縄の邪馬台国ですが、沖縄本島西側から久米島、さらに南まで、昔、陸続きの時代がありました。そのなかのどこかか、もうひとつ南、宮古島から台湾あたりまで陸続きだった時代のどこかです。基本的には魏志倭人伝のとおりの旅程で読めばよく、今は海の上ですが、昔は陸地だったところです。

沖縄は、何回も沈降と隆起を繰り返しています。邪馬台国(の卑弥呼)は実は神功皇后だったというのが本当らしく、ですから過去2千年以内に大沈下したことになります。それで逆に、沖縄の神は海の中の竜宮城にいるという話になっています。神功皇后の時代の竜宮城は、陸の上でした。アマゾンに沖縄の木村政昭さんの本が何冊か出ていますが、木村さんの研究が興味深いと思います。

よろしくお願いいたします。どうぞよいお年をお迎えください。

以上藤原直哉氏からのメールで私は早速、木村政昭著『邪馬台国は沖縄だった』(第三文明社・2010年6月10日初版第1刷発行)を読んでみました。これですね、沖縄だと『魏志倭人伝』の記述通りたどり着くことが出来ます。邪馬台国の九州説や幾内説には無理があるように思っていた私は、のどに引っかかっていた小骨が取れた思いがしています。

畿内説は里程(距離・日数)を正しいとしながら、方位は誤記だという。対して九州説は方位を正しいとしながら、都合の悪い里程については折々に誤記があるとする。たとえば『水行十日、陸行一月』の部分を、陸行一月はあまりに長くかかりすぎるので一日の誤記だと決めつけている。いずれにしても自説へのこじつけが、あまりにも多いと感じていました。

『魏志倭人伝』はじつは独立した書物ではなく、かの『三国志』中の『魏志』、さらにその巻三十『東夷伝』の中の『倭人の条』のことを指します。晋(しん・西晋)の『陳寿(233~297)』の撰によるモノで、もとは当時、魏(ぎ220~265年、洛陽を都として江北の地を領有した王朝で、晋に取って代わられた)の出先機関のあった朝鮮半島の帯方郡(たいほうぐん・現在のソウル北方)の使者が、何回となく倭国(日本)に行って、そこの伊都国に滞在したときの報告が主な資料だとされています。

それを魚豢(ぎょけん)という晋の史官が、材料に使って『魏略』を書いた。その『魏略』を、また『三国志(285年の成立という)』の編者・陳寿(ちんじゅ)が『魏志倭人伝』の大半の資料としたのである。わずか、千九百三十七字のモノであります。今のワープロにすると、A4二枚程度の分量に過ぎないのです。だから一字一字に意味があると、私も考えます。

木村政昭氏は、琉球大学教授から現在は名誉教授であり琉球列島の古地理復元、海底遺跡研究などに携わる学者です。みずからダイバーでもあります。最近は『炭素14年代測定法(C14法)』など、科学的調査が盛んに行われています。加えて木村政昭氏は、横浜生まれですが沖縄地方の方言も理解しています。もちろん、沖縄・南西諸島の歴史も熟知されています。

ずばり『邪馬台国=沖縄説』で、邪馬台国の卑弥呼らが暮らしていた城郭は、今は北谷町沖の海底に四世紀以降の大規模な地殻変動で水没していて、海底調査でパルテノン神殿のような、エジプトのピラミッドを削ったような跡形が見られるという。にわかに信じがたい記述でありますが、『魏志倭人伝』の特筆すべき点は、何と言っても外国人の目とは言え、政治や習俗、風土までが語られていることであります。

弥生時代末期、つまり三世紀半ばと言えば、そのあと四十~五十年くらいして古墳時代に入るのだが、その頃の日本のことは遺跡や遺物でしか知ることが出来ない。三世紀半ばの邪馬台国から、五世紀の「倭の大王」までのおよそ百五十年間、日本についての記事が中国の史書から消えることもあって、「謎の四世紀」と呼ばれる歴史の空白が生まれたため『魏志倭人伝』がより重要なモノになっているわけです。

いろいろな角度から分析がなされているが、『冬でも裸足で活動しているとか、生野菜を食べるといった習俗や服装』は南の地でなければ無理だろう。と言うのも卑弥呼が生きた時代は今より平均気温が1度、水温が2度も低かったという調査結果が定着しています。

田中英道氏の『邪馬台国は存在しなかった』では、卑弥呼神社など女王卑弥呼に関する後世の証がないことから、邪馬台国は存在しなかったと持論を展開している。畿内説や九州説の『内容の誤記』よりも説得力があると私は考えたが、『邪馬台国=沖縄説』で決まりですね。地上にしか存在しえない鍾乳洞もあるという、そして卑弥呼の墓らしきモノも存在するようです。ただし海の中ですが。





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| 社長日記 | 09:28 AM | comments (0) | trackback (0) |
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