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瀬戸内と言えば首都圏居住者は『レモン』のイメージ最多
観光事業者支援の瀬戸内ブランドコーポレーションと中国四国博報堂が、共同プロジェクト『せとうち・ラボ』としてまとめた調査によると、首都圏の居住者が『瀬戸内』と聞いて思い浮かべるモノは、『レモン』がトップであることが分かった。柑橘系の、みかんとかオリーブが上位かと思っていました。食べ物にこだわった調査でないが、8位に『みかん』が入っている。

3つまでの自由回答で、「瀬戸内地域と聞いて思い浮かぶモノ」を聞いたところ、回答者の18.4%が「レモン・瀬戸内レモン」と答え、トップだった。18~30歳代の若い世代にレモンを挙げる人が多く、特に18~29歳女性は4割近くがレモンと答えている。

調査は今年3月上旬に、東京・神奈川・埼玉・千葉の4都県居住者800人を対象に、世代・性別の偏りがないように実施した。2位は『瀬戸大橋』3位『小豆島』。イメージだから、9位には『温暖・暖かい』が入っている。地元に長く住んでいて、常識が変わりつつあるのかなと心配になって、インターネットで『瀬戸内レモン』を検索してみました。

「瀬戸内を世界へ」レモン栽培を通して日本の農業や人、自然、地域資源に光を当てる

国産レモン日本一の産地である広島県。食の総合商社として、広島で事業を営む私たちは、食べ方も用途もまだまだ可能性を秘めているレモンの魅力をみなさんにお伝えしたいと、「瀬戸内レモン農園®」を立ち上げました。レモン栽培はもちろん、レモンを丸ごと使った商品開発・生産から販売まで手がけています。それが、良質の素材にこだわり、細心の衛生管理のもと、お客様のニーズにあった商品を提供し続けることでもあるのです。レモンで地元を盛り上げ、地域社会に貢献できる会社づくり・商品づくりを目指してまいります。

国産レモンの生産量日本一。

レモンって日本で栽培できるの? と疑問に思う方が多いのも当然で、現在国内で流通している国産レモンはたったの約9%。その中の63%が広島県産。そして県内でもレモンをいちばん多く出荷しているのが、尾道市瀬戸田町なのです。瀬戸田町は生口島(いくちじま)と高根島のふたつの島からなる町です。 瀬戸内は温暖(平均気温15℃)で降水量も少なく、晴れが多いのが特徴。とくにレモンは雨と風に弱いこともあり、台風が少なく風の量も少ないこの地域は病気の発生も極力抑えられ、レモンにとって最適な環境です。ここで育ったレモンは、酸味の奥に旨味も栄養もたっぷり含まれています。
※平成27年産 特産果樹生産動態等調査・果樹品種別生産動向調査/農林水産省より

マスコミにも沢山紹介されています。都会の人は、テレビだけでなく雑誌からの情報も、インターネットと同等に利用するのでしょうね。意外な切り口から、良い勉強になりました。浦島太郎にならないように。こんな記事を書きながら入ったおでん屋さんで、カウンターにレモンを発見。女将はレモンの流行を知っていた。そうなんだ。





ホームページ

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| 社長日記 | 08:48 AM | comments (0) | trackback (0) |
オイスカ四国研修センターとの交流会2020
本部を日本に置き、現在36の国と地域に組織を持つ国際NGOである公益財団法人オイスカも、今年は研修生の新規受入も修了式後に帰国することもままならず、また各地へ出かけての体験も出来ず、日本語習得も例年に比べると個人差はあるモノの、幾分欠けるかなと感じます。そんな中、毎年四国研修センターのある香川県綾川町の『綾川推進協議会(大方義裕会長)』が主催して、研修生との交流会を開いています。

ところがこのコロナ禍で、研修センター内での集団飲食が難しいとして中止が検討されていたのですが、同副会長の細井香氏が、次男・和幸氏が経営する『釜飯和幸(香川町)』での交流会を提案されました。おまけに研修生6名と職員4名を無料招待で、これに四国支部長の泉雅文氏や高松推進協議会からも有料会員として応援に駆けつけました。

余談ですが、細井香(下の写真で向かって私の右が『奇跡の水』作者塚田修氏、左が泉雅文会長でその横が細井香氏)は、ステージ4のがん宣告をされて、塚田修氏に勧められて『奇跡の水』を飲んで、ウソのように復活されています。ライオンズクラブでも、復活後大活躍されています。私の学友も闘病生活で、いま大変苦しんでいます。何と細井香さんが、その友に電話して、『奇跡の水』の効能を伝えたと聞きました。

今日の圧巻は、高松推進協議会に3日前に入会された『薬師敏宏』氏の参加です。国家公務員を退職され、今はブロッコリー栽培の農業をされています。『農業』つながりで、盛んに交流をされていました。また研修生2人による帰国後のアクションプラン発表も、熱心に見聞きしていました。プロジェクトに映し出し、15分位の計画を日本語で力強く報告していました。

フィリッピンからの「ジョマリ(22)男性」は、『わらの活用』に関する施策をまとめていて、今の日本の農業とは隔世の感もありますが、わらから堆肥を作り、まず農地を肥沃にし、生産性を高めて増収益につなげるというアクションプランです。彼は『地域開発』を研修科目としていて、自分たちの村を良くしようと目を輝かしていました。

二人目は、メキシコからの「パオラ(23)女性」です。「破壊された森林を復元するための植物園」、同じようにパワーポイントで作った持論を展開しています。彼女も『地域開発』を研修科目にしています。パオラさんは、メキシコから二人目の研修生です。メキシコからの研修生はなかったのですが、先の「オリバー(28)女性」に続き二人目です。オリバーさんは、帰国後大活躍されています。

公益財団法人オイスカの海外支援は、戦後すぐからと歴史も長く、戦争で迷惑を掛けた彼の地に根を下ろした支援となっています。1996(平成8)年1月からの橋本龍太郎内閣までは、政府からの支援が年間7億円ほどあったそうですが、行政改革の名のもとに、今では国の内外共に活動費は寄付金と会費(税額控除)で賄っています。

私の仕事は、公益財団法人オイスカを理解してもらい、会員を増やすことです。その財源で、6カ月~3年間の日本語での農業研修をした若者が、それぞれの国や地域で活躍される、嬉しいことではありませんか。オイスカを私は海外からの若者を育て、日本国内外で木を植える団体と考えています。今の流行SDGs(持続可能な開発目標)に大いに貢献しています。

開会挨拶大方義裕会長

研修生へプレゼント

パオラさんのプレゼン

記念撮影はいポーズ

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| 社長日記 | 10:42 AM | comments (0) | trackback (0) |
作家三島由紀夫の割腹自殺から50年
1970(昭和45)年11月25日、夕方のテレビニュースが大騒ぎしていた。作家の三島由紀夫氏が『盾の会』メンバー数人と、東京市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地の建物に日本刀を所持して立てこもり、総監室からベランダに出て自衛隊員に、「自衛隊が立ちあがらなければ、憲法改正は出来ない」という趣旨のアジ演説をした後、割腹自殺をした事件を報道していた。

その時私は高校2年生で、日本史の太田啓太先生から『三島由紀夫という作家が、その内ノーベル文学賞を貰う』と聞いていて、そんなに凄い人間がどうして自衛隊で割腹自殺をするのか、不思議に思ったのを今でもよく覚えています。あれから50年もなるのか。月日の流れるのは、実に早いものだ。

三島は大正14年1月生まれで満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が、昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い。晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊したり、民兵組織の「楯の会」を結成したり。

代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。辞世の作品となった『豊饒の海』は私も読みましたが、時間を掛けてまた読んでみたいと思う作品の一つであります。

『豊饒の海』の発表形態は、まず雑誌『新潮』に連載され、その後に
新潮社から刊行された4部作で、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した、「世界解釈の小説」「究極の小説」である。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したのです。

第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄(ほの)めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある。

『驚きの秘話ノーベル文学賞と自決の謎』NHKクローズアップ現代で宮本亜門氏は、次のように語っています。

川端が日本人で初めて文学賞を受賞した1968年。興味深い記述がありました。実は三島も候補として名前が挙がっていました。しかも今後の成長しだいと評価され将来に受賞の可能性も残されていたのです。

しかし2年後…。

三島は、自衛隊に乗り込みクーデターを呼びかけた末、割腹自殺。さらにその2年後川端もガス自殺します。謎に満ちた2人の死は今も人々の関心を集めています。

確かに三島由紀夫の作品には、われわれ凡人には理解しがたい記述が多い。金閣寺にしても、わからないことが多い。村上春樹氏もノーベル賞候補と言われて久しいが、彼の作品も大西秀人高松市長がよく例示する『海辺のカフカ』にしてもよく理解できない。それを理解しようともがくのが、文学の極みかもしれない。

絵は私の作品 全部で4冊

スクラップ147ページ


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| 社長日記 | 09:34 AM | comments (0) | trackback (0) |
塩江町の岩部八幡神社の樹齢400年と600年の夫婦イチョウ
香川県の旅情報(うどん県旅ネット)によれば、岩部八幡神社の創始は養老年間(西暦717~724年)あるいは天平年間(西暦729~749年)と言われています。平たく言えば、『1,300年ぐらい前』古くは現社地の北方に鎮座していたが、後に現社地の北西山麓に遷座したと伝わり、その旧跡と考えられる礎石が素婆倶羅社前に見られます。

その後、山上に遷座し明徳3年(西暦1392年)には細川頼之によって社殿の修築がなされました。大イチョウは、その頃に植えられたと伝えられています。このイチョウは、県指定の天然記念物に指定され、樹齢約600年の大イチョウがあり、秋には見ごろを迎えます。2本の古い大銀杏ですから夫婦円満で健康でありますように、また縁結びの神様であり親子の守り神でもあります。

この有名(25日の夕時NHKテレビで放映された)な塩江町・岩部八幡神社の境内脇に、弊社社員の家があり、定休日の25日に夫婦してお呼ばれに行き、『噂の大銀杏』を見てきました。「もう葉っぱが落ちてしまった」との情報はありましたが、以前春にも行ったのですが、紅葉の時期は初めてで、押しかけてみました。

本殿は170段の階段を上がったところにありますが、県道から神社に入りすぐのところに、樹齢400年と600年の夫婦イチョウがまだまだ頑張っています。「イチョウは手品師、老いたピエロ」とフランク永井の歌声を思い出すのですが、昭和53年の歌だから知る人はここにはいない。この年の1月に待望の長男が誕生し、12月7日には郷土の宰相大平正芳元総理が誕生しています。ちなみにこの年の第20回レコード大賞は、『UFOピンクレディー』でした。

大銀杏の前では、『豆茶とおはぎ』などの有料接待が11月一杯行われています。その脇には、ドローンで撮影された境内風景が大型液晶画面に映し出されています。宮司の池田哲夫さんが自ら撮影したものですが、なかなかの出来映えでした。上からの撮影は、威力を発揮しますね。全体像が見えるのは当たり前として、角度高度が変わると変幻自在の映像が得られます。

その後貰った入浴券で、『塩江温泉・ビィラ塩江』の湯に浸かりました。貸し切りで、温泉を堪能しました。ビィラ塩江はその昔、豊友会の宿泊勉強会で高木利美先生を迎えて月1、利用していました。『内場ダム』から藤川牧場を過ぎたところにあります。家族連れや、社内研修の雰囲気の集団も到着しています。穴吹夏次(旧穴吹工務店創業者)さんの鯉も、数は減っていますが、雄大な姿を見せていました。

県HPより

松野公子撮影

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| 社長日記 | 09:15 AM | comments (0) | trackback (0) |
セリーグ覇者の巨人がパリーグ覇者のソフトバンクに8連敗
久しぶりに、プロ野球を地上波で見ました。巨人の今年の4連敗(昨年から8連敗)があるかどうか。結果はソフトバンクが4-1で、巨人に勝利して、SMBC日本シリーズ2020チャンピオンに4連勝で輝いた。往年の巨人の強さは、みじんもない。『人気のセ・実力のパ』と言われて久しいが、人気でも巨人は人後に劣るようになってきた。巨人ファンとしては、何とも残念だが、そもそもプロ野球自体も飽きてきた。

私ら団塊の世代のつぎ世代は、『巨人・大鵬・卵焼き』世代と言われ、プロ野球放映が『巨人』だったことからも、多くの少年野球小僧は巨人ファンだった。ずるいぐらい巨人へ、実力のある選手、有望な選手が磁石のように360度どこからともなく吸い寄せられてきた。長嶋茂雄や王貞治選手は、入団以来巨人であったが、張本・金田をはじめ、清原・工藤・小笠原など他球団の看板選手を集めてきた。

日本シリーズを4連覇するのは、1965(昭和40)年から9連覇を成し遂げた巨人以来2球団目となったソフトバンク。就任6年目の工藤公康監督は5度目の日本一となり、巨人と東映(現日本ハム)で計5度優勝の水原茂元監督に並ぶ歴代3位タイとなった。今の力だと、連勝記録はまだまだ続くと思われる。

直近10年の日本シリーズでは、ソフトバンクの7度を含めパ・リーグ球団が9度日本一に輝いている。セ・パ交流戦でもパの優勢が続き、力の差は明らかだ。背景には、選手獲得競争での巨人や阪神などの人気チームの優位が崩れたことにある。時代は変わったと言える。今の時代相撲にしても、往年の『柏戸・大鵬』のようなスーパーヒーローは存在しない。みんなにチャンスがある時代になったと思えば、それもありだと思う。

過去を懐かしんで思い出してみると、巨人は資金力やブランド力を武器に好選手を揃え、12球団最多の22度の日本一を勝ちとってきた。それが2007(平成19)年にドラフト会議での希望入団枠が廃止され、有力選手が球団を選べる制度が消滅。入口の不均衡は、小さくなった。フリーエージェント(FA)や、外国人選手の獲得競争の構図も変化した。

この日本シリーズでのソフトバンクは、パリーグ2位のロッテと熾烈な『クライマックスシリーズ』を戦い、早々とセリーグダントツ優勝を決めた巨人と日本シリーズへなだれ込んだ。ソフトバンクは、今季開幕投手の東浜や正遊撃手の今宮を欠きながら、選手不足を感じさせない戦いぶりだった。球界一の選手層を誇る王者と、普段からその巨大勢力に戦い挑むパ球団が、セを圧倒する構図が定着しつつある。


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| 社長日記 | 09:31 AM | comments (0) | trackback (0) |
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