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第101回全国高校野球選手権香川大会高松商第1戦
雨で二転三転した高松商の初戦ですが、相手校は「坂出工」と変わらず、試合が結局翌日の15日(祝日・海の日)、12時試合開始となりました。雨相手に怒っても仕方ないのですが、商売上の接客時間が これまた二転三転、この連休中に「会長と話がしたい」というお客様に、大変ご迷惑をおかけしました。それでも、試合を観に行きます。

雨で順延のお陰か、本日の第2試合は雲もなくなり、若干曇り模様ですが夏のレグザムスタジアムの雰囲気になりました。高松商は後攻で、先発は背番号10右腕中塚公晴投手。怪我で苦しんでいた主将の飛倉爽汰選手も、一番で先発出場です。攻撃陣は4番まで四国新聞の予想通りでしたが、5番からは大きく変更した選手起用で、私もビックリしました。

長尾健司監督は、選手の秘めたる可能性を楽しんでいます。公式戦初スタメンでマスクをかぶった7番安部祐慧選手は、守備では右腕中塚公晴投手をうまくリードして、9奪三振。打席では、2安打2得点と大活躍。2盗も一つ決めている。5番立岩知樹選手を代打した笠居選手も、左前安打。2番手松田投手(1年生?)も、7回を3人(内野ゴロ)で片付けた。

試合は、一回表坂出工の攻撃に対して、右腕中塚公晴投手は、1番左飛・2番中飛・3番遊ゴロで三者凡退。裏の高松商の攻撃は、1番飛倉爽汰選手が四球で出塁、2番大塚慶汰選手が犠打で1死2塁。3番谷口聖弥君は四球で1死1と2塁。4番岸本将翔選手の投ゴロで、2死2と3塁。5番立岩知樹選手が四球で2死満塁。奪四球は6回で9、勝因の一つです。

6番浅野怜選手が左前安打と、7番安部祐慧選手の三前安打、二盗を絡ませて8番石丸圭祐選手の右前安打で5点先取。さい先良いスタートを切った高松商ナイン。3回にも先頭6番浅野怜選手が四球、7番安部祐慧選手との間にヒットエンドラン。右前打となり無死1と3塁。8番石丸圭祐選手は四球で満塁、パスボールで3塁走者生還となり1点追加。

5回の得点は、6番浅野怜選手が左前安打で出塁。すかさず2盗に挑戦して、捕手の暴投を誘う高松商十八番の攪乱攻撃。7番安部祐慧選手の右飛で、浅野怜選手がタッチアップ。6回は1死の後、2番大塚慶汰遊撃手の二横安打、2盗は憤死だったが3番谷口聖弥選手の中右2塁安打。4番岸本将翔選手の打席で、パスボール、2塁手エラーの間に1点。

高松商は7回守備から、背番号18の松田投手が登板。7回を三者凡退で凌いだ。結果7回コールド、8-0で高商の勝ち。安打9-4、エラー0-2で、高松商が危なげなく初戦をものにした。6回まで右腕中塚公晴投手、7回は松田投手の完封リレーではあったが、心配しているエース香川卓摩投手の登板はなかった。香川卓摩投手の復活なくして、トップは苦しい。








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| 社長日記 | 09:32 AM | comments (0) | trackback (0) |
第7回国際ソロプチミスト高松チャリティー茶会
ソロプチ高松(馬場久美子会長)のチャリティー茶会が、7月14日(日)9時過ぎから15時まで、料亭二蝶で行われました。平木あつ子実行委員長の元、雨天にもかかわらず予定より早く始まっています。収益金は、DV被害者支援事業に寄付すると書かれていてその分3,500円と、お茶席としては安くはありませんが、それだけ椅子席でゆったりした時間を堪能出来ています。

特段の打合せはありませんでしたが第二席に、L小竹彰会長、L佐久間勝、L横井潔と私が一緒になりました。そして次の席には、L塩田博志夫妻が待合にて控えていました。次の席も満席で、積み残しが増えてきています。点心は料亭らしく、「はも」料理と、鯛素麺の汁物でした。



大西秀人高松市長夫妻も駆けつけてこられて、点心まで一緒させて頂きました。夫人とは昨年の今頃、フランスのトゥール市へ一緒に、高松市・トゥール姉妹都市提携30周年記念市民訪問団の一員として、参加しました。もうあれから1年になりますか、早いものです。市長によれば来年、中国南昌市とのイベント交流を控えているとのことでした。

国際ソロプチミストは、1921年アメリカで誕生した女性の奉仕団体です。女性の人権と地位を高める活動をしています。世界を4つのエリアに分けて、日本はアメリカと同じエリアにあります。また国内は、5つのリジョンで、ソロプチミスト高松は、日本西リジョンの中国・四国に属します。1962年10月25日に、日本で2番目のソロプチミストクラブとして認証されました。

一方高松栗林ライオンズクラブは、結成が同年同月13日ですが、認証は翌年6月2日と、ほぼよく似た頃の誕生であります。ただし高松栗林ライオンズクラブは、日本で480番目のクラブです。ソロプチミスト高松は、故大平正芳元総理の肝いりで、ソロプチミスト東京についで結成されたと聞いています。

高松栗林ライオンズクラブとのご縁は、わがクラブ39周年(2001・7~2002・6)故石川寿男会長の年に、「ペイ・フォワード(親切の順送り)」というライオンズクラブニズムの高揚にぴったりのアクティビティに出会い、「ソロプチミストミドル香川(坂出市当たり)」が母親役、高松栗林ライオンズクラブが父親役として、2つの組織を上げて青少年健全アクティビティに取り組んだご縁から、ソロプチミスト高松へとつながったモノです。

今では「ミドル香川」より、「高松」の方との交流が盛んになっています。今日のような記念事業(アクティビティと呼ぶ)には、それぞれが参加するように心懸けています。国際ソロプチミスト高松は、いつまでも、どんなときでも笑顔で輝くことが出来ますよう、これからも女性と子どもを応援し続けると宣言しています。




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| 社長日記 | 08:05 AM | comments (0) | trackback (0) |
市販薬あるのに病院処方5、000億円 医療費膨張の一因に
7月12日の、日経トップ記事のタイトル。医療費抑制につながる、市販薬の利用が広がらない。湿布や鼻炎薬など市販薬があるのに、利用者が病院に通って処方される医薬品の総額が、標題にある5,000億円を超すことが日本経済新聞の調べで分かった。要するに日経の、スクープ記事であります。

庶民からすれば、処方薬は自己負担が原則3割と安いから、同じものであれば、病院で貰いたい。むしろ病院のは、よく効くと思っている。ある湿布薬を通販サイトで買うと598円だが、病院だと105円。アトピー性皮膚炎に使う薬を、肌荒れを防ぐ保湿剤として使う人もいるという。その薬は、市販の4分の1以下の負担で手に入るため不必要な受診が相次いだ。

米医薬品調査会社IQVIAによると、ガン免疫薬「オクジーポ」の18年度の国内売上高(薬価ベース)は、1014億円だった。仮に代替可能な処方薬を市販薬にすべて転換すれば、オクジーポ級の高級薬を5種類分カバーできることになる。

市販の可否を決める国の検討メンバーは、医師が過半を占める。調査会社の富士経済(東京・中央区)で医療に詳しい人は、「市販薬が増えれば病院に来る人が減り、病院経営に響きかねない。あまり広めたくないのが医者の本音」だと指摘する。病院へ来て貰えば、検査や処置、処方などで幅広く診療報酬を得られる。

フランスなどでは、薬の重要性に応じて自己負担率をゼロから100%まで5段階に分けている。抗がん剤など、代えのきかない薬は全額を公費で賄い、市販薬がある薬の自己負担を重くしている。国などが、必要性の薄い通院を繰り返す人に、自制を促す取組も見られる。

2016年度の医療費は42兆円で、うち薬の費用は10兆円。公定価格(薬価)が3349万円の白血病治療薬「キムリア」が5月に保険適用となり、今後も高価な薬が相次ぐ見通し。症状が軽い人がすすんで市販薬を利用すれば、その分保険を使う費用を抑えられる。痛みを伴う変更ではあるが、広く国民も、自分の将来のためと考えることが求められる。

もともと医師の処方が必要だったが、副作用の心配が少ないとして一般用で認められた市販薬を「スイッチOTC」と呼ぶ。これ以外に、うがい薬や保湿剤など、古くから市販薬と処方薬の両方があったモノもある。このままでは、医療費の膨張にブレーキがかからない。深刻な病状の患者に医療費を手厚く振り向けるため、財源の配分を見直す時期が来ていると私も思う。


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| 社長日記 | 08:36 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松に縁の深い竹村健一氏が死去
8日午後7時38分、多臓器不全のため都内の病院で死去されたと、新聞が報道している。89歳。今や昔の感はありますが、「だいたいやね」で始まる関西弁の辛口コメントで、一世を風靡した竹村氏。高松にも「香川竹村会」があって、アムロンの先々代の宮本高義氏が中心になって運営をされていました。実質は、長男現社長の宮本吉朗氏が、事務局長としてマネージメントされていました。

1953年京都大学を卒業し、毎日新聞に入社。竹村健一氏の一番の自慢、日本初(故人の言葉)、「フルブライト奨学生(米国が費用を持つ招待学生)」として米国に留学。英文毎日記者の傍ら、英会話入門書やラジオの台本を執筆。60年代後半から本格的な評論活動をはじめた。「世相講談」「竹村健一の世相を斬る」などのテレビ番組にも登場。

新聞で「香川竹村会」のことには勿論触れていないのですが、2ヶ月に一度程度「喜代美山荘花樹海」で、例会と懇親会をやっていたように記憶しています。一番の思い出は、「香川竹村会」の会員(会長・佐藤忠義四国電力相談役)有志と、中国上海・深圳等への視察旅行、平成8年6月と記録があります。今から23年前の頃、竹村健一氏が丁度今の私の年ぐらいでした。

この時私は生意気にも、現アムロン社長の宮本吉朗氏と同室させて頂きました。その節は大変失礼をしました。いみじくも令和最初の県知事表彰も、宮本吉朗氏と同席でした。高松JCの理事長など、多くの役職をされています。宮本吉朗氏がIT(情報技術)に精通し、経営者として抜群の才を持っているというのは周知のことですが、音楽にも造詣が深いのです。

先の中国旅行でも、竹村健一氏はどこへ行っても日本人には人気者でした。通訳の中国人男性も、今日の昼のNHKテレビの内容にも精通するなど、日本のことは何でも知っていると胸を張っていましたが、竹村健一氏のことは全く知りませんでした。竹村健一氏は、NHKにはほとんど出ていなくて、民放の番組でした。その事を知った彼は凄く落ち込み、NHK一本で日本通にはなれないと気がついたようでした。

ピアノに向かい、突然弾き出す竹村健一氏、奥様は絵描きで、販売活動の中心になっていました。89歳の竹村家でも、家庭では女性がリーダーだったのですね。ご冥福をお祈りします。


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| 社長日記 | 09:26 AM | comments (0) | trackback (0) |
3万年前の航海3度目の正直丸木舟で成功
国立科学博物館のチーム5人と、エンジンつきの船で丸木舟に付き添ったチームは、台湾から200㎞以上離れた東シナ海に浮かぶ沖縄県・与那国島に、9日午前11時48分に到着、草舟、竹舟に続く3度目の丸木舟で、実験に成功した。45時間に及ぶ執念の航海だったが、3万年前の人間がなぜ海を渡ったか疑問が残る航海になったようだ。

途中の休憩の間に黒潮に流され、かえって与那国島に近づけたという幸運にも助けられたと言うが、男女5人の人力だけで目的を達成したのは、あっぱれ。3万年前になかったモノは使わないとして、丸太の切り出しから舟の「造舟」も石の斧だけ。地図も時計は持たず、星や太陽の位置で方向を判断しながらの航海。

日本列島には、朝鮮半島やサハリンからとは別に、大陸と陸続きだった台湾から海を越えて渡来した人がいたと考えられている。ただ、どんな舟や航海技術を使ったかは分かっていない。あくまでも現代人の想像によるもので、2016年からの挑戦の、今回が最終の挑戦とされていた。

5人は夜を徹してこぎ続けたと言うが、健康状態は問題ないようだ。それにしても、長さ約7.5m幅約70㎝の舟で、移動も出来ず、生理的要求にも苦労があったと思う。食料や水は、伴走船から補給したというが、これは3万年前になかったことだ。

過去この類いの実験に、私もつきあったことがあります。もう30年40年前の話しですが、高松在住の佐々木昭さんが、「野生号Ⅲ」に乗ったのです。「野性号Ⅰ」とは、1975年、角川書店社長 角川春樹 氏が企画した、魏志倭人伝の渡海に使った冒険実験古代船です。櫂(オール)による人力だけで渡海を試みました。しかし、「野生号」は曳航しなければ「朝鮮海峡」(釜山→対馬)を渡れませんでした。

これの第2段、「野生号Ⅱ」が双胴船でつくられ、1977年に航海。古代日本人は黒潮にのってやってきたのかという謎を解くため、「黒潮文化の会」による古代史学術調査事業の一環としてフィリピン-鹿児島間(2500キロ)を実験航海。 途中、様々なトラブルに見まわれながらも、黒潮と風による44日間の航海を見事成功。ドキュメント映画 「野性号の航海(翔べ 怪鳥モアのように)」 になっている。

そして第3段「野生号Ⅲ」。「縄文土器が南米エクアドルで発見された?」という謎をとくための、「太平洋古代文化の会」による古代航海実験。下田-サンフランシスコ-アカプルコ-グアヤキル-リマ-アリカ(チリ)間(18000キロ)。 これに佐々木昭さんがクルーとして参加され、毎朝6時にアマチュア無線で無事を確認していました。途中からタンカーの船長も加わり、3局ネットワークでした。

この航海は、「縄文人の太平洋渡航」の仮説を直接的に実証しようとするものではなかったのですが、中南米の沿岸に限らず太平洋の島々から縄文土器に類似した土器等が数多く発見されている事実をもとに、より広い可能性を調査・実験するためのものでありました。

航海はサンフランシスコまで50日間、最終目的地南米チリの最北端の町アリカまで207日間で到着し、無事航海を終えたのでした。このころの角川書店は、冒険心に富み、角川春樹氏自らが隊長をつとめたぐらい勢いのある会社でした。


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| 社長日記 | 10:25 AM | comments (0) | trackback (0) |
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