『虎に翼』の主人公三淵嘉子氏は、日本初の女性裁判所長として活躍された女性ですが、女性身分の確立が始まった頃から先頭を切って、法曹界をひた走った女性であります。今さら私が説明するより、朝ドラを観て頂いたほうが良いのですが、沢山の三淵嘉子氏紹介の図書の中から、写真の1冊を通販で購入し、粗々と読んで見ました。
我田引水ですが三淵嘉子氏は、明治大学専門部女子部出身者として、明治大学の公式SNSでも毎日書き込みがされて賑々しい。テレビ小説では、『明律大学女子部』となっていますが、明治大学関係者間では大変盛り上がっています。大学は学校の人気があがると、受験者数が格段に増えます。今の時代、定員数を大きく超える合格者発表が出せなくなっています。私の頃は、定員の倍くらいの合格者を発表していた?その翼の先端に、かろうじて私がへばりついていたのでしょう。
要するに本当に入学するつもりの学生に、合格を出したいわけです。その勢いのバロメーターとなる『人気』では、青山学院の箱根駅伝での活躍等も、受験者数増に大いに貢献しています。NHK連続テレビ小説の製作に、明治大学もおおいに協力しているのも、そのような背景があるようです。
ところで現在の日本での女性法曹界の割合は、弁護士で約20%、司法官(裁判官・検察官)で約22%であり、依然として男女格差が大きい。とは言え、かつて男性が独占していた法曹界において、初の女性弁護士が誕生したのが1940(昭和15)年6月、初めて司法官に任用されたのは1949(昭和24)年4月のことですから、およそ80年の歳月を経て、ようやく女性法曹の割合が約20%に達したことになります。
女性の高等試験司法科受験が認められて3年目の1938(昭和13)年11月1日、司法省は、明治大学専門部女子部および明治大学法学部を卒業した田中正子(後姓・中田)と武藤嘉子(後姓・和田、三淵)、そして明治大学法学部在学中の久米愛(旧姓・保原)の三人が、高等試験司法科に合格したと発表した。(合格者総数242名)
彼女ら三人は、一年半の弁護士試補の修習を経て、1940(昭和15)年6月に各弁護士会に登録、女性弁護士がついに誕生したのです。弁護士とは対照的に、高等試験司法科に合格しても女性が司法官(裁判官・検察官)に任じられることはなかった(明文規定はなく慣習上の運用であった)が、第2次世界大戦後になると、日本国憲法第14条の男女平等法理の下で、ようやく女性の任用が認められるようになった。
1949(昭和24)年4月と8月に石渡満子(明治大学出身)と嘉子が判事補(1952年私が誕生した11月嘉子が判事に昇進)に、同年11月には門上千恵子(九州帝国大学出身)が検事に任用され、さらに1972(昭和47)年6月、嘉子が女性として初めて裁判所(新潟家庭裁判所)所長に就任するに至るのです。
このような相手任せの人気昂揚の今、第60回明治大学全国校友会香川大会が今年9月28(土)・29(日)、サンポートホール高松(大ホール)やJRホテルクレメント高松で前夜祭・記念式典・記念講演会・懇親会が予定されています。明治大学校友会香川県支部(図師泰副支部長)会員は、年相応に頑張っています。今日も、手前味噌の会長日記でありました。