2021,01,13, Wednesday
1996(平成8)年10月の衆議院選挙から、『小選挙区比例代表並立制』が取り入れられて、われわれ国民もキツネにつままれたような感覚を持ったのを思い出す。一つの選挙区で一議席を争う小選挙区制と、政党の得票数に応じて議席数を決める比例代表制を組み合わせた選挙制度だが、あれから四半世紀25年の月日が流れる。当然だが比例代表制は、上位掲載者が当選する。国民の意思は反映されない。
小選挙区で落選した候補が、比例区でお化けのように復活する。何とも不思議な選挙制度、「今だけカネだけ自分だけ」制度のように思った。背景は以下にまとめるが、当選したいという候補者の気持ちは痛いほど分かる。しかし、それだから都合の良いように制度を変えて、国民の目を民主主義制度だと『建前』の世界へ追い込むのはやめてほしい。 専門的なことは門外漢の私にはよく分からないが、小選挙区制は『改悪』だと思っています。悪しきは正したら良いのに、国はそう素直ではない。この制度は、93年に選挙制度を含む政治改革を巡って自民党が分裂したことに、端を発しているように思っています。同8月9日、8党派による細川護煕内閣が発足、55年体制が崩壊しました。 前政権は、78代自由民主党宮澤喜一総理大臣(644日在位)。アメリカでは同1月に、第42代クリントン大統領(民主党)が誕生しています。そもそもこの制度は94年1月、細川護煕首相と野党・自民党の河野洋平総裁(河野太郎行政改革担当相の御尊父)が、『小選挙区300、比例代表200』で合意したことに始まる。この後細川護煕元首相は、『時代の要請』でしたとムード先行だったことを認めている。ポピュリズムという言葉があるが、為政者には『世論調査』が毒にも薬にもなる。 日本新党の細川護煕内閣は結局263日、その後1994年4月28日発足の新生党羽田務首相の64日政権が続く。そして日本社会党の村山富市内閣と、反自民の政権が引き継がれる。村山富市内閣は、94年6月30日に誕生した。村山富市内閣は、発足後561日間続く。その間に不幸なことだが、『阪神淡路大震災』を経験している。危機管理能力が厳しく問われた。だが私は大学の先輩で、いい人だと思って尊敬しています。 このような背景を背負って、新制度での第1回衆院選は先にも書いたように96年10月選挙。しかし81代村山富市内閣のあと、82代自由民主党創政会橋本龍太郎内閣が新制度前の選挙で勝利し、96年1月11日に誕生しています。自民1強、国民の願望であった『二大政党制』は遠のいています。確かにこの後2009年9月に民主党鳩山由紀夫内閣が始まりますが、国民が期待した保守二大政党政治はほど遠い結果に終わりました。 しかし2012年からの第2次安倍内閣も、2度目の挑戦でした。7年以上も安定した政権を維持した。野党との二大政党による政権交代は、日本では無理だと言われていますが、政権が交代するという危機感がなければ、自民党内でも派閥争いに終始する。今の菅内閣の不支持率は、そんな国民の不満の表れかもしれません。四半世紀前のことですが、国民は過去のことは問題にしません。これからの四半世紀が、そして次の世紀が良くなればいいのです。 |