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第25回TAG会芸能発表会inザ・チェルシー
正月恒例だったTAG会(高松エアポートエリアグループ交流会)芸能発表会が、新型コロナウィルスの流行に伴い変則的に開催され、今年は昨年と同じようにこの頃の6月23日(日)、ザ・チェルシー4Fザ・エディーで開催されました。今年で25回目、創設者の一人故松熊義美さんが「各種の人的交流の輪を通じて相互が共に学びあい、助け合いにより、連携・協力の土壌をつくり、地域の発展に寄与する」ことを目的としてスタートしたモノです。

地域特有の文化を改めて掘り起こし、精進のほどを披露する芸能発表会は交流・文化振興にとって誠に意義深く、高齢化が続く現世の現状への唯一の若返り策として医学的にも有効と言われているカラオケ(芸能)を通じて、人の輪が地域の力としてこの周辺には出来あがっています。後継者の西川勝秀理事長(土地家屋調査士事務所)や松熊秀樹さん、正木一志(事務局長)さん佐藤好邦市議(実行委員長)、ご苦労さんです。

TAG会は、高松空港を中心に1市10町(発足時の高松市と、三木・香川・香南・塩江・綾上・綾南・国分寺・庵治・牟礼・直島の各町)の有志が各種の人的交流の輪を通じて相互が共々学び合い、助け合いにより、連携・協力の土壌をつくり、地域発展に寄与することを目的に、故松熊義美氏が中心となり平成9年1月に発足し、第1回の芸能発表会を開催しています。松熊義美さんが、セミプロ歌手でした。

松熊義美さんは建設業ですが、宅建業者(普通に言う不動産屋の法的呼称)でもあり、高南支部総会などの機会には参加され、高松空港が当初の生島沖計画を変更し今の香南町で開港になったいきさつ等を縷々聞かせてくださいました。多少の盛り付けもあると思いますが、私は興味深く聞き入って感心していました。氏はいろいろ考える方で、目的も多岐にわたりすぎて訳が分からないと言われることもありますが、先見性は他の追随を許さないものをお持ちでした。

主たる8大テーマを掲げ、環状線道路も高松道西インターから高松朝日町までの区間の整備が計画され、またサンポートエリア(直接の関連性はないと思うのだが)においては、今秋に県立アリーナが完成予定で来春には徳島文理大学の移転、そして高級ホテルの建設・大型クルーズ船を向かい入れる11万トン級バースの建設など四国の玄関にふさわしい大型事業が予定されています。(お礼の言葉より)

高松の南にある高松空港の振興交流会(TAG会)が、北端の高松港周辺のサンポート地区をクルーズして捉えています。松熊義美さんらしい発想が、未だ脈脈を継承されています。そうそう肝心の芸能発表ですが、プログラムには、90数人がエントリーされています。失礼かもしれませんが、『こまどり姉妹』のような振り袖姿の熟女も、息を合わせて気持ちよさそうに歌っていました。確かに私のこれからのぼけ防止には、良いかもしれません。食道がんの経過観察が3年終わり、この先言われる2年がどうなるか。『思案橋ブルース』です。



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| 社長日記 | 09:08 AM | comments (0) | trackback (0) |
中山芳彦さん死去90歳
スーパー・マルナカ創業者の中山芳彦さんが22日午前、老衰のため高松市内で死去したと報じられている。90歳。好きか嫌いかは別にして、昭和を力強く生き抜いた郷土の英雄の一人として、また偉大な経営者の一人として賞賛される人物だった。葬儀告別式は25日(火)午後0時半から、高松市勅使町のベルモニー会館勅使で行われる。喪主は長男でマルナカホールディングス代表取締役・中山明憲さん。

1977(昭和52)年、マルナカフードセンター社長に就任したのを皮切りに、県内外でスーパーチェーン網を築き、マルナカ・マルヨシ時代を作った。佐竹文彰氏(元株式会社マルヨシセンター社長)が死去されて、中山芳彦さんの話題も表舞台から消えた。それでも私は、高松栗林ライオンズクラブのメンバーから益々元気と聞いていました。

2011(平成23)年今から13年前、イオンとの経営統合を機に一線を退き、その後不働産業のマルナカホールディングス会長を務めていました。不働産業では『朝鮮総連ビル』を買って、話題を集めた。私はそのことより『ホテル業』の経営者として顔に興味があった。高松市内のホテルパールガーデン(高松市福岡町2-2-1)は、ビジネスホテルとして高稼働率をたたき出している。別館と自走式駐車場の建設が、功を奏していると私は見ています。

先にビジネスホテルと表現したが、市内のグルメホテルとして、ランチは長蛇の列。高松市内で、一番美味いランチホテルと言っても過言ではない。さらに中山流というか、沖縄石垣島にもリゾートホテルを所有し、新型コロナウィルスの流行に伴い苦戦はしたと聞いていますが、先見の明、今後の収益源としては楽しみだろう。中山芳彦さんは人の使い方が上手いというか巧みで、ホテルパールガーデンの前身『厚生年金会館』の支配人を長く沖縄のホテルで雇用していた。

私も過去に一度だけ、不働産売買仲介で面談したことがありました。丁度その頃、高額経営講座を受講中で、その時中山芳彦さんに贈った色紙が残っていました。公開しても守秘義務違反に問われることはないと信じて、ここに掲載します。



謹んでお悔やみ申し上げます。

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| 社長日記 | 08:16 AM | comments (0) | trackback (0) |
オイスカ四国支部9推進協議会今年最後の綾川推協総会
オイスカ四国研修センターのお膝元、『綾川推進協議会』の第14回総会でした。今年の推協総会の幾つかに出席しましたが、どこも14回でした。ということは、13年前頃の2011(平成23)年に四国支部に何があったのか。それはこの年に、国の法律が変更になり『公益財団法人』に移行しています。国から7億円の資金を預かり、アジア太平洋地域に44箇所国内に4つの研修センターを維持していました。

その後の2013(平成25)年4月に入会した私は、このあたりの経緯は承知していない。そんな男が、高松推進協議会の長にいるのは如何なものかと自らも思う。「首を洗って待っていろ」という元会員の声も、聞こえて来ます。こんな首で善かったら、いつでも差し上げます。

別の資料によると、昭和57年9月『綾川推進協議会』が発足したとも書かれています。その資料では、高松推進協議会は昭和60年10月発足、四国支部は1993(平成5)年4月となっています。そもそも四国研修センターが1968(昭和43) 年・今から56年前に出来てから、ここ綾川推進協議会が中心となっていたことは多くの先輩から聞いております。いずれにしても地元推協は、昔も今も『渦の中心』にあります。

もう一つ多くの推協が今年役員改選期でしたが、ここは昨年改選で川西正廣新体制が出来ていますが、2年任期で今年は補充改選でした。前会長の大方義裕さんは、顧問で推協を支えています。個人会員がほとんどで、一人一人の協力でこの推進協議会は成り立っています。経営上のコネに頼りがちですが、本来は一人一人の理解と協力が力を発揮します。

もう一つ今日の総会、懇親会では研修生の『カントリーダンス』が披露されるのですが、今日は泉雅文会長に手を引かれ、研修生の輪の中に引き込まれました。2曲のはずが3曲踊って、疲れました。研修生は言葉も十分に通じないモノのの、暗黙の了解で実に上手く踊ります。多くが酔っ払っていて、こうなると一緒に身体を動かすことが親睦になっています。

これで、県内の推進協議会の総会は終わりました。徳島県推進協議会の総会へ泉雅文会長が行くなら、私もお供します。動けば波が立ち、『渦が出来る』ことになります。当面の目標は、7月20日(土)の高松推進協議会初『バーベーキュ交流会』(仏生山の森)です。新入会員松村雅代さん発案の研修生東京弾丸ツアーの話しも出始めて、何だか新しいことも始まりそうな予感のするオイスカ四国です。









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| 社長日記 | 09:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
県産ミカン小原紅早生1箱40万円初競り価格
初競りで1箱40万円で落札された小原紅早生(おばらべにわせ)、25個入りだから1個なんと1万6千円、「口がいがむ」と昔の人は言った。あまりにも高価すぎて、もったいなくて食べられないという意味だと思うが、今はあまり使われなくなった。『もったいない』という概念が、薄くなっていることも要因だと思います。

加温栽培した香川県オリジナル品種で、日本一赤いといわれるミカン『小原紅早生』の初競りが21日朝、高松市瀬戸内町の市中央卸売市場で行われた。小原紅早生は、鮮やかな紅色と濃厚な甘さが特徴で、中元ギフトとして人気が高い。高松市内ではたった4軒の農家がハウス栽培していると言う。どうだろうか、もう10年にはなるだろうか、初期の頃には弊社にもある企業からそれが届いていました。その頃の印象は、確かに鮮やかな紅色をしていましたが、いわれるほど甘くはなかった。さすがに今は、届いていない。

初競りには計693㎏が出荷されたが、仲買人らが次々と落札するなか、五色青果の山下賢也常務が2.5㎏の桐箱入りを、最高値の40万円で競り落とした。昨年より10万円も、せり上がったことになります。ミカンは隣県の愛媛が四国内でも有数の産地ですが、狭い香川で一点集中作戦は見事な戦略であります。量で勝てなければ質で勝負する、今やミカンも付加価値の時代です。こうなると中元の『華』となることでしょう。

香川県は日本一県土が狭く、農業・工業は弱いのですが、スイカでも四角いスイカを作ったり、アスパラ・ブロッコリーに活路を見いだしています。おっと忘れていました『オリーブ』は、日本一のブランド力を持っています。小豆島の誠耕園井上智博さんによれば、量は国産ではまかなえず、スペイン産など外国からのそれに頼っているようで、国内での生産を働きかけています。

いずれにしてもこれから生き残るには、高付加価値つまり粗利益率が高い商品を作ったり、扱ったりしなければ安定してやっていけません。しかしその作戦も、漠然と前年を踏襲していたのでは、没落していきかねない。『大間のマグロ』も『金華さば』も、水温の上昇やらで漁獲量が減少していると聞く。その代わり『魚の養殖』は、自然の影響を受けやすい海から陸へ動いている。日本人の特性の最大技は、『創意工夫』だ。これは農業・工業のみならず、万般に通じる。

資源が少ないから、それを最大限活用する工夫をする。昨今の私が考えるもったいないの筆頭は、『食品ロス』。ホテル等の宴会で、残っている食べ物を持って帰ることなど、『高級店』ではあり得なかったことだが、もっとも私が行くところだから超一流とは言えないまでも、そこそこの会場でも『持ち帰りパック』を会場側が用意するようになってきた。食中毒は自己責任として、無駄はやめよう。

最後に一言、米が高くなっていると聞くのですが、実に喜ばしいことだ。まさか1㎏1万円とまでは上がるまい。昨今の米は美味しい、私も夜に米をほんの少し食べ始めました。断酒から3年になりますが、飲酒時の癖で夜は少々を基本にしていますが、その分甘い食品に手を出しています。断酒は由としても、その分間食のセーブが新たな課題であります。人間生きて行くにも、創意工夫です。


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| 社長日記 | 09:52 AM | comments (0) | trackback (0) |
第14回オイスカ三豊推進協議会総会in観音寺グランドホテル
オイスカ四国支部には九つの『推進協議会』と二つ『青年会』、一つの『徳島県女性』があります。それぞれが逐次令和6年度の総会を開催し、今日はオイスカ三豊推進協議会総会が17時より、観音寺グランドホテルで開催されました。高松推進協議会所属の私は招かれてはいませんが、押しかけて参加しました。西讃は何かと元気で、行くと何かを得られるような予感がして、押しかけました。高速道路からの国道11号線は、拡張工事中がまだ続いています。これで一層よくなります。

会場入りして驚いたことに、ひな壇に大勢の来賓がすでに着座であります。高松では、10分前でもひな壇は空席が目立ちます。三豊推進協議会の稲田覚会長は地元のボスでオイスカ歴も長く、全国理事の石井淑雄氏すら「イナダに誘われた」と言うほど。西讃の外国人就労者は、三豊市が1.1万人観音寺市で1万人いるそうで、私は加ト吉創業者加藤義和氏のお膝元で水産加工業に外国人が多いと思っていましたが、実態は農業工業等広範囲に及ぶそうです。



私は今日は後ろ席であることから、ノートPCを開き、アットホーム『出井澄子』さんからのメールを確認し、返事をし始めていました。そこへ(株)藤田製作所の藤田和也さんが私の前に仁王立ち、「マツノさん久しぶり」。聞くと、三豊市商工会議所会頭役で、来賓としてひな壇にいるとのこと。30年ぶりか、懐かしい人に再会できました。予感が当たりましたね。観音寺ライオンズクラブ会長も、来賓でした。西讃の各種団体の優がここに揃っています。さすが稲田覚会長は、別格のようです。

総会議案は執行部原案通り可決され、役員もほぼ再任。続いて海外研修生のカントリーレポート2名の発表がありました。ほぼ4ヶ月が経過し、日本語の学習に差が出ていますが、こうした機会の勉強が大いに役立ちます。数度聞いている私も、その上達ぶりには驚きます。その他研修生の自己紹介のあと、懇親会に入ります。テーブルの脇には、市会議員先生も多く、稲田覚会長の人脈を感じます。司会役の小野隆元オイスカ四国研修センター所長が、「遠来の高松から」と私を紹介したモノで、そのあと次々に挨拶を受けました。

その一人に、三豊市副市長の綾章臣(あやあきおみ)さんがいました。明大57年卒、卓球部だそうです。地元の強豪髙瀬高校から明治大学体育会卓球部進学というのですが、これはわれわれと違い、筋金入りです。公務員として勤務し、今は副市長です。市長の山下昭史(やました あきし)氏は元KSB瀬戸内海放送職員。私も『高松冬のまつり』を通じて、何度か会話をしたことがあります。平成の大合併で誕生した『三豊市』は、サッカークラブチーム・カマタマーレさぬきを積極的に応援し、専用グランドを提供しています。

個人的には若い三豊市を、私は応援しています。テーブルが一緒になった市川洋介さんは、その三豊市議ですがサンエーフード(肉屋)の代表取締役として席を温める間もなく、飛び回っているようです。私の知己・浜口恭行(はまぐちやすゆき)市議とは、別会派のようで、ともに若い切磋琢磨して三豊市を盛り上げてほしい。香川県は中央の高松市と中心として、東讃より西讃が元気だ。先の市川洋介さんは、「西欧は東欧より経済圏が豊かでしょ」、香川も一緒ですと。



最後にやはり、(株)藤田製作所の藤田和也さんに紙幅を使う。今からだと30年前になるのですが、弊社も管理工学社の『日本語データーベース桐』を使っていました。中條伸一社員が積極的に『桐』を使い、賃貸物件管理システムを自作していました。その頃弊社で、数人の有志で『桐研究会』という勉強会を開催していました。その頃の中心人物の一人が、藤田和也さんでした。その風貌からか、よく覚えています。

私は売買契約書作成のシステムをつくり、香川宅建協会へも提供しましたが、今は昔面影もありませんが、自分の中では勉強になりました。藤田和也さんに、「大山さんはもういないでしょうね」と念押しされましたが、中條伸一さんや大山京子さんは間違いなく功労者の一人です。今月末、あと1週間余で退社する私に藤田和也さんは思い出をくださいました。ありがとうございます。



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| 社長日記 | 10:33 AM | comments (0) | trackback (0) |
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