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秋の県高校野球大会が始まった2024と浅野翔吾選手
各校共に新チームに編成替えをして、今日から秋の大会が始まった。香川県でも野球チームが減って、16日の高松商の1回戦は、石田・善一・飯山の3校連合となっている。連合チームでも試合に出て勝ちたいという意欲は、大リーグの大谷翔平選手の台詞が高校生にも影響していると思う。試合には勝つ、どんな悪条件下でも文句を言う前に全身全霊で戦う。

プロ野球の場合は、高校生のトーナメント戦と違い勝率上位が優勝となる。1試合2試合はどうでも良いように思うが、大谷翔平選手の口からは、目の前の試合に勝つことの執念しか出てこない。この発言は、高校球児に良い影響を与えていると思う。

私がプロの大谷翔平選手をとやかく言っても仕方のないことだが、長丁場のシーズン中に、そんなに大きな好不調を感じない。これは素晴らしいことで、ほとんどの選手に、大波小波が来る。原因は本人が呼び込んでいるのだが、一番悪いのは暴飲暴食の夜更かしだが、明日ゲームがないとなると、遊びたくなるのがアスリートの宿命だ。行くところでモテルから、人間は脚光を浴びたらそれに長く浸っていたいモノだ。

大谷翔平選手の打席に入る姿勢や、ベースと立ち位置間にバットを置いて、同じ様に立つ位置や構える姿勢を整える毎回のルーティン。これで投手の投げる球筋が判断できるというが、勿論ある程度は「エイヤー」で振るのだと思うけど、大谷翔平選手はボールの見え方が大事だという。それにしても並みの選手が、まさに「怪物」に変わるべく脱皮を繰り返している。

さて高校野球に話しを戻すが、高商の場合でも昨年のチームの選手が多く残っていると言うが、私から言えば大きく変わっている。控え選手も含めて、選手が大きく入れ替わっている。現在の2年生は素質のある選手が多いと聞くので、私は楽しみだ。高校生でも成長の脱皮をする、どこまで脱皮するか本当に楽しみだ。加えて、浅野翔吾選手の存在も気になる。浅野翔吾選手見たさに、最近はプロ野球中継も見る。浅野翔吾選手も9月が、大きな山場だ。


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| 社長日記 | 06:56 PM | comments (0) | trackback (0) |
敬老の日を前にして猛暑日が続き『残暑バテ』とBMIに注意
この時期(長月14日)に、35度以上の猛暑日が続くという気象現象はどう見ても異常だが、言うて行くところがない。夏の疲れが蓄積しているところに、夜の気温も下がらない。14日の香川県内は、熱中症の疑いで5人が搬送されたという。冷房がこれほどまで必要な9月も、私は初めてかと思います。一方専門医は、体を冷やしすぎないでと警鐘をならす。

その為には、冷たい飲み物などを取り過ぎないように、ぬるめのお湯(風呂)で体を温めることも推奨している。若者はシャワーだけという人も多いが、風呂は私も良いと思います。40度ぐらいのお湯に、15分位浸かると睡眠も改善する。睡眠はヤクルト1000の『睡眠の質向上』ではないが、健康維持に最重要課題だ。古希を迎えると仕事もなくなり、ストレスは解消されるが、われわれ世代はやることがなくてついつい『テレビっ子』になってしまう。

昼間にテレビを見ながら、ついつい白河夜船。こうなると夜の睡眠の質向上もなく、眠れない時間が続く。大酒を飲んで寝ても、案外速く目覚めてしまう。要するに良質な睡眠を求めるなら、これまで書いていることの逆をすれば良い。朝からはNHKの『みんなの体操』、6時25分から始まりわずか10分だがよく出来た構成だ。これをきっかけにして、私の一日は動き出す。

次は散歩も良いだろう。一日1万歩も歩くという井坂司さんは、高松へUターンしてきて、退職していながらリモートでなにやら稼いでいる。嫁も高松出身で、いまだに剣道をやっていると言う。聞くのでなったと後悔したが、7段、女性の8段はいないそうです。新居の片隅には、野菜のプランターがあり、この水やりも夫婦の日課のようです。クルマは夫のガソリン車と妻のEV車さくらの2台、来客用の駐車場も用意されています。

ただ彼は、昼食を抜くようだ。体型的には理想にあると思うのだが、朝晩1時間歩くなら1日3食が良いのではないだろうか。専門医も、『1日3食のバランスの良い食事』を推奨しているが、実は私も疑問を持っている。私は3食頂いているが、2食で良いのかと思い始めている。というのは、高齢者の『BMI(Body Mass Index(ボディマス指数)』も健康管理では重要指数とされている。

BMI=体重(Kg)/[身長(m)×身長(m)]で簡単に求められます。
例えば身長が160㎝で体重が53㎏の方のBMIを計算すると、53/1.6×1.6で20.7となります。小数点第2位で四捨五入して求めるようです。わが家の体組計では、計算値が即座に出ています。これを毎日書き留めています。私の場合は、26.0~26.6で推移しています。

BMIの値によって肥満度を判定。成人の場合、WHOの定義ではBMIが25.0以上で過体重、30.0以上で肥満とされています。ただし、日本人の平均的なBMIは欧米人よりも低いため、日本肥満学会は25.0以上を肥満としています。具体的な肥満度の分類は以下の通りです:
• 18.5未満:低体重
• 18.5以上25.0未満:普通体重
• 25.0以上30.0未満:肥満(1度)
• 30.0以上35.0未満:肥満(2度)
• 35.0以上40.0未満:高度肥満(3度)
• 40.0以上:高度肥満(4度)

ただし、BMIは身長と体重から計算された値であるため、必ずしも体脂肪の蓄積度合いを正確に表すものではありません。同じBMIでも筋肉量が多い人と脂肪組織が多い人が同じ値になることもあるので、注意が必要です。

私も若い頃は健康など考えたことが少なかったのですが、72歳まで生きて来てまずまず健康な方であれば、これからが人生の真価だと考えるようになっています。稲盛和夫塾長が91歳でしたから、92歳まで生きると考えるとこの先20年をどう生きるか。『物心両面の幸せ』を追い求めてまだ道半ば、心を高め経営を伸ばす、こう考えたら第2創業となりました。大いに笑われていますが。


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| 社長日記 | 10:09 AM | comments (0) | trackback (0) |
ヤクルトの父『代田稔』物語が手元に届いた
事務所がSOHOになったのにもかかわらず、ヤクルトレディが毎週やってくる。彼女と意見のバトルもあるのだが、わざわざ来てくれるので、継続して購入している。『シロタ株』というのは、1899(明治32)年4月に長野県飯田市に誕生した代田稔が、後年培養に成功したことから命名されたそうだ。今はもっぱら『Yakult1000』を愛飲しているが、私は幼少期から腸が弱くて、夕方帰宅するのにハラハラするくらいの経験を多く持つのです。

しかしこの年になると流石に腸の調子も悪くなく、飲まなくても問題ないのを彼女(ヤクルトレディ)にアドバイスされ、今は『Yakult400』から『Yakult1000』に変えて飲んでいる。何でも良いと言ったら叱られるが、ヤクルトレディは、熱心だ。彼女は「ヤクルトは飲料水を売っているのではなく、健康を売っています」と言うが、多くが働くのは利幅が多いのにも要因があると思う。訪問販売と言うあきないの中でも、ヤクルトは優等生だと聞いている。

『Yakult1000』は、「ストレス緩和・睡眠の質向上・腸内環境改善」と効能が書かれている。高齢者の私には、ストレスや睡眠不足が心配されると彼女は言うが、私にはどちらも心配がない。ヤクルトは、代田稔が京都帝国大学在学中に微生物の研究で強化・培養に成功した乳酸菌(L・カゼイ・シロタ株)を飲料として販売したのが始まりだ。物語では1935(昭和10)年、福岡市浪人町に『代田保護菌普及会』が作られ、ヤクルトの製造販売が開始されたと書かれている。

さらに昭和14年1月、下関に『代田研究所』を作り、西日本を中心に各地へヤクルトの販売組織を作り、本格的に販売に乗り出したのです。「誰もが願う健康を誰もが手に入れられる」ように「ハガキ1枚、タバコ1本の値段で健康を!」というスローガンで売り回った。この後の日本は太平洋戦争で、ヤクルトは生産も休止。昭和25年に販売再開、昭和30年代田稔は本社を東京に移し、「ヤクルト」の名を全国に高めていきました。

そして昭和39年、ついにタンク内での大量純粋培養に成功しました。これから本格的に全国販売ができ、今は読者の皆さんの方が商品には詳しいと思います。この年代田博士六十五歳で、これまで以上に儲けたことでしょう。先生は昭和57年3月、八十二歳で死去されました。この物語、どこかで読んだ記憶もうっすら。出来すぎていて、あまり面白くなかった。それで記憶が薄いのか。今日は村上選手の3ランHRでやられた。青木選手お疲れ様でした、好きな選手でした。





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| 社長日記 | 11:37 AM | comments (0) | trackback (0) |
パナソニックの五輪スポンサー終了の意味するモノ
パナソニックホールディングス(旧松下電器産業)は10日、国際オリンピック委員会(IOC)と結ぶ五輪・パラリンピックの最高位スポンサー契約を更新しないと発表した。今年12月末で契約満了となる。経営環境や業容の変化に対応して支援のあり方を検討する中、今回の判断に至ったとしている。パナソニックホールディングスは、旧松下電器産業時代の1987(昭和62)年から37年間スポンサーを務めてきた。

テレビや白物家電の宣伝につながった過去と異なり、重点分野を企業向けに移す中で価値を見いだせなくなった。日本勢最古参の撤退はトヨタ自動車に続く動きで、五輪ブランドの魅力が薄れているとも言える。また東京大会での汚職、談合事件が発覚し負のイメージが付いたのもマイナスポイントだと思う。

パリ五輪でも日本人選手の活躍で盛り上がった反面、かつては巨費を投じるだけの宣伝効果があると判断された『五輪ブランド』は、東京五輪を境に大きな傷を負ったままになっている。もはや五輪の持つ権威、スポンサーが期待する企業イメージ効果は得られそうにない。このあたりが潮時と、パナソニックホールディングスが判断したのもうなずける。

同時に私は、パナソニックホールディングスが旧松下電器産業時代から、スポンサーとして提供している浅草雷門の大型提灯の今後が気にかかる。松下幸之助時代から伝統的に奉納している「あれ」だが、どうなることか。大提灯の制作には約1年かかるようで、京都市下京区の老舗、高橋提燈が制作を請け負っている。値段は公表されていませんが、高価なモノだと思います。五輪は良いとしても、あの大型提灯は続けて貰いたい。日本文化の象徴の一つです。

松下幸之助翁と同様に、私はヤンマーディーゼルの創設者の吉野彦三郎氏を思います。氏は元々戦前の1930(昭和5)年に設立した農業機械メーカーから始め、漁船のエンジンまで手がけました。自分は嵐でも止まらない船のエンジンを作ったが、嵐には勝てず、遭難した漁師への弔いとして始めた『ヤン坊マー坊の天気予報』が、業容の変化のためか廃止された。一部のローカル局では続いているようですが、残念ながら高松ではもう見られない。

このことが些細なことだが、創業者精神の継承を阻害しているように思うのです。そんなモノ関係ないと新体制は考えているのだろうが、根のない企業はない。

水耕栽培でも、根はあるのです。内情を知らない第3者がぐだぐだ言ってもせんないことですが、残念だと一言だけ。パナソニックホールディングスの五輪撤退は良いと思いますが、浅草雷門の大型提灯は、これからもお願いします。乾電池は、勿論Panasonicにします。


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| 社長日記 | 10:22 AM | comments (0) | trackback (0) |
位置指定道路と私道の掘削通行等承諾書の関係
今日の小欄は、少し専門的な話しになり、いつも以上に面白くないという読者も出てくると思いますが、どうか悪しからずご了承ください。みなさまの、身近に出てくる問題でもあります。まず『位置指定道路』について簡単に解説します。建物を建てる場合には、よほどの田舎(人の集積が少ない)でない限り、4M(雪国の場合は雪を考慮して6M)幅員の道路に最低2M以上敷地が接道しなければ、許可が下りません。

この幅員4M以上の道路には、建築基準法第42条により、国道・県道・市道・町道・村道から始まり、6種の道路に分類されています。その中の第42条1項5号道路と呼ばれ5番目に登場するのが『位置指定道路』です。建築基準法に基づき、市道なみの厳しい基準をクリアーした『私道』です。なお私道には、〇〇不動産など1社所有地も、複数の人が持つ私道もあります。今日の話は、私道における位置指定道路に関するネタです。

先に申し上げておきますが、位置指定道路は規模の小さい工事現場、また大きな団地造成でも私道はありますが、それは『開発道路』として法的には別分類されますが、実態は同じであります。さらに言うと、この開発道路や位置指定道路は早晩市や町村が寄付を受けたら良いのですが、後の管理責任の問題か、積極的に寄付を受ける体質にありません。

問題を本質に戻しますが、位置指定道路はあくまでも私道ですが、『準公道』並みに扱われ、新築時の『建築確認』では所有者の同意は不要です。全く問題がないのですが、中身はあくまでも私道です。所有者にあっては、例え道路名義だけでも『相続』の対象になります。今日の出来事は、このように相続で道路の所有権を得た人の立ち居振る舞いについての私の雑感です。

私も40数年の業務経験で、この位置指定道路所有者の考えに変化があると見ています。特に相続で得た道路に対しては、もう既に何十年も道路として使われている現状を見ているだけに、『私権』は公序良俗が先だと考える『良識派(あくまでも私の個人的な感覚です)』が圧倒的に多くなりました。今日の高松市飯田町のK氏もそんな一人ですが、ここまで初対面ですんなり署名押印して下さった所有者は初めてでした。驚きました。あっぱれです。

実家の親御さんが広い田を売却する際に道路をつけて、その道路の名義が自分にあることはよくご存じでした。場合によっては、死んだ先祖の名前のままで残っていて、自分たちにその権利があることを知らない相続人もいます。だからここへ来て政府は、相続登記の義務化を言い出したのです。K氏も横で聞いていた旦那様も、愚痴の一つもなく、金銭の要求もなく即書いて下さいました。

もともと自分たちに所有権があるので、譲らないとか書かないとかゴネる人もたまにはいます。人の通行は認めても自動車の通行は認めないと、裁判になったことも経験しました。残念ですが、今の法制下では『所有権』は犯すことが出来ない固有の権利として守られています。その後に『土地基本法』が成立し、公序良俗が優先すると明記されましたが、庶民感覚ではあくまでも「俺のモノ」という感覚が強いのです。

最後に不動産仲介(媒介)業務の際に、調査をして位置指定道路であることが明白であれば、先の私道の掘削通行等承諾書は要らないかもしれません。今回のケースでも、上下水道はすでに敷地内に引き込まれており、近々に道路掘削工事の必要はありません。場合によっては、所有者同意のほか所有権の一部譲渡をお願いせざるを得ない現場もあります。どうぞ宅建業者がやってきたら、まず話しをきいてやって下さい。私道の掘削通行等承諾書の件でやってくる宅建業者は、中の上の業者ですから。今日はうれしい一日でした。


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| 社長日記 | 09:34 AM | comments (0) | trackback (0) |
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