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岡山後楽ライオンズクラブ認証60周年記念式典
1996(平成6)年4月、わがクラブ31代太田質会長の時に、岡山後楽LCと高松栗林LCは、友好クラブ提携をしました。私も在籍していましたが、29代浅田善太郎会長の幹事としてお役が終わり、30代塩田博志
会長の無茶ぶりから解放された頃で、詳しい経緯は存じ上げませんが、岡山後楽が1960年12月結成、高松栗林が1962年10月と比較的歴史が近いこと。

そして岡山後楽LCが、岡山一番の岡山LCの孫クラブ(岡山烏城LCが親クラブ)にあたること、高松栗林LCも高松一番『高松LC』の孫クラブになっています。高松栗林の親クラブは、高松玉藻LCであります。コロナ禍にあって、親クラブも運営に苦労されているようでございます。勿論わが高松栗林ライオンズクラブも、大変苦労しています。

それから名園の『後楽園』と『栗林公園』を冠していることが、大きく関係していると聞いています。岡山後楽ライオンズクラブは一口に言って『真面目優等生』、高松栗林ライオンズクラブは『破天荒やんちゃ』とこれはあくまでも私の直感ですから、どなたも怒らないで下さい。

そんな中これまでの26年間、岡山後楽LCとは花見例会やお茶会例会、また会場を中間地点の児島ホテルにして、相互乗り入れの合同例会など、これまでいろいろな機会で交流をさせて頂いております。また岡山出身の高松栗林、逆に高松出身の岡山後楽メンバーがいたり、マリンライナー号で1時間、程よい距離で交流が続いています。

さて本日の60周年記念式典ですが、会場は例会会場の『アークホテル岡山』JR岡山駅から徒歩5分位のところに位置する会場で、240人収容で90名の登録ですから、十分なソーシャルディスタンスをとり、検温・消毒・マスク着用を徹底しての記念式典・祝賀会でした。加えて祝賀会ではアルコールの提供がなく、そのせいか、アトラクションにも聞き入っていました。

岡山後楽ライオンズクラブは1960年に結成されたのですが、来賓挨拶の中で、当時岡山駅近くの『某会館』に入会候補者が集められて、綱を張ってここから左の人は『岡山後楽ライオンズクラブ』ここから右の人は『岡山東ライオンズクラブ』に入会するのですとか、そんな乱暴なやり方をしたとか。真偽の程は定かではありませんが、仲が良さそうです。この頃に、全国各地でライオンズクラブが結成されたのは事実であります。

そもそもライオンズクラブ国際協会は、アメリカのシカゴで1917年6月7日誕生しました。100年が経過しています。創設者はメルビン・ジョーンズ。彼は保険代理店を経営するなか、「人のためになることを始めるまでは成功したとはいえない」という個人的信条で、世界中の公共心ある人々を導く理念となりました。彼は1961年6月1日に82歳で亡くなりました。

ライオンズクラブは、社会奉仕団体「ライオンズクラブ国際協会」に所属する単位クラブであります。そのスローガンは、"We Serve"であります。ロータリークラブ(RC)のように社会奉仕活動を、職域や個人で行うだけでなく、集団のチームワークで有意義に効果を高める目的の友好団体であります。一般的にロータリークラブは金銭的奉仕、遅れて10年後に発足したライオンズクラブは、金銭的奉仕+労働奉仕を信条としています。

従ってゴミ拾い(岡山後楽ライオンズクラブは海底ゴミを今年も拾うそうであります、高松栗林もこれに協力しています)とか、献血とか、「密閉・密集・密接」になる活動が多いのです。また特徴として、海外のクラブとの『姉妹提携』も多い。ここは『中華民国台南縣國際獅子會』との交流がありますが、本日はビデオ会議システム「Zoom」参加となっています。



最後に、祝宴(祝賀会)のアトラクションについて少しだけ。このクラブは、『岡山カンタービレ支部』を持っています。合唱団ですが、それをクラブの支部として組織しています。確か一井淳治ガバナー(2006.7-2007.6会長)の時だったと思います。また『レオクラブ』(若者のメンバー見込者)を持つのも特徴です。





周年のアトラクションと言えば大金をはたいてと言うモノもよく見かけるのですが、岡山後楽ライオンズクラブは、この『岡山カンタービレ支部』の合唱と、オカリナ制作演奏家『軽部りつこ&小鳥とリズム』のオカリナ演奏でした。岡山出身の軽部りつこさんは、オカリナを岡山産桃の形で作って岡山らしさをPRしています。



勿論冒頭の演奏曲は、『桃太郎さん桃太郎さん、お腰に着けたきびだんご、一つ私に下さいな』あの曲です。次からは本格的な曲でしたが、「ベース・ギター・アコーディオン・パーカッション」の4人組の『小鳥とリズム』もよかったですね。パーカッションは、手で太鼓を叩くのですが手の動きに加えて、私のような『貧乏揺すり』をしています。その足には、鈴がついていました。

新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、周年記念式典が次々に中止になる中、高原俊彦会長(元県職)をはじめ、清水直樹大会委員長(医師)らメンバー40名の団結で、素晴らしい式典・祝賀会でした。今日ばかりは、『負けた』と反省し、研鑽に努めます。高松栗林ライオンズクラブからの参加は、会長代理・L橫井靖司(第1副会長・次期会長)と幹事・L大桃一浩と会計代理の私でした。どこも、3役限定の招待となっています。

感謝状贈呈

L橫井靖司の挨拶

追記ですが、マリンライナー号は往復同じルートを走りますが、眼下には岩黒島や与島が見えます。小学生児童らを乗せて沈没した現場このあたりです。船長が逮捕されたようですが、死傷者がいなくて本当によかったですね。イカダの竜宮城で釣り客は見えませんでしたが、あたりには遊漁船が多かった。ここでは、「密閉・密集・密接」もありません。

お洒落だね

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| 社長日記 | 11:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
京の茶漬け高松のあつかんで
竜雲舜虹苑(しゅんこうえん)の、広報誌『にじ』No.304が届きました。巻頭は、高知県四万十市の正福寺・月城嘉辰氏の「まあまあ、あつかんで。」その一部を紹介します。さぬきの国の方言で、「まあまあ、あつかんで。」聞いたことはありませんか?故桂米朝氏の落語の中に出てきます。この記事にも書かれていますが、古希近くの私も聞いたことがありません。

香川県のとある民家。遠方からの来客をもてなしていたが、客は「そろそろおいとまを。」家の者が「まあまあ、あつかんで。」客は、帰るつもりだったが熱燗が出てくるなら、と留まります。しかし、お酒どころかお猪口も出てこない。しばらくして再び「おいとまを。」「まあまあ、あつかんで。」待てど暮らせど熱燗は出てきません。帰るという客に対して「どうもどうも、これといった扱いもしませんで。」それが「あつかんで。」とても興味深い落語でした。

これを拝読して、インターネットで「さぬきの方便」「まあまあ、あつかんで。」を探しても、予想通りありません。それではと、『桂米朝』で検索してみました。するとブログが出てきました。随分前のモノですが、時事ネタではないので少し拝借させて頂きます。

米朝師匠が、この「京の茶漬け、高松の熱燗(あつかん)」という言葉を聞いた後に、この言葉について、いろいろな人に聞いてみるのですが、
誰も「高松の熱燗(あつかん)」という言葉を知っている人はいなかったそうです。

この言葉は・・・、他人の家を訪問して、いざ帰ろうとすると、家の主人が、「まあまあ、熱燗で!!」と言って来る。ところが、座敷に戻って座って待っていても、いつまで経っても、熱燗は出て来ない・・・。
実は・・・、「熱燗で!」と言っているのではなく、「あつかわんで!」・・・つまり、何も御構い(おかまい)はできないが、ゆっくりしていってくれ・・・という意味らしい。

私も、この言葉について、高松出身の人達に聞いてみたことがあるが、
確かに、誰も知っている人がいなかった・・・。さて、この「高松の熱燗(あつかん)」という話の後に、ようやく、「京の茶漬け」の話へと入って行く・・・。

皆さんは、この「京の茶漬け」の話を知っているだろうか?私は、学生時代に、京都で下宿していた頃、この話を聞かされました・・・。京都人の家を訪問し、帰り際に、「まあまあ、もうお帰りで?ちょっと、お茶漬けでも・・・。」と言われても、けっして、そのお茶漬けを食べて帰ってはならない。

もし食べたら、その家では、子子孫孫まで、「あの○○さんと言う人は、あつかましくも、お茶漬けを食べて帰った」と語り継がれてしまう・・・。

さて、このCDには、前回の記事にも書きました通り、解説書と落語の「歌詞カード」?的なモノが入っています。ここで、米朝師匠も書かれておられます。「この落語、小品ながら、なかなか難しい話です。仕草もいろいろありますし、間の取り方が微妙・・・」短い話にオリジナルのネタでボリュームを付け、さらには、現代の日本人にもわかる様に解説まで織り込む・・・。

さらに、解説書を見ればわかるのですが、作品の出典までキチンと調べられている・・・。調べたうえで、作品をオリジナルに再構成しているのである。このようにして、米朝師匠は、後継者がいなくなり、落語の作品自体が消えようとしていた「上方落語」を、見事に復興させたのです・・・。これは、スゴい功績です・・・!! まさに人間国宝にふさわしい。

KUROJOSU 瀬戸内海リム倶楽部



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| 社長日記 | 07:37 AM | comments (0) | trackback (0) |
坂出市与島沖で修学旅行中の小型船が沈没62人全員無事救助
11月19日午後4時40分頃といえば、辺りが暗くなる少し前。坂出市の与島沖を航行していた高松市の高松海上タクシー所有の小型船(19トン)の船長から、「漂流物に衝突して船が浸水している」と118番通報があった。船には修学旅行中の坂出市川津小学校の6年生52人を含む計62人が乗っていたが、漁船や海上保安庁の巡視船などが同5時50分頃までに全員救助した。船はその後沈没した。

高松市の海上タクシーと言えば、『たこたこ観光タクシー(チャーター船)』だと思います。私も団体(瀬戸内国際芸術祭2019)で、定期便の利用が不便なところへのチャーター利用に乗っかったことがあります。便利ではありますが、このような危険もはらんでいるのですね。便利と危険は、隣り合わせのようです。

修学旅行中の船の事故といえば、瀬戸内海高松沖での紫雲丸事故が思いだされる。紫雲丸事故(しうんまるじこ)は、日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船紫雲丸が何度かの事故の後、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。

5度目の事故が社会に与えた影響は特に大きく、国鉄による鉄道連絡船の安全基準が大幅に見直されたり、海上保安部による停船勧告基準が厳しくなるなどされ、またその後の瀬戸大橋建設の機運を一気に高めた。船の名前は、高松市にある「紫雲山」に因んでいる。

1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、上り第8便で運航中、同じ宇高連絡船・下り153便大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。最大の被害を出した事故であり、国鉄戦後五大事故の1つでもある。「紫雲丸事故」といった場合はこの事故を指すことが多い。修学旅行中の、広島県豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)や四国内の児童など計死者168名を出した。

紫雲丸は濃霧が原因で起きた事故といわれているが、19日の事故の原因はまだ分かっていない。現場は瀬戸大橋の下で、岩黒島と与島の間。高松市教員委員会などによると、浸水後に男性船長 (45)が児童らに、救命胴衣を着けて海に飛び込むよう指示した。海保の巡視艇が現場に到着した際、多くは海の中にいて、児童数十人ら他の乗員は屋根部分に残っていた。

現場に急行し、救助活動を行ったのは異変に気づいた漁業者ら。児童の冷静な行動と、魚業者らの甚作な対応が全員無事の救出劇につながった。私も過去に、高松港から小豆島行きのフェリーから飛び込んだ女性を目撃したことがあった。船はその場に停船して彼女を救助しようとするが、高低差からなかなか思うように進まない。

その瞬間どこからか漁船が来て、あっという間に漁師が女性をすくい上げてそのまま走り去った。落ちてから10分位の救出劇で、小豆島へ上陸してから暫くして『無事』が報告された。大きな拍手がわき起こった。内心ダメかなと思っていました。岩黒島で養殖魚の餌やりの準備をしていた岩中優次(52)さんは、漁師仲間の中村竜也(40)さんと一緒に自船に乗り込んだ。二人は「絶対に助ける」と心に決めて、救助あたったという。

思いが結果を作るのですね。まず出来ると思わなければ、成功はしない。瀬戸大橋の橋脚の一つ岩黒島の民宿では、過去に宴会もしたし、町内20人弱で昼飯も行った。また私はここの釣り堀『竜宮城』で、ハマチを釣らして貰いました。常連客と行った初めての私に、漁師の皆さんはエサをまき、長く釣り堀にいた「巨大ハマチ」を私にくれた。釣ったのではなくて、釣らせて頂いた。その人たちが、児童を救ってくれた。お礼の意味でも、『竜宮城』に行かねばなるまい。


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| 社長日記 | 09:13 AM | comments (0) | trackback (0) |
令和2年度全宅蓮中国・四国地区連絡会合同研修と香川胆識の会
11月19日(木)午後からホテルグランヴィア岡山において、標題の研修会が開催され、東京から坂本久全宅連会長(神奈川宅建所属)はじめ、和氣猛仁理事長や日向孝吉宅建企業年金基金理事長、各組織の事務方が大挙して来岡しています。毎年開催している、恒例の研修会であります。宅建業界は、法律がめまぐるしくかわり、それの周知だけでも大変です。

宅地建物取引業(市井で言われる不動産屋)は、国民生活に密着する『衣・食・住』の中でもとりわけ『住宅』は、老若男女をとわず大事な『生活ファクター』であります。ホームレスでも、段ボールなどで『自分の家』を守っているのであります。そのため政府からの期待も大きく、多くの国民から信頼をいただける仕事であります。

全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)は、全国に10万社の会員を抱え、国内に2つある中小零細不動産業者の団体の1つであり、規模からも日本一であります。極端に申せば、『全宅蓮』と『全日』に所属していない宅建業者は、大企業かアウトサイダーのどちらかだと言えます。

さて本日のお題は、
(1)全宅蓮の推進事業(Web書式・ハトサポ含む)等について
 全国宅地建物取引業協会連合会 事務局長 木幡剛氏
               事業部課長 佐々木洋氏
(2)賃貸住宅管理適正化法施行と適切な賃貸管理業のあり方について
 全国賃貸不動産管理業協会 事務局長 宮代裕司氏
(3)ハトマーク支援機構の会員支援事業について
 ハトマーク支援機構 理事長 和氣猛仁氏
(4)宅建企業年金基金について
 宅建企業年金基金 理事長 日向孝吉氏
          常務理事 竹内保彦氏

3時間にわたりどの項目も重要ですが、私の考えるところでは(2)の『賃貸管理業』に関する問題ではないかと思います。『賃貸管理業』はこれまで法制化がなされず、実態として全国に『賃貸管理業者』が存在し、大役を果たしています。と言うのも、宅地建物取引業法では「賃貸借契約で鍵渡し」までが範疇であり、その後の入居中のトラブルについて何らの手当てが法的になされていません。

これでは実生活では困ります。このように必要から自然発生的に『賃貸管理業』が誕生し、今では『賃貸管理業務』がついていない物件は入居者から敬遠されるほどです。それはそうですよね、深夜に水道トラブルが発生して大家さんへ連絡したら、連絡がつかないというアクシデントも心配されます。

またこの機に国土交通省が重い腰を上げたのは、『サブリース契約』でのトラブルが多発していることもあります。サブリースは、〇〇建設が建築をし、〇〇リーシングが大家さんから一括借り上げをして、実際の入居者に転貸する契約形式をいいます。ビジネスですから30年補償と謳いながら、大家さんへの賃料は毎年見直す(減額が圧倒的)ことになっています。

こんなケースが全国津々浦々行われていて、被害者が増え、法律の網を掛けるようになったのも一因です。本日の話は、最大組織として協会トップランナーの立場を象徴するモノでもありました。国民生活に密着する業界ですから、国を挙げて『デジタル化』に取り組むなか、『非接触営業』も視野に入れて取り組んでいます。

賃貸借契約にあっては、すでに契約もその前の重要事項説明もデジタル化、つまりインターネットを利用したリモート通信で行うことが許されており、少なくてもこの間は『対面』が免除されています。法的に『対面』が義務づけられていたところが解除になれば、極端なところ『非接触営業』も遠からず実現すると思われます。

一方『売買契約』にあっては、先の『対面』が社会実験でインターネットのビデオ会議システム「Zoom」などを利用して行われています。こちらも程なく解禁になることでしょう。法律は常に後追いですが、まずわれわれは遵法営業、法律遵守の範疇であればいくらでもアイデアが湧きます。

もう一つの大変革は、『税制改正』です。われわれの悩ましいところは、税金に関する専門的発言は『税理士法』に抵触し、決してしてはならないのですが、『税制改正』が売る動機づけになるのも事実です。国はそれも期待して、全宅蓮に働きかけをしています。どのくらい使われているか、後日アンケート調査が必ず行われます。

今日の説明で、『100万円の特別控除』が令和2年7月1日から令和4年12月31日間の、価格が500万円以下の長期譲渡(所有期間が5年以上)の契約に新設されました。これに関しては十分注意して下さい。申請書類には、『買主の署名』や『宅建業者の証明』、売買契約書・登記情報証明書等の添付が必要になっています。

そして揃った資料を市町の担当部署に持ち込み、証明をして貰うようになっています。この書類を今貰っておいて、翌年の『確定申告書』に添付します。確定申告は通常、2月16日から3月15日まで。特別控除の適用により最大で20万円の減税効果があります。当然面倒でも、申告しないと控除になりません。

研修会終了後、急ぎ高松へ帰り、喜代美山荘花樹海へ向かいます。旧盛和塾香川の流れをくむ『香川胆識の会』の11月例会です。2人の経営体験発表がありました。2人共に2代目経営者で、同じような苦労をされています。人の話を聞くと、「自分は幸福」だとつくづく思います。

坂本久全宅連会長挨拶 坂本会長は菅総理の支援者

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| 社長日記 | 09:54 AM | comments (0) | trackback (0) |
新型コロナウィルス感染拡大初の1日2,000人超
全国で拡大が止まらない新型コロナウィルス、18日新たに2,203人の感染が確認され、過去最多を更新した。1日に、2,000人を超えるのは初めて。東京493人を筆頭に、全国的に感染拡大が止まらない。死者は北海道と埼玉で各3人、愛知で2人など計14人が報告されこれまでの累計で1,947人になった。

県と高松市は18日、新たに高松市30代男性と40代男性、坂出市の50代女性の計3人が新型コロナウィルスに感染したと発表した。このうち坂出市の女性は、16日に感染が判明した同市50代男性の濃厚接触者。県内で、感染が確認されたのは4日連続。これまでの感染者数は、126人となった。

当初言われていた接待を伴う店の多い歌舞伎町などから、市中感染へと広がっているように感じる。飲食中のマスクを外す時が『感染リスク大』と言われ始め、家庭内でも感染するようにも思える。「密閉・密集・密接」を避けて、自粛生活を続けているのだがそれでも全国感染は収まらない。むしろ数字からも、感染は拡大している。

確かに『Go toなになに』政策も、拡大に関与しているように思うが、コロナで死ぬ前に経済で死んでしまっても、元も子もない。コロナ対策をしながら、経済活動を続けるという一見矛盾に満ちた行動になるが、『正しく恐れて』これから寒くなる季節を乗り越えたい。今月25日の東京出張は中止にしたが、用心しながら周辺へは移動している。

県は18日、感染が17日に判明した琴平町の70代男性の行動歴などを発表した。男性は無職(70歳で無職はあるまい。せめて隠居とかの標記は出来ないものか)で10、11日に愛媛県へマイカーで旅行した。現地で会食した松山市の知人の感染が16日に分かり、接触者として検査したところ感染が判明した。会食では、ほかに松山市の男性2人の感染も確認された。

この男性は1~6日の間に和歌山県や高知県への移動歴があるが、県は「愛媛県の会食で感染した可能性が高い」とみている。18日に入院、症状は出ていない。濃厚接触者として検査した家族や知人計10人は全員陰性だった。やはり外での会食が、要注意のようだ。


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| 社長日記 | 09:39 AM | comments (0) | trackback (0) |
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