こう書くと、『ああ茶会か』と思われる御仁も多いかと拝察します。私は『茶道』は全く分からず、またそんな粋筋でもありません。昨年秋田県の横手の『かまくら』を見に行った仲間に誘われたモノです。食事をしながら、お手前もと計画していましたが、首都圏に緊急事態宣言が発出されたのを契機に、この食事計画は弁当に変わりました。
『揚家(あげけ)を語らずして讃岐の茶室を語るな』と言う言葉があります。京阪にまで聞こえた数寄屋大地主『揚家十茶室』のうち、五つを移築した渡邊邸。伝承の『鯰魚庵』と合わせて名席六室が、ここにはあります。当主の小橋あやみさんが、母親から伝え聞いた『うんちく』をわれわれ数名に話してくれます。
説明書きによると、数寄者で茶人の父が、2004年になくなり空き家になった実家に2007年夏、泥棒が入りました。これがきっかけで再建が始まり、傷んだ茶室の修復と荒れ放題だった庭の手入れをすればするほど、家は生き返っていきました。『渡邊邸』は、すべてお茶を楽しむように建てられています。おいで頂く皆さまに、お抹茶一服と庭をゆっくり眺めて頂ければと存じます。
『揚家』について何と読むのか困るような姓ですが、『揚=あげ』です。中国・朝鮮半島から渡来した家かと思うかも知れませんが、桓武(かんむ)平氏の末裔で、もとの姓を久保といい、阿波から讃岐に来ました。四世幸方の時に古高松に移住、六世好清が上野(あげの)と改姓し、九世分潮の時に唐風に『揚』と改めました。
「揚一萬石」といわれ、幕末の長者番付で全国で十四番目の資産家で、明治・大正時代にも古高松の屋敷から高松の瓦町まで、他人の土地を踏まずに行けたという話です。
ごさんべえのぺーじhttp://gos.but.jp/index.html
渡邊邸は、この揚家(あげけ)の10あった茶室のうち5つを譲り受けて移築しています。当然新築の方が、費用的には安かったと小橋あやみさんは言います。
ことでん長尾線「白山駅」下車徒歩約7分のところにあります。かならず連絡して下さい。090-1572-7877