頂戴した年賀状の整理をしていましたら、『KSB瀬戸内海放送』の社屋移転を報じたモノがありました。瀬戸内海放送は昨年来、高松市上之町の塩江街道沿い旧電電公社ラインマンセンター跡地に、新社屋を建設していました。秋頃にアンテナ工事が終わり、われわれ通りがかるモノは、いつから移転するのかと期待感が高揚していました。
開局すると道路が混むとは思うのですが、今まで高松市内でも遠くにあったモノが、身近に近づいてきたのは心ワクワクするモノがあります。放送局は装置産業ですから、やたらめったら引っ越しできるモノではありません。放送法の免許制度も絡んできます。また場所の選定は、いろいろな制限下で行われたことでしょう。
残念ながら弊社の仲介案件ではありませんが、図上で計測したところでも6,600㎡(約2,000坪)ほどあります。これほどの空き地は、そうそうあるものではありません。やはり巨大情報網を持つマスメディアのなせる技かなと感心しきり。「私たちは2021年1月18日(月)に高松市上之町2-1-43に社屋を移転します次の50年に向けた取り組みの第一歩を踏み出します」年賀状には、このように書かれてありました。
瀬戸内海放送が誕生し、第一声をアナウンスしたのは昨日の年賀状で紹介した杉本量平氏です。このことは彼の自慢の一つで、たびたび聞かされました。あれから50年になるのですか。地方のテレビ局の今後のあり方も、大変だと思います。テレビを観ない若年層も、いるようです。テレビからインターネットへ、広告媒体がスライドしています。
KSB瀬戸内海放送は、1987(昭和62)年から30年間続いた『高松冬のまつり』主管三者(高松市・高松栗林ライオンズクラブ・KSB瀬戸内海放送)の一つとして、『高松冬のまつり』を盛り上げて下さいました。主催者側ですから当然と言えばそれまでですが、言い出しっぺの高松栗林ライオンズクラブのメンバーとしては、力強い支援を感じていました。
次の楽しみは、このニュースをNHKやRNC西日本放送、その他他局が移転報道すのかどうか。普通に考えたら『ビッグニュース』であります。恐らくマスコミ向けの、セレモニーもあることでしょう。マスコミは『事実』を流しますが、また『事実』でも敢えて流さないモノもあります。当日の四国新聞も、楽しみです。全面広告があるかな。日経新聞も考えられますが。
年賀状には、いろいろな新情報が入っていることがあります。単なる新年の挨拶だけでなく、何か訴えたいことがあって暮れの忙しい時期に出すのであれば、それを書き込まないと損だと思います。流石に郵便番号を書いてないモノは少なくなりましたが、電話FAXは当然のこととして今で言えばホームページアドレスとか、Eメールアドレスもあれば盛り込むと良いと思います。
年賀状と言う『ローテク』が、DX(Digital Transformation)という『ハイテク』の入口になるかもしれません。すべてプラス思考で、令和3年はそんな年になるように思います。