2018,07,15, Sunday
昨日は23時からの革命記念花火をキャンセルして、ホテルへ帰ってきました。それでも21時は過ぎていました。そして今日のチェックアウトは9時ですから、昨日夜から今日の朝が休憩タイムです。大西秀人高松市長はお元気のようですが、二川浩三議長・鎌田基志市議、三笠輝彦市議はしんどそうにしていました。革命記念のパレードを、来賓席で見ることが出来ました。市民訪問団ならではのご褒美でしょう。
さて今日は、ヴィランドリー城へ行きました。美しい庭園に囲まれたヴィランドリー城。城主カルヴァロ氏の案内で、城内・庭園を見学しました。城主に館の外でお目にかかりましたが、私はバスの運転手さんと間違えて、顔入りオリジナル瓦せんべいをプレゼントしました。それを手に持ち、館内の案内をはじめました。 ヴィランドリー城は、ロワール川流域で、最後に完成したルネッサンス様式の城で、1536年頃に完成しました。建物の古い部分は1000年前に、新しい部分は500年前の建築と聞きました。ここは観光客への解放ゾーンですが、敷地内(400m×400mの16㌶)の一角に住んでいらっしゃいます。子どもさん5人は、社会人と学生さんで、もうそれぞれが独立しているとか。 史跡高松城趾玉藻公園とヴィランドリー城、トゥール市の三庭園で城と庭園管理について知識や技術を共有、また互いに交流を通じて友好を深めています。2016(平成28)年10月にヴィランドリー城にて、歴史的庭園連携協定を締結しています。昨年には連携協定1周年を記念して、玉藻公園にて記念イベントが開催されて、友好を深めています。 城主自らの案内で、城内とフランス庭園を見学出来るというのも感動ものです。まさに太陽は、「太陽がいっぱい」のアランドロンの世界です。ただ日陰に入ると、嘘のようにさわやか。日本国内が40度前後であたふたするのと、ここは随分違います。この公園も、散歩道は菩提樹に囲まれて、日陰の道が続きます。庭園と言いながら、野菜やハーブが1万種以上植えられています。専従が10名いると聞きました。 そうそう城へ入る前に、バイク親父一行に遭遇しました。「写真を写しても良いか」とボディーランケージで御願いすると、「バイクにまたがれ」という。バイクは素人目にも、「ハーレーダビットソン」の新型だと分かる。まだ熱い、走って来たところのようだ。感謝の「お礼せんべい」をプレゼントした。言葉は通じないが、なんとなく「プレゼントfor you」は通じるらしい。 昼食は、城内の藏のようなところで頂きました。魚料理でしたが、白と赤のワインがそえられていました。フランスでは男が女性にワインをつぐのが常識らしくて、偶然座った席は男私一人だけで仕方なく女性にワインを振る舞ってから、白ワインから飲みました。流石に、途中にあったブドウが収穫されたものか、美味しいワインを頂きました。 食事後は、日本人のワークショップが店開き。「和菓子」「庵治石」「漆」「陶器」は高松から来ている「匠の雲」グルーブが、市民団は、「折り紙」「お茶」「尺八」「お香」のパフォーマンス。2時間ぐらいでしたが、大好評でした。そうそう香川と言えば、「香る」「川」です。お香は、香川の専売特許かも知れません。 私は折り紙組にいたり、尺八の「北国の春」や「ふるさと」は唄に参加して協力しました。私自身は「協力」と信じていますが、「迷惑」だったかも知れません。尺八は岡正敏さん、折り紙は四角整子(よしこ)さんでした。お香は岩佐仏喜堂の岩佐社長のパフォーマンスです。彼は高松商卒業だというので、ホームページのバナー広告の見込み客です。 いろいろな経験を楽しみながら、パリへ帰ってきました。やはり訪問団のような特別集団でなければ経験できないような「特別」を経験しながらの、訪問団でした。このように外国へ来ると、機会をつくりながら「英語」「フランス語」「ドイツ語」「中国語」程度はマスターしたいと思います。「メルシー」だけでも、盛り上がります。潜在意識に透徹するほど思えば、必ず出来るものです。 今の時代、3ヵ国語くらいしゃべれるのがあたりまえ。そして驚いたのは。フランスはワールドカップに優勝すると思うのですが、今の時間(日本時間15日0時)から優勝戦が始まります。今はバスでパリ市内を目指していますが、試合の結果次第で、渋滞に遭遇するかも知れません。フランスのサッカー選手も多くが入れ墨をしていますが、これは一般人にも多い。 ガイドさんに言わせると、3人に1人は男女を問わずどこかに入れ墨を入れているという。「ペインティング?」と尋ねると、日本の入れ墨と同じように、彫り込みをしているとか。それと多いのが、若い女性の喫煙、たばこは1200円ほどするそうですが、男性が禁煙し始めていて、逆に若い女の子の喫煙が増えているのだそうです。それからもう一つ目に付くのが、黒人とイスラム系の人の数が増えたという印象です。 追加原稿ですが、フランスが2018ロシアワールドカップで優勝です。私は先んじて、フランス国旗をお土産用に買いました。暫くこれを使って商売します。 |
2018,07,14, Saturday
ここトゥールでも、フランス革命を記念した花火が、13日と14日に撃ち上げられています。ホテルから花火を見ました。今日は打ち上げ現場近くで見るようですが、高松の花火の方が、一段とあでやかなようです。本日はこのあと、トゥール市内周辺の観光へ出かけて、夜はカクテルパーティーが予定されています。
まずクロ・リュセ城へ。王の客人として招かれていたレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年過ごしたクロ・リュセ城ですが、この城と次に行くアンボワーズ城は、地下道で繋がっていそうです。ここは、商魂たくましく、いろいろな商品を販売しています。私はなくした帽子の代役を探しました。 昼食後はロワールを代表するアンボワーズ城へ。ロワール川を見下ろす丘のふもとに建つアンボワーズ城は、歴代の国王が過ごした歴史ある城です。イタリア・ルネッサンス様式の影響が色濃く見られるアンボワーズ城は、旧教徒が新教徒を大量虐殺したアンボワーズの陰謀(1560年)の舞台としても知られています。 見学後はトゥール市役所前まで帰って来て、ジャン・ジョレス広場にて、革命記念軍事パレードを見ました。早めにわれわれ視察団は並びますが、フランスは大体が多くて、私たちはイライラしますが、流石に軍事パレードはオンタイムで動きます。極みツケは、「ご起立ください」のアナウンスのあと、1~2秒後に、3機の戦闘機が飛来しました。軍事パレードといいながら、トゥール市の消防救急消防団まで登場しています。 軍事パレードと言いながら、ここトゥールは、穏やかなものでした。 その後昨日と同じように、トゥール市役所・婚礼のまで夕食兼カクテルパーテーがあって、大西秀人高松市長はじめ、各会派のボスが参集しています。要するにバイキング料理です。トゥール市主催と言いながらも、喜ぶような料理は出てきません。 23時からの花火ですが、反対が多くて、キャンセルになりました。もう勘弁してと言うのが、正直なところです。故植本義明会長のスケジュールもハードでしたが、このクループもハードです。 |
2018,07,13, Friday
8:30、連泊のパリ市内マリオットホテルでの朝食後、姉妹都市のトゥールへ向かいます。昨日のホテル入りは、23時。モンサンミッシェル観光は、往復9時間のバス移動、観光滞在が3時間、この中には昼食も含まれています。手慣れは、モンサンミッシェル周辺のホテルに宿泊し、十分な時間を得て見学をしています。
日本で言えば、安芸の国・厳島神社によく似ていると思います。広島側からフェリーに乗って島へ渡って観光して帰ることも出来ますが、島宿すると、同じようにゆっくりとして時間が持てます。しかしいずれにしても、特別な関係者以外は、時間をもてあますことにもなりかねませんが。 トゥールは、ローマ時代から続く古い街で、16世紀には王家が移り首都になった歴史もあります。僅か80年間のことでした。木組みの家が連なる町並みは第二次世界大戦で破壊され、現在見られるものは、20世紀に再建されたもの。街はロワール河南岸に広がり、市庁舎がある目抜き通りは駅の北を東西に走るウールトゥルー大通り。主な見所は、その北側に集中している。 トゥール市(フランス共和国アンドル・エ・ロワール県)は、ロワール県の県都。面積34.36平方キロメートル、人口約14万人。大陸性気候で偏西風と北大西洋海流の影響により、年中温暖な気候のところであるとガイドブックに書かれています。パリの南西に位置しています。1988年、脇信男市長の時に高松市と姉妹都市提携をしました。あの日から30年。と言うことは、高松栗林ライオンズクラブが提唱した、「高松冬のまつり」のあとから、姉妹提携したことになります。 トゥール市役所はトゥール出身の建築家、ヴィクトール・ラルーによってデザインされた作品です。市庁舎は外見もさることながら、内装も石造りの階段や豪華な装飾が施されています。庁舎の上部には教育のシンボル像や、フランス民主主義のロゴもデザインされている。市庁舎には、中世の大聖堂のような荘厳な装飾が施されていて、レセプション、結婚式、展示会等に利用されています。 ここにも、トラム(路面電車)があります。2013年に、市内中心部を南北に結んでいる。ここのトラムはデザインや設備に凝っていて、観光客に人気の都市の景観を守るために架線レス集電を採用し、また銀色の近代的なデザインを採用しており、その車体に歴史ある街並みが映り、周囲に溶け込んでいます。早朝から深夜まで運行しており、市民や観光客のまさに足(毎日6万5千人が利用)になっています。 トゥール市の中心部にあるプリュームロー広場の界隈には、15世紀に建てられた木像の家がたち並んでいます。ここフランスも禁煙法が施行されて、室内での喫煙が出来なくなり、外で喫煙することになっているようで、テラスでの飲食がますます盛んになっています。日本人からすれば、排ガスもんもんのなかでの食事など、好まれませんね。ここフランスは、昔からもっぱら外です。 トゥール市街地観光地のひとつ、ゴシック様式のサン・ガシアン大聖堂。13-16世紀にかけて建てられた大聖堂のなかは、サン・マルタンが起こした奇跡の様子を描いた美しいステンドグラスで彩られています。第二次世界大戦中、このステンドグラスは熱心な信者により、ワインセラーに隠されて守ったと聞きました。 16時から、トゥール旧市内から橋を渡ったバルサッタ島の記念植樹ゾーンで、ブドウの木を高松訪問団が植樹しました。このバルサッタ島は、高層建物が林立しています。ここトゥールでは、高層建物は低所得者の住居となっているようです。そこに希望の苗木を植えるという、トゥール市の願いが見え隠れしています。 19時からトゥール市主催の歓迎会が、市庁舎内のレセプションホールで行われました。1テーブルから8までありますが、私たちさぬき弁しかしゃべれない者は、8テーブルでした。フランスでは、19時に呼ばれたら、15分~20分遅れて訪問するのが常識と教わりましたが、ここでは15分遅刻のスタートです。現地のれいこさん曰く、民間では30分は開始が遅れますが、市主催で15分でした。 これからの話題は、大西秀人高松市長の行動です。われわれ訪問団は30名(別働隊含めて総勢50名)ですが、個人情報保護法の関係からか、私は参加者名簿を持ち合わせていません。食事のたびに、御芳名を聞くのですが、なかなか記憶が出来ません。今日の植樹会場で、大西秀人高松市長ととなりにいる30人組一人を見たとき、彼女は市長の奥さんだと分かりました。何度か選挙事務所を訪問し、「どこかで見たご婦人だ」とは思っていましたが、それ以上の断定には至らず。 結果として大西秀人高松市長は、公人として公費を使ってトゥール市の公式行事に参加していて、奥様はわれわれ夫婦と同じように一般参加者として自費で参加されています。それでいて本日の宿は、別々です。そんな馬鹿な、そこまでをわれわれ市民は峻別を求めていません。別に二川浩三議長や、三笠輝彦市議、鎌田基志市議等も参加されていますが、単独参加です。 本日から高松市・トゥール姉妹都市提携30周年記念市民訪問団の行事が始まりました。明日はトゥール市内の観光と、正式イベントが組み込まれています。われわれも疲れています。朝が8時ホテルアウトで、帰りが22時23時です。故植本義明会長が団員50名を率いて、もう20年近くなります。「再び」の声も聞きますが、中途半端では、とても纏めきれるものですありません。 |
2018,07,12, Thursday
昨晩はパリの「マリオット リブ ゴーシュ ホテル」に23時すぎに帰って来ました。そして本日も、このホテルに連泊です。かみさんも連泊では、せっせと洗濯をします。日本から洗剤やハンガーを持参しています。こんな小さな創意工夫が、私らにはワクワクするのです。私は、この会長日記をアップするのが、ある意味一番の楽しみです。繋がることに、こだわってきました。
内容は大したことありませんが、繋がるという工夫は楽しいことです。今回はこのパソコンと、スマートフォン2台の3つに接続しています。初日に小欄に書いたように、関西空港でWi-Fiルーターをレンタルしてきました。8日間で、1万円を少し超えたくらいの金額でした。関空に到着して、返却するように手配しています。盗難紛失に備える保険もあって、これにも入っています。 しかしここで問題です。インターネットは繋がるのですが、メールの受信は出来ていますが、送信が出来ません。高松の物知りに問い合わせていますが、まだ解決できていません。時差の関係や、ワークショップの関係やらで、携帯電話で通話することが出来ません。申し訳ありませんが、お許しください。盛和塾香川、機関誌マラソンも発信できないかも知れない恐怖と戦いながら。 さて本日は、パリのホテルを7:30にバスで出発し、モンサンミッシェルの観光に行きました。パリから西へ350キロ、バスで約4時間30分。大西洋に浮かぶ小さな島、モンサンミッシェル。海に屹立する幻想的な姿と、複雑な建築美。訪れる人が絶えない、言うまでもないフランス観光の人気スポットです。 私はフランスは南の一部、カンヌとかエーゲ海クルーズには行きましたが、「ザ・フランス」と呼ばれている凱旋門やエッフェル塔は未経験です。勿論この有名な、モンサンミッシェルも初見参。往復9時間ですから、長いバスの旅になりました。お陰で、機関誌マラソン第60号の気づきも、本も予定の範囲まで届きました。 モンサンミッシェルは、708年司教オベールの夢枕に立った大天使ミカエルのお告げにより聖堂が建てられ、10世紀には修道院が設置された。11~12世紀には巡礼者で賑わい、13世紀にほぼ現在の姿になったと説明されています。14世紀英仏百年戦争が勃発すると、城塞となり難攻不落を誇る。フランス革命後は監獄となり、「海のバスティーユ」として恐れられた19世紀末から観光地になり、1979年に世界遺産になっています。 モンサンミッシェル観光は、念願の夢でした。いろいろなところで、その勇姿を見ます。普通は海外旅行を経験していて知らない、行ったことがないと言うのが恥じだと思うのですが、私は厚かましいB型、そんなのは全く眼中にありません。それでも何度か来ている人は、「変わった」と言います。それだからモンサンミッシェルは、面白いのだと思います。 夕食はパリへ帰る途中で頂き、ホテル着が現地時間22:40。明日から、高松市・トゥール姉妹都市提携30周年記念市民訪問団としての行動になります。いつまでも遊んでいるわけではありません。ご安心ください。 |