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日通旅行の湯之上一彦さんと行った初めての香川宅建協会米国旅行
今から23年前の、平成7年11月に、香川県宅建協会会員が行った「香川宅建アメリカ流通機構視察旅行」の行程表が出てきた。古い話で、確か男女50名近くで出かけて、関西空港19:10UA-810便でサンフランシスコへ着いたはいいが、遅れて到着した日本からの客を待たずに接続便が定時にニューヨーク向け出発し、半数の若者はサンフランシスコの空港で夜を過ごしたのを覚えている。

この時もかみさんと一緒で、私たち夫婦が若いグループだと言われて、空港に残りました。関西空港から手荷物で持ち込んだ日本酒で乾杯したのを覚えています。その時の添乗員の一人が、現大川観光の湯之上一彦さんと早川さん、そしてたて岩さんと書かれています。3人の添乗ですから、50人ぐらいいたと思います。

故植本義明さんが、団長だったと思います。私は海外旅行に慣れて無くて、この時いろいろなことを団長から学びました。団長は個人的にも、世界を一周したんじゃないかと思うほど、いろいろなところへ行っていました。大変な思いをしながら、翌朝ニューヨークの「マリオット マーキーズ」ホテルに入っています。そしてエンパイア・ステートビルやウォール街の見学や買い物。

夜はジャズクラブへ行きましたが、大勢が「スイング」(眠気で頭が上下している)していました。スイングの新しい解釈が、ここに誕生しました。そして3日目、ニューヨークのホテルからバス1台がノワール空港へ、もう1台はケネディ空港からの飛行機に搭乗し、ワシントンへ向かっています。これも、思案の末のことだったと思います。

ワシントンのホテルは、「マリオット メトロ センター」。同じ系列のホテルを使っています。ワシントンで、ホワイトハウスや国会議事堂、スミソニアン博物館、アーリントン墓地などをバス見学して。そしてワシントンから、また空路2つの便に別れて、バッファローへ移動しています。

到着後ナイアガラの滝を見て、ナイアガラの滝付近の、「スカイライン フォックスヘッドホテル」に投宿しています。次の日は橋を渡って、アメリカカナダを行き来したのでしたか。5つ日目は、建売住宅分譲地へバスを入れて、見学をしましたが、このあたりの図々しさは故植本義明氏の功績です。なかなか現場へは行けませんよ、それもアポなしですから。現場見学後は、空路シカゴへ飛びました。

6日目シカゴで、全米不動産協会(NAR)本部訪問。ドレスコードがあって、男性はスーツにネクタイでした。11月のシカゴは寒いぐらいで、ネクタイの着用は当たり前の感じでした。夜は日米協会懇親パーティーでした。駐米というか、シカゴで働く日本人も多く来ていました。ここでは、「シェラトン ゲートウェイ スィート オヘア」に泊まりました。

そして次の日はシカゴから、アトランタへ。ここでも不動産関係の大物と会食をして、会社訪問へ押しかけました。アトランタはこのとき、オリンピックの準備に余念が無く、町は盛り上がっていました。またアトランタと言えば日本人に大変人気がある、「風と共に去りぬ」の舞台です。撮影現場がアトランタにあるのでは無いのですが、映画の舞台はアトランタになっていました。

そして8日目、シカゴを経由してラスベガスへ。若かったのでしょう。大リーグの大谷翔平選手のような移動です。ラスベガスでは、「フラミンゴ ヒルトン」に連泊しました。カードキーの磁気が弱くて部屋の中には入れず、フロントへ行きましたがフロントマンは金になるカジノ客の注文にのめり込み、チップを稼いで、ルームキーの交換など次の次でした。ラスベガスのカジノはこりごりですが、ホテルショーには酔いしれました。

10日目はラスベガスからサンフランシスコへ渡り、サンフランシスコで最後の日を迎えました。ゴールデンゲートブリッジでは、土産を売っている南米人と、警察のいたちごっこ。面白かったですね、パトカーが到着する前に風呂敷に広げてあった商品を丸めて、彼らは逃げます。パトカーが帰ると、またまた店開き。そして最後の夜は、日本食レストランでのサヨナラパーティーです。

日本にいたら日本酒を飲まない私も、海外では日本酒が大好物。そして日本食は世界中で一番です。次の日は機内食ですが、こうして1995年11月2日(木)から13日(月)の研修を終えています。帰りは関西空港から、高速船で淡路島へ渡って。高松が23時、もう1台のバスは西讃方面へ観音寺が24時となっていました。お疲れ様でした。あのときも確か、同行者の荷物がなくなりました。私は無事でしたが、ここが香川宅建の海外旅行の始まり(正確にはこの前にもありましたが非公式)。


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| 社長日記 | 09:34 AM | comments (0) | trackback (0) |
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