2018,07,25, Wednesday
今年も屋島山上・県木園・集いの広場にて、「さぬき満月まつり」が行われる。もう14回目になるそうだ。さぬき満月会青梅スミ江会長が中心となって、「正調一合まいた」の披露を第10回から取り組んでいて、今年は参加者全員でそれを踊るというので、まさに盆踊りの原点回帰になるだろう。大西秀人高松市長も、その輪に加わると言う。
「子どもたちに伝えたいさぬきの国」をコンセプトとしたさぬき満月まつりは、屋島の夏の風物詩として、子どもからお年寄りまで幅広い世代に親しまれている。太三郎たぬき伝説にちなんだオリジナルの「さぬき満月踊り」を初めとしたイベントが、各種団体の協力を得て盛りだくさん企画されている。シニアー(後期高齢者)が、汗だくで取り組んでいる。 今年は瀬戸大橋開通30周年、小豆島のオリーブ植栽110周年、ブラジル移住110年と、メモリアルイベントが多いのだが、さぬき満月まつりのような派手さはないが、コツコツと刻むイベントは、屋島の活性化にも不可欠なものになっている。特にこの県木園・集いの広場から眺める夕焼けや夜景は、私も大好きな讃岐の風景であります。 屋島山上への道路は、今年5月から高松市がコトデンから買取り、「屋島スカイウェイ」として通行料無料になり、自動車専用道路から同時に自転車や歩きでも上れるようになった。屋島再生の、大きな一歩になったと思う。これからは、山上水族館のリニューアルなど、話題は尽きない。「こと観光」と言われる時代、風光明媚だけでは人は集まらないから。 3年前に発表された「広域観光周遊ルート」に、県関係では「スピリチャル~四国遍路~」と、「せとうち・海の道」の2ルートが入っているが、屋島はこの両方を含んでいる。四国八十八カ所の84番札所が「屋島寺」であり、源平合戦というストーリを持つのが屋島。往年の旅館群の輝きはなくなりましたが、新しい「こと」の一つがさぬき満月まつりであります。 食べ物飲物も有料ですが用意されていて、コトデン屋島駅からのバスもあります。さぬき満月まつりは28日(土)午後5時から、9時過ぎまで予定されています。 |
2018,07,24, Tuesday
今月は高知の、「ザ・クラウンパレス新阪急高知」で定例会が開催されました。私はこのところほとんど参加していないのですが、熊本から川口雄一郎さんが講師で来ると聞いて、行きました。このような支部会は、現役のスタッフを派遣するべきで、有益な話を聞いても、おじさんでは役に立ちません。
であるならばなぜ行くのかと問われそうですが、川口雄一郎さんも私と同年兵の前期高齢者、その彼がどのくらいパワフルか見届けに行きました。元気でした、年取ることを忘れたかのような元気さ。明日はこの猛暑の中、ゴルフを楽しむと聞きました。 川口雄一郎さんの話しは、「熊本地震と近未来の管理をお伝えします」という演題でした。川口雄一郎さんは熊本にありながら、その発言は全国区で、自民党の「ちんたい議連」の国会議員とも、「おいおまえ」の関係で、先の2016年4月14からの熊本地震対策でも、「見なし賃貸住宅」政策を、県を飛ばして国と交渉していました。 その川口雄一郎さんが、不透明化する賃貸住宅管理を見える化するために、不動産賃貸管理業のIT化をドラマティックに展開している様を披瀝しています。勿論これまでにも、マンションのWi-Fi無料提供や、スマホでのゴミ出し日スケジュール確認、熊本県内の飲食・理美容店舗のサービスクーポン提供などに取り組んでいました。 そしてこのほど、不動産業のIT化、「Real Rstate Tech」のピースとして、「Docu-Sign」を使った承認システムを柱とした、システムの構築に成功したのです。「Docu-Sign」は2003年にサンフランシスコで誕生したコンピュータシステム会社で、世界13都市に展開し、社員1,600人を擁する巨大組織です。 日本における不動産業界のIT化は急激に進み、賃貸アパートマンションを中心に、1物件の写真20枚とか、その写真も360度自動撮影など、現場を見なくても決まるほどの技術が進んでいます。また契約前の重要事項説明も、2015年8月より国策として「ITを活用した重要事項説明に係る社会実験」が始まっています。 組織としてここまで取り組むというのはありかなと思いますが、一社単独でここまでやるというのは、驚きです。九州には福岡に三好不動産があり、アパマンショップネットワークの大村浩次氏も、福岡の出身ですが、熊本に川口雄一郎あり、ますます健在ぶりを発揮していました。 |
2018,07,23, Monday
今から23年前の、平成7年11月に、香川県宅建協会会員が行った「香川宅建アメリカ流通機構視察旅行」の行程表が出てきた。古い話で、確か男女50名近くで出かけて、関西空港19:10UA-810便でサンフランシスコへ着いたはいいが、遅れて到着した日本からの客を待たずに接続便が定時にニューヨーク向け出発し、半数の若者はサンフランシスコの空港で夜を過ごしたのを覚えている。
この時もかみさんと一緒で、私たち夫婦が若いグループだと言われて、空港に残りました。関西空港から手荷物で持ち込んだ日本酒で乾杯したのを覚えています。その時の添乗員の一人が、現大川観光の湯之上一彦さんと早川さん、そしてたて岩さんと書かれています。3人の添乗ですから、50人ぐらいいたと思います。 故植本義明さんが、団長だったと思います。私は海外旅行に慣れて無くて、この時いろいろなことを団長から学びました。団長は個人的にも、世界を一周したんじゃないかと思うほど、いろいろなところへ行っていました。大変な思いをしながら、翌朝ニューヨークの「マリオット マーキーズ」ホテルに入っています。そしてエンパイア・ステートビルやウォール街の見学や買い物。 夜はジャズクラブへ行きましたが、大勢が「スイング」(眠気で頭が上下している)していました。スイングの新しい解釈が、ここに誕生しました。そして3日目、ニューヨークのホテルからバス1台がノワール空港へ、もう1台はケネディ空港からの飛行機に搭乗し、ワシントンへ向かっています。これも、思案の末のことだったと思います。 ワシントンのホテルは、「マリオット メトロ センター」。同じ系列のホテルを使っています。ワシントンで、ホワイトハウスや国会議事堂、スミソニアン博物館、アーリントン墓地などをバス見学して。そしてワシントンから、また空路2つの便に別れて、バッファローへ移動しています。 到着後ナイアガラの滝を見て、ナイアガラの滝付近の、「スカイライン フォックスヘッドホテル」に投宿しています。次の日は橋を渡って、アメリカカナダを行き来したのでしたか。5つ日目は、建売住宅分譲地へバスを入れて、見学をしましたが、このあたりの図々しさは故植本義明氏の功績です。なかなか現場へは行けませんよ、それもアポなしですから。現場見学後は、空路シカゴへ飛びました。 6日目シカゴで、全米不動産協会(NAR)本部訪問。ドレスコードがあって、男性はスーツにネクタイでした。11月のシカゴは寒いぐらいで、ネクタイの着用は当たり前の感じでした。夜は日米協会懇親パーティーでした。駐米というか、シカゴで働く日本人も多く来ていました。ここでは、「シェラトン ゲートウェイ スィート オヘア」に泊まりました。 そして次の日はシカゴから、アトランタへ。ここでも不動産関係の大物と会食をして、会社訪問へ押しかけました。アトランタはこのとき、オリンピックの準備に余念が無く、町は盛り上がっていました。またアトランタと言えば日本人に大変人気がある、「風と共に去りぬ」の舞台です。撮影現場がアトランタにあるのでは無いのですが、映画の舞台はアトランタになっていました。 そして8日目、シカゴを経由してラスベガスへ。若かったのでしょう。大リーグの大谷翔平選手のような移動です。ラスベガスでは、「フラミンゴ ヒルトン」に連泊しました。カードキーの磁気が弱くて部屋の中には入れず、フロントへ行きましたがフロントマンは金になるカジノ客の注文にのめり込み、チップを稼いで、ルームキーの交換など次の次でした。ラスベガスのカジノはこりごりですが、ホテルショーには酔いしれました。 10日目はラスベガスからサンフランシスコへ渡り、サンフランシスコで最後の日を迎えました。ゴールデンゲートブリッジでは、土産を売っている南米人と、警察のいたちごっこ。面白かったですね、パトカーが到着する前に風呂敷に広げてあった商品を丸めて、彼らは逃げます。パトカーが帰ると、またまた店開き。そして最後の夜は、日本食レストランでのサヨナラパーティーです。 日本にいたら日本酒を飲まない私も、海外では日本酒が大好物。そして日本食は世界中で一番です。次の日は機内食ですが、こうして1995年11月2日(木)から13日(月)の研修を終えています。帰りは関西空港から、高速船で淡路島へ渡って。高松が23時、もう1台のバスは西讃方面へ観音寺が24時となっていました。お疲れ様でした。あのときも確か、同行者の荷物がなくなりました。私は無事でしたが、ここが香川宅建の海外旅行の始まり(正確にはこの前にもありましたが非公式)。 |
2018,07,22, Sunday
第100回全国高校野球選手権香川大会第11日目の22日、高松市生島町のレグザムスタジアムで、「高松-丸亀城西」の決勝戦が行われた。勝運に乗っかった高松(高高)は、2回戦で延長の末5-3で高商を下して勢いを得て、その後、逆転やサヨナラで決勝戦まで勝ち進んだ。今日勝てば、夏は84年ぶり5度目の甲子園出場になる。
また丸亀城西は、河本浩二監督が就任してからの4年間で3度の決勝戦進出と、華々しいお膳立てをしているが決勝戦での勝利がない。昨年は勢いの三本松に、7-1の大差で敗れている。河本浩二監督は、前身の丸亀商業高校卒で、母校監督としてそれなりの結果を出している。丸亀城西が勝てば、13年ぶり5度目の甲子園出場となる。 総合力は丸亀城西が一枚上だから、高高がリードすると、面白い優勝戦になるだろう。このような私の予想通り高高は、2回表に2点をリードして、高高有利で試合を進めた。私は自宅で、エアコンの効いた部屋でのテレビ観戦だったのだが、手に汗握る試合運びだった。結果はご案内の通り、丸亀城西9-4高松で、丸亀城西が甲子園への出場権を得た。河本浩二監督にとって、3度目の正直。 3回に2点を奪取した丸亀城西は、同点に追いついたものの4回表高高が1点を再リード、6回にも1点加点して、6回表終わって4-2高高リード。ここから丸亀城西が自力を発揮し、6回裏3点で逆転。7回裏にも1点、8回裏にも3点を入れて、2番手大前投手が危なげなくゼロ封。甲子園では真鍋投手が先発するか、エース大前投手が先発するか。 エース大前投手が4回から登板したが、彼は終始ニコニコ顔で、高校球児のお手本のような選手だった。高高の石田茂登監督もそうだが、最近の野球監督は、子どもをむやみやたらに怒らない。コミュニケーション重視で、選手が考えるような舞台づくりに徹している監督が増えた。失敗を叱責していても、何も始まらない。ゲームは、選手がやるのだから。 それにしても甲子園では、「丸亀城西」は打ち勝たないと勝ち進めないだろう。1回戦に、勝てるかどうかの全国レベルだろうと思いますが、野球王国復活のためにも、県立丸亀城西高校として1勝はしてほしいものだ。 |