2022,07,25, Monday
仏生山地区連合自治会防災部(萬藤一美部長)が働きかけて、香川大学創造工学部岩原廣彦教授をお迎えし、これまでにも町内を10ブロックに分けて『防災まち歩き』を10回重ね、本日の総括講習会になったようです。私も昨年から、僅か14戸の自治会の会長として就職し、いろいろな案内を目にするのですが、このチラシもその中の一枚でした。
『防災まち歩き』は一度もしておりませんが、写真で現場を見る限りは、『あそこか』と大体の見当はつきます。しかし見ると聞くとでは大違い、同行出来ていないことを大いに恥じいるところであります。『-自分の命は自分で守る-地域みんなで考えてみよう-』との標題に、あらためて昨今の時代の変化と、己の年齢と置かれた立場(夫婦二人世帯)、周りを助けることから助けられる立場になっていることに気づきます。 本日のお題は、『仏生山地区における災害の種類と備え』。この仏生山町周辺は、標高34m(仏生山コミュニティセンター)の高台にあり、瀬戸内海沿岸から真南に10㎞の位置で、川がありません。端的に言えば、周辺のため池の決壊が、南海地震発生災害で一番の心配事であります。加えてこのあたりの一部地盤が、土砂災害の『がけ崩れ』で危ないと表記されていることからも心配が重なります。 また不動産売買仲介時の重要事項説明にも、ため池の決壊時には『概ね0.5㍍の浸水が予想される』と説明していましたが、別に3箇所の『土砂災害警戒区域(急傾斜地)』と『土砂災害特別警戒区域(急傾斜地)』があることに気づきました。その不動産が対象区域内にあれば説明を要するのですが、『仏生山地区における土砂災害警戒区域』という町内全域での総体的な指摘はあたりません。 またこの類いの警戒区域というモノは、変化します。だから『防災講習会』などは、案内のたんびたんびに参加して拝聴するべきであります。警戒区域が解除なることはまずありませんが、追加されることはままあります。それからもう一つ、考え方が変わってきていることも岩原先生の講義で痛感しました。 例えばため池の一つ『前池』が南海地震等で決壊したら、これまでは堤防の下にある仏生山小学校の運動場に子どもを集めて避難すると言われていましたが、耐震化が完成した校舎であれば、そこの最上階へ避難する方法が提唱されています。また避難会場の一つ、拙宅の至近にある仏生山コミュニティセンターもこれまでの基準では121人の想定収容人数とされていましたが、新基準で計算し直すと24人(ゆったり寝泊まりする)の収容となっています。 南海地震発生災害時の震度は、6弱と予想されています。であるならば、自宅待避もあり得るかなと考えてしまいました。新耐震基準であり、敢えて軽量鉄骨造の2階建てとしました。夫婦2人の後期高齢者世帯、東海トラフ地震で上水道復旧1週間後73%、下水道66%、電力1日後64%、固定電話1日後64%と香川大学創造工学部岩原廣彦教授の資料にあります。 今でも飲用水は、隣のアパート4戸と併せて、一戸ポリタンク10ℓ常備。雨水は、タンクにためています。煮沸すると飲めるし、トイレの排水には使えそう。食糧も何かと冷凍しています。ガスボンベも耕耘機用の備蓄があり、米も精米したモノが10㎏はあります。テントを張る空間はありませんから、テントは用意しません。 極めつけのネタですが、地震対策用の家具の固定突っ張り材よりは、段ボール箱を空間にはめる方が効果的である。私も心がけていることですが、救急車や消防車はガソリン半分になったら必ず満タンにするのです。モバイルバッテリーと予備電池は、常備しています。公衆電話はコミセン前にあります。非常時対応の缶ジュース類も、コミセン中にあります。 自分の命は自分で守る-寿命もそう長くないのですが、社会に迷惑をかけてはいけません。 |
2022,07,24, Sunday
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、開催が危ぶまれていた標題の門前まつりが開催されることが、決定しました。23日(土)開催の多肥のまつりはバザーが中止となる知らせの中での決定ですから、まだ一抹の心配は残されています。決定内容は、8月6日(土)17時から仏生山コミュニティセンターと相愛幼稚園横駐車場周辺で、バザーなどの物品販売と、各種団体の工夫を凝らした催し物が実施されることになっています。
仏生山コミュニティセンター駐車場には簡易舞台が作られ、ステージイベントもあります。時間は17~21時まで、雨天の場合は翌7日(日)に順延されます。いずれも本町通りアオイ堂さんから南、仏生山郵便局までは、まつり開催時間は交通規制が行われます。詳細はチラシ等で告知されていますが、仏生山コミュニティセンター087-889-4955、またHPで確認して下さい。 この第39回門前まつりも、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い3年ぶりの開催になります。このところ香川県下でも連日1千名越えの新規感染が報じられていて、手放しでは喜べません。しかしこのイベントは営利目的ではありませんが、経済活動を前へ進めるためにも、再開出来るところからはじめないと、町も人も死んでしまいます。 仏生山町では『門前まつり』が終われば、10月中旬の『高松秋のまつり仏生山大名行列』の準備が始まります。こちらも3年ぶりの開催を目指して、高松市と町内の実行委員会が水面下の準備は進めています。こちらも町の活性化の意味からも、是非開催したいと願っています。これらイベントにはバザーがつきものですが、いずれもPTA・子ども会や育成会が力を合わせて販売し、活動資金としています。 開催出来ないと、収入が大幅削減となり、遠征などに支障をきたします。善循環の歯車を回しはじめるためにも、コロナに負けない熱量で、開催したいモノであります。そして表面では分からない主役たちの交代も、始まっています。次には新しいスタッフで、新しいおもいろい企画に取り組んでほしいものです。 仏生山コミュニティセンター |
2022,07,23, Saturday
誰が持ち込んだか分かりませんが、去る7月2日(土)に東京銀座『サンミ高松(溝渕利幸高松商事会長)・昭和27年卒』で開催された、東京支部総会の記事が7月23日(土)18面に掲載されています。挨拶する、北條勇紫雲会東京支部長の写真までカラーでついています。小さな記事ですが、その上に仏生山町法然寺のネタもあり、やはり目が釘付けになります。
東京総会の記事では、岡義博会長がご子息の結婚式で欠席されたため、私が代理で参加したように綴られていましたが、私は岡義博会長の都合に関係なく、万難を排してこれまでも参加しています。あの東京近辺で仕事をし、日常生活している同窓はただただ凄いとしか言いようがない。特に私の卒業した昭和46年組は、元気で組織の中核を担っています。 同窓会を私は思うのですが、『成功者たちの集い』です。まず元気でいること、そして会費が払えること、それより何より『自分を語ること』が出来る人らの集まりです。ここでは幾らか、これまでを自慢しても良いと思います。過去を知っている人が今の自分をどうみるか、しかし多くの場合は、胃がん患者が肺ガン患者に気遣う場面が多いのです。これも愚痴かもしれませんが、お釈迦様もこの程度の愚痴は聞いて下さると思います。 今も手元に、今日当たりは返事を書こうと考えていた北條勇支部長からの封書があります。私如きに丁寧に封書を書く、北條さんに頭が下がります。母校の世話を熱心にしても、あの世への内申書にもなりません。それでいて、あのエネルギーはどこから湧き出るのでしょうか。またそんな超人の一人が、吉田勝昭氏です。メールが届きました、紹介します。 ホームページ「私の履歴書」リンクガイドブック 令和4年7月20日 吉田勝昭 *暑中お見舞い申し上げます。 現在、私のホームページは「私の履歴書」登場者の名前だけで、登場者が何を書いているのか、どのような人生を送ったのかは、読まないと分かりません。このリンクガイドブックで興味ある登場者名をクリックするだけで、その人が「履歴書」内で紹介している興味深い箇所を簡単に読むことができます。 この『リンクガイドブック』の作成目的は、登場者が次世代に「何を伝えたいのか」「何を知って欲しいのか」を抽出、要約しています。これを読むことで、読者に各界リーダーの生き方や考え方、その時代の背景と歴史上の人物像を知ることができます。興味ある人や親戚縁者など、お時間のある時に見ていただけると嬉しいです。 氏は日経新聞に掲載された『私の履歴書』を、事細かく分析し、ダイジェスト版にしています。私は日経新聞をここ数年しか読んでいません。先輩は20年、いや30年は読み続け、書き続けています。是非ご覧下さい。『佐久間良子さんの履歴書』告白には、驚きました。 ここから検索 |
2022,07,22, Friday
令和四年春の叙勲で、はからずも旭日双光章をいただき、祝賀会は来年2月頃、新型コロナウィルス感染症が治まってからと考えていたところ、旭日小綬章(双光章より上位)の石井淑雄氏の祝賀会が去る16日(土)、坂出グランドホテルで挙行されました。この祝賀会が刺激となり、私も世話人に相談し9月10日(土)にJRホテルクレメント高松で開催することとし、7月20日に案内状を郵送することが出来ました。
『今・近隣・手づくり』の3つを掲げ、業者に頼らず自らが案内文を作り、社内総務課の大西香子さんに印刷してもらい、かみさんが封書に入れて記念切手を貼り、私が郵便局に持ち込みました。少し封筒に凝ったため、のり付けが難しい素材で、加えて切手も慶事切手は水に浸けて糊を加えて封書に貼り付けます。大いに手間が掛かりました。しかしこれも良い経験です。一通ごとに、思いを込めて投函しました。 終わって一番後悔するのは、今日も『香川胆識の会』で詫びたのですが、数限られた人にしか案内状が出せないことです。あの人にもこの人にもと、葛藤が続いています。本当に申し訳ない。今のお付き合いの人限定で、昔お世話になった人などへは送れていません。また近隣者に限定しています。遠隔地住民への案内も考えましたが、この時期、患わすことは慎むべきだと考えました。 いろいろ言い訳ばかりで、本当に申しわけありません。であるならば挙行しないという選択肢も頭をよぎりましたが、いま出来る範囲で実施しても良いのかなと判断しました。一生涯に一度だけ、小欄読者へも届く人届かない人あります。本当に申しわけありません。逆に会費制ですから、もらって迷惑とお考えの御仁もあるかと拝察します。 今後、このような煩わしい出来事はないと思います。いずれにしろ寛大なるご厚情を、伏してお願いします。ところで今回の叙勲から祝賀会の準備で、特に意識するのは自身37歳で病死した父親のことです。もっとも、男子父親に対する感情は敵対心ライバル意識が大です。私も父親没後兄妹を育ててくれた母親には、大いに感謝していますが、私が10歳の時、記憶が薄いのも一因でしょうが、父親に対する感謝が欠落しています。死にたくて死んだわけではないのに、薄情な息子です。父ちゃんゴメン。 父親を正しく評価し感謝する気持ちがないのは、まだ己が子どもであることの証で、己が人間として正しく成長していれば、父親を評価出来るのではないかと、叙勲の祝賀会を通じて一番の気づくところであります。これまた反省、叙勲は己の心の醜さに気づく機会にもなっています。 |