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JR高松駅利用者数は四国一
四国新聞の日曜版に、いろいろ珍しい数字の記載があります。「香川知ってるつもり!?」だが、今日のテーマは、「鉄道駅」。香川県内にJRの駅は48駅、琴電は52駅あるそうだ。1940年代はじめ頃には、130駅もあったとか。市内中心部の、「築港駅」から「公園前」の路面電車などもあったそうだ。塩江温泉鉄道は、昭和初期に高松のわが町仏生山駅と塩江駅間を12駅で結んでいたという。

塩江温泉鉄道はわずか12年間の営業だったと聞くが、「ガソリンカー」と呼ばれて、今でもその軌道の跡が一部に残っている。オーナー様の一人が、その塩江温泉鉄道に勤務していた頃の話を熱心に話すのです。当時の写真も拝見しましたが、エリートの職場であったと聞いています。

さて駅の乗車人数ですが、1位が標題にも書いた「JR高松駅」です。2016年データーですが、12,832人。JR2位が「坂出駅」の5,244人です。JR四国は、岡山-高松間のマリンライナー号が稼ぎかしら。年々利用者が、増えているように感じています。朝夕は通勤も多いのですが、通学も案外乗っています。岡山県内の駅の作り方も、功を奏しているのでしょう。

「JR坂出駅」は、マリンライナー号の停車駅です。坂出で、岡山行き、松山行き、高知行きに分かれます。一方「JR高松駅」に続いて乗降客が多いのは、琴電「高松築港」駅です。「JR高松駅」12,832人の約半分、6,112人が利用しています。と言うことは、「JR高松駅」利用者の半分が「琴電高松築港駅」を利用しているのか。

琴電で一番の利用者は、「瓦町(かわらまち)駅」利用の7,112人ですが、こちらは高松市庁や香川県庁、またビジネス街の最寄り駅で、また琴電「琴平線」「志度線」「長尾線」の三線が乗り入れる駅で、一日7千人という数もさもありなんと納得します。勿論、東京新宿駅の一日200万人とは比べようもないのですが。

琴電の駅利用では、1位の「瓦町駅」2位の「高松築港駅」3位の「片原町駅」(2,653人)、に続いて4位が「太田駅」2,205人、5位が「栗林公園駅」1,613人です。この駅には何れも高校があります。また「太田駅」は、バスと結ぶパーク&ライドがあります。6位仏生山駅1,562人、7位三条駅1,530人と続いています。

琴平線の利用者が多いのですが、仏生山駅と太田駅の間に、また太田駅と三条駅の間に二つの新駅が予定されています。また高松築港駅から仏生山駅まで複線化が発表されています。また9月1日に、仏生山駅徒歩1~2分に高松市民病院「みんなの病院」が開院します。複線化も、新駅もまだ先ですが、仏生山駅からのバスと結ぶパーク&ライドは新線も始まると思います。

大西秀人高松市長は、独自の「コンパクトエコシティー構想」を持ち、この仏生山駅を拠点として考えています。仏生山駅前にスーパマーケット(魚と肉は除く)もほしい。「街へ行こう」はコトデンに乗って、徒歩と電車とバスを使い、私もマイカーのない生活を意識し始めています。街中の人は、コトデンに乗って仏生山温泉へお越し下さい。


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| 社長日記 | 10:18 AM | comments (0) | trackback (0) |
五・一五事件から86年の今日政治情勢は何だかよく似ている?
五・一五事件は、1932年(昭和7年)5月15日、今から86年前に日本で起きた海軍の反乱事件を言います。武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、当時の内閣総理大臣犬養毅を殺害した。小欄最後に書く、満州国をつくったことに対して犬養毅内閣が反対したことから、海軍将校らがみずからの主張を通すための暴挙に出た。別働隊が、内務大臣邸や警視庁、銀行から変電所を襲ったが、大事には至らなかった。

この事件によって犬養毅内閣は総辞職し、その後の内閣は軍人が首相になり、第二次世界大戦まで政党内閣は復活することがなかった。背景には、1923年(大正12年)の関東大震災の壊滅的被害を被っていた日本経済、一方世界に広がる経済不況、とりわけ1929年(昭和4年)ニューヨーク株式市場の株価が大暴落した、アメリカ発の世界恐慌の勃発が大きい。

その前におこった、1914年(大正3年)7月から1918年(大正7年)11月までの第一次世界大戦。その前20世紀に入り、1905年第一次ロシア革命が勃発し、1911年中国清で辛亥革命、ここでも王政が崩れた。このあたりから、世界各国の国情に大きな変化が訪れる。各国の政府は、政府が積極的に経済にかかわるようになり、この不況からの世界恐慌を乗り切るために、自分たちだけの国を守る政策を進めたので、第一次大戦後の国際協調体制が崩れていくことになる。

アメリカはニューディール政策を、植民地の多い英国・仏国は、本国と植民地の関係を強めて、他の国の商品に対する関税を高くする。自国と植民地の関係だけで、経済を成り立たせようとするブロック経済を行い、日本は孤立をはじめる。時代は大正から昭和に移っていたから、この日本国内の大不況のことを、昭和恐慌と呼ぶ。

1922年(大正11年)、英仏に後れをとったイタリアに、反民主主義を掲げ、国民の自由を制限し、国民全員を国の軍事力の高揚のために奉仕させるという、「ファシズム」の思想を持つ「ファシスト党」が政権を握る。ファシスト党はムッソリーニによって率いられて、国民の不満を海外への侵略という方向に導く。

またイタリア以上に大ピンチ(ベルサイユ条約からの多額の賠償金)のドイツは、1933年(昭和8年)ヒトラーの率いるナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)が政権を握る。このころ日本政府は、政党内閣のもと、欧米との関係を重視した外交を行っていた。1930年(昭和5年)に開かれたロンドン海軍軍縮会議に参加して、軍縮条約に調印もした。政府は軍事費を縮小することで、国民の負担を軽減しようと考えたわけです。

しかしこの調印に対して、一部の軍人たちが「天皇の権限を勝手に侵すなと」、天皇を担ぎ出して政党内閣を激しく非難する。そんな時代背景のもと、五・一五事件は起こるべくしておこったガス抜きだったのかも知れません。この事件は、海軍若手将校のクーデターでした。

一方1927年(昭和2年)に、南京を首都として打ち立てた(中国)国民政府は、中国東北部(満州)の軍閥と和解し中国を統一した。そんな中国の動きに対して、同じように陸軍(関東軍)は、1931年柳条湖事件を起こし、翌1932年満州国を中国人が建国した独立国のように見せかけて、日本の傀儡政権国を作ります。

そして五・一五事件と比較される二・二六事件は、1936年(昭和11年)今度は陸軍の若い軍人たちが首相官邸や警視庁を襲撃し、政府高官たちを暗殺するという事件へと繋がります。いずれの事件も、軍隊が肥大化したら国防費が膨らみ、軍人の心に本来の国防以外の野心が広がりかねないという教訓を残す。今の日本はシビリアンコントロールですから、軍人プラス政治家の傲慢となりますか。

私は自衛隊の存在を憲法に明記するのは賛成ですが、安倍晋三首相が企んでいるような自衛隊を海外派兵するのは大反対です。「戦闘があった」という文章も出てきている。この部分の改憲であれば、私は憲法改正反対です。自衛隊が日本軍だという認識は、国内はもとより海外でもそう認識されていて、誰もが自国を守る軍隊の存在を否定はしない。今日は、五・一五事件から86年の記念日でした。事件を教訓にして、平和が続きますように・・・


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| 社長日記 | 08:52 AM | comments (0) | trackback (0) |
梅原猛の授業 仏教
稲盛和夫塾長がどこかで、「せめて梅原猛の授業仏教ぐらいは読みなさい」というアドバイスをしていて、早速取り寄せて読んでみました。正直な話、「仏教」なんて面白くないなとは思っていました。ところがやはり、稲盛和夫塾長が奨めるだけのことはあります。実に読みやすくて、分かりやすいのです。それはそうかも知れません、2001年4月から9月まで、京都市の洛南高校附属中学校で行われた「宗教」の時間の授業に加筆したものです。

内容についての詳細は省きますが、「私はここで、これから皆さんに宗教、とりわけ仏教の話をしたいと思っています」とはじまり、この宗教の話を小学校か中学校で話したいと思っていた。それはどうも、小学校や中学校で道徳が教えられていないという心配から。道徳とは、人間はどう生きたら良いか言うことですが、それが教えられていない。

新潟の小学二年生の女児が殺害されて、JR線路上に遺棄された事件で、急転直下、なんと近所に住む23歳の会社員が逮捕された。容疑者の人柄や動機や手口も、まだ解明されていませんが、私は「道徳」の欠如だと思いました。裕福になり便利になり、足るを知ることを知らない若者。この容疑者は、電気技術士という技術も職場も持ち、それでいて心は女児ロリコンである。

小学校で、道徳教育の時間はあるけれど、たいてい形だけで、実質的に道徳の教育がない。人間がどう生きたら良いか、何をしたら良いか、何をしてはいけないか、そういうことが学校教育で教えられていないのです。これは日本の教育の、大きな欠陥です。

昔は、ちゃんと教えられていました。修身という科目があり、人間はどうやって生きたら良いかを教えられた。けれども、戦前の修身教育は「他律的な道徳」でした。他律というのは、人から縛られている道徳で、天皇陛下に忠義を尽くして、親に孝行せよ。そういう外からの道徳が、戦前の学校ではずっと教えられてきた。その象徴の教育勅語は、私でも知っています。

しかし戦後になって、修身教育をしてはいけないというマッカーサー指令が出て、修身教育がなくなった。「他律的な道徳」がなくなったあとに、「自律的な道徳」が教えられなくちゃいけなかった。それがまったくない。人間どうやって生きたらよいか、何をすればよいか、なにをしたらいけないのかが教えられていない。

最近、ちょうど皆さんの年頃の子どもたちの起こした犯罪事件がテレビや新聞をにぎわせています。そういう人たちは、かわいそうです。どうやって生きたらよいかを教えられていない。政治家もお役人にも、賄賂をもらったり公金をごまかしたりして、人間として、良くないことをしている人がいる。そういう人たちも私は気の毒だと思う。そういう人たちにも、人間がどのように生きるべきかが教えられなかった。

新潟の事件のような不幸は、これからもあり得ます。被害者側がいかに防御しても、女児が一人になる時間は必ず発生します。さらにこれからは、男児が犠牲者になる時代かもしれません。道徳=人間教育を、例を仏教にとっても良いではないですか。釈迦の唱える六波羅蜜の教え「布施」・「持戒」・「精進」・「忍辱」・「禅定」・「智慧」にも道徳のエキスが詰まっています。


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| 社長日記 | 09:01 AM | comments (1) | trackback (0) |
京都・下鴨神社敷地内新築分譲マンション販売苦戦か
2018/05/13の日経新聞に、「J.GRAN THE HONOR下鴨糺の杜(以下ジェイグラン下鴨と書く)」の販売広告が入っていました。流石の京都の土地も、値上がりは止まったと聞いています。これはマンションですが、世界遺産京都下鴨神社の敷地内にあります。そして最大の特徴は、「定期借地権分譲マンション」だと言うことです。入居(存続)期間は50年間、2067年6月29日までの使用となっています。

定期借地権分譲は、一戸建てでは私も2011年3月に高松市春日町で9邸新築分譲しましたが、分譲マンション建設の経験はありません。しかし全国的には、特に沖縄・愛知で行われていて売れています。土地付きに対して、借地権分譲マンションは安い。頭で考えたら、マンション分譲こそ「定期借地権」がぴったりだと考えます。

期間満了で建物を解体して、土地を所有者へ返還します。契約期間の延長は、法律が許しません。これまでの土地付き分譲マンションのような、だらだらした終焉はあり得ないのです。入口(竣工)で、出口(終期の仕舞い)の計画が出来る契約形態です。

高松の私の周辺でも鉄筋コンクリート造のマンションが林立していますが、自分たちは解体までに売却して、莫大な解体費の出費はしないとみんな考えていると思います。そのためにこれまでにも、建て替えに成功したマンションの話はほとんど聞きません。国は容積率を緩和して、再築戸数増やしたりして応援しようと考えていますが、現場は動いていません。

ジェイグラン下鴨は、世界遺産下鴨神社境内の一角ですが、社殿のある神社境内と道を挟んで南にあります。飛び地ではありますが、緑豊かな森の中にあるレジデンス。京阪「出町柳駅」徒歩9分、今回販売戸数5戸(全99戸)、専有面積65㎡~80㎡、販売価格は6,250万円~10,030万円。その他土地の地代として2~3万円(月額)、マンションですから管理費・修繕積立金、駐車場代は同じように必要です。

加えて敷金、解体準備金、解体準備一時金がかかります。2016年に工事が始まり、2017年夏前に竣工しています。この時になって広告をしていると言うことは、販売に苦戦しているのだろうか。なかなか良いアイディアで、事業主のJR西日本不動産販売あっぱれと思い、現地へ見に行ったことがあります。



過去の記事を貼り付けておきます。

記事其の一
記事其の弐

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| 社長日記 | 09:13 AM | comments (0) | trackback (0) |
国産プロペラ飛行機YS11が高松空港を離陸
驚きました。私は最近勘違いが多いのですが、空港横のさぬき子供の国に駐機していた全日空機が、飛んだのかと思いました。あれも確かYS11です。もう30年も駐機(設置)している飛行機が飛ぶなんて、あり得ないと思ってニュースを眺めていました。その通り、大きな勘違いでした。

3年になるとは気づきませんでしたが、2015年から高松空港に、そう言えば1番ブリッジ(JAL)の向こうに、垂直尾翼が黒っぽい小型飛行機が駐機していたのを思い出しました。私はどこからのチャーター機が飛んできて、駐機しているように思っていました。これが唯一の飛行できるYS11で、常に手入れをしていたそうです。

報道を見て暇な私は、高松空港まで確認に行きました。弊社から15~20分のところに、高松空港はあります。4月から高松空港が民営化になり、これからの路線増便のために、駐機スペースを削減することから、整備士やパイロットを養成する、日本航空学園の能登空港キャンパスのある石川県輪島市の能登空港へ「飛ぶYS11」は、お役立ちに行ったようです。

高松に駐機していたYS11は1968年製で、丁度50年前の製造機になります。同キャンバスでは、飛行できないYS11を3機所有して、整備実習などに使っているという。YS11は、1964年の東京オリンピックの聖火も運びました。私も東京大阪と、何度か搭乗した。国土交通省が所有していたものを、2014年に大阪の航空整備会社が落札、15年から高松空港に駐機していたものです。

国土交通省所有機のフライト時間は、民間機と比べて格段に短い。これからの学生さんの学習機材として、大空を駆け巡ることでしょう。余談ですが日本の空港の数は、「空港(ヘリポートを除外する)」と呼ばれる箇所と「飛行場」と呼ばれる箇所を合わせると、全国で97か所あります。この周辺は、森喜朗東京五輪PP組織委員会会長のお膝元で、富山空港、能登空港(のとキトキト空港)、小松空港、福井空港があります。

あわせて念願の、「高山航空公園(綾歌郡綾川町東分乙390-17)」へも立ち寄りました。何度も道に迷いながら、どうにかたどり着いて、まもなく全日空機が離陸しました。長いレンズを持っていたら面白い写真が撮れただろうに、また改めて孫を連れて来たいところであります。











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| 社長日記 | 10:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
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