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地面師集団がまだいたという不動産業界の不思議
このところ巷の面白話として伝えられる、「積水ハウス」が架空の土地取引で約55億円をだまし取られた事件の全容がはっきりしてきた。バブル崩壊の前、つまり昭和末から平成3年頃の話しであれば、私も「さもありなん」と思うところだが、既に東京の地価も東京オリンピック・パラリンピックを待たずして、値下がりの傾向にあると言うこの時期になぜ。

私は色々な理由はあると思うが、大手「積水ハウス」だから騙されたという、大企業病が判断を誤らせたのではないかと、一つの理由を推察する。積水ハウスが購入しようとした土地は、東京都品川区にある廃業した約600坪の旅館敷地。上からの絵では、当時の賑わいがそのまま敷地内にある土地。JR五反田駅から、徒歩3分(実際に歩いた人は4分と言う)の交通利便の地。

捜査する警視庁捜査2課では、16日にグループ8人を逮捕し、他の地面師メンバーも随時逮捕するとか。フィリッピンへ出国した主犯格の容疑者は、国際手配されていて、フィリッピン当局に身柄を拘束されて、機内で警視庁2課の警察官に逮捕される模様。別の詐欺容疑で服役中の男(65)が、3年前からだましのストーリー展開を考えたという。

ストーリーと言っても、売主の老婆に替わる人間を羽毛田正美容疑者(63)が演じているだけで、特別の筋書きがあるわけではない。こんな単純なトリックを怪しんで、羽毛田正美容疑者の顔写真を撮影して近所の人に裏取りした不動産業者もいたと聞く。近所の人は口を揃えて、「別人」であると証言したから、積水ハウス以外は引っかからなかった。身銭は慎重に、それなのに、大企業積水ハウスがなぜ引っかかったのだろうか。

確かに希少物件だとは、私も思う。山手線の内側で、これだけの利便性の高いまとまった土地は多くはない。それも公示価格で92億円の評価額のところ、売値55億円とは6割程度の価格。これをまず地場不動産業者は、「本当かいな」と疑る。積水ハウスに売買を持ちかけた会社役員に、10億円が振り込まれたと言う。

オーナー経営者は、石橋を叩いて渡る。特にうまい話には、より慎重になる。うまい話だから雑音が多いと考えていたようだが、人の忠告は真摯に受取り、急ぐ話しには乗らないことだろう。田舎でも不動産の売買契約に売主が来ないことも多々あります。しかし本当の売主かどうか、慎重にあたります。干支を聞くという話しもどうかと思いますが、それにすら答えられなかったというのは論外だ。

羽毛田正美容疑者も旅館業の周辺にいた人間で、仲居さんか芸者さんかと言われているが、なんとなく売主の話を聞いて「おかしい」と感じるベテランが積水ハウスにいなかったのも不幸を招いた要因かも知れない。社長らが責任をとって辞任しても、積水ハウスは堪えないだろう。また起こるかも知れない。

一方今日は、宅地建物取引士の試験日でした。全国で26万人が申込み、8割弱の20万人が受験したと思われている。県下でも、1,000人弱が挑戦した。合格点がいくらかと、もうSNSの世界で噂されている。試験終了から僅か3時間弱。200日以上の合計1,000時間が合格ラインと言われているのが、僅か3時間後に命運が決する。そんな時代だけど、やはりまともな不動産業者になるためには、こんな努力が必要だ。


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| 社長日記 | 08:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松南高3年生白川大貴君が角界入り
高松南高3年の白川大貴 (おおき) 君が、角界入り(大相撲追手風部屋)することが15日決まったと報道されている。新弟子検査に合格すれば、来年の1月の初場所の前相撲を経て、3月の春場所で初土俵を踏むことになる。高松南高からの角界入りは、3人目という。高知の明徳義塾も相撲界では有名ですが、高松南高も県下はもちろん、中四国でも名を馳せています。

高松南高は、旧香川高で、県下有数の歴史を誇り、農業科から看護科まで幅広い教育をしています。相撲部は早くからあったのだろうと思いますが、平成5年第48回北四国国体(香川・徳島開催)の強化高として、指導者を香川県教育委員会の教師として招聘し、勝てるチーム作りに邁進してきました。高松南高は、相撲と水球でした。相撲の先生は、弊社の管理物件に住んでいました。

話しは飛びますが、近くの香川中央高は、「ホッケー」と「ハンドボール」でした。ホッケー部は弊社も片平先生の住居を紹介した縁で、ほんの少しの支援をしていました。12月の餅つきは、彼らの応援と近所のご婦人連で成り立っていたほどです。松野百笑(ももえ)の父親も、ホッケー部の部員でした。ハンドボール男子は、日本一になりました。

白川大貴君に話を戻しますが、今年6月の四国高校選手権個人を、県勢で初制覇した現在の県高校相撲界随一の実力者。勝賀中時代から全国経験が豊富で、高校に入っても3年連続でインターハイに出場するなど大舞台を何ども経験しているという。182㎝・160㎏の、恵まれた体格を生かした突き押しが得意技。

白川大貴君は、「まずは環境に慣れて、先のことは考えず目の前の一番一番に集中して頑張りたい」と抱負を語っている。大学進学を考えていたようだが、金橋農林高校の吉田投手も大学を止めて、プロ野球へ入るという。白川大貴君も、体格に恵まれている。これを生かさない手はないと、私もプロ入りを応援します。

ところで私の地元仏生山町にも、相撲力士がいた。神生山 清(かみおいやま きよし、本名:村川 清(むらかわ きよし)、1931年5月24日-1982年1月19日)は、香川県高松市仏生山町出身で、二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。最高位は西前頭15枚目(1957年3月場所)。現役時代の体格は173cm、90kg。得意手は右四つ、小股掬い、寄りなど。
1947年11月場所にて、16歳で初土俵を踏んだ。

その子孫の村上順一郎さんは、「相撲甚句」の国内チャンピオン。新作にも果敢に挑戦し、更なる高嶺を目指している。


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| 社長日記 | 08:56 AM | comments (0) | trackback (0) |
第26回オイスカ四国のつどい
公益財団法人オイスカは、1969年にオイスカ・インターナショナルの基本理念を具体的な活動によって推進する機関として生まれ、主にアジア・太平洋地域で農村開発や環境保全活動を展開しています。オイスカ・インターナショナルは、「すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界」を目指して1961年に創立された、現在36の国と地域に組織を持つ国際NGOです。

全国14の支部(4,500名会員)の内、四国支部は先月900名の会員達成の「おきゃく」をしました。「おきゃく」は、小宴と言う意味です。1,000名会員に向けて、一気呵成に邁進します。その景気づけとして、春に丸亀で、秋には高松で「四国のつどい」を開催して非会員に知って貰うようにしています。

地道な活躍しているオイスカですが、その原資は会費と寄付によって賄われています。だから会員増強が、大きな意味を持ちます。会費は年間個人で2万円、法人で5万円です。そんなに高くはありません。私も今日は、非会員を10名ほどお連れしました。みなさん見込み客です。会員増で一人でも多くの研修生を、四国研修センターへお呼びして、日本を知って貰いたい。

昨今は、オイスカのように本格的に日本語を習得し、専門技術者として技術を学び、帰国してその国に貢献する研修生と、日本の企業などで技術・技能を身に着ける為に日本に来ている技能実習生がいます。この技能実習生を受け入れる為の制度を外国人技能実習制度と言うのですが、似て非な2つがあります。後者が稼げることから、技能実習生が増えています。それでもオイスカは、王道を正々堂々と歩んでいます。





オイスカは、国内に4つの研修センターを持っていますが、本日は西日本研修センター(福岡)からの研修生18人も参加し、賑やかな舞台となりました。中野悦子オイスカ理事長も、遠路讃岐入りしています。私もパブアニューギニアの、ラバウルエコテック研修センター50周年記念式典へ、中野悦子オイスカ理事長らと参りました。私ごときが言うことではありませんが、素晴らしい理事長です。このあたりから、私は公益財団法人オイスカにはまってしまいました。





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| 社長日記 | 09:43 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松栗林屋島ライオンズクラブ合同例会2018
毎年このように、両クラブの合同例会が、開催されています。今年は高松屋島ライオンズクラブの当番で、木曜日の今日、高松三越レストランでの開催です。来年はこの時期の火曜日、高松栗林ライオンズクラブの当番になります。今日は、高松屋島ライオンズクラブの入会式がありました。

わがクラブと高松屋島ライオンズクラブは、高松栗林が親クラブで、高松屋島ライオンズクラブが子クラブですが、私などは兄弟クラブのように思っています。そのあたりのいきさつを、高松屋島ライオンズクラブのL池田正が赤裸々に熱く語っていました。そのような話しは、わがクラブの先輩からも聞いたことがありませんでした。



その話しには、わがクラブの先輩、県医師会会長の故久米川久夫氏や故吉峰泰夫氏、大林先生や大川和税理士などの懐かしい話しが飛び出してきます。高松屋島ライオンズクラブは高松で4つ目のクラブですが、高松ライオンズクラブや高松玉藻ライオンズクラブなど親クラブ、祖父クラブからは、もう増やすなと言う意見もあったとか。

それを高松栗林ライオンズクラブは、「政財界を一つにしたクラブを作る」と東奔西走したとか。知らなかったこんなくだりは。その中心の役割を担ったのが、元旧政仏生山町田村政町長だったとか。田村政さんは、旧香川郡仏生山町当時の町長さんで、私は町長在任中のことは知りませんが、あまりにもその活躍は有名です。

また田村政さんが、高松栗林ライオンズクラブのチャーターメンバーであったことも、承知しています。今取り組んでいる平成乙女の像の建立でも、昭和乙女の像の時に名前があって、今は田村ボーリングと社名を変えていますが、政さんからすれば孫さんの田村孝治さんが社長で頑張っています。平成乙女の像でも、多額の寄付を頂いております。

さてさて池田正氏の話に戻りますが、いろいろあったのですが、高松屋島ライオンズクラブが、1964年10月13日に誕生しています。高松栗林ライオンズクラブも尽力したのでしようが、まさに啐啄同時。啐啄同時とは、鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」と言います。そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれるわけです。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子。親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。


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| 社長日記 | 10:10 AM | comments (0) | trackback (0) |
第46回商業界中四国地方ゼミナール香川大会
昨年の岡山大会に続き、今年も熱心な会員に誘われて、香川大会に参加しました。私は会員ではありませんが、私のような立場の人を多く見かけました。会の運営はよく分かりませんが、行事としてはこのような「地方ゼミナール」と来年2月に幕張メッセで予定されている「第87回商業界本ゼミナール」があるようです。

冒頭に国歌斉唱ならぬ、「商売十訓」の唱和がありました。一、損得より先に善悪を考えよう二、創意を尊びつつよいことは真似ろと十訓まで続きます。これは独特です。商業界創設者の故倉本長治主幹が、活字を通じて呼びかける以上に、直接、人と人とのコミュニケーションによる説得こそ、唯一の理解の早道であると感じ、昭和26年2月箱根において第1回の商業界ゼミナールを開いたのが始まりです。

愛と真実に生きる商人となろうという意識を抱いた人々が、全国各地に98の(商業界)同友会を作って活動しています。今日の参加料は、確か1万円だったと思いますが、4つの講座が用意されていて、素晴らしい内容のセミナーでした。どれも80分をフルに使い、熱心に訴えかける内容でしたが、私は元谷芙美子(アパホテル社長)の話しが、一番の関心でした。

元谷芙美子(アパホテル社長)は71歳、夫の元谷外志雄氏が素晴らしい経営者だと持ちあげて、その年齢が持つ内助の功をふんだんに振りまき、聞く者を煙に巻いていました。ただの目立ちたがりとは違い、計算された動きに驚きました。夫婦して金融機関出身で、このところの快進撃も融資見合いの計画であると言い切っていました。それにしても、今の「アパホテル」の建設は目立ちます。51棟が、建設予定中。

この次の第4講座は、吉野家ホールディングス会長安部修仁氏です。1980年に店舗展開を急ぎ過ぎ、会社更生手続を申し立てて、再建に挑みます。氏自身は、1970年吉野家新橋店でアルバイトを始めたのが入社のきっかけです。72年に正社員となり、築地店(吉野家1号店)に勤務されています。紆余曲折のあと、04年の米国BSE問題を受け、牛丼販売を休止したりしています。

そのほか、元宝塚ジェンヌの堀内明日香先生、川西茂先生の話など実に多才な顔ぶれでした。中四国から400名ほど集め、前日は親睦ゴルフと前夜祭が行われたようです。来賓挨拶で大西秀人高松市長は、沢山の経済効果に感謝と大変喜んでいました。

会長の対馬健三様、実行委員長の奈良茂子様、その他25名の会員諸兄に感謝すると共に、そのご苦労に謝意を贈ります。良い機会を、ありがとうございました。久しぶり、親子で学んだ一日でした。


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| 社長日記 | 09:24 AM | comments (0) | trackback (0) |
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