毎年このように、両クラブの合同例会が、開催されています。今年は高松屋島ライオンズクラブの当番で、木曜日の今日、高松三越レストランでの開催です。来年はこの時期の火曜日、高松栗林ライオンズクラブの当番になります。今日は、高松屋島ライオンズクラブの入会式がありました。
わがクラブと高松屋島ライオンズクラブは、高松栗林が親クラブで、高松屋島ライオンズクラブが子クラブですが、私などは兄弟クラブのように思っています。そのあたりのいきさつを、高松屋島ライオンズクラブのL池田正が赤裸々に熱く語っていました。そのような話しは、わがクラブの先輩からも聞いたことがありませんでした。
その話しには、わがクラブの先輩、県医師会会長の故久米川久夫氏や故吉峰泰夫氏、大林先生や大川和税理士などの懐かしい話しが飛び出してきます。高松屋島ライオンズクラブは高松で4つ目のクラブですが、高松ライオンズクラブや高松玉藻ライオンズクラブなど親クラブ、祖父クラブからは、もう増やすなと言う意見もあったとか。
それを高松栗林ライオンズクラブは、「政財界を一つにしたクラブを作る」と東奔西走したとか。知らなかったこんなくだりは。その中心の役割を担ったのが、元旧政仏生山町田村政町長だったとか。田村政さんは、旧香川郡仏生山町当時の町長さんで、私は町長在任中のことは知りませんが、あまりにもその活躍は有名です。
また田村政さんが、高松栗林ライオンズクラブのチャーターメンバーであったことも、承知しています。今取り組んでいる平成乙女の像の建立でも、昭和乙女の像の時に名前があって、今は田村ボーリングと社名を変えていますが、政さんからすれば孫さんの田村孝治さんが社長で頑張っています。平成乙女の像でも、多額の寄付を頂いております。
さてさて池田正氏の話に戻りますが、いろいろあったのですが、高松屋島ライオンズクラブが、1964年10月13日に誕生しています。高松栗林ライオンズクラブも尽力したのでしようが、まさに啐啄同時。啐啄同時とは、鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」と言います。そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれるわけです。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子。親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。