2018,10,26, Friday
23日、政府は1868年の明治改元から150年を記念する式典を、東京・永田町の憲政記念館で開いたという。式典委員長の安倍晋三首相は、式辞で、日本の少子高齢化や国際環境の現状を「国難」と位置づけた上で、「明治の人々に倣い、国難にひるまず未来を切り開いていく」と決意表明をされた。
比較検討されがちな100年記念式典ですが、慶応から明治に改元する勅書は、1868年10月23日に発出され、改元100年にあたる1968年10月23日に、政府は東京・日本武道館で式典を開き、昭和天皇、香淳皇后を含め約1万人で祝ったという。ところが150年記念式典には、天皇皇后両陛下の臨席はなく、衆参両院議長ら約310人程度の参加。 私はかねてから、「明治150年何がめでたい」という毎日新聞の正月記事に触発されて、明治維新に関する本や、江戸から明治に移行する間の出来事に関する歴史書をしっかり読んでいます。二川浩三高松市議会議長のように、「食事のように」習慣にして読む余裕はまだありませんが、目下の私の関心ごとが明治150年です。 安倍晋三首相も、明治以降の日本の歩みを「光と影」と表現し、経験を学ぶよう呼びかけたが、先の大戦を巡る反省には言及せず。また明治期に独立を守るため、「人々は果敢に行動した」と賞賛。明治憲法の制定や工業化進展で、「政治、経済、社会の土台が築かれた」と評価している。 安倍晋三首相は、来夏の参議院選挙を凌げば、歴代最長政権が視野に入る。在職日数1位の桂太郎首相には、来年11月に並ぶ。桂に加え、明治から50年時の寺内正毅と同100年時の佐藤栄作も、共に明治維新を主導した長州(山口県)の出身だ。長州が明治維新をリードしたのは間違いのないことだが、そのリーダー達が実はひどかったという話もある。 マッカーサー連合国司令官と昭和天皇の秘話で、アメリカ軍の日本駐留が決まったと先の小欄でも書きましたが、天皇陛下は国政にはノータッチですが、昭和天皇と平成天皇は、いずれも結果として政治に影響を与えています。昭和天皇はアメリカ軍の駐留、平成天皇は生前退位というウルトラCで、安倍晋三首相の改憲構想を吹っ飛ばしたのです。 ともに日本国を大事と思う大御心から発心したものだと思いますが、両天皇の先代にあたる第121代孝明天皇は、慶応2年(1866)に病に倒れ崩御されるも、毒殺とも言われている。明治天皇はつまり、睦仁親王とすり替わった「何者」かが、「明治天皇」として即位したと言われています。そして、睦仁親王は父・孝明天皇同様、岩倉具視一派によって暗殺されたのだという主張もある。 では「明治天皇」として即位したのは、一体「何者」だったのでしょうか? 彼の名は「大室寅之祐」(おおむろとらのすけ)。そして、その出自はと言うと、先祖は南朝初代の後醍醐天皇!! つまり、彼は「熊沢天皇」同様、南朝の末裔だったのです。 つまり倒幕派は、頑迷で退廃的で「佐幕派」であった孝明天皇と、その皇子で虚弱体質な利用価値のない睦仁親王を暗殺し、長州に住んでいた南朝の末裔を擁立した訳です。これはある意味で、倒幕以上の意義を持ちます。つまり、「北朝」系の孝明天皇・睦仁親王に代わって、「南朝」系の明治天皇(大室寅之祐)が即位する。 明治維新とは、実は「王朝交替」だった訳です。だからこそ、孝明天皇(北朝)の「忠臣」だった徳川将軍家や会津松平家が、明治天皇(南朝)にとっては「逆賊」となってしまったのです。その戦いは、東北青森まで、執念深く続きました。日本人同士の戦いとしては、これほどまでに残虐な戦いはなかったのではないか。 正直今の私は、何が事実で、何が嘘かよく分かりませんが、現実問題薩長土肥で明治新政府は作られましたが、勝ったから正義、明治政府の木っ端役人であって、決して彼らの考えが崇高な理念にあったとは言いがたいと思います。明治から50年・100年・150年、その首相が長州出身者である事実。偶然とは言いがたい、ただ単に数が多いだけか、何かがあるのか。 |
2018,10,24, Wednesday
二川浩三市議は、27年間高松市議会議員をされていましたが、今年春、第97代議長に就任されました。正直、永かったと思います。私と似て一言多い(笑い)性格で、多数派の自民党議員団からスピンアウトして、議長就任が今年になったように、私は考えています。知識・識見共に、素晴らしいものをお持ちです。学歴がすべてを物語るわけではありませんが、高松高校から大阪府立大学卒だったと思います。
人口の減少、縮小する経済・社会そして国際化財政問題等これからの時代を認識し180°発想を転換そして、知恵と創意工夫で厳しい時代に挑戦しなければなりません。先例のない時代に向けてニッポンの生き残る道、持続する道は必ずある。「人の行く裏に道あり花の山」今まで思っていても見えないところに道があり、又すばらしい幸があります。その為には、これから先に夢と希望を持つことです。 二川浩三議長は、西村泰昌後援会会長の言葉の通り、「本を忘れず、未を乱さず」をモットーに将来世代の為に、初心に返り、勇気と根性と忍耐で挑む決意ですと挨拶されています。これも西村泰昌後援会会長の言葉でほすが、二川浩三さんは一日4食食べるとか。その1食は、読書です。ご両親が教員で、幼い頃から慣れ親しんだのでしょう。 私との関係は、香川県中小企業家同友会が始まりです。この会は、経営者の勉強の場ですが、喧喧諤諤、互いに好きな議論が出来る場でもありました。私も不動産業開業当時、縁もコネもないもので、縁を頼って1週間の内3食はここの500円弁当を食べていました。それを今では次男の松野誠之が、不動産会社を立ち上げたものの何もない状態で、同じように同友会活動をしています。側で愚かな親子を見ている松野公子は、それが大不満のようです。 今日のJRホテルクレメント高松には、大変多くの人が集まっていて、本人も驚いた様子ですが、大西秀人高松市長や加藤明彦高松市副市長、同副市長の松下雄介さん、また市議会議員も大勢きていました。高木英一県議の挨拶も、良い挨拶でした。 |
2018,10,23, Tuesday
昨日の昭和乙女の像の解体に続き、本日9時より、平成乙女の像の建立が行われました。曇天で、午後は雨が予想されていて、工事は急ピッチで行われました。とは言うものの、重量物の扱いに、職人さん達は慎重にミリ単位の重機操作、下の者と台座に登っている者の息を合わせての作業でした。
作業には彫刻家・萬木淳一氏も、昨日に続き奥様と共に臨場されています。立ち上がった平成乙女の像は、来月18日の式典まで布でぐるぐる巻きにして、その姿は見られませんが、やっと立ち上がったことは、遠目からでも分かります。近くを散歩しているという方は、夜にお目にかかったのですが旧像がなくなったこと、新像が上がったこともよくご存じでした。 来月18日の簡単な式典計画は、今から取り組みますが、肝心の費用負担がまだ続きます。昭和乙女の像の立役者「久保愛子さん」は、宗教上の修行だと思い断られても断られても歩いたと日記に残しています。私も人生の苦行として、これからの100万円募金に1ヶ月歩きます。幸いなことに、旧像関係者のお名前が残されています。ここを辿ることで、何とかついつまを合わせることが出来ると、信じて明日から歩きます。 さて昨日の小欄で紹介した久利由美さんの告別式が、公益会館西館でその後の11時から行われました。私も、参列しました。大変多くの人の参列に、改めてご夫婦の人柄を思い知らされました。加藤明彦高松市副市長も、参列されていました。大変多くの人に、愛されていたお二人。そのため、喪主久利昌紀さんも突然の死に言葉がない感じでした。それでも前向きに、「由美の意志を継いで娘と焼き鳥を続ける」と喪主挨拶で宣言されていました。 その後、高松商のホームページ委員会があったのですが、その席に参加されていた南敬子さんは、「あの久利君の奥様」と言ったきり、言葉が続きませんでした。夜には二川浩三議長の就任祝賀会がありましたが、大谷雅昭会長も鳥一へ行ったことを覚えていて、また行こうと思っていたところだったと残念がっていました。 多くの人に慕われていた久利由美さんの、65歳突然のくも膜下症でした。久利由美さんのお名前も、昭和乙女の像の寄付芳名板に刻まれます。ご冥福をお祈りしています。 |
2018,10,22, Monday
私も還暦を迎え、同年生で鬼籍へ入った者も何人かいる。われながらよくぞここまで、元気で毎日毎日忙しげにして動いていると感心する。マグロ同じで、止まると死ぬのだそうだ。親に元気に生んでくれたことに本当に感謝、同時に食生活に気を遣ってくれているかみさんに感謝。
毎日毎日、スケジュールに追われて、例えば昨日は終日「宅建士」の試験監督に翻弄されて、今日は8時から平池堤の昭和乙女の像の解体工事の立ち会い。9時半から、宅建協会の公務が待ち構えている。こちらは予定より早く、14時頃には解放された。本当にギリギリの時間で、翻弄されている。 そんなところ帰社したら、訃報の連絡が入っていた。その前に社内から一報があったのですが、名前が間違っていて「ピン」とこなかったのです。旦那様、「クリマサユキ」名義の携帯に電話を入れてみてビックリ。2週間ぐらい前だったか、平成乙女の像の入替が22日23日の両日行われると、報告へ行ったところでありました。彼女は、瓦町の鳥一の女将をしていた。 彼女は高松商の同窓生で、平成乙女の像の建立にも1万円の募金を頂いている。旦那様も高松商の出身で、心筋梗塞であっという間の不幸、落ち着きがない。由美を「ユリ」と私には伝わった。本人が間違ったのかも、発音が悪かったのかも知れない。彼の願いで、46年卒の何人かに連絡を入れたが、「知っている」との答えはなかった。 久利由美、旧姓豊田由美さん、66歳で鳥一の女将をしていた。本日22日から藤塚町「公益会館西館」で通夜。明日23日11時から、同所で告別式です。私の力不足で友達も呼べないなんて、本当に申し訳ありません。突然訪れる体調不良。心筋梗塞は、防ぎようもなく対処法も少ない。いずれ私の番だが、とにかくその時まで、マグロ踊りをしていようと思う。 |