2018,10,23, Tuesday
昨日の昭和乙女の像の解体に続き、本日9時より、平成乙女の像の建立が行われました。曇天で、午後は雨が予想されていて、工事は急ピッチで行われました。とは言うものの、重量物の扱いに、職人さん達は慎重にミリ単位の重機操作、下の者と台座に登っている者の息を合わせての作業でした。
作業には彫刻家・萬木淳一氏も、昨日に続き奥様と共に臨場されています。立ち上がった平成乙女の像は、来月18日の式典まで布でぐるぐる巻きにして、その姿は見られませんが、やっと立ち上がったことは、遠目からでも分かります。近くを散歩しているという方は、夜にお目にかかったのですが旧像がなくなったこと、新像が上がったこともよくご存じでした。 来月18日の簡単な式典計画は、今から取り組みますが、肝心の費用負担がまだ続きます。昭和乙女の像の立役者「久保愛子さん」は、宗教上の修行だと思い断られても断られても歩いたと日記に残しています。私も人生の苦行として、これからの100万円募金に1ヶ月歩きます。幸いなことに、旧像関係者のお名前が残されています。ここを辿ることで、何とかついつまを合わせることが出来ると、信じて明日から歩きます。 さて昨日の小欄で紹介した久利由美さんの告別式が、公益会館西館でその後の11時から行われました。私も、参列しました。大変多くの人の参列に、改めてご夫婦の人柄を思い知らされました。加藤明彦高松市副市長も、参列されていました。大変多くの人に、愛されていたお二人。そのため、喪主久利昌紀さんも突然の死に言葉がない感じでした。それでも前向きに、「由美の意志を継いで娘と焼き鳥を続ける」と喪主挨拶で宣言されていました。 その後、高松商のホームページ委員会があったのですが、その席に参加されていた南敬子さんは、「あの久利君の奥様」と言ったきり、言葉が続きませんでした。夜には二川浩三議長の就任祝賀会がありましたが、大谷雅昭会長も鳥一へ行ったことを覚えていて、また行こうと思っていたところだったと残念がっていました。 多くの人に慕われていた久利由美さんの、65歳突然のくも膜下症でした。久利由美さんのお名前も、昭和乙女の像の寄付芳名板に刻まれます。ご冥福をお祈りしています。 |