2022,01,11, Tuesday
2022(令和4)年1月10日(月)成人の日の四国新聞7面、読者がつくるページ『こだま』に、東京都・松原斉69歳の『私のカムカム先生』が掲載されています。発見したのはかみさんだが、読んでみて感じるモノが確かにあった。投稿した松原斉さんも、私と同じ年の69歳。団塊世代の次ぎに就学した学生群で、団塊世代のさわぎが治まりかけていた世代人。
もちろん松原斉氏とは面識もなく、紙面からの読み解くだけの時代背景ですが、朝のNHK連続テレビドラマ『カムカムエブリバディ』に関係したモノであります。太平洋戦争敗戦直後に人気のあったラジオ英語講座で、童謡『証城寺の狸囃子』の英語替え歌がテーマソングであります。ラジオ講座は往々にして『テーマ曲』があるもので、これを聴くと妙にスイッチが入るという習性が、聴く側にはありました。私の大学受験も、『大テキ』でした。 標題にあるように、私は教職はやはり聖職だと考えています。その根拠は松原斉氏のように、『恵まれた先生』とそうでない『タダの先生』がいて、それぞれが教え子に多大な影響を与えている現実があることです。私は坂出出身の松原斉氏と違って、英語の先生には恵まれず、つまずきが大きくて、大学受験やその先の学びにも大きく響きました。私の就学の頃には東京五輪が開催されるなど、時代が『イケイケ』の頃で。 松原斉氏や私の就学時にも、『日教組(日本教職員組合)』活動に熱心な先生はいました。しかしこの時代私が接した左翼系先生は、『原水禁』など共産党系の思想家で、周りの先生から浮いた存在でした。しかし今で言う『サラリーマン先生』ではなく、ある意味『平和の追求』については熱心な先生でした。思想信条はともかくとして、教科指導には熱心な先生も多くいました。 恥ずかしながら自分の中に理想の教師像を求めて、私も大学時代に『教職課程』を履修し、高校・中学の社会科免許を卒業証書とともに東京都教育委員会から頂きました。私が母校高松商の現在に力が入っているのも、教育実習を高松商で世話になったことへの恩返しの意味合いも込めています。ここで指導を受けた、畠山敏明先生・銭谷禎人先生・太田啓太先生・太田重則先生・大西正純先生らは、まさに給料度外視の指導者でした。 今日このように70(歳)近くまで生きて仕事をして来られたのも、先の5名をはじめ、その他大勢の先生のお陰であります。やはり教職は一つの職業でありますが、いまでも聖職だと私は思っています。特に昨今の心の問題を学校教育の中に内在する時代、教科担任としても大変な時代、先生の一言がその後の彼らの人生に大きな影響を与えます。 今年の第98回東京箱根間往復大学駅伝競走往路(2日、東京・千代田区大手町読売新聞社前スタート~神奈川・箱根町芦ノ湖ゴール=5区間107・5キロ)。初出場の駿河台大の31歳「中学体育教師」ランナー今井隆生(4年)が4区を18位でスタートし、ゴールした順位は20位に、そこでかつての教え子だった5区の永井竜二にタスキをつないだ。 埼玉県の中学校体育教師だった今井は20年4月、教員の「自己啓発等休業」制度を利用し、駿河台大の心理学部3年に編入学した。「教師として力不足を実感することがあり、今まで勉強していなかった心理学を学んで、もっと生徒に寄り添える先生になりたいと思いました」と編入学の理由を明かす。そして思ってもなかった箱根駅伝を走ることになった。貴重な経験をされた今井隆生先生の、今後の活躍が楽しみだ。頑張れ熱血先生。教育が重要視される時代が、まさに今だと思っています。 |
2022,01,10, Monday
『稲盛和夫の実学』をひもとく
Ⅰ採算の向上を支える【採算向上の原則】 京セラでは、人間関係を円滑に保つため、利益ではなく『時間当たり』を用いている。売上最大、経費最小で利益を叩き出し、その利益を部門別の全労働時間で割ることによって、その部門の時間当たり採算が計れる。京セラにおいて、この時間当たり採算と会社決算を結びつける役割を果たしているのが、『月次決算書』である。 時間当たり採算は、経営管理部門が作成し、月次決算報告は経理部門が作成し、時間当たり採算にはあらわれない人件費を費用として計上して利益計算をしている。要するに営業部門、製造部門のアメーバがばらばらにつくった時間当たり採算表に、少し手を加えたし合わせれば全社の損益計算書になるわけだ。 時間当たり採算表や月次決算の中の数字は、売上も経費もすべて、『一対一対応の原則』にもとづいて処理される。経営は経営者だけが行うモノではなく、末端の従業員にいたる者までが参加する『全員参加の経営』でなければならない。出来ることならば、全従業員に経営者の『魂』を注入することだ。 Ⅱ透明な経営を行う【ガラス張りの経営の法則】 心をベースにした経営、つまり社員との信頼関係を一番大事なものとして経営していくために重要なことが『透明な経営』。会社の現状を包み隠さず社員に知らせてあげるガラス張り経営が、一番大事なことだ。このことは、投資家へのIR(インベスターズ・リレーションズ)にもつながる。 自社のありのままの姿を包み隠さずオープンにするためには、利益よりも公正さを優先するという確固たる経営哲学が不可欠となる。人間として普遍的に正しいことを追求するという経営哲学がベースにあれば、それは『一対一対応』、『ガラス張りの経営』、『ダブルチェック』などの原則にもとづくきわめてシンプルでプリミティブなシステムで十分なのです。 しかし哲学や倫理観は、教養として知っているだけでは機能しない。しっかりと身につけて、日々の経営において実践出来るモノでなければならない。反省と自戒を繰り返しながら勉強していない限り、ついつい悪い方にのめり込んでしまう。それは、資本主義の病根だろう。 以上3回にわたって『稲盛和夫の実学』に関し、塾長が盛和塾で語ったことをまとめた機関誌から拾い読みしました。『実学』は書店で販売しています。興味のあった方は、是非読んでみて下さい。もう一つ書き忘れたことがあります。京セラでは総務や開発部門の費用は、各プロフィッツからの支払ではなく、預貯金金利や株の配当など、金融資産から得られる収入を充てています。なかなか直ぐに出来ることではありません。 |
2022,01,09, Sunday
採算の向上を支える
京セラでは、『会計学』と『アメーバ経営』と呼ばれている小集団独立採算制度による経営管理システムが両輪として、経営管理の根幹を成している。アメーバ経営とは、社員一人一人が自分のアメーバの目標を十分掌握し、それぞれの持ち場・立場でその目標を達成するために懸命な自力を重ね、その中で自己実現が出来ることを目指した、全員参加の経営システムなのです。 アメーバ経営の目的は、アメーバ同士を激しく競争させ合うことであると理解されやすいが、これは誤解である。アメーバ経営とは、限られたパイの奪い合いではなく、アメーバ同士がともに助け合い、また切磋琢磨し合う結果としてともに発展していくこと、そして、アメーバ間の取引が市場ルールで成されることにより、社内の取引に対しても『生きた市場』の緊張感やダイナミズム(力強さ)を持ち込むということを目的としている。 しかしそもそも最初の経営設計で、グロスマージン(粗利マージン)がある程度確保出来ることを確認した上で、経費をどう減らすか考えるべきで、売上から仕入れを引いたグロスマージンが出ないようなビジネスであれば、最初から取り組んではならない。また経営者はグロスマージン(粗利)が出る商材を扱うべきで、グロスマージン(粗利)を大きくするのは経営者の仕事、経費を減らすのは全員の仕事だと言える。 そして業績は、付加価値を総時間で割った『時間当たり』で評価する。そして原価の考え方では、一般に使われている『標準原価方式』をとらず、特に在庫の評価は、『売価還元方式』とする。売値から原価を逆算する。それと在庫が積み上がらないように、売れるだけ作るのが理想だ。こうすると、毎月の時間当たりに大きな変動がなくなる。よどみを作らないように、常に留意すること。 |
2022,01,08, Saturday
稲盛和夫塾長が主宰する盛和塾は、2019(令和元)年12月に解散し、世界中の組織は解体となりましたが、塾長のこれまでに出版された著書・DVDの類いは、日本語は勿論英語・中国語・スペイン語など実に数多く残されていて、存命の稲盛和夫塾長からもこれらを使って旧各塾が独自に経営の勉強をすることは許されています。稲盛和夫塾長は今年めでたく90歳、京都の甍の住処でお元気であります。
私も2007(平成19)年に押しかけて入塾させて頂き今年で15年、それなりの勉強を重ねたつもりではありますが、結果が弊社の業績やわが人生においても中途半端だと出ています。よって盛和塾香川が解散後も、有志によって『香川胆識の会』と名称を変えて、独自の研鑽を続けています。その中で一番激しいのが、『機関誌マラソン』で、塾生に配布されたこれまでの機関誌の中の『塾長講話』を再読し、気づきを週一でメールしています。 その中で、私のまとめは粗末で実に拙文でありますが、その出典が市販されているものは、経営や人生で悩んでいる人への少しでもお役に立てばと考え、掲載させて頂きます。いつもの読書感想文的にお考え頂ければ、差支えがないと思います。決して自慢たらたら述べているのではなく、ほんの少しでもお役に立てば幸甚に考えております。特に若い経営者へ贈ります。 [Ⅰ]完璧主義を貫く 平成18年11月塾長例会での講話で、標題にあるように『稲盛和夫の実学』第四章完璧主義を貫くから紐解いている。完璧主義の原則は、まず経営者が社内外の現場へ出向いて、現場の雰囲気、現場の現状を知らなければならない。弊社も失敗したのだが、二代目は大学を卒業し大手企業を腰掛けに使い、何も分からぬまま創業者の会社へ入社する。私の場合は、決して呼び込んだわけではないが。 ここで一から現場を経験すれば、先代からの従業員ともコミュニケーションが多少はとれるが、往々にして、短期間で専務や常務として帝王学を学ぶポジションに座る。つまり現場が分かっていないので、古参との軋轢が生じ、無理して我を通そうとする。マクロとミクロが分かっていなければ、経営は成り立たない。人の心のあり方をベースに考えれば、迷った場合に、過ちは犯さない。 製造もそうだが営業でも、ほんの少しの間違いが、大問題に波及する。今の時代不動産仲介業でも、「貰った報酬を全額返済します」と言ってもお客様は許してくれない。何倍もの損害賠償金を要求してくるし、おまけに刑事・行政罰まで求めてくる。そんなお客様を相手には、『完璧主義』でしか対応出来ない。そのために心するのは、『有意注意』だ。何をするにしても、対象物に対して集中して意を注ぐ。 [Ⅱ]ダブルチェックによって会社と人を守る ダブルチェックは、担当者を性悪説でみているから導入するのではない。よしんば出来心が起こったにしても、それが出来ないような仕組みになっていれば、一人の人間を罪に追い込まなくて済む。そのような保護システムは厳しければ厳しいほど、実は人間に対し親切なシステムなのである。ダブルチェックで、従業員に罪を起こさせないのが、本当の意味での『愛』だ。本人だけでなく、家族一家路頭に迷うことになってしまう。 そしてそのダブルチェックシステムの一貫性を、経営者は率先垂範して担保しなければ、絵に描いた餅に終わってしまう。あくまでも経営者自らが己の作ったルールを遵守し、範を示さなければ折角のパーフェクトなシステムも、決して機能しない。一番気をつけなければならないのは、経営者だ。経営者がルールを破っても誰も咎めないし、真似する人間が必ず現れて、折角のルールが瓦解する。 そのダブルチェックのシステムは、入出金の取扱い、現金の扱い、会社印鑑の取扱い、金庫の管理、購入手続き、売掛金・買掛金の管理、作業屑の処分、自動販売機・公衆電話の現金回収まで、まだまだあろうと思うが、徹底して堅く守らなければならない。「このくらい」とたかを括っては、取り返しのつかないことになってしまう。 |