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2021年大晦日今年も激動の一年で皆さまに大変お世話になりました。
2021(令和3)年は、年初から新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、全てがコロナ禍で終わった年になったようです。菅政権が誕生し、一年で岸田文雄首相に代わり、岸田政権ではコロナ対策も先人のお陰もあると思うが、デルタ株の封じ込めや、その後変異したオミクロン株への対応も、特に空港管制水際対策では、前政権やもう一つ前の安倍政権とは異なる手際よさを見せ、国民の支持を高めた。

貧乏くじを引いたのは菅義偉内閣総理大臣だが、その菅さんも2020東京オリパラ大会を開催した日本国首相として、その名を残した。政治家人生が終わったわけではないので、まずまずの着地ではなかったか。欲を言えば切りがない。確かに菅内閣では、総選挙には勝てなかったと思う。その選挙で香川第一選挙区、平井卓也候補(自民党)が小川淳也候補(立民党)に負けた。初代デジタル大臣が、退任後といえども負けた。

己のことを振り返って見て、来年の70歳という坂は大きな坂だと年初から考えていましたが、7月に内視鏡検査で偶然食道ガンが見つかり、コロナ禍の病院で9月に内視鏡手術を受けました。術後の経過は順調で、一ヶ月三ヶ月検診でも良好、次は来年9月の術後1年検査においでと言われました。医療技術の進化と人脈に、救われた命かもしれません。

人生初の『癌』発症で、考え方も少し変わりました。父・祖父共に癌で鬼籍に入り、自分も癌だろうと漠然と心配もありましたが、そのための対策もいろいろやっていました。もともと有限だと考えていた命ですが、この先15年が健康寿命かと再認識した次第です。ではどうするか。漫然と生きていては、申し訳ない。終点を85歳と定めたなら、これからの15年間、老いとともにどう歩むのか。己に課せられた課題のように思います。

今年一年かみさんをはじめ、松野不動産のお客様そして従業員各位、町内や業界、あらゆる方面の皆さまに大変お世話になり、特に高松赤十字病院の小川・玉置両先生や看護師の皆さまに大変お世話になりました。改めてお礼を申し、今年の最後とさせて頂きます。ありがとうございました。みなさま善いお年をお迎え下さい。頓首再拝


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| 社長日記 | 10:57 PM | comments (0) | trackback (0) |
年末は撮りため録画映像に浸るその一人が鈴木義男
NHKBSに『憲法と義男(ぎだん)さん』という番組が、わが家の録画映像集の中にあった。自分が録画ボタンをセットしたのだと思うが、覚えていない。鈴木義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 1963年8月25日)は、日本の政治家、法学者、弁護士。日本国憲法における生存権の制定・平和主義の誕生に寄与した。そのように、丁寧に紹介されていた。

番組の中でも敗戦後の日本国憲法制定の過程で、GHQの求めた民主主義・自由主義のバーを越えた、法学者としての鈴木の姿が描かれていた。恥ずかしながら私は、鈴木義男という人物は知らない。しかし言われて振り返ると、東北学院大学という父親と同じ大学で学びながら、欧米の憲法法律を眺めても、そこにない敗戦国日本だから出来る思いきった民主主義思想を憲法の中に巧みに取り入れた恩人の一人。

1894年(明治27年)1月17日に、福島県西白河郡白河町で生まれる。東北学院に学び東京帝国大学を卒業後に学者(教授)となり、東京女子大学教授・東北帝国大学教授・法政大学教授を歴任する。退職後は弁護士業を開業して、帝国弁護士会理事となった。学者でありながら、政治家という希有な経歴の持ち主である。

第二次世界大戦後、日本社会党の結成に関わり憲法草案の作成に関与。また、海野晋吉・尾崎行雄らの憲法懇話会にも関わって、ここでも憲法草案作成に携わる。1946年衆議院選挙で福島全県区にて日本社会党より出馬、初当選。中選挙区制では福島2区に転じ、衆議院議員7期(所属政党は日本社会党→社会党右派→日本社会党→民主社会党)。

この間、1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)まで片山内閣・芦田内閣で、司法大臣・法務総裁を務めた。日本国憲法第25条の生存権規定成立には、鈴木義男の果たした役割が大きかったことが最近の研究で指摘されている。1946年8月1日、帝国憲法改正案小委員会の第7回審議において、「それならば生存権は最も重要な人権です」という鈴木の気迫のこもった一言で、委員会の流れが生存権承認の方向に変わった。その後、専修大学学長・学校法人専修大学理事長・東北学院院長にもなった。

クリスチャンだった鈴木義男は、国会での意見発表に聖書の一節を引用し、これまでの国会議員が辿り着けなかった高みへの挑戦、そしてその成果づくりをやってのけたと言って良いだろう。今のように、福祉政策費が歳出の3割にも及ぶとは鈴木も考えていなかったと思われるが、その端緒を作って1963年(昭和38年)8月25日に69歳で、ギダンさんの愛称で親しまれながら死去。葬儀は、青山学院礼拝堂で行われた。

偉大な先人は、私が知らないだけで沢山いる。名前は聞いたがよく知らないという人を含めて言うと、双璧は日本国民の雄『渋沢栄一』と讃岐の『中野武栄』。地元高松では、渋沢栄一がNHK大河ドラマで紹介されたこともあって、中野武栄の評価が日増しに高まっている。

讃岐国・高松藩出身。官僚時代を経て、大隈重信の立憲改進党結成に参加。愛媛県の県会議員に当選、次いで県会議長となり、愛媛県からの香川県の独立(再置)運動に奔走。後に代議士(衆議院議員〉となり、晩年、東京市会議員、同議長も務めた。官僚、弁護士、政治家、実業家。

武士としての気骨と商才を併せ持って実業家としても成功し、「士魂商才」と称された。関西鉄道社長、東京馬車鉄道株式会社取締役、東京株式取引所理事長、日清生命保険会社社長等を歴任。初代の東京商業会議所会頭・渋沢栄一の盟友で、後任として第二代東京商業会議所会頭に就任し、経済の発展、実業界の地位向上を目指し、商工業者への減税や軍事費削減など、税制や財政、経済政策などについて積極的提言を行なうとともに、財界の世話役として、渋沢とともに新会社や公益的団体の設立、紛争の調停などを行った。

まだまだ勉強不足、足りないことばかり。今年も残すところ明日の大晦日のみ。間にあうのかと、一年を振り返る。


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| 社長日記 | 09:29 AM | comments (0) | trackback (0) |
法務省は境界確定手続き緩和・所有者不明地増加にも対応へ
法務省は、所有者の不明な土地に隣接する不動産売買をしやすくする。取引時に必要な、隣接地との境界確定の手続きで、地主の承諾書類の提出要件を緩和する。所有者不明の土地が増えるのを見据えて、土地取引の滞りを防ぐのが目的。2022年度にも、適用を始めると急いでいる。実務者として、良いことだと手放しで喜び、実現を心待ちにする。

所有者が土地を売却したり分割したりする場合、隣接地の地主と『筆界確認書』と呼ぶ土地の境界を確認する書類を取りかわすのが一般的だと報道には書いているが、分割にはどうしても必要だが、売却時はそこまでは求められていない。『境界を明示して』とあるだけで、売主が「ここだ」と明示すれば足りることになっている。

しかし実務では、隣接する地主の署名や記名、押印が求められる。私も不動産仲介業に携わり、来年で40年になる。ここ数年は、売却時の媒介契約(売ること買うことの依頼を媒介(仲介)業者と書面で契約)で、『境界確認』を土地家屋調査士(測量等の専門(国家)資格者)に依頼して、確定し、現場に境界杭等を入れる作業費を事前に売主に説明し、了解を得ている。

話しは報道から逸れるのですが、この場合でも、その敷地が公道『国道・県道・市道・町道等』に面している場合、この部分の確認を省略しています。理由は、私有地のように揉めることが少なく、かつ事前に用意する資料が膨大で、経費がかさむことによります。土地家屋調査士会に依頼し、この部分の負担軽減化をお願いしたのですが、宅建副会長の意見は聞き入れてもらえませんでした。

法務省は22年度にも、境界確認書を不要にする事例の指針を作り、全国の法務局に通知する方針のようだ。分筆などの測量の場合には、どうしても隣接者の同意を要するのだが、この部分の緩和と考えられる。売却の場合の隣接者同意は、「くれなければもらわない」方針。昨今考え方が真っ直ぐな人がいて、あいつ(あの家)が得するのには一切協力しないという頑固一徹の隣人もいる。

こんな場合は、「確認出来なくても契約は有効」として、話を進める。先のように取得後分筆を伴うような大規模土地では契約解除もありえるのですが、一般的な住宅物件では契約解除とはしていません。いずれにしても法務局の『境界確認』要件が緩和されることは、ありがたい。よくよく考えてみれば、所有権の横暴は公益性も加味して判断願いたいものだ。

これまで法務局では確認書の提出が受けられない場合、専門家が現地を調査する『筆界特定制度』を利用してきた。土地の境界を巡るトラブルが起きた時のための制度で、費用に加え手続きに時間がかかるという課題があった。トラブっているから『筆界特定制度』を利用するのだが、抜本的解決には至っていない。相続に伴い土地の所有関係が複雑になり、所有者のわからない土地が増えている。


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| 社長日記 | 09:46 AM | comments (0) | trackback (0) |
70代の過ごし方が話題に
かみさんが、『70代の過ごし方でその後が決まる』という新聞記事を読んだというのだが、27日の㈱ライブイノベーションの忘年会でも、「私も読んだ」という人がいたり。その人も70代、自らのこととして読んだらしい。28日年末の挨拶へ行ったお客様宅でも、「私も読んで勇気づけられた」という。

そこで私も、その記事を探してみた。27日四国新聞『一日一言』にそれがありました。厚生労働省などの統計では、85歳以上の約4割、90歳以上の約6割が程度の差こそあれ、認知症を患っている。80歳を超えてもはつらつとした人、逆にかなり弱っている人。その違いは、70代の過ごし方にあると言う。

70代は若々しくなったとはいえ、様々なリスクを抱える。その最たるモノが『意欲の低下』で、脳の前頭葉の老化と、幸せホルモン・セロトニンなどの減少による。精神科医・和田秀樹さんの著書、『70歳が老化の分かれ道』に詳しい。それを防ぐには、『変化のある生活』が鍵を握る。仕事やボランティア、趣味の会など、用事を作って外に出掛ける。

料理を作る、誰かと会話するだけでも脳を刺激する。そうした習慣が、運動機能の維持にも役立つ。和田さんは、セロトニンを増やすために肉をしっかり食べて、散歩などで身体を動かし、日光を浴びる暮らしを勧める。誰かの役に立つということに価値をおいた前向き思考で、70代を過ごし、豊かで元気な80代を迎えたい。

なるほど、なかなか蘊蓄に富んだ文章です。私の自宅は『仏生山町出作1丁目自治会(町会)』、全14戸の小さな自治会に属していて、今は何度目かの自治会長であります。だからというのでもないのですが、自治会の若者(自己申告)仲間で、近所の『ぽちぽち』で愚だらない話を4時間もしています。自分たちの幼少期の話しや、がんこおじさんの話しとか、何を話題にしても盛り上がっています。

私も来春には『花の70代』入りをします。どう生きるかが神様に試される年頃と心得ています。コミセン横の駐車場拡張計画が来年終われば、次ぎにやりたいことも2~3あります。『特定非営利活動法人仏生山魂再開発フォーラム』が、来年から本格稼働するかと心ワクワク。


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| 社長日記 | 08:57 AM | comments (0) | trackback (0) |
今年も『ほのほ』のクリスマスコンサートが
『珈笛画廊・ほのほ』のクリスマスコンサートは、ジャズアーティストとしてスェーデンに拠点を置き、演奏活動と福祉活動に取り組み2003年、スェーデン国王から北極星メダルを授与された『ケイコ・ボルジェソン』さんのピアノソロです。人種を越え、宗教を越え、愛と祈りとジャズで地球平和を訴えています。

『珈笛画廊・ほのほ』は高松市中野町、四国新聞本社西隣にあります。本来画廊ですから、コンサート会場としては決して大きくはありません。そんな会場で、寒さも手伝って来場者も身を寄せ合って(コロナ対策の距離は確保)聞き入っています。ケイコ氏は、日本人で桐朋学園大学ピアノ科を卒業後1973(昭和48)年室内音楽を学ぶためイタリアへ留学。外国籍のミュージシャンと結婚されて、いまはスェーデン在住です。みずから74歳と、元気を爆発させています。

そしてその活躍ぶりは、日本国内は勿論、10カ月以上海外での演奏会等で、日本に滞在するのも限定的らしい。特に最近は、ベトナムにはまっていて、ベトナムにピアノを贈る活動にも余念がないと、歌の間に自ら独白していました。3年前にも、2年前にもそして今年もここ珈笛画廊・ほのほでクリスマスコンサートをしています。来年も「来るよ」と宣言、ほのほには面白い人が不思議と集まります。



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| 社長日記 | 09:06 AM | comments (0) | trackback (0) |
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