2022,02,27, Sunday
27日(日)午後8時頃、KSB瀬戸内海放送(テレビ朝日系)の人気番組『ポツンと一軒家』を見ていました。山口県内の山間部に、大きなアンテナを数本上げている場所を衛星画像で発見し、最寄りの集落で情報を集めて一軒家を目指す。そこにはさまざまな人生があり、話を聞くことで番組を構成しています。私も、この番組は比較的よく観ます。僅か1時間の番組ですが、そこに住む人のまたその先祖の歴史の一遍が、そこに刻まれてあります。
本日のポツンと一軒家は、山の中でアマチュア無線を運用している60歳男性とその仲間が紹介されていました。男性は光ケーブルを敷設する会社の社長さんで、高所作業車を駆使してアンテナを5~6本上げています。私も前の家も、勿論現在の家でも鉄塔を建てて、その上にアンテナを2周波分(2本)あげて交信していました。しかし今ではそのアンテナも降ろして、鉄塔も撤去しています。 今のようにインターネットで地球の裏側までつながるようになると、アマチュア無線でつなぐウキウキ感も薄れて、閉局してしまいました。アンテナは撤去したのですが、未練たらしく無線機(リグ)その他一式は残しています。移動局運用は認められていて、免許証とリグがあれば今でも交信が許されるのですが、もう20年はやっていないのです。 本日のネタは、テレビから拾った情報です。驚いたのですが、低地からインターネットを介して、山中の機材の『遠隔操作』ができるというのです。私も現場を見たわけではなくて、あくまでも伝聞ですから正確なところは定かではありませんが、下からの遠隔操作ができるとなると、オペレーターが低地にいて、無線機とアンテナが山の上に有るというその当時の常識では考えられないオペレーションができるようです。 ここで使われていたアマチュア無線の周波数は、『短波帯の3.5~7メガヘルツ』と『14MHZ帯』そして『21MHZ(メガヘルツ)』の3波で少なくとも3本のアンテナが上がっています。この周波数帯だと、文字通り地球の裏までつながります。電波は温度に比例して飛びますから、夏がアマチュア無線の季節であります。若い頃は、アンテナを持って仲間10人ぐらいで山へ移動し、キャンプをしながら運用をしていました。 今日のポツンと一軒家には、その他『超短波の144MHZ』や『極超短波帯430MHZ』もあったと思います。無線機も1本のアンテナに基本的には1台が必要で、鉄塔1本にアンテナを回すローテーター(モーター)も必要になり、資金も共同で捻出しないと、百万円単位で掛かります。「電波はアンテナではなく、札束で飛ばす」という冗談が飛び交う程でした。 ここのポツンと一軒家の主も、グループ内の仲間に若者がいないことを嘆いていました。どこの組織も、若者を求めています。私のように子どもの頃の夢を叶えて終わった人間はともかくとして、若い子どもらには、宇宙に電波を飛ばし大きな夢を膨らませてほしいものです。私にとってアマチュア無線は、世界への情報入手の窓口でした。目的ではなくて、あくまでも手段。若者にはアマチュア無線でも良いのですが、これとは違った手段を使ってでも、大きく羽ばたいて欲しい。 ところでいつものように蛇足ですが、この当時のアマチュア無線仲間・中崎巌・中崎泰代さん夫婦が、当時の電電公社(現NTT西日本)に勤務されていて、私がうどん屋から不動産業へ一歩を踏み出す際、祝儀だとして『087-888-0011』の電話番号を手配して下さいました。今の時代では、考えられないことですが、嬉しかったのを昨日のように覚えています。「0011は不動産情報局です」というようなことを言っていました。次のステップインターネットでもhttp://www.0011.co.jp/、0011が生きています。 また遡ること20年、今からだと60年近く前のことですが、『0011ナポレオンソロ』というアメリカテレビ番組が人気で、主人公が万年筆をひっくり返してつないで「オープンチャンネルD」と話しかけると、遠く離れた本部まで通信ができるという夢物語が描かれていました。この時の主人公のコールサイン(アマチュア無線でもコールサインを使う)が『0011』。半世紀を過ぎて今ではペンよりは大きいのですが携帯電話で、地球の裏側までつながります。 |
2022,02,26, Saturday
2月26日(土)10時から、高松中央商店街・丸亀町献血ルーム『オリーブ』において、日本赤十字社香川県赤十字血液センターが常設している献血ルーム『オリーブ』の活性化の一役として、商店街を通りかかる人々に献血を勧める役を努めています。高松市内のライオンズクラブが順番に受け持ち、本日の午前と午後が高松栗林ライオンズクラブの受け持ちで、午前中は私を含め7名のメンバーが写真のようにプラカードを持ち、立ちん坊をしています。
正直なところプラカードだけで、献血希望者が来るのかと疑問もあるのですが、今どきのこと、強引な勧誘どころか『声掛け』も遠慮するように献血センターから言われております。本日午前担当の私たちは、すでに献血対象者年齢から過ぎていて、採血はできませんが、枯れ木も山の賑わいで来ています。さりとてこのコロナ期、免疫を増やせという中で献血してとは、家族にも従業員へも言えません。 ライオンズクラブ(英: Lions Club)は、社会奉仕団体『ライオンズクラブ国際協会』に所属する単位クラブであります。ロータリークラブのように社会奉仕活動を職域や個人で行うだけでなく、集団で有意義に効果を高める目的の奉仕団体であります。ロータリークラブは『アイ serve(私は奉仕する)』であるのに対して、ライオンズクラブは『ウイ serve(われわれは奉仕する)』となっています。 ライオンズクラブは米国イリノイ州オークブルックに国際協会本部を持ち、結成から百年目の2017年6月30日現在、全世界でクラブ数は4万7390、会員は142万5795人、日本国内のクラブは3056、会員は11万6865人である。単一クラブは地域名称を冠していることが多いのですが、該当地域に居住地や事業所を有さない会員もいる。 ちなみに高松栗林ライオンズクラブは、『特別名勝・栗林公園』から名付けています。親クラブの高松玉藻LCは『玉藻公園』から、子クラブの高松屋島LCは、源平合戦の地『屋島』から名前をとっています。単一クラブの会員数は、平均的には約20–60人となっていて、ご多分に漏れず減少気味であります。衰退の傾向は、『高齢化』です。クラブ歴史の、裏返しであります。 ライオンズクラブの目的を達成するためのあらゆる活動を、アクティビティと呼ぶのですが、すべてのライオンズクラブは、アクティビティを検討・実施するための事業委員会をもっています。事業委員会はクラブの活動目的を区分し、その上でそれぞれの目的に応じた常設委員会が設置される。特にライオンズクラブは、『献血』・『献眼(角膜提供)』・『献腎(腎臓提供)』を『三献運動』と呼び推進しています。 このコロナ下にあっても、献血は『三献運動』の中でも別格で、献血に関するアクティビティーは、すべて予定通り実施されています。その他の例会・理事会・委員会もビデオ会議システム「Zoom」対応になっているが、この時期は次期7月からの執行部選挙があり、各クラブとも『指名選挙』だけはリアルで予定されている。これは高松ライオンズクラブ(香川県内最古クラブ)前会長・四角整子(しかくよしこ)さんの言葉でもあります。近くに事業所のある四角さんが通りがかりに声掛けして下さり、最近のクラブ情報交換をしました。その後四角さんは、『トラや』の一口羊羹を差し入れて下さいました。ありがとうございます。また借りができてしまいました。ライオンズクラブは、義理人情の世界であります。 そして4月23日(土)24日(日)の両日は、ライオンズクラブ国際協会336-A地区(四国全域)の年次大会が、高松のサンポート周辺で開催予定で準備が進められている。同時に結成から100年を経過した組織のほころびも表出し、新型コロナウィルス禍もあって見直しが必要になっている状況です。それでも献血システムの安定化は、毎日使うモノだけに採血が毎日求められる現代社会にあって、喫緊の課題であります。 |
2022,02,25, Friday
稲盛和夫塾長の盛和塾は、2019年12月に解散し、世界各地の塾(国内56塾、海外48塾、塾生数は約15,000名となりました。)も同じように解散したのですが、まだまだ学びが足りないという経営者らが、塾長の許しを得て各地で独自の組織を再編し、経営の勉強に日夜励んでいます。香川塾では『香川胆識の会』として新代表の下、独自の学びを続けています。
その中の一つが、『機関誌マラソン』です。これまでに発刊された機関誌156号の中の、1週間に1冊、塾長講話を再読し気づきをグループ内の仲間にメールで送ります。加えて互いに前の人の感想に、多少の意見を添えます。1週間内の金曜の夜24時が第七グループ独自の締め切りで、ひどいときは、一冊の機関誌の中に二つの塾長講話があったりします。 私も一度目のマラソンはヘトヘト(海外からも発信)になりながら完走しましたが、再読するとアンダーラインの箇所も微妙に変わってきます。前のラインを消すわけにもいかず、線が増えます。新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、会合やイベントがなくなり、機関誌マラソンに集中すること出来るはずですが、これがまたそう簡単ではありません。 さて本日のネタは盛和塾機関誌84号からですが、標題の『南洲翁遺訓』から稲盛和夫塾長が取り上げてわれわれ塾生に解説された所です。私も心に響くところで本日はその中の一つだけを紹介し、多少でも参考になればと願うところであります。興味があれば、是非原点『南洲翁遺訓』全編に触れてみて下さい。 そもそも『南洲翁遺訓』(なんしゅうおういくん)は、西郷隆盛の遺訓集であります。遺訓は41条、追加の2条、その他の問答と補遺から成っています 。『南洲翁遺訓』は、旧出羽庄内藩の関係者(藩主酒井忠篤も同行)が征韓論に破れ下野した鹿児島に西郷を訪ね、西郷から聞いた話をまとめたものです。 1890年(明治23年)1月18日に、山形県の三矢藤太郎を編輯兼発行人とし、東京の小林真太郎を印刷人とし、秀英社で印刷された本であります。『南洲翁遺訓』と題して、約1000部が発行されました。1889(明治22)年大日本帝国憲法『明治憲法』が発布(2月11日)になり、西郷南洲も恩赦で汚名を晴らしています。その翌年のことであります。 【遺訓一】廟堂(びょうどう)に立ちて、大政(たいせい)を為すは、天道を行うものなれば、些(ち)とも私(わたくし)を挟(さしはさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。いかにも心を公平に操(と)り、正道を踏み、広く賢人を選挙し、能くその職に任(た)ふる人を挙げて政柄(せいへん)を執らしむるは、すなわち天意也。 夫れゆゑ真に賢人と認むる以上は直(ただち)に我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲労有り共 其職に任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け 功有る者には俸禄を以て賞し 之を愛し置くものぞと申さるる。後略 【訳】政府の中心となり、国の政をするということは、天道を踏み行うということだ。だから、少しでも私心を差し挟んではならない。徹底的に心を公平にして正しい道を踏み、広く賢明な人を選び、その職務をちゃんと果たしていける人をあげて政治を執り行わせる。これが天の意である。 だから、賢明で適任だと認める人がいたのなら、すぐにその人に自分の職を譲るべきなのである。国に対してどれほどの手柄があった人でも、その職をうまく務めることができない人に官職を与えて賞するのは一番よくないことだ。官職というものは、その人を選び、それに適任の人に授けるもの。功績のあった人にはお金をあげて大切にすればよいのだ。 征韓論に破れ下野した西郷南洲は、遺訓集の冒頭でこのように述べています。ここでは政治家のことを例にとっていますが、中小企業の経営者であれ、どんな小さな組織であれ、トップに立つ者はこういう心構えができていなければならないと、稲盛和夫塾長は重視されています。 |
2022,02,24, Thursday
2022年2月22日にユーチューブ配信を始めたばかりの私ですが、23日の四国新聞には、20年8月に配信を始め、今では登録者数37万人という大人気ユーチューバーがいると報道されています。確か『TSCテレビせとうち』のテレビCMにも登場し、『おばあちゃんのレシピ本』を出していると思う。まんのう町の山間部に、2006年『田舎そば川原』を開き、常連客の地元ケーブルテレビ局員の勧めと協力で配信を始めたらしい。
午前5時から開店準備に取りかかり、週に1度は9時から5時間近くかけて動画3本を撮影。現代風にアレンジする場合は、事前に何度も何度も試作するという。これまでの1年半で約230本になるというから、半端な数ではない。年間100本撮れば一人前と言われているが、76歳という年齢を度外視しても、これは凄い量産だ。 川原さんの場合は、撮るまでが大変だが動画投稿サイト『ユーチューブ』に上げるのは、ケーブルテレビ局員がやってくれているのかもしれない。しかしユーチューブ配信という動機づけがなければ、恐らくここまでの数を撮影することもなかったと思います。続く要因は、『題材が豊富』なことではないだろうか。ある意味その人にとっての『日常』ネタが、そのまま配信画面になっている。 「冷蔵庫や畑にある物で、できるだけ簡単に」をモットーに、規格外の地元産野菜など、旬の素材を取り入れるという。食べ物だから間違いがあってはいけないと、夢に出るくらい考えるともいう。私はユーチューブ配信を始めて3日目、今日もアップ出来たので三日坊主まではやって来た。比べるべくもない。川原さんは、「私のまんのう町自慢」として地元の見どころを紹介して、「喜んでもらって、まんのうのためにもなれば」と抱負を語っている。 69歳の私は、76歳の先輩の元気に触発されて、せめて10本は何としてもアップしたい。何の役に立つのか問われてもなかなか明確な答えを持たないのですが、自分なりに多少でもお役に立ちたいと願っています。私は全てが自作自演です。その道のプロに頼む術も知っていますが、『クイックレスポンス』がモットーで毎日のことですから、とにかく速く手軽にを心がけています。 10本達成したら、川原恵美子先輩を訪ねてみたい。話を聞くことも楽しみですがそれよりも、その現場の雰囲気息づかいを体感したい。まんのう町は香川県の南西にあり、徳島県と接するところもあります。宝山湖ボールパークも、高松から見れば同じ方向にあります。 |