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栗林公園春のライトアップ2024
香川県内いたるところで桜が開花し、この週末が満開になるところまでサクラ前線が血気盛んに東へ延びています。標題のライトアップ、副題に『スプリング ライトイルミネーション2024』と書かれたチラシが、公園正門(東門)で配布されています。大勢のスタッフが動員されています。私たち夫婦は迷わず、「こちらのラインです」と高齢者無料入口に誘導された。

香川県から支給されている『老人手帳』を、「決まりですから」と係の女性が提示を求める。そしてカウントボタンを2クリック。公園内はまだ薄暮で、照明の効果は薄いですね。大回りして渡月橋を目指します。途中で気になるのは『掬月亭』が閉店になっていて、木で出来ている雨戸が固く閉ざされている風景です。

今の時代働き方改革で、ここの営業も午後四時まで。民間業者が県から借り受けて営業をしているのですが、この時間は当然時間外です。折衷案ですが、雨戸に営業中の映像を投射するとか、これまでのやり方つまりこの期間だけ営業するより、次の改善策を考えて欲しいですね。このままでは、やはり寂しい。盛り上がった気分が、盛り下がります。

『掬月亭』を通過し『渡月橋』へ行きますが、橋の改修工事がなされ、新しくなっています。その下には鯉が泳いでいる。数年前に『鯉ヘルペス』が流行し、鯉が死滅し、「クラウドファンディング」で資金を集めた経緯がありました。その資金で公園に来た鯉が、今日は元気に泳いでいます。来園者による餌やりポイントがありますが、幼子らが喜んでいます。

先の掬月亭は『茶席』ですから定時閉店ですが、その他の例えば『花園亭』では、花見宴会が始まっています。ここでは私も宴会を経験しました。団体で賑わっていますし、コンパニオンも入っています。目を桜に移すと、寒空の下ですがここでも『乾杯』が始まっています。その間をすり抜けながら、かみさんの写真も言い訳程度撮ります。『美しく』と言われてもカメラは正直です。小欄の熱心な読者のために、愚夫の撮影した愚妻の写真を貼っておきます。お許しあれ。

公園の最後は、土産販売処『栗林庵』へ立ち寄ります。流石地元民は少ないですが、この時間から大型バスが入っていました。観光客とりわけ外国人には、この『栗林庵』が喜ばれます。私は『伊吹島のイリコ』を買いました。イリコはカタクチイワシの稚魚ですが、観音寺市の西沖合いに浮かぶ伊吹島が聖地です。うどん出汁には、何と言ってもこれです。

今晩は、琴電乗車の予定がマイカーになりました。周辺の駐車場事情を最後に少し。公営の東口正面駐車場は、予約バスを除いていつものように満杯、別の公営は公園北口周辺にあります。この周辺でも高齢化のためか、1日500円とか400円とかの無人駐車場が増えていました。まだ『ライトアップ600円』と言う、旧態依然のそれもまだありました。琴電栗林駅から徒歩10分、JR栗林駅から20分です。

大勢の花見客を見ると、『景気がよくなっているのかな』と感じます。今日から、歌舞伎金比羅大芝居が始まっています。こちらにも見物客は、全国から来てくれています。渡辺信枝町議も「それでも赤字」と言いますが、周辺への波及効果は大きいモノがあります。私らも、出かけることにしています。また雨男と揶揄されています。





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| 社長日記 | 10:12 AM | comments (0) | trackback (0) |
九州と四国を陸路でつなぐ豊予ルート実現へ大分県がリスタート
四国と九州を隔てる豊予海峡に橋かトンネルをかけ、愛媛県と大分県をつなぐ構想を約20年間凍結してきた大分県が、実現に向けて舵を切り始めたようだ。県庁内にプロジェクトチーム(PT)や有識者研究会を設置して検討を本格化。九州では半導体関連の大型投資が続いており、四国経由でさらに各地へ製品を迅速に運ぶことが期待出来る一方、巨額の建設費が必要となる。

『豊予海峡ルート』が考えられたのは半世紀も前からのことで、和歌山、四国、九州を結ぶことに言及した国連調査団による65年の報告書、『ワンズマンレポート』が起源と言われている。大分市の佐賀関半島と、愛媛県伊方町の佐田岬の間約14キロを結ぶ構想。国が1998(平成10)年に策定した、第5次全国総合開発計画『21世紀の国土のグランドデザイン』で示された四つの国土軸構想の一つに基づいている。

大分県では2003(平成15)年に当時の広瀬勝貞知事が、「厳しい財政状況から近い将来の実現は困難」と表明。これ以降長く封印されてきた。これを、23年4月に後任となった佐藤樹一郎知事が推進に転換した。佐藤知事は就任2ヶ月後の23年6月、県庁内にPTを早速設け、有識者研究会も同11月に設立。「機運を醸成し、国への働きかけを強めていきたい」と決意を述べている。

確かに今九州は、燃えていると感じる。九州新幹線が博多から鹿児島まで開通し、今は長崎まで新幹線が延伸している。半導体受託生産の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)が21年に熊本県に立地表明して以降、九州各地では関連の大型投資が続いている。しかし四国から見ても、九州の西側は多いに発展しているが、昔からそうだが東側は島内でも随分送れているように感じていた。

自助努力として、大分の温泉群や宮崎のリゾート地としての発展はあるが、面としての発展は『西九州』に対してよわい。前知事もそこの所で臥薪嘗胆、次ぎに期待しながら退任したのだろうか。いずれにしても期は熟し始めた。そろそろ袋から出して、自然の色づけをして収穫を心待ちにする時期に入ったかもしれない。

もともと私は瀬戸大橋の3本目は、愛媛県から大分県へつけるべきだと考えていた。こうすると、第2国土軸が完成する。四国という地は、地政学的にも日本全土の位置関係からも、特異な存在だと思います。南海地震が心配されていますが、太平洋岸は壊滅的な被害があっても、環瀬戸内海エリア、特に香川愛媛県側は災害が少ない。早期復旧に大いに貢献すると思います。そのためには四国新幹線が必要ですが、これは次の機会に譲るとして今日は豊予ルート。

一番の問題は、巨額の事業費をどうするか。大分市の試算では、橋かトンネルとするかで事業費は異なるが、約6800億円~約3兆2400億円を見込む。「課題が山積するなか、多額の費用をかけて本当に優先すべきことか」と地元県議からは冷ややかな声もあるようだ。ちなみに1988年4月10日に開通した『瀬戸大橋』は、工事期間10年と総工費は1兆1300億円にも及びます。道路部分は約4600億円です。


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| 社長日記 | 09:56 AM | comments (0) | trackback (0) |
岡山後楽ライオンズクラブ第1519回花見例会は今年も金山寺
友好クラブの岡山後楽LCから、今年も花見例会の案内が来た。今年も会場は岡山市北区の金山寺、住職が後楽LCメンバーの岸本賢信さんです。JR岡山駅から遠いので、メンバーに負担をかけて申し訳ない。今年は山下茂樹元会長に、出迎えて頂いた。3年連続だと思いますが、確か昨年も雨模様でした。

例会と会食は庫裏で行い、外の桜の古木の三分咲きを愛でます。特に今年は、ハープ奏者NATSUEさんとオカリナ奏者軽部りつこさんの音色が、雨の中の桜にマッチし、すばらしい舞台であります。軽部さんは新入会員だと聞きました。後楽LCは、後述の女性コーラスグループカンタビレと言い、文化レベルが高い。見習いたい。

金山寺(きんざんじ、かなやまじ)は、岡山県岡山市北区金山寺(かなやまじ)にある天台宗の寺院。山号は銘金山。寺に伝わる『金山観音寺縁起』(室町時代の成立)によれば、当寺は奈良時代の天平勝宝元年(749年)に報恩大師が孝謙天皇の勅命により開創し、後に報恩開創の備前四十八箇寺の根本道場となったという。

その後、伯耆国大山寺より法印円智(豪円)が来山し、松田氏を滅ぼした宇喜多直家の援助を得て、天正3年(1575年)に本堂・護摩堂を再建した。この時に建造された本堂(2012年焼失)は、国の重要文化財に指定されていた。宇喜多氏の庇護下、備前国の寺社総管として優遇された。江戸時代になると、岡山藩主池田光政により寺社総管から備前国天台宗総管に改められた。なお、光政は仁王門を寄進している。

平成24年(2012年)12月24日、本堂が火事で全焼した。その後を託され、現岸本賢信住職が赴任され、金山寺の再建が進められている。こうしてライオンズクラブの例会が行われるのも、手助けの一手だと思います。われわれは来るたびに、寺の秘宝にふれることが出来ます。ごりやくと言えば、なくしたと騒いでいたL佐久間勝の財布も、車の中から発見されたよし、めでたしめでたし。次の大黒様の御利益に、つながります。

今年は元旦が『甲子(きのえ)の日』から始まり、干支も甲辰で始まる大黒天様の年です。そこで開運『甲子大黒天』修理ご寄付のお願いが、金山寺で始まっています。寺では、秘蔵の大黒天のお厨子の修理の勧進を行っています。金山寺の大黒天は300年前の霊像で、ふくよかな笑顔をたたえる名像です。今回は、大黒天様のお家に当たるお厨子(おずし)が老朽化しているため修理を計画しております。

大黒天様は福の神で、信仰する人々には食物と財産を与え、生活の基礎を調える御利益があります。また、商売繁盛の御利益もあります。と言うことで、郵便振込用紙を頂きました。一口2,500円です。過去には寺の修理勧進として、「クラウドファンディング」をやりました。いろいろ工夫を考える岸本賢信住職です。

今日は、もう一つご縁がありました。特別名勝栗林公園内の商工奨励館の2階に、『ジョージナカシマ』の大型テーブルがありますが、これを見た岸本賢信住職が高松市㈱桜製作所代表取締役永見宏介氏に相談し、寺の一角に㈱桜製作所の椅子テーブルをしつらえています。ニューヨークで活躍した『ジョージナカシマ』の作品は、㈱桜製作所で作られています。

例会の途中で住職から「高松の㈱桜製作所」ご存じですか」と問われ、驚きながらも先代の永見真一氏は、メンバーだったことを伝えました。そこへ同伴のL尾崎康宏が、「サクラの家具は弊社が全国に運んでいます」と加わり、大盛り上がりでした。JCの縁と聞き、なるほどと合点。

なにかとご縁のある岡山後楽ライオンズクラブですが、会長の平尾洋一ライオンは高松市出身、1年前の栗林LC60周年記念式典には後楽LCのカンタビレ支部から10人もの女性歌手を手配頂き、栗林のL馬場基尚が仕切る『会バンド』とコラボして、大変盛り上げて下さいました。

最後にもう一つ、清水直樹メンバーから『孫たちへの贈り物-鴻ノ巣村の守護神』2020年11月28日発行の自伝書を頂戴して帰りました。ありがとうございます。







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| 社長日記 | 10:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
オイスカ研修生基礎研修終了式2024
2024年のオイスカ四国研修センターは、2月に新年度の海外研修生を迎え、1ヶ月の基礎研修を終えました。3月30日14時から綾川の研修センターで、基礎研修の終了式を行いました。私は卒業式には参加したことがありましたが、基礎研修の終了式は初めての参加です。研修生も日本へ来て、やっとセンターの生活に慣れた頃です。

今年の研修生は、アジア太平洋地域とメキシコから男性2名女性4名。加えて2人の『技能実習生』が、基礎研修(一番は日本語教育)を共にしています。オイスカが招聘する『技能実習生』の他に、受け入れ企業からの依頼で行う研修もあるようです。このあたりの事情は知りませんが、おいおい勉強していきます。

オイスカは本部を日本に置き、現在41の国と地域に組織を持つ国際NGOです。中野與之助初代総裁から、日本軍が先の大戦で蹂躙した地に米を植え、作物の種を蒔き、木を育て、人材も育成して60年間やって来ています。オイスカの人材育成は設立の経緯から農業分野が対象と思われがちですが、海外研修生の受け入れの歴史は、工業分野の研修からスタートしました。1963年、フィリッピンのマプア工科大学からやってきた6名がオイスカの研修生第1期生です。

この組織を考えて実践された中野與之助初代総裁の慧眼に改めて合点すると共に、若干でもお手伝いが出来たら日本人としての矜恃の一端が示せるのではないかと考えています。オイスカは1961(昭和36)年、『すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界』を目指して設立されました。以来、アジア・太平洋地域を中心に、時代の先端を牽引しています。

また国内に4つしかない研修センターの一つ、『四国研修センター』を綾川町に設置し、会員の会費や寄付金により、東南アジア・メキシコからの研修生を受け入れています。四国研修センターの研修宿泊施設は、1961(昭和36)年にオイスカが中野與之助初代総裁の手により発足して僅か7年目の1968年3月に、高松市香南町の冠櫻神社の境内の一角に建てられたプレハブに始まるのです。

オイスカ四国支部は、1993年4月に佐藤忠義初代会長の素晴らしいリーダーシップのもとで誕生し、現在は四国四県の9つの推進協議会と香川県青年会で構成され、その後13年が経過した1981年12月、綾歌郡綾川町の丘陵地に新築移転し、今年2023年に新築から42年を経過し、初期から1600人の海外研修生を受け入れ、寝食を共にしながら研鑽を積んできたのです。

四国研修センターの研修生は、四国支部会員900名の会費と寄付金で賄われています。そのため一人でも多くの賛同者を集め、植林では国内の『山林SUN体験植林』、海外での『子供の森計画』に初年度より本格的に取り組んでおり、これらの活動は、各推進協議会、四国研修センターと緊密に連携しながら行っております。このような行事を通じて、オイスカを知ってもらうように努めています。





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| 社長日記 | 08:46 AM | comments (0) | trackback (0) |
健大高崎が第96回選抜高校野球大会優勝
96回選抜大会最終日の31日、甲子園球場で決勝が行われ、高崎健康福祉大高崎(群馬)が報徳学園(兵庫)に3-2で競り勝ち、春夏通じて初の優勝を果たした。群馬県勢の選抜優勝は、初めてのことのようです。おめでとう御座います。

前回大会準優勝の地元報徳学園は、一回に2得点をし、今年こそは優勝をと頑張ったが、二回以降は好機に得点できず、2002年以来3度目の選抜制覇はならなかった。しかし強豪ひしめく関西・兵庫にあって、連続決勝戦まで勝ち上がるチーム力は、勝った健大高崎に肩を並べる強豪であります。甲子園球場の地元兵庫県勢が元気だと、大会が盛り上がります。やはり地元横綱に、地方の勢いのある平幕があたる、日本人が好きな構図の大舞台の今回は脇役になりましたが、健闘を称えたい。

今年の傾向として顕著だったのは、低反発の新基準バットが採用されたことで、長打がそれもホームランとなると極端に減った。ホームラン3本というのは、選抜大会では1975(昭和50)年の金属バット導入後、1大会の最少本塁打数。それも確かランニングホームランが1本あったと思う。勿論最少記録だが、これまでは1996(平成8)年の5本が最少だった。

明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督は、「現場目線だと、野球が面白くなった。本来の姿に戻ってきた」と歓迎コメントを発している。「下位打線が出会い頭に本塁打を打つことがなくなった。長打が望めない分、四球、失策を出さないことが重要になる」という。普段の練習でキャッチボールを丁寧に行うなど、守備の正確性が勝敗にかかわると分析している。

外野の守備位置も特徴的だった。外野手の頭を越えるような長打が出にくいことを想定。走者二塁のケースでは、本塁生還を防ぐために、外野の前進守備が従来より顕著となった。また8強は、すべて複数投手を起用した。『1週間500球』の投球制限があるため、エースが投げ抜くチームは珍しくなってきた。

低反発の新基準バット導入の影響からか、ロースコアの試合が多かった。関係者はやきもきするが、見ている第三者はこれぞ高校野球だと喜ぶ。喜ばすために死闘を繰り広げているわけではないのですが、手に汗握りながら一喜一憂する姿に、高校球児の自分勝手な理想像を重ねる。今大会の二桁得点は阿南光の初戦11点の1試合だけ。第2試合は3得点、第3試合は0点に終わっている。1点差試合は11試合と、競り合った展開が目立った。夏は、打者有利と言われる。夏も楽しみだ。

さて『健大高崎』だが、23年前(2001年頃に遡る)、15人程度の同好会からスタートしたチームが全国の頂点に駆け上がった。走塁や小技で圧力をかける『機動破壊』を掲げて高校野球界を席巻したのが約10年前。優勝監督になった青柳監督は、(当時は)「足を使うことしかなかった。何かに特化した攻撃が必要だった」と弱者が勝つための戦術だったと苦笑いする。

また甲子園出場を機に、入ってくる選手のレベルが上がったと青柳監督は言う。箱山と森山は、中学時代に全国大会に出場。今大会5試合で無失点のエース佐藤は、15歳以下の日本代表経験者だ。箱山は「この代は『歴代最強』と呼ばれる能力のある選手がいるし、優勝すると思ってここに入った」と語っている。

甲子園大会の歴史100年、戦争で中断した4大会の重さを感じる。第1回優勝の高松商も歴史の波に流され棹さし、今も健在。23年前に同好会から始まった健大高崎、老いも若きも試行錯誤を繰り返しながら主役を変え、脇役がそれとなく寄り添う高校野球だとよろこぶのは、私だけではないでしょう。優勝準優勝両校に、ありがとうと手を合わせる私です。平和で、甲子園大会が続きますように。


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| 社長日記 | 09:54 AM | comments (0) | trackback (0) |
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