10日高松市は、老朽化が進んでいる中央公園を民間活力を生かした再整備の基本計画案を作成し発表した。事業費は約12億8千万円で、来年秋から工事に着工し、27年夏のリニューアルオープンを目指す。基本計画では、公園中央部のトイレに建築担当の市職が提案するデザインを採用する等、これまでの中央志向から幾分考え方が地元型になって良かったと思います。公園を楽しみ使うのは主に高松市民です。
一番の変更点は夜間の利用を考慮した計画案で、インバウンド(訪日外国人客)需要が増えたり、観光で高松を訪れた人が夜間に立ち寄れる場所の提供に腐心している点が特徴。省エネ効果の高い照明を使い、トイレも建物全体が『赤灯台』のように光る構造を考えているようです。明るいところへは、人が集まり賑わいが出来ます。
公園北側には、菓子製造販売のルーヴ(高松市)がカフェとトイレを設置。カフェは樹木や多目的広場と調和したデザインとし、スイーツやベーカリーなどを提供する。ルーヴという固有名詞が入っているのに少し驚くが、公園北側にはルーヴの店が現存する。官民共同がここかと思います。植栽は過密になっているモノなどを撤去し、紅葉が美しい樹木などを新たに植えるようです。
4月22日(月)から5月21日(火)まで、パブリックコメント(意見公募)を実施して基本計画をまとめる。本年度に実施設計を行い、25年8月のさぬき高松まつり後の秋に着工し、27年のまつりまでの工事となる予定。高松市のシンボル工作物の一つ、『中央公園』です。以前はここに『市営中央球場』がありました。公園にすると当時の脇信男市長が言ったとき、「勿体ないな」と正直思いました。今のようにマンションが林立する前のことで、宅地化が求められた時代でした。
この公園は、1946年に戦災復興土地区画整理事業により都市公園用地として確保され、その後は高松市立中央球場として利用されました。余談ですが高松市の区画整理事業はここから始まり、今の太田第2事業まで半世紀以上続いています。結果多肥小学校と龍雲中学校は四国一の規模(学生数)になっています。 私が在学中は、ここで高校野球県大会が行われました。大北敏博(元巨人軍)、細川安雄(元阪急)らがいて、盛り上がりました。1985年に高松市立中央公園として再整備され、1986(昭和61)年に全面オープンしました。
そして翌1987(昭和62)年12月のクリスマス前後から30年間、高松栗林ライオンズクラブが『高松冬のまつり』をここでやりました。60万個のイルミネーションとメッセージイベントで、親と子の語らいと子ども達の目の輝きを大切にあったかい心のメッセージを届ける『光のページェント』がコンセプトでした。当時のクラブ幹事L塩田博志が私費出版した『キラキラポッケ』には、高松冬のまつりにおける男達の熱き挑戦(たたかい)と、プロジェクトXのように書かれています。私も末席を汚していました。若い頃の話しです。
香川県出身者の水原茂、三原脩、菊池寛、国東照太、玉楮象谷、小河謙三郎、大気(池川直)の銅像があります。この公園は、高松市の政治、文化、商業の中心地に位置しており、徒歩、バス、電車などあらゆる交通手段でアクセスできます。令和の大改修に示唆を与えた、高松冬のまつりであったと自負しています。ナマ言って申し訳ありません。