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孫たちへの贈り物by清水直樹・岡山後楽LC元会長
3日、岡山市北区金山寺の岡山後楽LC花見例会へ参加しました。ここ数年招かれると行く、行くからまた声がかかる、岡山後楽ライオンズクラブとは友好クラブとして長く交流が続いています。岡山と高松は、距離的にも心理的にも近いところにあります。その席で、L清水直樹から標題の本を頂きました。タイトルからは、孫に伝える氏の出自から今日までの自叙伝のようであります。

大変立派な装丁で、写真も豊富にちりばめられています。第1章の幼少期から始まり、小中高大学から医師の世界へ入った過去が描かれています。しかし何と言っても中心は、『第6章ライオンズクラブ奉仕の時代』だと感じました。前半は中国・モンゴルでの青少年健全育成アクティビティ、後半は東日本大震災復興支援・熊本大震災・西日本豪雨災害支援が書かれています。勿論クラブを通じての『WeServe』(われわれは奉仕する)奉仕活動の紹介です。

そして第7章では『清水家の歴史』で、系図が本家・分家と分けて掲載されています。表紙の写真にもなっている菩提寺『善光寺如来』から、父親のことに紙幅を多く使っています。80歳まで岡山清水内科医院(氏の医院)の事務長として、活躍されています。元は国鉄マン。親からの恩恵で、全国の国鉄路線を北海道まで兄弟3人(氏は3男)で旅したことも、楽しく描かれています。

医師として母親も看取りました。「お前を医者にして良かったと何度も言った」。母親は86歳、母が逝ってから約1年後に父親も鬼籍に。91歳、瑞宝双光章、正六位に叙せられた。御母堂様は俳句や短歌を詠んだ。『我がいのちかけて息子は医者となりお陰で今は命助けられ』

最後の『あとがき』も、ライオンズクラブネタに終始する。37歳で、岡山市京橋町で清水内科医院を開業した。開業2年後に、ライオンズクラブに入会させていただき、先輩たちから社会のいろいろなこと、人との付き合い方、あいさつの仕方まで教えてもらった。ライオンズクラブのモットーは『ウイ-サーブ』『われわれは奉仕する』というもので、一人で奉仕しても大きなことはできないが、たくさんの人でやればより大きな奉仕ができる。

39歳でLCに入会させてもらった。5年間くらいクラブでは一番の年少者だったので、先輩は熱心に指導してくれた。奉仕の機会を与えてくれ、また、経験もさせていただいた。私は一生懸命奉仕に取り組んでいくにつれ、無償の奉仕に引かれ、虜になってしまった。人は人から産まれ、人として地球上で生活し、やがて土に帰る。しかし魂は墓や生活品、作品、魂を込めたすべてのモノに宿る。だから、人が強い心や情熱を込めたモノには魂が入り、感動を与え(る)力を持っているのである。
(2020年11月28日発行人清水直樹編集石井編集事務所肆亥工房)



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| 社長日記 | 09:49 AM | comments (0) | trackback (0) |
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