2024,04,10, Wednesday
令和6年4月10日の四国新聞、標題の特集が組まれている。過去に報道されたこともとりまとめて掲載しているが、その中でも脱炭素が地域・企業を強くするとして、高松市ゼロカーボンシティへ、サンポート地区を中心に脱炭素モデルを創出他が紹介されている。昨年7月の先進7カ国(G7)香川・高松都市大臣会合では、持続可能な都市の実現へ脱酸素化を推進するとした共同声明が採択されている。
これからの都市づくりの方向性を示したG7会合の機運を弾みに、開催地・高松市が『ゼロカーボンシティ』への転換に向けた取り組みを加速させている。まずは、大臣会合が行われた高松港サンポート周辺地区。県都であり、めざましい発展途中のこの地区周辺をGX(グリーントランスフォーメーション)の象徴として、国が選定する『脱炭素先行地域』に本年度、応募する計画だという。 サンポート周辺地区が先行地域に選定されれば、太陽光発電やゴミ発電で生みだした再生可能エネルギーによって、地区内の住宅や事業所、公共施設で使用する電力を賄い、CO2排出量を実質ゼロにする構想。シンボルのサンポート周辺地区で、その効果を強調したい思惑だ。狭い高松らしくて、良いのではありませんか。 その横の紙幅には、高松市が昨年6月から市庁舎前に設置している、24時間誰でも無料の給水スポットについて触れている。屋外に、センサー式の給水器を常設する四国初めての試み。抽出口に持参した水筒などを置くと、センサーが感知して自動で冷水が注入される。プラごみ削減へつながり、すでに利用が5万回になっているというから驚きだ。 もう一つは、照明設備を省エネ性の高い発光ダイオード(LED)化する事業を本年度から始めたこと。2月に、市有施設で整備した自家消費型太陽光発電設備からの電力供給をはじめたと言う関連ニュース。2024年度一般会計当初予算で、約12億円余を計上。これにより高松市は、24年度のCO2排出量を年間約1800トン削減できると試算している。いずれも四国電力と、歩調を合わせた新規事業だ。マンダリンオリエンタル瀬戸内で、その電気が使われると宣伝もできる。 24年度は市庁舎本館や学校など154箇所でLEDへの切り替えをして、25年度には、各コミュニティセンターなども対象とする方針だ。味方を替えれば、新規事業が目白押しで、既存の予算は限りなく削減されそうだ。発電も消費にも『意味を持たす』試みとしては、サンポート周辺地区が最適だろう。大いに期待したい。 |
2024,04,08, Monday
今日は私の誕生日で、SNSから『祝』が多く届いています。平木県議からは電話を頂き、ありがとうございます。最初の頃は逐一返事を出しましたが、昼前頃からは金丸座で第37回四国こんぴら歌舞伎大芝居を観ていて、電話もありましたが何ともなりません。72歳ですから年男、もう次はないかなと思いながら、朝から忙しい一日でありました。
72歳にもなって「しず心なく花の散るなん」ほどバタバタしているのはまさに『馬鹿』ですが、大芝居の終焉が思ってたより遅くて、次の15時のオイスカ高松推進協議会幹事会に滑り込みになるほどでした。かみさんに弁当もなし、「うどんを食べよう」もなくなり、申し訳ない伴侶の誕生日になってしまいました。さらに息子が来るというので、食事の段取りもしてお疲れ様でした。 第37回四国こんぴら歌舞伎大芝居ですが、5日に始まり本日は4日目の舞台です。何年ぶりかでやって来ましたが、座席は相変わらず狭いのが第一印象。令和の大改修を機に改善されていますが、それでも基本的には狭い。多少の空席もありますが、よく入っています。雨が降るのを、雨が繰り延べしてくれています。金丸座の前には各種グッズの販売テント、縁台などが出て1時間半前ですが、もう大賑わいです。櫓太鼓が景気づけ、ついつい記念切手なども買い求めます。 ホテルパックとかJRパックには、弁当がついています。すべてが『二蝶』の花見弁当だそうで、私はうどんうどんと決めていてそこは通過し、公式パンフレットを買い求めました。1,000円ですが、漏れなく『富籤』がついていて私は大当たり(写真)でした。主演の松本幸四郎さんのサインがあれば一層嬉しかったのですが、それには心付けがいります。諦めて、自分で書きました。 私は、仏生山駅からコトデンの電車で行きました。おきまりの挿頭丘(かざしがおか)駅では、構内所狭しと桜が迫ってきています。それでもその数が、何だか減っているような気がしました。電車は各駅停車で、45分かけてコトデン琴平駅へ到着します。歌舞伎目当ての風の旅人が、何組か降り立ちます。 日本最古の芝居小屋『金丸座』まで徒歩10分、途中の風景も随分違っています。名物階段脇の『とらや旅館』の建物が解体されています。天皇陛下がお泊まりになった別館も、門構えだけ、その先はレストランに様替わり。うどんの『中野学校』と地酒の『金陵』と、『名物かまど』等々、私から見れば様変わりです。土産物『雄美堂』も駐車場になっていました。これほどまで駐車場が増えたら、次はマイカーですね。 さて芝居の中身は贔屓客の発言に委ねますが、素人のわれわれにも『面白さ』が十分伝わってきました。回り舞台のどんでんや宙づりがあったりして、やっている役者や裏方さんは大変です。今回気がついたのですが、遠方からのお客さんは今日一日2回公演の4演題ですが、これ全部観るのでしょうね。4演題共に、別の内容です。私のチケットで16,000円でした。私の懐からの32,000円が、私からの誕生日礼です。 次のオイスカ高松推進協議会幹事会は、『フラット仏生山』でした。駅から会議室まで3分、今日はここで助かりました。懇親会は6名になりましたが、南至近の『仏生山の森レストラン』で、名物ハンバーグを頂きました。7月には初めての『オイスカ高松バーベーキュ』をやります。みんなで集まるイベントを、一つ増やします。そして会員増強です。 |
2024,04,07, Sunday
午前中の比較的早い時間は、畑へ出かけて、玉ねぎとジャガイモの間の草抜きをしていました。今年は比較的よく畑へ、ほんの2時間程度の作業ですが、農作物と子どもは手をかけるほど良く成長します。昨年まではサツマイモの植えっぱなしで、途中で畑に来るのは、草刈り機を動かす時だけでした。昨年秋に、オイスカ四国研修センターの職員さんに大型機で耕耘してもらい、それがきっかけで一生懸命にやり始めました。
昼前に切り上げて帰宅するのですが、途中で仏生山公園に寄ってみました。桜さくらです、もう既に花見客が大勢来ています。子どもさんもいますが、高齢者や車いすの人が目に付きます。ここの桜は、ほぼ満開です。そうそう拙宅の隣家にも、17年目の桜が満開です。これが17年だと言うことは、一般的な桜は30年生ぐらいにならないと、豪華絢爛とはまだ言い難いですね。 さて新聞に報道されている、2021年度の県民経済推計によると、国内総生産(GDP)の県版にあたる県内総生産の名目成長率は3.9%で、2年ぶりにプラス成長となったそうだ。新型コロナウィルスに伴う行動制限の影響で、個人消費は一進一退だったが、企業の設備投資や生産の持ち直しがプラス成長につながった。 一人当たりの県民所得は、前年度比3.3%増の285万1千円だった。国内総生産(GDP名目553兆6420億円)に占める県内総生産の割合は0.70%で、昔言われていた『1%経済』から大きく後退している。県民一人当たりの県民所得は、前年度から9万円増えたモノの、全国平均一人当たり国民所得(315万3千円)と比べると30万2千円の大きな開きがあるようです。 とは言いながら、住宅建築費や自動車など耐久消費財の価格は、都会とそうは変わらない。ただし住宅の総額は、土地価格の違いから香川県は総額で安い。大きく捉えると、所得が安くて物価も安いと言えそうだ。しかし花見の桜には、地域格差がない。存分に楽しめば宜しいのではないですか。 最後にテレビ報道では、本日明治大学の入学式が日本武道館で開催されたそうな。朝ドラで『明律大学女子部(明治大学専門部女子部) の猪爪寅子』が活躍する舞台の明治大学ですが50数年前、母サチ子も千鳥ヶ淵の桜を見て大変喜んでいました。私も入学式は覚えていませんが、『千鳥ヶ淵の桜』は今でもよく覚えています。これだけが私の、母への親孝行だったと思っています。 母が苦しんだ最初の出産が、つまり私の誕生日が桜の咲くこの頃です。私は今でもこの頃の桜を見ると、『甘茶にかっぽれ』とうかれます。母も桜が、大好きでした。 |
2024,04,06, Saturday
3日、岡山市北区金山寺の岡山後楽LC花見例会へ参加しました。ここ数年招かれると行く、行くからまた声がかかる、岡山後楽ライオンズクラブとは友好クラブとして長く交流が続いています。岡山と高松は、距離的にも心理的にも近いところにあります。その席で、L清水直樹から標題の本を頂きました。タイトルからは、孫に伝える氏の出自から今日までの自叙伝のようであります。
大変立派な装丁で、写真も豊富にちりばめられています。第1章の幼少期から始まり、小中高大学から医師の世界へ入った過去が描かれています。しかし何と言っても中心は、『第6章ライオンズクラブ奉仕の時代』だと感じました。前半は中国・モンゴルでの青少年健全育成アクティビティ、後半は東日本大震災復興支援・熊本大震災・西日本豪雨災害支援が書かれています。勿論クラブを通じての『WeServe』(われわれは奉仕する)奉仕活動の紹介です。 そして第7章では『清水家の歴史』で、系図が本家・分家と分けて掲載されています。表紙の写真にもなっている菩提寺『善光寺如来』から、父親のことに紙幅を多く使っています。80歳まで岡山清水内科医院(氏の医院)の事務長として、活躍されています。元は国鉄マン。親からの恩恵で、全国の国鉄路線を北海道まで兄弟3人(氏は3男)で旅したことも、楽しく描かれています。 医師として母親も看取りました。「お前を医者にして良かったと何度も言った」。母親は86歳、母が逝ってから約1年後に父親も鬼籍に。91歳、瑞宝双光章、正六位に叙せられた。御母堂様は俳句や短歌を詠んだ。『我がいのちかけて息子は医者となりお陰で今は命助けられ』 最後の『あとがき』も、ライオンズクラブネタに終始する。37歳で、岡山市京橋町で清水内科医院を開業した。開業2年後に、ライオンズクラブに入会させていただき、先輩たちから社会のいろいろなこと、人との付き合い方、あいさつの仕方まで教えてもらった。ライオンズクラブのモットーは『ウイ-サーブ』『われわれは奉仕する』というもので、一人で奉仕しても大きなことはできないが、たくさんの人でやればより大きな奉仕ができる。 39歳でLCに入会させてもらった。5年間くらいクラブでは一番の年少者だったので、先輩は熱心に指導してくれた。奉仕の機会を与えてくれ、また、経験もさせていただいた。私は一生懸命奉仕に取り組んでいくにつれ、無償の奉仕に引かれ、虜になってしまった。人は人から産まれ、人として地球上で生活し、やがて土に帰る。しかし魂は墓や生活品、作品、魂を込めたすべてのモノに宿る。だから、人が強い心や情熱を込めたモノには魂が入り、感動を与え(る)力を持っているのである。 (2020年11月28日発行人清水直樹編集石井編集事務所肆亥工房) |