2019,04,24, Wednesday
もう10年くらいになりますか、久保喜治さんが「生前葬」をやると言い続けて、本日90歳の誕生日についに生前葬をやってしまいました。盛り上がって、生前葬の式典は30分でしたが、精進落とし(宴会)は2時間、高木孝司さんの手品あり、若狭義継さんのハーモニカやトランペットは池田晴幸、いずれも宅建業者の素人芸でしたが、盛り上がりました。
会場はJRホテルクレメント高松、高松一のホテルです。ここに120余名を集めて、会費は一万円振込で貰っていましたが、車代として一万円返していました。食事も結婚式並み、コンパニオンも13人入っていました。久保喜治さんの、大散財。精進落としの宴会も大変盛り上がり、大谷雅昭宅建会長、吉田専務理事も中心テーブルの華でした。 これだけの素人芸人を集める久保喜治さんは、やはりただ者ではありません。私は葬儀委員長を言われましたが、一般社団法人香川宅建の支部葬には出来ませんでした。そもそも生前葬など、見たことも聞いたこともありませんでした。それでいて、葬儀委員長の「弔辞」を求められて、一生懸命に書き、本日一生懸命に読みました。 今日は時間がなくて、写真も上げられません。久保喜治さんからの礼状が、もう既に届いています。信じられない90歳、これから10年生きたいと言うのですが、この人はやりそうです。以下続きは、後ほど掲載します。 久保喜治さんに捧げる弔辞 私が製麺業をしながら宅建業の世界に飛び込んだのは、昭和五六年二月九日でありました。当時の高南支部の支部長は、「江野窪清」氏でしたが、私の開業を見届けるように二月二十八日に逝去されました。その後を、久保喜治さんが十月まで支部長代行を、その後の翌年三月までを波多正美氏が支部長代行となり、二年間の任期が終わりました。 そして昭和五十七年の支部総会で、久保喜治さんが高南支部第五代支部長に就任されました。その後十八年間支部長として、また協会本部にあっては、総務部経理室長や流通センター所長、総務部長を歴任され、副会長を十三年間努められました。その後も協会監事、現在も現役相談役であります。 この弔辞を書くにあたって改めて久保喜治さんの偉業、公益社団法人香川県宅地建物取引業協会への貢献をしみじみと思い知ったところでございます。 私は、開業七年目の昭和六十三年に、前任者の突然の逝去で急遽会計を仰せつかり、それから三十年余、久保さんの背中を見ながらやって来ました。 私も長く支部長や、本部役員を仰せつかって、もうそろそろ引退かと思っていましたが、久保さんは今の私以上に協会に奉職をされています。流通センター所長として、あの激動の変革期の舵取りをされました。 今は宅建業経験の無い若者の開業が続いていますが、国の方針でもありましたが、この不動産情報の公開と流通化がまさに新世代の業界を作り、新規参入がしやすくなっています。昨今のITやIoT活用時代を予見した政策でありました。 また今も続いている不動産フェアーでの、県下幼稚園児の未来の家絵画展を発案されたのも、久保喜治さんです。平成七年にスタートして四半世紀が過ぎようとしていますが、昨年でも参加三十六幼稚園から、一千九十九人の幼稚園児が、一生懸命に想像する未来の家を描きます。各賞の中には、香川県知事賞もあり、式典で登壇して表彰状と記念品を一人一人がうけます。その結果は、ざっと三万人の園児やその親御さんらが香川県宅建協会を知ることになります。 さらに具体的貢献の一つに、香川宅建協会の電話番号があります。〇八七・八二三-二三〇〇は久保さんが獲ってきた番号です。ファックスも同様、登録従業者制度も久保さんの仕事と聞いています。 またその反面柔らかいところも数多く在り、よわい八十すぎでも現役だと豪語されていました。「スポーツジムまちけん」へも、若いインストラクターが待っていると言って、毎日行っています。 そんな久保さんですが、勉強熱心というか、勉強好きはみなさまも納得されるところでしょう。弱冠一四歳半で志願して、少年飛行兵へ行って終戦を迎え、帰ってからは仕事をしながら最後は、法政大学の通信教育課程を卒業されています。 不動産の勉強も、所属団体全宅連の主催する「不動産アナリスト」講座受講のために、私もご一緒しましたが、大阪へ三泊四日を二回行きました。私とは二回りほど年長ですから、お疲れから昼間はお休みになって、アフターファイブは元気でした。今でも相続とか信託とか定期借地権とか、新しく話題になる講座は、必ず受講されていました。 最後にとっておきのネタを披露しますが、支部研修旅行が大好きだった久保さん、過去に滋賀県の雄琴温泉に行った際、この近くに少年飛行兵の駐屯地があったというので、バスを回して参加者全員で証拠の石碑を探したことがありました。足下の悪いところ、やぶ漕ぎのようにして探し回ったのですがあったのですよ、その石碑には確かに久保喜治と刻まれていました。全員で涙し歓喜したのを、今でも覚えています。 こんな楽しかった思い出を綴っていると、いつものにこやかな顔で出てくるかも知れません。偉大だった久保喜治先輩の利他の精神を、われわれは引き継いで参ります。永らく、お疲れ様でした。ありがとうございました。 終わりに本日平日でお忙しい中を、皆さまにとっても最初で最後になるであろう生前葬にお付き合い頂き、感謝に堪えません。ありがとうございました。 平成三十一年四月二十四日 久保喜治さん九〇歳の誕生日に 葬儀委員長 松野誠寛 |
2019,04,23, Tuesday
少し前になるが日経新聞の月曜経済観測で、記者が豊田合成社長・宮崎直樹氏にインタビューした内容が掲載されている。成長を続けてきた新興国の自動車市場。ブラジルやロシアで好調な販売が続く一方、中国とインドの苦戦が目立っている。それでも2018年の中国は28年ぶりに前年比縮小したといっても、2800万台強の世界最大の市場であることに変わりはない。
また中国は、米中貿易戦争の影響から今は大変苦しんで居るが、弱含みといっても6%程度の経済成長を見込んでいて、大きく崩れる可能性は低いと見ている。インドも前年割れが続いているが、一部メーカーの生産は計画を下回っているが、潜在的な成長率は高い。市場規模は、400万台規模まで拡大し、ドイツを抜いて世界4位となっている。30年には、1000万台に達するという予想もある。 過日の小欄でも紹介したように、真鍋光広氏のまなべ塾でも、氏から「CASE」という聞き慣れないスペルが並ぶ流行語が紹介されていた。そもそも、今から3年前の2016年のパリモーターショーで、独ダイムラー(あのベンツを作っている会社)のディーター・ツェッチェCEOが発表した中長期戦略の中で提唱した造語です。「Connected:コネクティッド化」「Autonomous:自動運転化」「Shared/Service:シェア/サービス化」「Electric:電動化」の4つの頭文字をとったものです。 その1年前の2015年9月のフランクフルトIAA(モーターショー)で述べた、「自動車メーカーからモビリティ(交通分野では、人が社会的活動のために交通(空間的移動)をする能力を指す)のサービスプロバイダ (インターネット接続事業者) へと変わる」という戦略の実行の方向性を具体化したものになります。自動車を製造・販売する会社から、クルマを移動するための手段として、サービスを提供する会社に変わるという意味です。 日経ネタとしては、一気呵成に電気自動車や自動運転へなるようにはやし立てている(失礼あくまでも筆者の考え)が、その可能性は低いとしている。例えばインドでは、交通インフラの整備が途上で、すぐに自動運転が普及する環境ではない。電気自動車も充電インフラの整備に時間と費用がかかる。ただ、いつかかならずやってくる話しであり、備えは必要だ。 豊田合成はエアバッグなど主力製品で競争力を高め、足下を固めようとしている。重要なのは、将来への投資と現行製品の強化を同時に進めることだ。これができないと持続的な成長はおぼつかない。 |
2019,04,22, Monday
高松市の奥座敷、塩江町安原下の公園に、私がライオンズクラブの4R4Zゾーンチェアパーソンをしていた2011年(8年前)に植樹した桜が残っているとL藤川佳代さんから聞いて、急いで行ってみました。場所は国道193号線、谷岡食堂からななめ右へ入ったところ。西谷八幡神社手前の、右側にある公園です。名前が付いていません。
もう枯れてしまったと聞いていたのですが、植樹した桜かどうかははっきりしなかったのですが、確かに桜は残っていました。枯れずに残っていたのと、さくらの花がかろうじて残っていたという二つにかけています。車両入り口が施錠されており、恐らく高松市が管理している地元民憩いの公園だろうと思いますが、来年には花見も出来そうです。 その頃の記憶を辿ってみると、菅武廣カバナー(愛媛県松前キャビネット)の年、国際協会が環境保全植樹計画で、「世界100万本植樹」を世界へ薦めました。四国地区では愛媛県の佐田岬(佐田岬半島は、四国の最も西に位置し、愛媛県伊方町にある半島。三崎半島とよばれることもある。)で、四国内全クラブでまとめて植樹という計画もありました。 菅武廣カバナー(愛媛県松前キャビネット)が、愛媛県の砥部ライオンズクラブ所属だったこと、佐田岬には多くの植樹が既になされていたことなどで、話が持ち上がりました。私もキャビネット役員の一人でしたが、桜は地元で毎年愛でるモノとして4R4Zゾーン6クラブは塩江町の公園に植樹したのでした。かみさんも一緒だったことは、何だか覚えています。 2011年は、東日本大震災が発生した年です。普通植樹は、春前におこなわれます。植樹の後に、大震災が起こったのかと思います。植樹は、高松空港ライオンズクラブにお世話になりました。その当時の写真を、L藤川佳代からいただき、掲載をしています。先の高松市議会選で当選された佐藤好邦市議も、その日の記念撮影のライオンズメンバーにいます。 おそらく植樹場所は、佐藤好邦市議が段取りして下さったのだと思います。来年は、ここで花見をします。今から水面下で段取りします。L藤川佳代、頼りにしています。 |
2019,04,21, Sunday
最近よく使われる言葉で言うと、「平成最後」の選挙。高松市長選は、大西秀人高松市長以外の立候補者が出ず、無投票当選を早々と決めた。一方市議会議員選挙は、定数40に対して48人が立候補して、熾烈な選挙戦を繰り広げた。21日の夜、開票結果を見ようとしても、テレビ局はどこもローカル選挙結果を流さない。NHKにしても、全国展開ばかり。
正直なところ、沖縄がどうなったか大阪がどうなったかより、高松市議会議員や周辺の開票結果が知りたい。最近投票率が減少しているのは、マスコミのこうした取組にも問題があると、私は今晩改めて思った。日付が変わる頃までテレビを観たが、高松市議会議員選挙のような「小ネタ」は報道に値しないのだろうか。われわれに、最も身近な選挙にも拘わらず。 投票率が低いことは、特定の政党特定の候補を支援する人に有利に働く。高松市議選では、立候補した女性10人の内、過去最多の8人が当選した。党派別では、自民1、公明2、共産2、無所属3。これで全議員40人に占める女性の割合は20%になった。次の選挙は、「令和初めての選挙」になるが、まだまだ女性が増えると予想する。 身近なところの政治から、女性の台頭が顕著になると思う。トップ当選の太田安由美(おおた・あゆみ38)さんは、無所属現職当選1回議員。国土交通省四国地方整備局非常勤職員でしたが、古参を抑えて4,568票を集めた。香川県や高松市は、ある意味東北北陸より保守(失礼ですが)的で、政治や選挙は男性特権のようにこれまで思われてきた。女性が人口の半分以上いることから考えても、女性議員が増えると予想する。 また特徴的なのは、公明党の実力。中央では公明党の力が弱ったと評論家が言っていたが、高松市議選にあっては、6議席をキープしている。全員当選で、その割り振りも、2,865票春田敬司氏(51❹)から3,347票中村伸一氏(55❹)まで実に見事であります。全得票数の14%が、公明党が獲得しています。 病気療養中の選挙となった岡下勝彦氏(61❺)は、苦しい選挙だったと思いますが7位当選。同じ明治大の先輩・鎌田基志氏(76❼)は18位当選になりましたが、自民党公認新人の上林在住氏(56)は残念ながら落選になりました。隣接地域の造田正彦氏(62❷)が、燃えていました。 蛇足ですが、坂出市は定数20-立候補21人でしたが、20位の候補が法定得票数に達せず、落選をして選挙直後から1議席欠員となる異例の事態が発生。法定得票数は285票だったのに、得票数は240票でした。県内初ケース、珍事が発生しています。 |