もう10年くらいになりますか、久保喜治さんが「生前葬」をやると言い続けて、本日90歳の誕生日についに生前葬をやってしまいました。盛り上がって、生前葬の式典は30分でしたが、精進落とし(宴会)は2時間、高木孝司さんの手品あり、若狭義継さんのハーモニカやトランペットは池田晴幸、いずれも宅建業者の素人芸でしたが、盛り上がりました。
会場はJRホテルクレメント高松、高松一のホテルです。ここに120余名を集めて、会費は一万円振込で貰っていましたが、車代として一万円返していました。食事も結婚式並み、コンパニオンも13人入っていました。久保喜治さんの、大散財。精進落としの宴会も大変盛り上がり、大谷雅昭宅建会長、吉田専務理事も中心テーブルの華でした。
これだけの素人芸人を集める久保喜治さんは、やはりただ者ではありません。私は葬儀委員長を言われましたが、一般社団法人香川宅建の支部葬には出来ませんでした。そもそも生前葬など、見たことも聞いたこともありませんでした。それでいて、葬儀委員長の「弔辞」を求められて、一生懸命に書き、本日一生懸命に読みました。
今日は時間がなくて、写真も上げられません。久保喜治さんからの礼状が、もう既に届いています。信じられない90歳、これから10年生きたいと言うのですが、この人はやりそうです。以下続きは、後ほど掲載します。
久保喜治さんに捧げる弔辞
私が製麺業をしながら宅建業の世界に飛び込んだのは、昭和五六年二月九日でありました。当時の高南支部の支部長は、「江野窪清」氏でしたが、私の開業を見届けるように二月二十八日に逝去されました。その後を、久保喜治さんが十月まで支部長代行を、その後の翌年三月までを波多正美氏が支部長代行となり、二年間の任期が終わりました。
そして昭和五十七年の支部総会で、久保喜治さんが高南支部第五代支部長に就任されました。その後十八年間支部長として、また協会本部にあっては、総務部経理室長や流通センター所長、総務部長を歴任され、副会長を十三年間努められました。その後も協会監事、現在も現役相談役であります。
この弔辞を書くにあたって改めて久保喜治さんの偉業、公益社団法人香川県宅地建物取引業協会への貢献をしみじみと思い知ったところでございます。
私は、開業七年目の昭和六十三年に、前任者の突然の逝去で急遽会計を仰せつかり、それから三十年余、久保さんの背中を見ながらやって来ました。
私も長く支部長や、本部役員を仰せつかって、もうそろそろ引退かと思っていましたが、久保さんは今の私以上に協会に奉職をされています。流通センター所長として、あの激動の変革期の舵取りをされました。
今は宅建業経験の無い若者の開業が続いていますが、国の方針でもありましたが、この不動産情報の公開と流通化がまさに新世代の業界を作り、新規参入がしやすくなっています。昨今のITやIoT活用時代を予見した政策でありました。
また今も続いている不動産フェアーでの、県下幼稚園児の未来の家絵画展を発案されたのも、久保喜治さんです。平成七年にスタートして四半世紀が過ぎようとしていますが、昨年でも参加三十六幼稚園から、一千九十九人の幼稚園児が、一生懸命に想像する未来の家を描きます。各賞の中には、香川県知事賞もあり、式典で登壇して表彰状と記念品を一人一人がうけます。その結果は、ざっと三万人の園児やその親御さんらが香川県宅建協会を知ることになります。
さらに具体的貢献の一つに、香川宅建協会の電話番号があります。〇八七・八二三-二三〇〇は久保さんが獲ってきた番号です。ファックスも同様、登録従業者制度も久保さんの仕事と聞いています。
またその反面柔らかいところも数多く在り、よわい八十すぎでも現役だと豪語されていました。「スポーツジムまちけん」へも、若いインストラクターが待っていると言って、毎日行っています。
そんな久保さんですが、勉強熱心というか、勉強好きはみなさまも納得されるところでしょう。弱冠一四歳半で志願して、少年飛行兵へ行って終戦を迎え、帰ってからは仕事をしながら最後は、法政大学の通信教育課程を卒業されています。
不動産の勉強も、所属団体全宅連の主催する「不動産アナリスト」講座受講のために、私もご一緒しましたが、大阪へ三泊四日を二回行きました。私とは二回りほど年長ですから、お疲れから昼間はお休みになって、アフターファイブは元気でした。今でも相続とか信託とか定期借地権とか、新しく話題になる講座は、必ず受講されていました。
最後にとっておきのネタを披露しますが、支部研修旅行が大好きだった久保さん、過去に滋賀県の雄琴温泉に行った際、この近くに少年飛行兵の駐屯地があったというので、バスを回して参加者全員で証拠の石碑を探したことがありました。足下の悪いところ、やぶ漕ぎのようにして探し回ったのですがあったのですよ、その石碑には確かに久保喜治と刻まれていました。全員で涙し歓喜したのを、今でも覚えています。
こんな楽しかった思い出を綴っていると、いつものにこやかな顔で出てくるかも知れません。偉大だった久保喜治先輩の利他の精神を、われわれは引き継いで参ります。永らく、お疲れ様でした。ありがとうございました。
終わりに本日平日でお忙しい中を、皆さまにとっても最初で最後になるであろう生前葬にお付き合い頂き、感謝に堪えません。ありがとうございました。
平成三十一年四月二十四日
久保喜治さん九〇歳の誕生日に
葬儀委員長 松野誠寛