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東かがわ市歴史民俗資料館特別展帝国海軍の至宝樋端久利雄
標題の特別展と、「樋端さんのこと」と題した記念講演会が、東かがわ市交流プラザで開催されました。講演会開会前に樋端久利雄氏の長男、樋端一雄氏が、父親の思い出話しをほんの20~30分でしたが、披露して下さいました。氏は京都在住で、退職前は新聞記者だったという。それもあって、父親の資料を詳細に集めていました。

講師は、「ソロモンに散った聯合艦隊参謀・樋端久利雄」を2017年に上梓された、「元横須賀地方総監・高嶋博視(昭和27年生・三高OB)」。私も何かの縁で、読んだことがありました。しかし書庫を探してみたのですが、残念ながら見当たりません。樋端久利雄氏の名前は、高松・栗林公園前の「樋端病院(現トイバナクリニック)」の前院長さんが樋端性で、私たち夫婦の仲人さんでした。その後は、ライオンズクラブのスポンサーでもありました。

そのこともあって、「樋端久利雄」の名前は1992年3月1日(27年前)に上梓された、「ブーゲンビリアの花(衣川宏氏)」にも登場していたのを知っていました。こちらも勿論読みましたが、学術的過ぎて、よく分からない印象でした。それが高嶋博視氏の3年かがりの力作として、元香川県副知事・川北文雄(三高OB)さんの後押しで、今から2年前に世に出たのです。

樋端久利雄(明治36~昭和18年4月)氏は、白鳥本町伊座(現東かがわ市伊座)の農家の3男坊として誕生しました。香川県立大川中学校(現三本松高校)を4学年終了 (通常は5学年) 後、海軍兵学校、海軍大学校でともに首席(2冠と呼ぶそうです)で卒業した海軍士官です。人生通じて、1学年の1学期だけ首席から落ちたことがあるそうです。

また人物像で、海軍で活躍し将来は海軍大臣も属望される樋端久利雄でしたが、帰郷した際は近所に挨拶回りを欠かさず、母校の大川中学校を訪問したときには校庭の草抜きをしていたと言い伝えられており、謙虚な人柄がうかがえます。家庭での久利雄は、海外生活の経験があったためか、または欧米流の自由主義で家族に接していたためか、一男一女の二人の子どもも厳しく叱責された記憶がほとんどなかったと言います。

そして昭和18年4月18日(享年39才8ヶ月)、連合艦隊司令官・山本五十六の最前線視察に随行し、共に戦死した人物です。彼は「帝国海軍の至宝」「昭和の秋山真之」と評され、将来を嘱望された人物でした。日露戦争に勝利した秋山真之は有名になり、太平洋戦争に敗戦した樋端久利雄は、地元県人でも知名度は決して高いとは言えません。

著者の高嶋博視氏も、三本松高校卒、話はそれますがここ三本松と高松商と観音寺一高は1900年創立で、来年120年記念を迎える関係です。高嶋博視氏が入学すぐの昭和43年4月18日、先輩講演会で毎日新聞社の田中先輩の話を聞いたそうです。三本松高校が世に出した奇才の二人、南原繁の話しを1/3、樋端久利雄の話しを2/3して、それを聞いて高嶋博視氏は、防衛大学入学を決意したとか。

樋端久利雄は、江田島から両親へ送った手紙に、「将来の危機はまず海上において雌雄を決する」と書き、日米開戦を20年前に予見しているのです。戦艦至上主義の海軍にあって、樋端久利雄はパイロットを目指す。海軍は首席卒業者を、危険を伴うパイロットにはしたくなかった。それでも果敢に挑戦した樋端久利雄は、「樋端ターン」とその後呼ばれた奇襲戦法を編み出し、空中戦に度々勝利した。

昭和17年4月、樋端久利雄は2度目の連合艦隊航空参謀に就く。それも同僚の後任として、あり得ない人事だと人事部長経験者の高嶋博視氏も言う。勿論山本五十六長官の引きがあってのことだが、「戦勢の回復」を狙ったのか、海軍の「戦争の幕引き」を託されたのか。

樋端久利雄の死は、直後秘密にされたが、山本五十六長官の国葬後に許されての葬儀の折りに、山本五十六長官の奥様が弔問に来られたとか。その後、昭和37年に海上自衛隊艦船がブーゲンビル島を通過する際、献花を自衛官に頼んだとか。婦人すればよほど樋端久利雄の死が、「申し訳ない」思いだったのか。

山本五十六長官自身も、樋端久利雄の結婚式後に妻・千代の父親井上繁則氏に、「樋端を連れて行く」と断ったとか。軍人だからいつかはお国のためにと、誰しもが思っていることだが、山本五十六長官は仁義を切ったという。三本松高校には、特別展示されている恩賜の長剣も保管されているという。もう少し樋端久利雄の活躍を、鼓舞しても良いのではないだろうか。

高嶋博視氏の講演の後、樋端一雄さんに、樋端康民(樋端病院医院長)氏との関係を伺った。樋端康民(樋端病院医院長)氏が本家筋で、樋端久利雄(自分の父)が分家に当たると教えて下さいました。そして二人は、従兄弟同士。私の長年の疑問が氷解した、熱い講演会でした。元横須賀地方総監・高嶋博視氏は、月並みですが格好良かった。

樋端一雄氏

上村一郎東かがわ市長は元自衛官

元横須賀地方総監・高嶋博視

過去の記事①

過去の記事②

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| 社長日記 | 08:58 AM | comments (0) | trackback (0) |

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