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人生を『私の履歴書』から学ぶby吉田勝昭・高松商OB
吉田勝昭氏は、高松商から関西学院大を経て日本ケミファ(株)へ1966(昭和41)年に入社し、常務取締役、取締専務執行役員を務めている。2017(平成29)年8月に、本書を上梓しているが、5年前に書いた『ビジネスは『私の履歴書』が教えてくれた』(2012年中央公論事業出版)が、『私の履歴書』と付き合うきっかけとなっている。

『私の履歴書』は、日本経済新聞最終面を飾るコラム欄のタイトルです。今は、サハ・グループ会長のブンヤシット・チョキワタナー氏が掲載されています。吉田勝昭先輩は、この『私の履歴書』を読んで経営のヒント、人生のヒントにされているそうだ。しかしそのコラムを、掲載1号の鈴木茂三郎(社会党委員長)の1956(昭和31)年3月1日から、810代ジョー・プライス(美術品蒐集家)2017(平成29)年まで、65(今日まで)年に及ぶ原稿をネタにして、原稿をまとめている。

本来なら上梓された順に読むべきだと思いますが、吉田勝昭氏から贈呈を受けたモノから読んでいます。紫雲会東京支部総会で、本人から頂戴しました。もう3年も前のことです。人生には、三大不幸があると言われています。それは病気、貧乏、煩悶の3つです。人間誰しも、この不幸は避けて人生を過ごしたいモノです。しかしどんなに逃げようとしてもこの3つには、人生のどこからで捕まります。

5年前(この本が上梓された2017年から)に、経済人を中心に扱った拙著『ビジネスは「私の履歴書」が教えてくれる』はビジネス書として、主に仕事や経営についてヒントになるモノを抽出して書いたものでした。現役を引退するとビジネスにプラスになるヒントよりも、人生にプラスになる『生き方』の記載に、興味が沸いてきました。そうすると経済人より芸術家やアスリート、芸能人の生き方により魅力を感じ、もう一度昭和31年3月から、『私の履歴書』に登場した全ての人物について読み直したのでした。

そうすると、『人生にプラスになる生き方』のヒントが、あるわあるわ。演説のプロと評された政治家の若い日のコンプレックス、人気女優の薬物中毒、世界的な演出家の挫折、偉大な芸術家が才能が無いと悩んだ時期、売れない作曲家の悶々とした日々、偉大なアスリートが下積み時代に猛特訓を受けた苦しみ、強い同志の絆で事実婚に耐える芸術家などについて読むほどに、人それぞれに苦悩があり、それを克服して新しい境地を開いた先達の、見事な生き方に共鳴し感動したのでした。

やはり、いろいろな苦労の雨が降らないと美しい虹が出ないのだなあと実感したのでした。この『私の履歴書』には、それぞれの分野の優れた人たちの人生の縮図が書かれていますから、これを読むことで自分の人生観が深まり、拡がり、生き方のヒントを数多く得ることになります。

そして3冊目の『私の履歴書61年の知恵』が、3部作の最後として2018年5月に上梓されています。登場した819人が、専門家でないと知り得ない情報や知識、技能、ノウハウなどをお持ちです。これらの貴重な情報や記述、種々の分野をどうしても残しておきたいと思いました。明治・大正・昭和は、どんどん遠くなっていきます。戦後約70年、戦争を知らない世代は、日本人の80%を超えています。

平成30年の今日、これまでの61年間の記録をまとめておくことは私に出来るささやかな役割だと思っているのです。このコラムの愛読者に、少しでも役立って頂ければうれしい。また吉田勝昭氏が『日経産業新聞』に、2012年11月から2013年2月まで4ヶ月間にわたり連載したコラム、『名経営者に学ぶ仕事術』を紹介して閉めています。サービス精神旺盛な、母校の偉大な先輩のお一人であります。先輩遅くなりました。申し訳ありません。





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| 社長日記 | 09:02 AM | comments (0) | trackback (0) |
地元多肥小学校専用歩道橋に愛称がついた
仏生山町は竜雲中学校校区の一角にありますが、その一つ多肥小学校が、随分前から歩道橋工事をしていました。多肥小学校地域周辺で早くは20年前の区画整理事業で、また最近は休耕農地での宅地開発が進み、同校が高松一二のマンモス校になっていました。そのため運動場がなくなり、ついに学校から離れた場所に運動場を新設しました。そこで安全性確保策として、校内と運動場をつなぐ専用歩道橋が昨年秋頃から施工されていました。

報道によると高松市は、多肥小学校専用歩道橋のネーミングライツ(命名権)について、事業者(応募者)が『レグザム』に決まったと発表しています。愛称は、『レグザム多肥小歩道橋』となります。要するに高松市は名前の権利を売って、修理費などの資金を稼ぎたいと考えたわけです。契約期間は9月から2024年の3月末までで、命名権料は年間20万円。

9月からと言うことは、それまで使用しないのか。県道を日常的に通る私などは、新学期の4月からは間違いなく利用すると考えていたのですが、私が知らないだけかも知りませんが、生徒が渡っているのを見たことがありません。まさか命名権者決定まで、使用を延期しているのですか。そんな馬鹿なことはありませんよね。

そこで地元市議の橋本浩之氏に、問い合わせてみました。「新学期の4月から使っています」、ある意味安心しました。多肥小学校区は先述のように宅地開発が大規模に進み、生徒増で教室が足りません。それで運動場までなくなり、一時は徒歩十分ほどの県立桜井高校の運動場を、運動会などに借用するほどの手狭さ。そこで先の市議の橋本浩之氏が中心となり、県道を挟んで西側に運動場を作りました。

勿論高松市の買収ですから、われわれ仲介業者は介在できません。『汚いモノのように扱われる』始末。市の買収ですから、土地価格としては時価(決して高くは買わない)、その代わり売却益に対して5,000万円まででしたか課税しないとなっています。この価格はわれわれの責任範疇外ですので、市職など関係者に確認して下さい。

これは法律ですから、高松市だけ例外とはなりませんが、もうそろそろこれらの『石頭』を、普通サイズにしたらどうかと思います。いま生活環境の多くを、民間負担に依存しつつあるように思います。一筆の土地を二筆以上に分筆する場合でも、今は全体を測量しなおして、分筆することになっています。過去は、分ける土地の部分だけ測量すればよかった。要するに昭和40年代から始まった、高松市の国土調査で確定したはずの全体の面積が間違っていることがあって、本来市町が訂正すべきところ、民間に委ねています。

何が言いたいかというと、県市町に金銭的ゆとりがないので、「民間でやって頂戴」ということは、今の時代致し方ない。であるならば、国県市町の買収に際して、民間人であるわれわれ宅地業者に手伝いを許すことがあっても不思議ではないように思います。最近は金融機関からの売買情報の提供に対して、成功報酬(業法上の報酬ではなく紹介料程度)を求められるようになっています。金融機関も多くが株式会社ですから、当然の要求かと思います。

でもこれが成立するなら、住宅ローンの紹介に対しても、われわれへの紹介料がほしい。ギブ&テイク、これが自然体であり、いままで『武士のやせ我慢』のような状態が自然体になれば良いのではありませんか。宅建業界人も交涉術に関しては、失礼ながら市議や県議と同じ程度の能力があります。そして議員さんより、不動産交涉においてはタフです。お役に立ちます。


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| 社長日記 | 09:33 AM | comments (0) | trackback (0) |
元盛和塾名古屋の塾生竹中右門さん来高
仕事上の関係者が、別会社の取締役として高松へ赴任したということで、竹岸産業代表取締役会長・竹中右門さんが、13日来高されました。竹中右門さんはたまたまですが、稲盛和夫塾長の追っかけをしているところで、明治大学校友会(OB会)メンバーだと知りました。同窓生だと知る前から、竹中右門さんとは親しくさせて頂いていました。

竹中右門さんは昭和15年2月生まれ、今年81歳です。元気ですね、恵子奥様も別会社で塾生、塾長例会では二人して前の方に着席されていました。早く会場入りすると、塾長テーブルの近くに座れる可能性が高まります。熱心な稲盛信者、盛和塾生であります。また『恐るべき人脈』の多さ、あの人間国宝『板東玉三郎』氏と明治大学名物教授・齋藤孝文学部教授との対談をお茶の水キャンバス内で企画するほどの人脈をお持ちです。

私は2007(平成19)年に、盛和塾に押しかけて入塾させて頂きました。本やCDで稲盛和夫氏の話は聞いていましたが、稲盛和夫氏の『生声』が聞けるのは今しかないと、当時の盛和塾香川事務局長の西村久さんを訪ねました。その際のスポンサーを、徳武産業の十河孝男氏におねがいしました。

そして、全国各地で行われる塾長例会を渡り歩きました。そこで竹中右門さんと必然的に出合ったわけであります。竹中右門さんは若い頃から永く長兄が社長の会社に勤務され、54歳の年に追い出されるようにして独立された経歴の持ち主です。「その分長く働いています」とご本人は笑いますが、いろいろ経験されている盛和塾のソールメイトの一人です。

竹中右門さんからは沢山の教えや情報を頂いたわけですが、一番は何と言っても『頸友(くびとも)』との縁です。私が「左手の指が痺れて、頸が痛い」と飲み会で打ち明けたら、「直ちに東京塾のN氏に相談せよ」。そのN氏から名医を紹介され、結果相談から半年足らずで、頸の手術を終えていました。その後は痛みも痺れもなく、暮らしています。

私のような『変形性頸椎症』の患者が、塾生の中に数人いました。竹中右門さんを通じてN氏が、盛和塾の『頸友』サークルを組織されています。もちろんN氏も、頸友の学級長、自らが痛みを知るソールメイトであります。竹中右門さんは昨日、金比羅さんから徳武産業の十河孝男氏を訪ね、最後に弊社へも立ち寄り下さいました。

そして本日、その十河孝男氏と三人で、少しだけ会食をしました。旧盛和塾のこと、竹中右門さんも十河孝男さんも、全国大会で『経営体験』を発表されています。これは実に名誉なことで、県予選、地区予選を経て届くものです。私どもも加盟する、『アパマンショップネットワーク』の大村浩次APAMAN社長も塾生で、早くに経営体験発表をしています。そしてあの横綱白鵬関も、熱心な塾生でした。

竹中右門さんは、「あと10年現役で」と言います。文字通り終生現役を貫くようです。右門さんなら、必ずやるでしょう。私もどのくらいやれるか。右門さんに言われて、「あと10年現役で」、やれるかな。


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| 社長日記 | 09:06 AM | comments (0) | trackback (0) |
社会人野球日本選手権でJR四国47年ぶり8強
社会人野球の日本選手権第5日は7月3日、神戸市の『ほっともっとフィールド神戸』で1回戦が行われ、四国代表で県勢のJR四国は同点の九回に水野(丸亀城西高出)がサヨナラ本塁打を打ち、強豪三菱重工West(兵庫)を3-2で下した。JR四国は、同大会で15年ぶりの白星。劇的なサヨナラ勝ちで、15年ぶりの大会1勝を挙げたJR四国。

九回、1ボールから高めの139㎞を右翼スタンドに運び、試合を決めた水野は「真っ直ぐに絞っていた。上がりすぎだと思ったので、とにかく入ってくれと願いながら走っていた」と声を弾ませた。2回戦に向けては「ロースコアの展開に持ち込むしかない。先制して優位に進められたら」とし、「全国はいい投手ばかり、多くの好投手と対戦したい」と打者としての本能ものぞかせた。

そのJR四国は、11日の2回戦(午後1時開始予定・京セラドーム大阪)で、トヨタ自動車-TDKの勝者とベスト8を懸けて戦う。このほか、2019年の前回大会で初優勝した大阪ガス(大阪)と、西部ガス(福岡)が2回戦に進んだ。ここまでが、四国新聞7月4日の報道であります。珍しく(笑い)、JR四国が1勝した。泉雅文会長もご満悦と、今度のオイスカ常任幹事会でお目にかかるのを楽しみにしていました。

ところが15年ぶりに初戦を突破した県勢のJR四国は、11日の3回戦で過去に5度の優勝を誇るトヨタ自動車(愛知)に1-0で競り勝ち、4強入りした第1回大会(1974(昭和49)年)以来、47年ぶりのまさかのベスト8進出を果たした。しかし続く12日の準々決勝は、前回大会優勝の大阪ガスに0-8で敗れ、準決勝進出はならなかった。

2回戦トヨタ自動車戦でJR四国は、元西武の右腕南川が快投。巧みな緩急で打たせて取り、被安打3で完封。打線は六回、高井、笠田(高松商出)の連打で無死一、三塁とし、髙木の投前スクイズ(記録は内野安打)で1点をもぎ取った。試合前の計画通り、僅差に持ち込んだ試合運びが勝因だ。南川投手は地元でも期待されていたのだが、その通りのピッチングで、強打のトヨタ自動車打線を完璧に抑えた。

12日の大阪ガス戦は、初戦で好投した右腕山本が序盤で5失点。打線も6度得点圏内に走者を進めたが、後続が続かなかった。大阪ガスの4番末包(高松商出)が、先制打を含む3安打3打点と活躍した。皮肉なモノだが、高松商のOBがいろいろなところで活躍しているのは実に嬉しい。大阪ガスは前の試合でも、西部ガス相手に10-0(八回コールドゲーム)と圧勝している。0-8は大敗だが、むしろよく頑張ったと褒め称えたい。

収穫と反省があった3試合だが、チームにとっては間違いなく収穫の方が多い。「強豪の名前に負けず戦えた。貴重な経験になった」と笹田。準々決勝で2番手として好投した新人左腕・石丸も「この舞台で戦えることが分かった。もっと力をつけたい」。全国の舞台で苦戦が続いて来たチームは、『自信』という大きな財産を手にした。

この結果は、県内の高校野球をやっている選手にも、好影響を間違いなく与える。まれにドラフトにかかる選手がいても、それはほんの一握りもない。大学へ進学して野球を続けるか、四国アイランドリーグプラスに進む道もあるが、社会人野球チームが強くなると、当然選択肢が増えることになる。私の考えでは、上の展望がひらけば底辺も広がる。あっぱれJR四国!!


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| 社長日記 | 07:32 AM | comments (0) | trackback (0) |
笠田の女子選手大矢未來さんの投球セレモニーそうだったのか
今月11日の県大会1回戦、高松商対笠田の試合後、校歌斉唱して帰ろうとしたその時、場内放送で、『投球セレモニー』があると知らされた。スコアーボードに、『香川県立笠田高等学校・大矢未來選手・投球セレモニー』と書かれ、笠田の選手がマウンドに立ち、8人がグランドに散る。そして高松商の山崎悠矢主将が、打席に入った。何が始まるのか。

これは香川県高野連が企画した、粋な計らいだった。笠田で3年間選手として活躍してきた女子部員(マネージャではなく)の大矢未來さんの頑張りに対する、県下野球部員総意のリスペクトだった。大矢さんは小学1年から野球を始め、笠田でも選手として入部。外野手として、他の選手たちと練習に取り組んで来た。笠田は野球部員12人の台所。

大矢さんは、塁審に促されて3塁手相手にウォーミングアップ。準備が出来たところで、全力で一球を投じ、外角低めに見事にコントロールされた真っ直ぐを投げて、決まり通り山崎悠矢主将がフルスイング。「3年間、一度も試合に出たことがなくて緊張したけど、たった1球でも楽しめてよかった。今日が一番の思い出」と笑顔を見せた。

この説明の場内アナウンスがあったなら、どんなに盛り上がったことか。残念だ、私は笠田の選手で、病気をしてリタイアした部員のセレモニーか、その位にしか見ていませんでした。正直、『大矢未來さんが女子選手』とは思わなかった。いずれにしても、『何か粋なことをしているな』とは感じていました。今の時代、高校野球に女性が入るようになるかも知れない。12人の笠田には、プラス1人は大いに戦力になる。

大矢さんは、「負けたのは悔しかったけど、みんなと3年間、一生懸命戦えたので楽しかった。これからも野球を続けたい」と話していたと、報道されています。こんな素晴らしい話し、場内アナウンスがほしかったなあ。昨日の小欄で、訳の分からないままに写真をアップしています。


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| 社長日記 | 09:05 AM | comments (0) | trackback (0) |
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