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東京五輪開会式の成功は日本人のDNA
第32回夏季オリンピック東京大会は23日夜、東京の国立競技場で開会式が行われた。前日まで、式典関係者の解任劇という前代未聞のドタバタのなか、幕を開ければ大過なく式典が終わった感じがします。1964(昭和39)年の前回東京五輪が、『平和と(敗戦からの)復興』をテーマにし、見事にそのお題目をクリアーした。新型コロナウィルスの影響で、史上初の1年延長となった今大会は、開催都市東京が緊急事態宣言下にある中で幕を開けた。

開会式も含め、大半の会場が無観客。感染拡大への不安や直前まで相次いだ大会組織委員会の混乱で、祝祭感が少ない異例ずくめの祭典となったが、日本人らしいアイデアでひとまずまとまった。振り返って見れば、『多様性と調和』で大坂なおみさんが、最終ランナーとして球体の聖火台に点火したのもうなずける。

私の世代では、あれから57年の集大成の五輪に、長嶋茂雄氏やアテンド役の松井秀喜氏、隣で聖火を持つ王貞治氏の三人の登場は新鮮だった。開会宣言は、本来開催地の小池百合子東京都知事の仕事かと思いましたが、天皇陛下の役割でした。大統領に代わる菅義偉首相でもなく、橋本聖子東京五輪大会組織委員会会長でもなく、天皇陛下のお言葉が最適でした。

今大会には、不参加となった北朝鮮を除く205カ国・地域と難民選手団を合わせ約1万1千人の選手が参加。8月8日(日)までの17日間で、史上最多の33競技、339種目を実施する。開会式には選手、役員約6千人が参加。無観客のスタジアムに歓声は響かなかったが、椅子の色のせいか、無観客のさびしい印象を払拭していた。そこまで読んで、設計施工したわけではなかったと思うのですが、不幸中の幸いでした。

聖火は場所を移動し、開会期間中、いつものように燃え続けるようです。聖火台が会場内にないことが当初問題になっていましたが、『多様性』を論じるなら『これまでの常識』も打破しないと成長はない。今回の東京は、当初『3.11東日本大震災からの復興』といった理念はかすみ、コロナ禍での開催意義が改めて問われている。

はじめたら、最後までやりきる。スポンサー企業の開会式欠席は選択肢の一つだとしても、三大経済組織の代表の欠席などあってはならない。このような護送船団方式は、もう世界に通じない。組織のトップは、組織のことを考え、『私の都合』などもってのほかと言わざるを得ない。あなたが呼ばれているのではなく、立場が参加を求められている。あんたらも高齢者かも知れないが、日本人だろう、逃げるな根性なし。とっとと辞めて、家へお帰りなさい。

国内の新規感染者は拡大局面で、来日した選手関係者の陽性も続いている。政府やIOCが『安心安全』を唱える大会への逆風は、大型台風並みとなっている。とりあえず賽は投げられた、世界の人々の心に残る大会になってほしいものだ。感染拡大防止のため国民の皆さん、不愉快なのは分かるが、どうか我慢して下さい。私も医者に止められて、酒類をもう1週間少し断っています。やってみれば、我慢も良いモノです。

ところでもう一つの五輪ネタ、スペイン風邪のパンデミック(感染症の世界的流行)下、1920(大正9)年ベルギーのアントワープ五輪大会も、パンデミックを乗り越えての開催だったと報道されている。1914年から18年まで続いた第1次世界大会が終わったばかり、1916年大会が戦争で中止になって、流石に二大会中止となれば、始まって20年余りの近代五輪は、終わってしまっていたとも言われている。

第1次世界大戦はヨーロッパが戦場となり、約1800万人が犠牲となり、スペイン風邪では20年の収束までに4000万人以上が無くなったとされている。ベルギーは大戦でドイツに侵攻され、港町アントワープの街並みは至る所に戦禍の跡が残っていた。開催できた背景には、ベルギーでスペイン風邪の被害が軽微(スペインが病巣の中心ではなかった)であったこと、五輪がまだ欧米諸国中心の限定的な大会だったという事情もある。

だが最も大きかったのは、スポーツを通じて世界の平和と団結を訴えようとする、五輪運動を未来につなげようとした意志だろう。大会には、当時最多の29カ国が参加した。それから約100年。現代の五輪は巨大化し、当時と単純な比較は出来ない。ただ感染症の脅威に加え、過度の商業主義で理念を見失ったと批判される五輪が存続のピンチにあると言う意味では、当時と共通する大きな『課題』だ。


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| 社長日記 | 08:15 AM | comments (0) | trackback (0) |
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