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高松栗林ライオンズクラブ60周年実行委員会反省会
メンバー奈良茂子ライオンの『La’なら別館絆』において、イベント後の反省会が行われました。会長方針の『手づくり』と言いながら、事務局に集まる領収書に『なるほど』と合点するモノが追加になっています。そんな雰囲気を察してか、ほとんど白石由美子会長のおごりとなりました。

冒頭白石由美子会長と実行委員長の私と、花田千万里事務局さんへ、式典と祝宴を一手に引き受けてくれたL佐久間勝から、花束を頂戴しました。サプライズプレゼントに、3人一様に驚き。私も女性メンバーに差し上げるべきところかと逡巡しましたが、L佐久間勝からのプレゼントですから、自宅へ持ち帰りました。かみさんが大変喜んでいました。



本来実行委員長の私が用意すべきモノ、申し訳ない。異口同音に『大成功』と言われていましたが、それぞれの意見を聞くに至らず、ネットに上げている当日の写真を軽く見るだけで、1時間を要しました。まだ整理が出来ておりませんが、アマプロ何人かが撮影した写真を上げています。『La’なら別館絆』に大型のスクリーンと、天井からのプロジェクターがあることは承知しての計画です。ここは他に例をみない、多目的会場です。

高松栗林LCは1962年に、44人のチャーターメンバーで結成され、爾来60年が経過したことになります。当時の44人のチャーターメンバーの内、在籍者はL大住省司一人。彼が『栗林』を生み、19人の新入会員をスポンサーしたL奥山功が育てたのです。この二人には、式典でクラブから感謝状が贈られました。

アット言う間の2時間半、写真を見ながら反省し、「ここは頑張った」と主催者側数人が戦った参加者の顔も出てきました。あの人も貴重な190人(計画数達成)の内のお一人です。コロナ禍が残るこの日にかかわらず、また統一地方選挙後半戦の告知日とも重なりながら、大勢のライオン・ソロプチミストにお越し戴けたことは、望外の喜びであります。

司会のL佐久間勝の言葉にあったように、『栗林は生まれ変わり、また1歳から始めて参ります』。何かとご迷惑もおかけしますが、このまま死に絶えるか生まれ変われるか、今の在籍者の考えと行動にかかっていると思います。小欄のヘビーユーザーには、高松紫雲LCの南條久輝さんもいらっしゃいます。以下にパソコンで見るURLとスマートフォン(スマホ)やタブレットで観られるQRコードをつけておきます。じっくり見ると60分を要します。チャチャっとご覧下さい。

パソコンから




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| 社長日記 | 09:42 AM | comments (1) | trackback (0) |
60年周記念行事エクスカーション原稿
エクスカーションとは、従来の見学会や説明を受けるタイプの視察とは異なり、訪れた場所で案内人の解説に耳を傾けながら参加者も意見を交わし、地域の自然や歴史、文化など、さまざまな学術的内容で専門家の解説を聞くと共に、参加者も現地での体験や議論を行い社会資本に対する理解を深めていく「体験型の見学会」です。 地域再発見や知的好奇心に満ちた旅、それがエクスカーション。

御大層な解説ですが、15日の裏ゴルフとして『プチ観光』を企画しました。私のような記念ゴルフ大会に参加しない遠来客に、楽しんでもらおうと、ゴルフと同時進行で夕方まで、つまり『友好クラブ祝賀会』までの時間をほんの僅かですが、西讃を堪能して戴きました。今日のネタは、その際の配布資料です。私が作ったモノですから、著作権の心配もありません。

香川県の歴史・高松栗林ライオンズクラブ60周年記念プチ観光資料
                    
香川県(かがわけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は高松市。令制国の讃岐国に当たる。県名は旧讃岐国のほぼ中央に存在し、かつて高松が属していた古代以来の郡である香川郡から採られた。過去には、『香川県』『香川郡』『香川町』が存在しアマチュア無線界では、人気があった。

面積は47都道府県で一番小さく、1945年~1972年にかけてアメリカの統治下であった沖縄県を除くと最も遅く独立した県である。都市の利便性と、災害の少ない豊かな自然が調和した生活環境を持つ県であります。かつては大阪府の面積を上回り46位であったが、大阪府では関西国際空港の開港や大阪市西部の開発などで埋め立てが進められたため、現在では直島町を含めた参考値よりも大阪府のほうが面積が大きくなっている。県全体の面積は日本一面積の大きい市町村である岐阜県高山市よりも狭い。また、平野が県土のほぼ半分を占めている。平野に点在する山は、おむすび山が多い。

人口密度は全国11位で、四大都市圏に属する9都府県(一都三県・愛知県・京都府・大阪府・兵庫県・福岡県)と沖縄県に次いで高い。可住地面積比率は全国10位、居住室畳数は全国9位、誘導居住面積水準以上世帯割合は全国11位、自然災害は少ない方から全国3位である(2008年統計)。

古来より雨量、河川の流水量ともに少なく旱魃に備えて県内各地に14,000を超える数のため池が点在している。川が少なく、またどれも33 - 38kmぐらいで短いため、昔から渇水対策に手を焼いてきた。このため、道守朝臣(みちのかみあそん)が造り、空海が修築したことで知られる満濃池をはじめとするため池が県内に14,000余あり、国内有数の数である。数の1位は確か広島県、香川県は2位。

北部に広がる『瀬戸内海』には、小豆島など多くの島々が点在している。多島海である瀬戸内海には小豆島をはじめ、塩飽諸島や直島諸島など約110余りの島々が存在する。本州の岡山県とは島々を伝う形で架けられた『瀬戸大橋(1988年4月10日開通35年前)』により、道路・鉄路で結ばれている。瀬戸内海を越えた岡山県との結びつきは強く、NHKは元より、民間テレビ放送局(5局)が同一のエリアになる程である。テレビ番組は、ほとんど東京のキー局と同じ。

麺のコシがしっかりとした『讃岐うどん』や、『こんぴらさん』の愛称で親しまれる金刀比羅宮、空海の生誕地としても知られる善通寺(四国八十八箇所の一つ)、寛永通宝の銭形砂絵で知られる観音寺、対岸の倉敷市児島から坂出市にかけて海上に架けられた瀬戸大橋などが有名である。

正月には、餡餅の入った白味噌仕立の雑煮「餡餅雑煮」を食べる風習が東部を中心とする一部にある。江戸時代、讃岐の国では塩・木綿そして香川県東部を領有した高松藩が奨励した砂糖が特産で、『讃岐三白』と呼ばれていた。このうち砂糖は幕府への献上品として多くが用いられ、庶民の口には滅多に入らなかったことから「せめて正月ぐらいは砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われている。ただ、食べる県民と食べない県民の比率は半々であり、好みが分かれる。

香川県庁舎の設計者は著名な丹下健三であり、この他にも丹下は香川県立体育館や県営一宮団地も設計している。耐震改修工事が終わり、今では高層の新館とは別の『東館』として、歴史的建造物としての価値も高い。一方同じ丹下健三氏の設計した『県立体育館(船の体育館)』は、解体の方針が決まっている。
また東県庁館内の壁面には、猪熊弦一郎作のモニュメントが飾られ、椅子やテーブル棚や調度品はニューヨークで活躍していたジョージ中島の設計で、地元の桜製作所(当時社長の永見真一氏は高松栗林ライオンズクラブのチャーターメンバー)が作成したと聞いている。

救急病院数は全国2位、救急車搬送所要時間は全国3位、介護老人保健施設普及率は全国8位、看護師数は全国14位、医師数は全国12位である。また、2009年度と2010年度の有効求人倍数はそれぞれ全国1位、2位である。県内を供給区域とする電力会社は四国電力であるが、岡山県に隣接した島嶼部である香川郡直島町および小豆郡の全域は、海底地形の理由から四国電力ではなく中国電力の供給区域となっている。

歴史
・古代
『日本書紀』などには讃岐国は洪水や旱魃(かんばつ)、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐ではため池の開発や雨乞い儀式などが行われていた。大宝年間(大化(645年 - 650年))から工事が開始され、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池のほか多くのため池が開発され、それより耕地は灌漑された。菅原道真も、一時は讃岐国国司(滝宮神宮)となっている。

平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友が伊予国で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。朝廷が追捕使として小野好古を派遣すると讃岐国の武士も乱の平定のために戦う。保元の乱(保元元年(1156年)7月)で敗れた崇徳上皇は讃岐国に流刑され、讃岐国で死んだ。
平安時代後期には源平合戦の1つである屋島の戦いが行われる。一ノ谷の戦いで源義経に敗れた平氏は、屋島の戦いにおいても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は瀬戸内海における制海権を失った。

・中世
鎌倉新仏教派の法然も流刑されたことで有名。足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇の建武の新政が始まると、讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った。以後、南北朝時代を経て室町時代を通じて、細川氏が守護大名として讃岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した細川清氏は、従弟の細川頼之と戦い、敗れた(白峰合戦、現宇多津町・坂出市)。

・江戸時代
生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されると、水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは平賀源内が出ている。
この頃には、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で借耕牛の交流が始まっていた。なお、吉備国から古代に分立された備前国より、直島諸島と小豆島が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。幕末には、高杉晋作を匿(かくま)った日柳燕石が(日柳 燕石(くさなぎ えんせき、文化14年3月14日(1817年4月29日) - 慶応4年8月25日(1868年10月10日))は、江戸時代末期の志士。讃岐国那珂郡子松郷榎井村字旗岡(現・香川県仲多度郡琴平町)の出身。)出ている。

・近代
徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、徳川幕府の直轄地である天領津山藩の飛地が分立していた。
1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。
その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併されて香川県(1873年2月19日以前)が設置され、1872年(明治5年)に小豆島西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日以後)と同じ管轄範囲(行政区画は1888年12月3日に分割)となる。
しかし、1873年2月20日には名東県(後の徳島県)に編入されるも、2年後の1875年9月5日に香川県(1875年9月5日〜1876年8月20日)として分離されたが、翌年1876年8月21日には愛媛県に編入された。度重なる編入の度に、地理的要因や地域文化や住民意識などで食い違いが発生し、香川県として単独の県の設置を望む声が再び高まり、12年後の1888(明治21)年12月3日に香川県が復活して、現在に至る。

・現代
1970年(昭和45年)当時の財田村が町制施行して財田町に移行する。兵庫県に続いて村が消滅した。平成の大合併まで村のない県がこの両県のみという状態が長く続いた。
• 1978年(昭和53年・45年前) - 瀬戸中央自動車道工事が着工する。
• 1987年(昭和62年・36年前) - JR予讃線高松駅 - 観音寺駅間で全線電化がされて開業。
• 1988年(昭和63年・35年前) - 瀬戸中央自動車道が開通。JR本四備讃線(愛称 瀬戸大橋線)が開業する。
• 1989年(平成元年・34年前) - 高松空港が開港する。(大型ジェット機対応)
• 1995年(平成7年・28年前) - 1月17日に阪神淡路大震災が発生し、震度4を記録した。一部地域で水道管が壊れる被害があった。
• 1999年(平成11年・24年前) - 高松市が中核市に昇格する(この年の人口が約103万人になり翌2000年以降は減少である)。
• 2003年(平成15年・20年前) - 高松自動車道が全線開通する。(高松中央IC-高松西IC開通による)

・第三次産業
面積の大部分が平地で占められている香川県は全域に人口が分布しているため、その需要に対応して最寄品を取り扱う大型商業施設などのロードサイド店が県内の広い範囲に分布している。
特に高松市は四国最大規模の高松都市圏の中心都市であり、周辺からの圧倒的な集客力を有している。そのため情報通信業や金融保険業は大部分が高松市に集中しており、日用買回品を販売する小売業も多くが高松市に本社あるいは事業所を置いている。
高松市では日本一長いアーケードを有する高松中央商店街周辺が一大商業地区となっているほか、それに準じてゆめタウン高松も県内外に対して大きな集客吸引力を持っている。大型小売店舗数は全国第6位、飲食店数は全国第12位と全国一小さい県にしては数多い。
1980年代までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていたが、1990年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方で展開するスーパーマーケットやコンビニ、電器店等のチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店し、生活する上での利便性が増した一方、バブル経済の崩壊もあいまって各市ともほぼ例外なく中心市街地がドーナツ化現象により空洞化し、都市部の地価の下落が進んだ。
その反動で特に高松市では2000年代に中心市街地周辺への高層マンションの建設が相次ぎ、複数の再開発事業など公共投資が活発に展開された結果、小売店舗の中心市街地への新規出店などにより活気や人通りが戻りつつある。
               
特別名勝栗林公園



島原半島と小豆島の関わり-幕府が進めた移住政策
雲仙岳の裾野に広がる段々畑や棚田。土石流や火砕流が堆積して出来た傾斜の多いこの土地は、小豆島からの移住者たちによって切り開かれました。なぜ、移住者なのか?そこには悲しい島原の歴史がありました。
300年前、『島原の乱』で半島から農民が消えてしまったことから、幕府は天領だった小豆島の農民に、島原への移住を強要した。
テレビに登場した岡本さんは、17代目の農家。小豆島からの移住組の一人。
雲仙市の棚田を整備し、年2回のジャガイモ生産をしている。この移住の際に、小豆島の『そうめん』が島原へ伝わったと言われている。
島原はチャンポン麺も有名だが、素麺も町の『自動販売機』で売られるほど。島原とのつながりは、30年前ではなく300年前からのご縁だったようです。

島原手延そうめんの歴史
島原そうめんのルーツについては諸説あり、そのひとつが小豆島伝来説です。1637年の島原・天草一揆(島原の乱)による荒廃後に、小豆島から移り住んだ人たちによりそうめんづくりが伝えられたという説です。
もう一つ考えられるのは、中国伝来説です。1613年に江戸幕府によってキリシタン禁教令が発布されるとキリシタンではないことを証明するために唐人(浙江省・江蘇省・福建省出身者)たちは、興福寺・福済寺・崇福寺の3寺院を建立しました。これらの唐寺における仏事や一般の食生活として「索面(さくめん)」が積極的に生産され、約400年前、島原半島にこれらの僧によってその製法が伝えられたのが、島原手延そうめんの発祥ではないかという説です。今でも福建省福州市では、南島原市で昔使用されていたこね鉢、巻き鉢、室、牛頭、バラ(竹で編んだ入れもの)などと同じような道具が使用されています。

歴史ある金沢兼六ライオンズクラブ
金沢兼六ライオンズクラブ 会長L. 小鍜治 忠寿
2022年、まだ世界が混沌として変化が起こり、将来について何か新しい幕開けを期待せざるを得ない想いであります。
来期はいよいよ金沢兼六ライオンズクラブが中心となって地区キャビネット(北陸地区の事務局)を立ち上げ、この北陸地区に92あるライオンズクラブの方向性を引っ張っていく存在になります。地区ガバナー(地区のリーダー)も私達兼六ライオンズクラブから誕生します。
今期はその揺るぎない礎を構築する一年として捉えまして、改めてメンバー一人ひとりの存在意義を見出せるクラブ運営に務めます。今期のクラブスローガンには、「みんなで楽しくWe serve」を掲げ、私達自身も楽しく、ライオンズ活動やボランティアの真意を深め、またその姿を見て私達に一人でも多くの仲間が増えます事を願っております。

1952年初めて東京ライオンズクラブが結成された時から7年後の1956年に金沢兼六ライオンズクラブが結成しました。
当クラブは1964年6月23日に地区順位25番目に結成され、同年10月4日に日本順位807番目のクラブとして認証され、金沢市内にあるライオンズクラブの中で3番目に誕生した歴史伝統あるクラブです。結成以来青少年に対する思いやりのある奉仕を積み重ね、金沢中学生耐寒剣道錬成大会、北陸小児糖尿病サマーキャンプ、障害のあるお子様のための映画鑑賞など中心に一貫して行ってきました。又、仙台広瀬ライオンズクラブ様、名古屋太閤ライオンズクラブ様と姉妹提携させていただき、高岡古城ライオンズクラブ様、高松栗林ライオンズクラブ様に友好クラブになっていただき友好を深めています。
ライオンズのウィ・サーブの精神に基づき奉仕活動を続け、さらなるライオンズクラブの発展をさせていきたいと思います。



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| 社長日記 | 08:55 AM | comments (0) | trackback (0) |
竹中右門さんの便りに渋澤栄一のことば
今月7日の昼過ぎ、統一地方選挙前半戦の期日前投票へ出向いていたところに、竹中右門さんのご子息さんから『竹中右門死去』の知らせが、スマートフォン(スマホ)に入ってきました。昨年9月5日に、右門さんから手紙を頂いておりました。闘病中であるが、「早く良くなってまだまだやることが沢山残っております。闘志を燃やして残る人生を最大努力して頑張ろうと思って居ります」このように書かれていました。

その数日前に架電が有り、「元気ですか」と会話したところでした。電話は病室からでも出来ますが、手紙となると一苦労すると思います。事実この手紙にも、「まだまだ書きたい、お話ししたいことがありますが、二日に渡って書きましたお便りこの辺で失礼をさして戴きます」と結ばれていました。達筆で、衰えは全く感じられませんでした。

竹中右門さんは83歳、盛和塾の塾長追っかけ仲間の一人でした。熱心な塾生で、奥様とご一緒が多かったと記憶しています。後に聞いたのですが、明治大の先輩でした。『盛和塾駿台会』の代表でもありました。親分肌の先輩でした。駿河台の明大リバティータワーで、板東玉三郎氏の講演を主催されていました。無料招待でした。

それより何より、竹中右門さんは、私の2010(平成22)年9月変形性頸椎症頸椎弓形生術(大津病院・木原俊壱先生)入院手術の立て役者でした。同じ盛和塾生の成田仁孝氏を紹介して下さり、そこから首障害のあった数人の塾生が救われました。これを『首友』と称して、成田さん竹中右門さんを崇めていました。

話しを手紙に戻しますが、先の手紙の中に渋澤栄一のことばが添えられていました。『吸収魔・建白魔・結合魔』吸収魔とは貪欲に勉強し、学んだことや見聞したことをどんどん吸収して身につけてやまない。建白魔とはこうした方が良いという企画を考え、提案してやまない。結合魔とは人と人を結びつけ、異なる業種業態の仕事を結びつけてやまない。この三つを普通のレベルではなく、魔がつくほど徹底してやる。

これを読んだ時、そうか『魔』かと思い、その後の私の行動のエネルギーとなったのは間違いありません。息子さんのことばの最後に、「後日お別れの会を名古屋で開催し、案内を差し上げます。是非お越し下さい」とありました。勿論参加しますが私も、明日はわが身と考えています。後悔のないように、今を一生懸命生きていきます。




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| 社長日記 | 09:41 AM | comments (0) | trackback (0) |
周年記念事業から一夜明けて
昨日16日、高松栗林ライオンズクラブ結成60周年記念式典&祝宴が終わり、参加者の多くが満面の笑みを浮かべて帰る姿を見送りながら、終わったなと胸をなでおろしました。遠路の長崎県島原ライオンズクラブは、終盤に差し掛かった頃、会場をあとにされました。1990年島原普賢岳噴火から30年超、今度は高松栗林が島原へ行きます。

祝宴で司会のL佐久間勝(式典&祝宴担当責任者)が、33年前の島原第四小学校から普賢岳の噴火活動で何も出来ず落ち込んでいた子どもたち20余人を、東亜国内航空の飛行機に乗せて第5回高松冬のまつり(12月20日頃から1週間)の点灯式に招いた、そのアクティビティの島原側責任者であった松尾錦二ライオンからの長い祝電を披露していました。錦ちゃんありがとう。当時のひげの市長、鐘ヶ江管一元島原市長からも頂戴しました。

祝宴は、私が1週間前に天然色で思い描いた通りのフィナーレを迎え、L馬場基尚率いる『会バンド』の『また逢う日まで(ライオンズ最終ソング)』生演奏で、参加者が輪になり大声で歌っていました。その前に鏡原勲男4R4Zゾーンチェアパーソンが、厳かにライオンズロアー(閉会宣言)をしたあとで、効果満点でありました。リジョンやゾーンを越えたオールライオン、みんなで作り上げたフィナーレになりました。

長かった3日間、短かった3ヶ月、あれやこれやと考えた6ヶ月、そして悠久の60年間。高松栗林ライオンズクラブは誕生から60年、青息吐息でここまでやって来ました。司会L佐久間勝の最後の台詞、「生まれ変わった栗林は、明日からまた次の歴史を刻んで参ります」。少人数で取り組んだ『結成60周年記念式典&祝宴』、在籍者の一人として、最低限の責務を果たせたかと自負しております。次は若者に委ねます。みなさま、ありがとうございました。







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| 社長日記 | 09:24 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松栗林ライオンズクラブ結成60周年イベント本番
昨晩は申し訳ありませんが、二次会で失礼しました。クラブメンバーの最終は『午前様』とか、お疲れ様でした。今日はいよいよ本番、『式典&祝宴』が行われます。国際ホテル集合は7:45、統一地方選挙後半戦の告示日と重なり、ホテル駐車場も被っているようです。ハプニングは、往々にして起こります。メンバーの現場対応力、頭が下がります。

まず高校生茶会から、始まります。栗林クラブは、『高校生茶会』を支援しています。今日は高松第一高の茶道部が、狭いところでお手前をしてもてなしてくれています。受付を終えた参加者が、隣の会場での茶会です。ここから移動して本館2階の『讃岐』で、式典が行われます。最終の確認が終わったのが午前10時、30分後に式典が始まります。

式典は予定通り始まりましたが、開始10分経過に大失敗が発生。出席クラブ紹介の最後、『坂出白峰ライオンズクラブ』を紹介し忘れたのです。あってはならない失態ですが、丁度次の次第『歓迎のことば』のために実行委員長の私が起立し、ひな壇の前にいたため平身低頭で謝りました。ここで意に反して大笑い、緊張が一気に氷解しました。

所属リジョンが違う坂出白峰ライオンズクラブ(5R)が、4Rの栗林クラブの記念式典に来ることは希有なことです。三顧の礼を尽くし、L馬場基尚と招聘のためにクラブ訪問をした結果です。それを紹介し忘れたのですから、『あっけにとられて』瞬間騒然として、次の瞬間大笑いに包まれて、会場が一気に和みました。実行委員長としては大失態、とんでもない失礼をしでかしました。改めて、お詫び申し上げます。「もりさん、皆さん御免な」

司会のL櫻井和臣と幹事L山本純の取り計らいで見事に修正し、気を取り直して次ぎに進みます。時間は予定通り60分で、終えました。前半開始すぐに3回転半ジャンプに失敗しながら、後半まとめて好得点で終えたと思いました。詫びている時間はありません、祝宴会場の新館『瀬戸』へ急ぎます。30分後に祝宴が始まります。祝宴会場のリハーサルも終えて、『瀬戸』は開場を待っています。

入場は、姉妹クラブ『岡山後楽LCカンタビレ支部』合掌団のウェルカムコーラスから始まります。白石由美子会長方針『手づくりのもてなし』を、実践したものです。これまで記念祝宴で、姉妹クラブの協力を求めたことはありません。初めての試みでしたが、結果大きな功績を残すことが出来たと自負しています。ありがとうございました。

統一地方選挙後半戦の告示日で、池田豊人香川県知事とKSB瀬戸内海放送の加藤宏一郎様は祝宴から参加。L佐久間勝(式典&祝宴部長代行)の軽妙な司会で、大変盛り上がります。ご祝儀舞『大和楽「寿」』(西川萬壽)、岡山カンタビレ、三味線姉妹ユニット『JOKER』、会バンド(L馬場基尚率いる法曹会ユニット)で開場大盛り上がり。『宇宙戦艦ヤマト』では、ビッグネームのコンサートのようなノリノリです。

本日の登録者は予定の170名を超えて、190名の多数から申込み頂けました。遠くは金沢兼六ライオンズクラブや島原ライオンズクラブ、高知黒潮ライオンズクラブ。近くの岡山後楽ライオンズクラブ、スポンサークラブの高松玉藻ライオンズクラブ、子クラブ高松屋島ライオンズクラブ、加えて多くのブラザークラブから登録を頂きました。もちろん坂出白峰ライオンズクラブからの10名も入っていますよ。皆さん、ありがとうございました。













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| 社長日記 | 12:21 AM | comments (0) | trackback (0) |
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