昨日16日、高松栗林ライオンズクラブ結成60周年記念式典&祝宴が終わり、参加者の多くが満面の笑みを浮かべて帰る姿を見送りながら、終わったなと胸をなでおろしました。遠路の長崎県島原ライオンズクラブは、終盤に差し掛かった頃、会場をあとにされました。1990年島原普賢岳噴火から30年超、今度は高松栗林が島原へ行きます。
祝宴で司会のL佐久間勝(式典&祝宴担当責任者)が、33年前の島原第四小学校から普賢岳の噴火活動で何も出来ず落ち込んでいた子どもたち20余人を、東亜国内航空の飛行機に乗せて第5回高松冬のまつり(12月20日頃から1週間)の点灯式に招いた、そのアクティビティの島原側責任者であった松尾錦二ライオンからの長い祝電を披露していました。錦ちゃんありがとう。当時のひげの市長、鐘ヶ江管一元島原市長からも頂戴しました。
祝宴は、私が1週間前に天然色で思い描いた通りのフィナーレを迎え、L馬場基尚率いる『会バンド』の『また逢う日まで(ライオンズ最終ソング)』生演奏で、参加者が輪になり大声で歌っていました。その前に鏡原勲男4R4Zゾーンチェアパーソンが、厳かにライオンズロアー(閉会宣言)をしたあとで、効果満点でありました。リジョンやゾーンを越えたオールライオン、みんなで作り上げたフィナーレになりました。
長かった3日間、短かった3ヶ月、あれやこれやと考えた6ヶ月、そして悠久の60年間。高松栗林ライオンズクラブは誕生から60年、青息吐息でここまでやって来ました。司会L佐久間勝の最後の台詞、「生まれ変わった栗林は、明日からまた次の歴史を刻んで参ります」。少人数で取り組んだ『結成60周年記念式典&祝宴』、在籍者の一人として、最低限の責務を果たせたかと自負しております。次は若者に委ねます。みなさま、ありがとうございました。