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新型コロナワクチン3回目接種は12月からと仏生山の矜恃
新型コロナウィルスワクチンの3回目接種が、いつの間にか現実化してきた。65歳以上の高齢者への接種券発送時期に関し、高松市は12月と明言した。接種券を一斉発送せず、数回に分けることで予約時期を分散させることとした自治体も多い。私は3回目は、一斉配布で、積極接種を希望する人から接種すれば良いと思います。

新型コロナウィルスは、これまで人類が経験したことがない災難で、対応も後手に回ったと言われているが、弁護するわけではないが初めての体験で、政府も自治体もそして個人も振り回された。もちろん終わったわけではないのだが、3回目の接種も必要というなら、それを理解する人から順に接種すれば良い。

最近感じるのは、これまで災害に対する受け皿として公助・共助・自助と言われていたが、昨今は真逆のように感じだしたのです。つまり自助・共助・公助の順に、考え方対応が変わってきたように思います。自助つまり自分がやることには自ずと限界があると思うのですが、言えることは『待っていては死ぬ』と感じることが増えてきました。

出来ることは限定的でも、自分でやることですから確実です。国にしても県市でも、「金がない」と言います。公共事業にしても災害対応以外は、積極対応は全くないと感じます。特に用地取得に対しては、『ゼロ回答』。こうなると必要なモノの取得は民間でと言うことで、仏生山コミュニティセンター隣接の用地取得は、NPO法人が窓口になって取得のための募金が進んでいます。

予定では第一次計画、つまり募金270万円達成で、所有者の好意で建物解体、駐車場としての使用開始が視野に入ってきました。私も職業柄、高松市固定資産税課と交渉し、高松市へ寄付採納するまでの暫定期間の非課税を事前に交渉したり、県税事務所に『不動産取得税』の課税免除交涉へ行っています。

高松市の職員は最終的に高松市所有地になるため、理解は早いのですが、県税事務所は『経緯を説明した公的文書』の提出を求めてきます。条件が達成したら寄付採納を議会で承認し、それからのことを事前に文書で提出することなど、担当公務員の権限ではとても出来ることではありません。議論の余地はありません。『検討して下さい』と私は、庁舎を跡にしました。

今月末には第1段の成果が、目に見えるモノとなります。後半戦が大変だと自覚していますが、自分たちに必要な駐車場の取得、これから将来のことを考えたら、子孫に残せる現代のわれわれの矜恃として、成功されて、『自助から始めよう』の実践例としてあらわしたい。

募金者の名簿は「特定非営利活動法人仏生山魂再開発フォーラム」のホームページに掲載しています。

ここをクリック

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| 社長日記 | 09:52 AM | comments (0) | trackback (0) |
感染症と赤十字~治療と予防の歴史~赤十字NEWS10から
日本赤十字社の歴史は、1877年の西南戦争中に援護団体『博愛社』として設立されたところから始まったようです。知らなかった私。
西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本国内で最後の内戦となっている。73年征韓論に敗れて政府を辞した陸軍大将西郷隆盛は,以後鹿児島で私学校を経営して九州各地の士族の子弟を多数養成し,新政府の武士層解体政策に不満をいだく全国不平士族層の間に絶大な声望があった。西南戦争については、別の機会にまた長々と書きたい。

日本赤十字社の創立者は、大阪の『適塾』の緒方洪庵から医術を学んだ元藩医・佐野常民。西南戦争のさなか、佐野は東京で物資や資金の調達に奔走しながら、長崎の救護所の部下に何度も電報を送りました。その内容には、「空気の清浄、衣服の清潔には特に注意あるべし」と感染症予防の指示が。まさに当時、長崎からコレラの流行が始まり、戦場の兵士、そして全国へと感染が広がっていったのです。

しかし博愛社の救護所ではコレラ患者を出さず、博愛社の活動の評判を聞きつけた熊本県令(知事)は、コレラがまん延する水俣への救援を求め、後に熊本での感染症押さえ込みの貢献に対して、感謝状が贈られました。治療薬がなかった時代でも、衛生管理が功を奏しています。

その後『日本赤十字社』と名を変えてからは、日本初の看護婦養成の教科書に感染症の予防知識を盛り込み、ポスターや刊行物を通して予防普及に尽力し、地域の公衆衛生を向上させて病気を未然に防ぐ『社会看護婦(保健師の先駆け)』養成を開始しました。

その後1923(大正12)年9月1日、『関東大震災』が発生。日赤の本社社屋は、ほぼ全焼しましたが、被災全域に51カ所の救護所を設置し、各県から医療救護班を動員、昼夜の別なく206万人を救護しました。また、衛生環境の悪化から各地に赤痢や腸チフスの感染者が出始めると、感染症が爆発的に拡大することを未然に防ぐため、日赤の中央病院と東神奈川に伝染病院を付設、須崎と板橋にも臨時病院を建てて患者を収容、東京府下の感染流行を食い止めることに貢献しました。

国内でも最も死亡率が高く、若者が犠牲になった結核に対し、1911年日赤は、結核予防撲滅事業を開始。1920年には、ロシア革命後の混乱で親を失ったポーランド孤児の受け入れを開始。翌年、東京で腸チフスが大流行すると孤児たちも次々と感染。看護婦らの献身的な看護により全壊し、全員が母国に帰還できたと書かれています。

1945年に終結した太平洋戦争では、戦傷だけではなく感染症によって多くの命が失われました。戦地でも感染患者は隔離されて治療を受けましたが、戦地に派遣された日赤の救護員が衛生状態も栄養状態も悪い苛酷な環境で罹患し、命を落とした例もありました。患者治療と移送のための病院船では、戦中のみならず終戦後の引き揚げ時にもコレラなどの感染症患者を受け入れ、船尾にある伝染病室に収容し、揺れる船内で救護員は患者の治療と世話に明け暮れました。

2011年3月に発生した東日本大震災は、ピーク時で47万人の避難生活が余儀なくされました。例えば石巻では朝から夕方まで避難所をまわり、マスク・消毒薬・手指消毒剤などを配布し、トイレなどの衛生管理の指導を続けました。その後2016年の熊本地震を通じて、日赤は感染症との長い戦いの中で、『感染症から命を救う』には『感染する前に救う』ことが最重要であると、実践を通じて学んだと結んでいます。

蛇足ですが高松赤十字病院は、明治40年6月1日に『日本赤十字社香川支部病院』として設立されて以来、医療法における公的医療機関として地域医療の中核を担うと共に、災害時には医療救護活動の重要な拠点として地域医療に貢献しています。令和2年4月から本館北タワーが本格稼働となり、高度医療機器を整備拡充しており、更なる診療機能の強化、業務の効率化を図り、高度専門医療を提供する公立病院として質の高い医療の提供に努めています。この9階に私も入院していました。



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| 社長日記 | 10:13 AM | comments (0) | trackback (0) |
香川県教委発表県内いじめ発覚3031件それでも7年ぶりの減少
香川県教委は13日、県内の国公私立小中高と特別支援学校のいじめの認知(表に出た)件数は3031件で、過去最多だった前年度から159件減少したと発表した。減少したのは7年ぶりで、そう大きく変わったとは思わない。うち小学校が1927件と6割以上。中学校ではその半分に激減する。小学校のいじめ撲滅を、根絶のターゲットにするか。

一方、30日以上欠席した不登校の児童生徒は、19人増の1496人で、2年ぶりに増加した。これは新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、学校の授業等のやり方変更にも影響があったと思われる。私もそうだが、人間サボりだしたら、なかなか元の生活パターンに戻りにくい。大人でもそうだから、子どもは余計に漫画やゲーム、アンパンマンユーチューブにはまる。

県教委は『感染予防の取り組みの中で、いじめにつながる対面での交流が減った。不登校は、一斉休校などによる生活リズムの乱れが影響した可能性がある』と、相変わらず暢気な見解を述べるにとどまっている。積極的な解決策は、本人も学校も、父兄も教育委員会も持ち合わせていない。現場の教員には、ますます無理難題を押しつけそうだ。

少子化の中でも子どもが誕生してから成人になるまで、または高校卒業まで、無事に育つことが非常に難しい時代になっている。昔は病気や栄養失調で、途中でトラブルがあったと言うことも聞いたが、今の時代は『心の問題』を抱える子どもたちが多いのと違いますか。貧困から、三食食べられない子どもも稀にいるようだが全体的には飽食の時代、食品ロスが問題になる一方で、明らかにミスマッチが都会はもちろん地方都市でも散見される。

何とか無事に18歳の誕生日を迎えられるよう、現代を生きるわれわれが協力しなくてはならないのだが、では具体的に何を手伝えば良いのか、それさえも分からない。私も2人の子育てが終わり、もう役割は終わったと思っていたら、2人の孫の成長を間近に見ることになった。せめて子どもらがいじめられないようにと、PTA役員も保育園から高校までやった。それでも長男はいじめられたという。父は知らなかった。

確かにいじめは昔も今も、2人以上がいるところでは発生してもおかしくはない。難しい問題だ。このいじめもそうだが、『恨みを抱く』ことは多々ある。考え方でアースできれば、ほんの些細な問題として取り立てることもないのだが、『恨み』が殺人や放火の原因となると、その犯人だけの個人的遺恨として片付けるわけにもいかない。『心の問題』は、この教育が全く出来ていないのです。

『人間として正しいこととは何なのか』、これは私が師と仰ぐ稲盛和夫塾長の言葉です。天は、誠実な努力とひたむきな決意を、決して無視しないのです。人間教育・道徳教育・倫理教育といえば、時代に逆行するように思われがちだが、そうではなくて、正しいことを探すための押しつけにならない教育(しかし教育とは、そもそも強制だと思う)、今こそそれが求められているのではないだろうか。

立派な考え方を持つようにしなければならないにも拘わらず、どういう考え方をしなければならないのかと言うことを、最近では先生や両親も教えてくれない。道徳、倫理のようなモノを学校で教育するのは、よくないと反対する先生もいますし、今の若い両親も、そういうことを自分自身が教わっていないため、自分の子どもにもどのように教えれば良いのか分かっていません。

しかし人間には、人間として生きていくための規範が必要なのだということを、本当は子どもの頃から教えなければならないと思うのです。


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| 社長日記 | 08:44 AM | comments (0) | trackback (0) |
オイスカ四国支部第299回常任幹事会
10月13日(水)15時から、綾川町の四国研修センターで標題の幹事会が開かれた。新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、幹事会はここ四国研修センターで開催され、それがまん延防止等重点措置が解消しても続いている。確かに郊外にある研修センターは、「密閉・密集・密接」とは縁のなさそうな立地であります。

本日の議題には、重要案件が連なっているのですが、『香川青年会』の設立承認が一番の目玉であります。発起人の一人元四国支部会長の石井淑雄氏が、オブザーバー参加されています。今回の青年会発足のための予算が、当然予算化されていなかったモノで、活動費が寄付されました。



四国支部では41年前、昭和55年12月に『初代青年部』が発足し、当時のメンバーが現在でもシニアーとして在籍されています。特別枠ではなく、会勢の活性化のために、特に若者が選択的入会を勧誘されたようであります。石井淑雄氏もその当時の青年部員で、活性化に大いに貢献したという実績があったようです。現四国支部事務局長の塚田修一氏も、坂出支部の宮崎元会長も、当時の会員だったと聞きました。

石井淑雄氏は今回もそうですが、組織内の新規役職者を予め決めて、周囲の内諾を得て会議で議決を得るという手法をとります。いまの四国支部泉雅文会長も、高松推進協議会の会長から現職への転籍ですが、その穴埋めとして坂出支部会員(長く坂出支部に在籍していました)の私が高松推進協議会の会長に穴埋めとして配置されています。私には「とりあえず坂出支部所属で入会したら」。

今回もまだ正式に発足されていない青年部ですが、正副会長・事務局長予定者も出席しています。石井淑雄氏は、昨年まで坂出商工会議所会頭でしたが、どこでも同じような人選で素早い体制構築に成功しています。うまいやり方ですね、外堀を埋めて、一気に加勢で突き進みます。組織は人ですから、トップを決めてそれを中心として組閣をする。こうしておくと、誰も面と向かって反対を言う人はいない。



コンセンサス(合意)を早くにとって、規制の事実化してことを進める。策士ですね、見習うべき事が多い石井淑雄氏です。これからライオンズクラブの、いわば四国州知事になる噂も出ています。こう言う人材は、あっちこっちで引っ張りだこです。


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| 社長日記 | 10:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
TSMCとソニーの熊本工場に政府が数千億円の支援金を検討
日本政府が衆院選挙後に編成する2021年度補正予算で、半導体生産工場の立地支援として、数千億円を盛り込む方向で検討していることが、8日分かった。世界的な半導体製造大手の台湾積体電路製造(TSMC)が、ソニーグループと熊本県に共同建設する案が浮上。米中の対立激化などを背景に、半導体の供給網強化が急務となっており、安定調達できる体制を整えて経済安全保障の強化を図る。

台湾が本拠のTSMCは、半導体製造で世界トップの技術力を持つ。誘致した場合の建設費は7~8千億円程度とみられ、半分程度を支援する方向で調整している。ソニーは熊本県菊陽町に既存工場があり、スマートフォンなどに使われる半導体の画像センサーの生産を手掛けている。TSMC首脳は7月の株主総会で、日本での工場建設を検討していると明言している。

ただ日本では、海外メーカーの誘致も視野に巨額の建設費を支援するのは異例の対応で、国民の理解を得ることが求められる。しかし主要国は、国を挙げて半導体の供給網強化を進めている。バイデン米政権が議会に、5兆7千億円規模の巨額支援を要求。中国は計10兆円を超える半導体産業向け基金があり、欧州連合(EU)も半導体を含むデジタル分野に約18兆円を投資する。

先にも触れたように、日本政府が海外企業に巨額の支援をするのは異例のことで、今後曲折も予想される。半導体不足が世界的に深刻化するなか、TSMCは海外では、米中に続く3番目の進出先に日本を選んだ。しかし今後も多くのハードルが残る。TSMCが日本で生産を予定する半導体は、先端品ではなく、10年以上も前の技術の半導体であることも課題の一つだ。

しかも製品の生産には多種類の半導体が必要で、日本で作るのはその一部だけ。これで本当に、日本の経済安全保障につながるのか。また新工場が稼働する『24年には半導体需要は大きく緩む』(業界関係者)と予想される。数千億円を投じる意義が今後、真に問われることになる。しかし私は、将来の果実をいま種として撒いておくべきだと考えている。半導体は日進月歩、いまもこれから先も必要だ。

突然ですがルームランナーが故障したもので、散歩に変えて歩数を稼いでいます。こんな単純な機械にも、半導体基板が入っている。掃除機で埃を吸い込んでいて、動かなくなった。修理は、なかなかやってこない。毎日使っているというのに、緩い対応だ。次はメンテナンスの良し悪しで決めることにする。腹が立つが、もはや半導体なくして日常生活が成り立たない。

ノートパソコンも交換したが、こちらも半導体の寄せ集めで、どれ一つ不足しても機能しない。そこまで人間の生活は、半導体に追い込まれている。海外企業TSMCへの投資は初めてかもしれないが、熊本県内というのが落ち着く。万一撤退した時には、別の企業誘致をしたら元は取れる。そう考えないと、いつまでたっても前へ進めない。


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| 社長日記 | 07:49 AM | comments (0) | trackback (0) |
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