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旧盛和塾四国四塾四国合同Zoom例会2020
盛和塾の本部は昨年末に解散し、四国内の四塾もそれに追随し、解散しました。しかし学びの浅いわれわれは、稲盛和夫塾長の残された教材を利用して『更なる学び』のために、香川は『香川胆識の会』として発足して、継続して経営の勉強を続けています。その一つでもあります『合同例会』は、昨年香川での担当を『琴平』で行い、それを最後としておりました。

徳島塾も『盛心塾徳島』として再スタートを切っていて、本日初めての『オンライン合同例会』を呼びかけてきました。これに呼応し、『香川胆識の会』は大勢が『花樹海』に集まり、どうしても集合研修に応じられない会員は、4会場を繋ぐZoom回線に参加しています。その総数は、いつもにもまして、99人の参加という新記録だそうです。

いつものように『経営体験発表』があり、稲盛和夫塾長の教えをどのように経営に反映し、成果を出しているかの報告であります。『盛心塾徳島』から『日産サティオ徳島・藤村恭之氏』、『敬愛塾愛媛』から『三瀬商店・三瀬康弘氏』、『香川胆識の会』から『パパベル・辻清司氏』がそれぞれの会場で報告しました。

正直なところ映像には問題が無いのですが、音声は多少の改善が求められるとこであります。香川会場は、担当の奈良俊介塾生(奈良電機重工(株)取締役)が工夫をされて、ピンマイクにしていました。これの音声がどのように伝わっているか知るよしもありませんが、形状を見る限りは「高音域」を拾って、相手には聞きやすく伝わっていると思います。

初めての試みで、大過なく及第点です。次回もこの方法でやられると思います。発表会の後はいつものように『コンパ』をして、食事の後にまた感想や質問が飛び交っていました。オンラインでも参加者がいるように、コンパには参加できないという経営者もいて、参加形態も大きく3つに分かれました。今時ですから、どの参加も許されています。

さて『香川胆識の会』の『パパベル・辻清司氏』の発表でしたが、私は氏の経営体験発表を聞くのは初めてであり、56歳と私より丁度ひとまわり違うのですが、『覚悟』が半端ではなく、この人ならより美味しい『パン』をつくり、従業員を幸せにするだろうなと感じました。大変感動しました。私は元来うどん派ですが、『パパベル』のパンを早速買い求めに走ります。

また香川会場では、『機関誌マラソン』の話題も出ていました。これまでの30年間に発刊された155号の『機関誌内の塾長講話』を読んで、感じたことをまとめて所属グループのみなさんへメールします。私も片隅であえいでいますが、1週間は実に早いものです。改めて、『心を高め、経営を延ばす』を強く感じています。





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| 社長日記 | 09:45 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松空港株式会社コロナに負けず国内路線新設強化へ
高松空港株式会社は14日、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、2020年度下半期(10月~21年3月)の新規ルートの開設を、国外から国内へ移すことを発表した。このコロナ期に新規ルートの開設とはいかに、と思いながら民営化した企業は、アフターコロナ(コロナ収束後)を見据えて手を打っている。これまでのインバウンド狙い外国便から、北海道や沖縄路線という国内便を開設する、つまり国内路線の充実へシフトしている。

私はこの狙いは大正解だと、拍手喝采を贈る。確かにインバウンドで、高松も他の地方都市同様に潤ってきた。その反面生活習慣などから、問題も多く発生していたのも事実。沢山の『円』を使ってくれることから、多少の『お行儀の悪さ』にも目をつぶってきた。外国人観光客が暫く来ない高松空港は、日本人相手の商売をするしかないという選択だ。

どこかの空港で、1時間半の地元フライトをやっていた。これも、良いアイデアではないか。飛行機と言えばついつい遠距離だと思いがちだが、付近をぐるっと回って来るのも新しい発見だろう。人が乗らないなら、荷物を載せる発想もありだ。飛行機というインフラを、十二分に活用したい。このほか、3密回避など新しい生活様式を踏まえた空港利用として、水陸両用機で高松空港と小豆島間を移動する旅行商品の開発なども検討している。

その一つが新路線の開設だが、札幌・仙台・静岡・名古屋・福岡の5都市と、沖縄県宮古市の下地島(下地空港)を目標に設定。まずはチャーター便の実席を積み上げ、定期便の誘致につなげるという。『高松空港と地域の活性化プラン』に盛り込まれているが、観光客に対して数は少ないが、香川県への移住人口も馬鹿にならない。結節点が増えると、人の動きもさらに活発化する。

札幌は観光需要が安定的に見込め、今冬から松山線が運休する。仙台は東北エリアの中心地だが四国との路線がない。静岡は意外と言ったら失礼だが、『富士山静岡空港』をグループ会社が運営していることから、空港同士の連携で需要を掘り起こせるとしている。下地島は、季節チャーター便の運航を働きかける。沖縄本島那覇空港への定期便は、稼ぎ頭の一つに成長している。

高台に位置する高松空港は、降雨や濃霧などの影響を受けやすく、視界不良が原因の欠航が発生しやすい。県によると、2017年度は計96便、18年度は計38便、19年度は計34便が濃霧が原因で欠航している。私も一度だけ、高松商が明治神宮大会で優勝したその日(2015年11月17日)、羽田空港を離陸したJAL便は、大阪空港に着陸するという経験をした。

また濃霧の影響を受けやすい高松空港(高松市香南町)の機能強化に向け県は、視界不良時の着陸誘導装置を高性能化した場合、今後30年間で約15億円の便益が見込めるなどとする独自試算をまとめた。整備コストも、国の想定より25%削減できると推計。「高性能化に伴う費用対効果は国が事業化を判断する基準を上回る」としており、県は国に早期整備を要望する方針だ。

各空港は霧などの視界不良対策として、航空機に電波を発射して滑走路に誘導する『計器着陸装置』を活用。性能が高いほど精密な誘導が可能だが、高松空港に整備されているのは、最も性能の低い『カテゴリーⅠ』。地上60メートルで、滑走路や灯火といった目標物が見えなければ着陸をやり直すなどの条件が設けられている。

県は、着陸ぎりぎりまで滑走路などが見えなくても、自動操縦で安全に着陸できる『カテゴリーⅢ』の導入を国に要望。しかし国は、周辺に険しい坂があり、装置などを設置する用地造成費が高額になることなどを課題に挙げている。

そこで県は昨年度、工事費の削減策や便益向上策を独自に試算した。用地造成に特殊な工法を用いることで、工事費は国の試算(75億円)を下回る56億円に抑えられると算出。濃霧などが原因の欠航が減ることで、鉄道などから空路に切り替える人が増え、高松-羽田間の利用者数が年間約4万2千人増加すると予測し、今後30年間の便益は約15億円に上ると試算した。

コストに対する便益を数値化した「費用便益比」は、国が事業化の目安とする「1・0」を上回るとしており、県は「関係機関に事業の必要性を理解してもらうと共に、国に改めて費用対効果の検討を要望したい」としている。産官連携して、高松空港の多面的利用を働きかけて欲しい。災害時の拠点空港としても、中四国では『高松空港』に勝る立地の空港はない。高松空港以外ほとんどが海に面していて、水没が心配される。





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| 社長日記 | 09:00 AM | comments (0) | trackback (0) |
菅義偉首相と稲盛和夫塾長は通信料金値下げ積極論者
コンピュータトラブルのため、日記のアップが夕方になってしまいました。申し訳ありません。今日のネタは、電話料金に関してであります。菅氏が官房長官だった2018年から始まった官製値下げでも、低料金化が進まなかった大容量プランの再値下げを、菅義偉首相が声高に号令し、武田良太総務省は「ちょっとやそっとの値下げは値下げと言わない」というような発言で、キャリア各社を恫喝(流石に言いすぎか)している。マスコミ報道が事実としたら、当期純利益が20%もあるのは確かに儲けすぎだろう。

随分昔のことになるが第二次臨時行政調査会は、1981(昭和56)年に発足し、鈴木善幸内閣(昭和55年7月17日-57年11月27日)が掲げた「増税なき財政再建」を達成すべく、行財政改革についての審議を行った。会長を務めた土光敏夫氏の名前から、「土光臨調」とも呼ばれる。これによって『三公社民営化』などの提言は、中曽根康弘政権(57年11月27日-62年11月6日)の一連の行政改革に結実していった。また、総合管理庁構想は、後の総務庁の設置、橋本龍太郎政権(平成8年1月11日-10年7月30日)における省庁再編につながっていると考えられる。

この『三公社民営化(国鉄分割民営化・日本電信電話公社・日本専売公社)』を聞いた稲盛和夫塾長は、日本の電話料金が世界各国に比べてべらぼうに高いと考えて、民営化に伴い、どこかが手を挙げて電気通信事業を立ち上げてくれないかと期待をする。最終的には1985年(昭和60年)に、公衆電気通信法は電気通信事業法に改正され収斂された。

これにより、同公社の民営化と、電気通信事業への新規参入、および電話機や回線利用制度の自由化(端末の自由化・通信自由化)が認められた。同公社の民営化までは、国内の通信(電報、専用線など)、通話(電話)業務を明治初期から100年間単独で行ってきた。だから通信料金が高止まりなのだと、稲盛和夫塾長は考えるようになった。

盛和塾内では有名な話だが、『動機善なりや、私心なかりしか 』と毎夜自らに問いかけ、誰も挑戦しないのなら、自らがやってみようと考えるようになっていく。前後して稲盛和夫塾長は、1984(昭和59)年4月私財200億円を投じて、財団法人『稲盛財団』を設立している。この年12月25日、電電公社改革三法案が成立しているのだ。

このあたりから本日の本題、日本経済新聞『私の履歴書小野寺正(KDDI相談役)』の手記に入る。1983年11月の『鹿ヶ谷』の会合では、稲盛和夫の構想は固まっていたが、それをすっぱ抜いたのが翌84年3月10日の日経朝刊。トップページに、「京セラなど”第2電電”設立に動く」と大見出しで報じたのだ。

記事の波紋は大きかった。これが号砲となり、後出しジャンケン的に続々と新規参入者が名乗りを上げた。第1号が建設省と日本道路公団の連合で、後にトヨタ自動車が加わり、『日本高速通信』となった。高速道路網を利用し、光ファイバー網で全国を結ぶ構想だ。それに続いたのが国鉄だ。光ファイバーを張り巡らせる管路(鉄道網)を持つだけでなく、全国の『みどりの窓口』を結ぶ発券システムのデーター通信などを運営する2,000人以上の通信技術者を擁していた。『日本テレコム』であった。

小野寺正氏は、稲盛和夫の篤い思いに感銘し、84年5月に公社に退職願を提出したが、紆余曲折を経て、結局10月末の退職が認められた。第二電電が高速網や鉄道網などのインフラを持たないため、新たにマイクロ無線網を敷設するしか方法はないのだがその際は、公社の既存の無線網と干渉しないことを証明する必要があり、そのための計算アルゴリズムは公社しか持っていなかったからだ。そのために円満退社でなければ、第二電電へ行く意味がないのだった。

小野寺正氏が電電公社を何とか円満退社し、第二電電(DDI、当時の正式名称は第二電電企画)に入社したのが1984(昭和59)年11月1日、36歳の時だった。使命はインフラの整備。具体的には、東名阪を結ぶマイクロ無線網を一刻も早く完成させること。このマイクロ無線網こそDDIの屋台骨であり、逆に整備が遅れると、売上0の日々が続くことになる。

小野寺正氏は公社からの情報開示やDDIの事情を踏まえ、早急にルート計画をつくった。その際、古巣の公社無線部門には世話になった。その甲斐あって、11月下旬にはルートをほぼ確定した。東名阪の山中8カ所に鉄塔を建て、その間をマイクロ無線で結ぶのだ。公社の当時の工程では、東名阪を結ぶマイクロ無線網の整備に8年以上かけるのが通例だったが、そんな余裕はない。

例えば岐阜県揖斐郡の国見岳では、工事の人には山岳部よろしく徒歩で現場まで登ってもらい、必要な物資や機材は上空でホバリングするヘリコプターから吊し降ろすという手法を採った。苦労した甲斐あって、東名阪の無線ルートは着工から2年半足らずの86年の夏に完成。世間を驚かせたのだった。

これに伴い、1987年(昭和62年)に正式に、『第二電電』、『日本テレコム』、『日本高速通信』の3社が長距離電話サービスに参入した。電話事業の独占的環境にあった量的拡大の時代は、競争環境下における質的高度化の時代というステージに移行した。こうして『DDI』は国際電信電話『KDD』と合併し『KDDI』となり、販売では『au』として今に至っている。

開業当時の東京-大阪間の通話代金は、日本電信電話(NTT)が3分400円だったが、第二電電は、同300円の料金を実現。国民に安い電話通話料金を提供するという稲盛和夫の大義は、見事に成就した。その後、『日本テレコム』、『日本高速通信』は敢えなく撤退している。盛和塾で稲盛和夫塾長から聞く話とクロスして、新鮮な気持ちで小野寺正氏『私の履歴書』を読んだ。13日『電電退社』14日の、『無線網構築』なかなか面白かった。


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| 社長日記 | 04:15 PM | comments (0) | trackback (0) |
高松商渡辺和大投手は高松北LC元会長渡辺正司さんの三男だった
公益財団法人オイスカ四国支部の事務局を、今の高松市番町二丁目の『第二讃機ビル』から、綾川町の『四国研修センター』内に移すかどうかの議論が伯仲している途中、電話やラインが幾つか入ってきました。会議が終わってスマートフォン(スマホ)を見ると、ライオンズクラブ元4R4Zゾーンチェアパーソン・渡辺正司(プルデンシャル生命保険㈱高松支社)さんからでした。最近小欄に書いた、高松商の渡辺和大投手に関するモノでした。

標題の通り、渡辺正司さんの三男が高松商の渡辺和大投手(1年)だと言うのです。そうでしたか、私はそんな関係は存じ上げず、素人見聞の感想を書いただけですが、あの渡辺さんの息子さんであればあの体つきは納得です。まだまだ大きくなると思います。「18渡辺和大投手(1年)はこの2試合で、自信を付けたと思います」。このように会長日記に書きましたが、あながち間違いではなかったと自信を持ちました。

渡辺和大投手は、香川大学付属坂出中学校出身です。長尾健司監督は過去にこの中学校の野球部監督でした。何か縁があるのではないかと、思っていました。ここからの高商入りは、初めてではないでしょうか。御尊父も「長尾健司監督から2020年4月に声かけられて、進学先を高松商の英語実務科に変更した」とLINEに書いていました。恐らく『丸亀高校』進学から、変更されたのではないかと拝察します。

オイスカの今日の席でも、『松野の高商愛が異常だ』と泉雅文(JR四国会長)オイスカ四国支部会長から揶揄されましたが、私の日記のネタは身近なモノですから、母校の野球ネタも当然でてきます。長尾健司監督が就任されてからの、『高商野球』も楽しみです。また野球だけでなく、『高商』という学校も面白いのです。

特に渡辺和大投手が在籍する『英語実務科』は進学組で、卒業生に『医者や弁護士』などの専門家が大勢います。私が在籍したのは商業科ですが、その翌年からこの『英語実務科』が創設されました。そのためか前年も優秀な生徒(私は含まれていません)が、県下一円から集められていました。その一番が、庵治中学校から来た『岡田一博』でした。京都大学から野村證券に就職しました。

今年高松商業高校は、創学120年。英語実務科は、創設50年になります。2年生は、海外への英語研修・HOMEステーへ行きます。また今では渡辺和大投手のような、勉強と部活の両立も許されています。選択自由が、良いですね。8月は初孫「百笑ももえ」の誕生日でした。私は『百笑』の好物の『ヤクルトと瓦せんべい』と、英語実務科の『入学案内』を誕生プレゼントにしました。みんなに笑われましたが、『そんなの関係ない』。

ここまで書いて、思い出したことがあります。高商野球後援会の会長真鍋健彦氏(香川日産会長)が、「今年入学した生徒が、東大野球部へはじめて入学するかも知れない」と長尾健司監督から聞いたそうです。父親さんへ確認の電話を入れたのですが「電話に出られない」とのアナウンスでした。もしかしたら、渡辺和大投手(1年)かもしれない。こちらも楽しみです。


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| 社長日記 | 10:02 AM | comments (0) | trackback (0) |
ラ・ムー高松中央店新設計画説明会
小売業者大黒天物産株式会社(岡山県)が運営する『ラ・ムー高松中央店』の新設説明会が、12日19時より、高松市林町のサンメッセ香川2階中会議室で行われました。近隣住民など20名弱が、熱心に説明に聞き入っていました。説明会はどなたでも参加できますと、新聞チラシで告知するほど、既に香川県と高松市へ設置届けを出しており、来年4月14日の開店を目指しています。

新設の場所は、高松市多肥上町1126番地ほかで、敷地面積は発表されていませんが、12,000㎡(約4,000坪)程度かなと推測します。高松南警察署から西へ500メートル程度行った、コンビニ『ローソン』の西、県道太田上町志度線(147号線)の北側であります。現在は南と東に接道がありますが、西側にも都市計画道路『朝日町・仏生山線』の開通が見込まれています。市に確認したところ一部墓地を除いて、用地買収は完了したとのことでした。

ここに『店舗棟1』としてラ・ムー高松中央店が入る売場1,943㎡(587坪)の建物と、テナント用の店舗棟2の700㎡(210坪)の二棟が建設予定です。ラ・ムー高松中央店の営業形態は、食料品・住・生活関連品・酒類販売の24時間・365日営業のスーパーマーケット。近くに点在するマルヨシセンターやマルナカ店と競合するのみならず、コンビニとも24時間営業では競うことになります。

質問で予想売上高を聞いたところ、質問には答えませんでしたが既設のラ・ムー高松西店(成合町)<高松中央店<高松東店(東山崎町)の売上予想であることは、明らかにしました。マーケットリサーチは、専門業者を入れて万全な体制だと思いますが、近隣住民への説明は、交通混雑と騒音対策の説明が中心となります。

当然現時点での交通調査も終えていますが、南北に走る県道『中徳三谷高松線(43号線)』は今でも混雑が激しく、OPEN後は、大渋滞が心配されます。至近の多肥小学校は児童増のため、運動場を校舎と離れたところにつくる位、教室の増築が続いています。つい最近、県道上に歩道橋を設置する工事が始まったほどであります。

計画では、「右折入出庫禁止を徹底する」としていますが、それは開店直後だけで、6カ月も経過すると買い物客も慣れて平気で右折入庫します。これが一番の渋滞原因です。東西の県道は中央分離帯があるため『右折入出庫』はないと思いますが、Uタウンするクルマも悪影響を与えかねません。便利と不便が両存するエリアが、近くに増えると思います。

新店舗はこれだけではなく、『ラ・ムー高松中央店』の開店を見届けてから、県道147号線沿いの丁度向かい側に『ハローズ』の新店が計画されています。ラ・ムー高松中央店は8年前から計画し、今では地代(定期借地権)を実際に支払っています。その位大型店の出店は、大変な苦労があります。弊社はこの2店のOPENには関与していませんが、成功を祈念しております。

ちなみに大黒天物産の株価は、5,360、ハローズは3,780、マルヨシセンターは3,345。どこの店が品揃えが良い、価格が安いというのは株価とは直結しませんが、上場会社は確かに数年先を見越して計画しています。新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、イオングループは赤字を計上しているほど、全く先が読めない中も前へ進むしかないのですね。



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| 社長日記 | 10:04 AM | comments (0) | trackback (0) |
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