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『アフターコロナの都市の姿』by日本大学経済学部中川雅之先生Zoomで
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、在宅勤務が増え、われわれの学びの場も「テレビ会議」方式に変わっています。その中の一つ本日
は、『JARECO中川先生を囲む研究2020』のZoom会議です。Zoomというアプリを使って、今日は数人が参加していました。もっともこれは録画で、これを改めて観ている人が数十名はいることでしょう。

COVID-19(新型コロナウィルスの正式名称)という、大きなショックがおきている。世界中で、沢山の人(78万人余)が亡くなった。都市のロックダウンにより、経済活動が停滞し多くの人が貧困化、危機に直面している。

このウィルスは人の『密集』によって、感染することが知られている。
→私たちの繁栄の基盤と考えられてきた「様々な機能を集積させることで生産性を上げる『都市という技術』の使用に関して、多くの人が懐疑的になっている。

→実際に、大都会への人や様々な機能の集中を、より強い手段で抑制すべきだとする意見を聞くことが増えている。何が、都市構造の変化をもたらすのか?

・スペイン風邪のメカニズムについてなにも分からない中、人々は『都市という技術』を使い続けた弊害を物語っているように見える。

・しかし『都市という技術』を用いないことで、生産活動が低迷し、多くの人が困窮し、最悪の場合に死につながりかねないことを考えれば、この傾向は単に近視眼的な行動や『過度の楽観性』に基づくモノとして、切り捨てることは出来ない。

・ワクチンや治療薬の開発、集団免疫の獲得が決定的であると言うのは、今回のパンデミックと100年前のスペイン風邪の間に違いはない。

・しかし両者が異なるのは、今回は「『都市という技術』を用いなくても、生産活動を維持できるという選択肢が与えられているように見えることだろう。

アンケートによれば、8割の人がテレワークは定着するだろうと思うと答えていて、実施した人の95%はテレワークを続けたいと言っている。それはそうだろう。テレワークは、まず通勤地獄(恐怖)からサラリーマンを救う。無駄な通勤時間もいらなくなり、子どもとの接点も増えるし、第一自由度が大きい。

では『テレワーク』が、都市システムにもたらす影響について

・『本社機能』と『生産機能』によって構成されている企業の立地選択を見てみることにしよう。

・『本社機能』は金融・会計・法務・広告など様々な専門的なサービスを利用しやすい場所に、一方『生産機能』は、財・サービスの生産に必要な中間財の取得が容易な場所に立地する方が望ましい。

・両者を統合した立地が選ばれる場合もあるが、コミュニケーションコストが高額化する。それがテクノロジーの導入(テレワーク等)によって『本社機能』⇔『生産現場』のコミュニケーションコストが低額化する。

意外かも知れないが、現在でも集中している東京のオフィス機能の集積は、更に高まるのではないだろうかと論じる。

テレワークは、都市内の構造をどう変えるか?

週何日か『フェイス ツー フエイス コミュニケーション』による補完が必要とするならば、一定の都市へのアクセスビリティが確保されなければならない。

要するに本社機能を都市部へ、生産機能を広大な郊外に持ち、その間をテレワーク等で繋ぐと、生産性も収益性も高まるだろうというのが中川雅之先生の考えだ。従って『都市という技術』は、衰えるどころか益々求められるようになると予想されている。一つの考え方だろう。



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| 社長日記 | 09:42 AM | comments (0) | trackback (0) |
日本がパラオに残したレガシーは?:ウエキ元駐日大使に聞く
公益財団法人オイスカの池田浩二事務局員からのメールに、興味深い対談がありました。紹介させていただきます。ニッポンドットコム・シニアエディターでジャーナリストの野島剛氏のインタビュー記事です。

戦前は日本、戦後は米国の委任統治を受けたパラオ。その両方を知る、ミノル・ウエキ元駐日大使に話を聞いた。

パラオは「日本」だった。正確にいえば、約30年間にわたって委任統治をしていたのだが、日本の文化や習慣が移植された、という意味においては、台湾や朝鮮半島、満州などよりも、パラオにおける日本の「濃度」は群を抜いていた。南洋の島々を統括する南洋庁が置かれ、日本人の南洋進出への夢をパラオは丸ごと引き受ける場所となり、現地人口の数倍の日本人があふれた。

その中で、戦前は日本人として育てられ、戦後はパラオ人として生きてきた人々がいる。彼らは戦後から現在に至るまで、日本・パラオ関係の支柱となってきた。その一人が、パラオの駐日本大使を務めたミノル・ウエキ(84)さんだ。

2013年に駐日大使を退任したウエキさんは現在、パラオのコロールで旅行会社を経営し、ダイビングや太平洋戦争の激戦の跡を訪ねる戦史巡りに訪れる日本人観光客を受け入れている。日本とパラオとの間で、揺れ動く一生を送った人から見た「日本とパラオ」を語ってもらった。

日本の教育が有能な人材を育てた。

野嶋  子供の頃、戦後すぐに日本で暮らした時期があったそうですね。

ウエキ  父親は愛知県の名古屋出身でした。養子で長崎に出され、その家の会社が上海に店を持っていたので、中国の学校を出てからフィリピンに渡り、次はパラオに移りました。パラオ人の母と結婚して、貿易や製材などいろいろな仕事をしながら、早くに亡くなりました。私はパラオ人の母に育てられましたが、長男だったので日本国籍があり、日本人の学校に通いました。

パラオは母系社会なので子供は母親に属しますが、日本国籍のある私は終戦時、他の日本人と一緒に日本に帰りました。日本に行くと食べ物がなくて大変でした。父の実家の名古屋は、戦争でひどくやられて実家も壊れていたので、佐賀の伊万里で2年ほど農業をしながら暮らして、パラオに戻りました。

野嶋  パラオで受けた日本の委任統治時代の教育はいかがでしたか。

ウエキ  日本は、パラオ人を積極的に日本化しようとはしませんでしたね。パラオ人の宗教にも全然タッチしていません。一方、委任統治の責任を果たそうと、教育や医療、経済などの社会基盤の整備に努めました。

パラオ人と日本人の教育は区別されていましたが、学齢期に達したパラオ人は「公学校」と呼ばれる学校に通い、3年から5年の日本語の義務教育を受けました。まずは日本の言葉を覚えて、ある程度、日本の歴史も学びました。5年間の教育で、日本人と一緒に仕事ができるぐらいの日本語が身に付きます。成績のいい子は、コロールにいる日本人の家庭に下宿しながら学校に通い、日本人の生活習慣やより高いレベルの日本語を身に付けました。

学校を出た後は、日本人の会社や公的機関で、事務の手伝いや店員、配達などの仕事にパラオ人は就きました。また、義務教育を終えた後、建築を学ぶ学校があり、パラオや南洋の各地から選ばれた若者が学んでいました。戦争が終わって一番助かったのは、そこで学んだ若者がパラオ人のための木造家屋を造れたことです。日本の後にやってきたアメリカ人が、鉄筋の家にしなさいと言った時期もありましたが、パラオ人は木造の方を好みました。

また、日本時代の学校で優秀だったパラオ人が、戦後、国家の再建に大きく貢献しました。独立に向けて活躍した政治家やパラオ政府で重要な仕事をした人たちは、日本教育で育てられた人々です。

アプローチ異なる日米

野嶋  パラオは戦前の日本と、戦後の米国に委任統治をそれぞれ受けました。ウエキさんの世代は、その両方を知っています。日米を比較してどう思いますか。

ウエキ  アメリカと日本は統治のやり方が大きく違いましたね。日本人は自分たちで経済の仕組みを作り上げて、そこにパラオ人を入れていきました。パラオ人に、自分の力で真面目に働くことの大切さを教えてくれました。お金は人からタダでもらうのではなく、自分で一生懸命仕事して、家族を養っていくという人生観です。

一方、アメリカ人は最初の時期は「お金はあげるので、後はあなたたちで勝手にやりなさい」という感じでした。米国は毎年一定額の補助金をくれるだけでパラオに深く関わろうとせず、パラオ人任せ、悪く言えば、放置していました。これは「動物園政策(zoo theory)」と呼ばれるものでした。

しかし、ケネディ大統領の時代になってソロモンという経済学者の調査団が南洋の島々を訪れて、「ソロモン・リポート」という調査報告を発表して、「こんなやり方でアメリカは恥ずかしくないのか」と批判しました。そこからアメリカも変わって、社会や経済の基盤整備にも真剣になり、英語の教師も派遣しました。パラオ人が英語を話せるようになったのは、それからです。能力があれば米本土やハワイ、グアムの大学に通えるようになりました。

夢のようだった大使時代

野嶋  パラオでは日本から影響を受けた世代と、米国から影響を受けた世代のギャップは大きい、ということになりますね。

ウエキ  私のような年配の世代やその次の世代は、日本への思いが強いです。本当に日本のことをノスタルジックに思っています。ただ、その下の第三世代になると、日本との関係が薄れてきてますね。私に言わせれば、パラオの文化に日本の教育は合っています。親を大事にする、年配者を尊重する、労働の勤勉、時間の厳守などの日本的価値観が、パラオの伝統社会の教育に似ているのですね。それがアメリカの影響が強まると失われ、代わりに自由主義が入ってきた。しかし、自由の使い方まではアメリカは教えませんから、パラオ人は最初「人を殴ってもおれの自由だ」と受け止めて社会が混乱し、結局、本当のデモクラシーは作れていません。

野嶋  ご自分のことを、日本人かパラオ人かどちらだと思っていますか。

ウエキ  考え方は完全に日本人です。昔はパラオ語もしゃべれなかったのですから。パラオの仲間や友人に、「ちゃんと時間を守れ」と文句をいうと「お前は日本人だからそういうんだ」とからかわれます。

2008年から13年までの駐日大使の時間は、私の人生で一番楽しく幸福な経験でした。言葉が通じ、親切な人が多く、食べ物も素晴らしく、日本語で会話もできる。日本の政府や政治家にも、小さな島国から来たということで差別されることはなく、一国の大使として尊重してくれました。戦後の2年間は日本で苦労ばかりだったので、なおさら楽しく感じたのかもしれません。

中国とは距離を置くべきだ

野嶋  中国のパラオへの影響が深まっていますが、諸外国とどのように付き合っていくべきだとお考えですか。

ウエキ  パラオは小さな国です。経済発展もほどほどでいい。日本は無償援助で橋を作り、電気も通し、水道も整備してくれました。一方、中国の投資は中国の観光客のためにホテルを建て、海が汚染されてしまい、政府が国際機関から借金をして下水道の整備をしている。おかしなことです。潤っているのは一部の階級の人たちだけで、庶民の暮らしは良くなりません。パラオには(外国人が土地を購入できないので)中国企業に99年という期限で土地を貸している人がいますが、土地を取られたのとほぼ同じです。

観光客でも日本人と中国人は水と油のようなもので、中国人が増えると日本人が急に減ってしまいます。観光のマナーも中国人はいいとは言えず、リーフを踏んで壊し、砂浜にゴミを置いていきます。環境保護を大切にするパラオの伝統的な思想をなかなか理解してもらえません。

私たちがこうしたことを警告しても、パラオには中国と交易したがる勢力がいます。でも、パラオのような小さな国が、中国のような大きな国と対等に取引できるでしょうか?パラオの生き残りにとって大切なのは、われわれの子供たちにとっていいか悪いかです。その意味では中国とは距離を置くべきで、歴史的に親しくしてきたアメリカと日本の協力を得ながらパラオの未来を築けばいいのです。
バナー写真:ミノル・ウエキさん
(写真はいずれも野嶋剛氏撮影)




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| 社長日記 | 09:31 AM | comments (0) | trackback (0) |
香川県交通事故発生日報
令和2年8月17日現在の、標題速報値をいただいた。大手企業には、『交通安全管理者』がいる。その人らに、資料が届いています。まず全国の交通事故死者数ですが、前年同期と今年を比べれば、前年が1,783人に対して今年は1,648人と、何と135人も減っている。それでいて香川県は、36人とダントツワースト1位をキープしている。何でだろう。昭和の時代は『交通戦争』と呼ばれ、年間交通事故死が1万人を超えていた。

クルマの性能向上もあり、前年の死者数は3,215人と最悪の頃から比べれば3分の1か、4分の1にまで減少しているのは喜ばしい。その中にあって香川県は、人口10万人に対しての死者数ですが、全国平均1.31人のところ、3.77人であります。因みにワースト2位は、高知県の3.01人(21人)、3位は佐賀県の2.82人(23人)、4位石川県2.72人(31人)、5位三重県2.70人(48人)とワーストが続く。

36人の死者数は、昨年23人から13人も増えています。月並みですが、県内で年齢別では、65歳以上の高齢者が75%を占めている。やはり高齢者に犠牲者が多い。交通弱者と言われる所以だ。死亡事故は夜間(55.6%)に、県道(44%)で、車両単独(38.9%)の事故死が多かったようです。なお高齢者の死者は、歩行者10人(37%)、四輪8人(30%)、自転車7人(26%)の順になっています。

あまり愉快なネタではないので、今日はこのあたりにして終わりにします。交通事故死が減ったと言っても、まだ3,000人以上が犠牲になっています。全自動運転も言われ出しましたが、まだまだ『人の注意』が求められています。最後に交通三悪の中の『飲酒』が、まだ3件検挙されています。


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| 社長日記 | 08:54 AM | comments (0) | trackback (0) |
苦心惨憺ライオンズクラブの活動
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、ライオンズクラブの活動も大きく変化しています。「密閉・密集・密接」になって、汗をかくのがライオンズクラブのアクティビティーであります。ロータリクラブの『金銭奉仕』に対して、後発の『ライオンズクラブ』はみんなで汗をかくことにしています。

本日は、高松栗林ライオンズクラブ第1388回(8月第二例会)例会でした。県民ホール6階にある『レストランシレーヌ』で、メンバースピーチという楽しみを付けて企画されました。スピーカーは、「歯周病と全身疾患について」L中山真弓です。私が幹事をした4年前の、浮田和也会長が入会を勧誘した、実娘さんです。

入会のきっかけや動機、自らが独立開業されている今の歯科医院の現状や、介護問題までお話し下さいました。クラブ54代浮田和也会長の年に、L中山真弓氏を含め11名の新入会員を迎えることが出来ましたが、初期の段階でL中山真弓の入会は大きなインパクトを与えるものになりました。旦那様も、別のところで歯科医院を開業されており、香川県下に2人しかいない口腔歯科の専門医と聞いています。

例会食事は、弁当になっていますが、私はシレーヌの定番『カレー&焼きそば』を楽しみにして来ています。お前の奉仕精神はそんなモノかと言われても、『カレー&焼きそば』を大いに期待してきています。この新型コロナウィルス禍では、『弁当』も仕方ないと思いますが、『カレー&焼きそば』も有り難い。

そもそもこの場所は、54代浮田和也会長の1年間、この場所が例会場として使われました。元メンバーの三村さんの提案でした。ホテルが例会場という『常識』を打破し、創意工夫をした1年間でありました。前年度3月頃からほとんどなくなったアクティビティーですが、『献血』だけは脈々と続いています。プラカードを持って『立ちん坊』をするだけですが、こちらの中止・延期はありません。

小学生とする「サツマイモ」の植え付けも中止ですが、11月には「玉ねぎの植え付け」を予定しています。出来るところから、活動を続けて参ります。「地区年次大会」「複合地区年次大会」など、内々の大人の行事は中止になっても、市民や子ども対象のアクティビティーは出来るだけやる方向であります。






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| 社長日記 | 11:43 AM | comments (0) | trackback (0) |
カイナハレ・ハワイ不動産の三田英郎さんの報告8 Aug 2020
新型コロナ感染拡大のニュースです。2-3か月前には安全だったハワイで、感染猛威を振るっていたニューヨークからの人を入境制限していたのですが、今では逆に感染急拡大のハワイからニューヨークへの入境が制限されることになってしまいました。8月13日の集計では、ハワイでの感染最多を更新して、一日の感染者数355人、合計で4,312人となりました。

7月中の一か月の感染者合計は1,205人だったところ、8月前半の半月ですでに2,000人を超えています。 ハワイでは、軍の関係者の感染が州全体の約7%に達しているというニュースや、ハワイ最大の刑務所で感染が爆発的に拡大し、クラスターがオアフ島全体で発生しているというニュースもあります。 

経済活動を再開するため、移動制限を緩くし、ビーチ・公園などを開放したことで、あっという間に感染が広がりました。日本とハワイとの間には、特別臨時便以外にはまだフライトが飛んでいない状況ですが、日本でもハワイでもほぼ同じような状況にありますので、しばらくは、フライトが元に戻ることはないだろうと思います。

ハワイでは、こうした状況を受けて、ビーチや公園はまた閉鎖ということに戻りました。一般企業でも少しずつ、もどりつつあったオフィス勤務から、再度在宅勤務への切り替わりをするところが増えています。 ハワイ州での検査数ですが、世界的に流行が始まって以来、153,627件の検査が実施され、そのうち約2.8%が陽性となっています。13日には3,384件の検査を行った結果、その10.5%に当たる355人が陽性となり、これまでで最も高い陽性率となっています。 

公立学校の再開は8月17日からとなり、その後延期かどうかと検討されていましたが、結局17日スタートで、当面4週間はオンライン授業ということになりました。やっとのことで新学期が始まりますが、教員側も生徒・父兄側も慣れない対応となるのでしばらくは混乱が続くことになるでしょう。学校側は、父兄に端末を提供するようです。小さいお子さんが端末を使うには、父兄の手助けもいるでしょう。

このような状況下で、不動産はどう推移しているのかと不動産情報を見てみると、7月のオアフ島の不動産取引データによりますと、一戸建ての中間価格は$815,000(約8700万円)で前年同月比の2.4% 減、販売戸数が361で3.0%減でした。これを1月-7月の前年同期比で見てみると、金額で0.6%増、戸数で4,5%減となっています。

コンドミニアムでは、中間価格$440,000(約4700万円)で前年同月比4.7%減、販売戸数426で、17% 減を記録しました。1月―7月の比較では、価格が1.2%増、戸数で21.2%減となっています。全般に見ると、マーケットへの新規売出が一戸建てもコンドミニアムも、昨年同期に比べると約2割減で推移しています。いずれにせよ、価格が下がってくるという予兆のようなものは今のところ見当たりません。

ところでこのハワイ、1941年12月、日本は真珠湾を攻撃し、日米戦争が勃発しました。同12月、イギリスの支配下にあったボルネオ島を攻撃して、ミリ油田・セリア油田・ルトン製油所を制圧。1942年1月、オランダ領セレベス島メナドを攻撃。同2月、オランダ領スマトラ島パレンバン油田を攻撃、制圧。これらのことは初めて知りました。

日本は、真珠湾攻撃をせず、いきなり東南アジアのイギリス・オランダ領を攻めて油田を確保すればよかったのか。ルーズベルトは、「戦争しない」ことを公約に掲げ再選された。日本がアメリカ領ではなく東南アジアを攻めただけでは、「戦争を開始する口実」としては弱すぎた可能性がある。

日本は、石油問題を解決し、アメリカと戦争にならない。でもイギリス・オランダとは戦争になるでしょうか?オランダは1940年5月、すでにナチスドイツに敗れています。イギリスはドイツと死闘を繰り広げていて、東南アジアで戦争をする余裕はなかったでしょう。何が言いたいかというと、日本は、ナチスドイツの同盟国にならなくても、道はあったと言うことです。(米中覇権戦争の行方より)ハワイは、不思議なところです。


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| 社長日記 | 09:46 AM | comments (0) | trackback (0) |
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