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STAY HOMEの盆休みはテレビ高校野球三昧
今年はことのほか暑くて、墓前の生花の傷みようも尋常ではない。毎日交換しないと、サボっているようにすら見える。全国各地で、観測史上初を記録している。40度を超えたと聞くと、この日本での出来事かと思う。雨が降れば豪雨になって、マンホールから汚水が噴き出す。水の中で動けなくなる車両も散見される。雷が、『スカイツリー』へも落雷する。

「STAY HOME」で、夏の風物詩「ビアーガーデン」へもなかなか行けない。外出はスーパーマーケットへの買い出しと、墓参りのはしごぐらい。自分の先祖参りは当然として、かみさんの実家とか、初盆を迎えた親類宅などへも足を運ぶ。そうそう15日は、「百笑ももえ」が来てくれた。孫はたまに来るのが良いと言うが、このコロナでは、『来い』とはとても言えない。

さて高校野球のテレビ中継で、ストレスの溜飲を下げています。15日は朝から3試合。第1試合は履正社(大阪)10-1星稜(石川)と、接戦の予想に反して大差がつきました。昨年の夏も履正社が星稜を下したのですが、その時は確か僅差であったと記憶しています。第2試合は、磐城(福島)3-4国士舘(東京)。こちらは思った以上の僅差で、面白い試合になりました。

第3試合は、仙台育英(宮城)1-6倉敷商(岡山)と意外な展開になりました。倉敷商は岡山大会を征して、強豪仙台育英の胸を借りて一矢報いると岡山を出発したのですが、岡山-香川は同一放送局エリアで、地元のニュースのように伝えられています。仙台育英に4回1点を先行されながら、その裏1点を返して倉敷商が中盤以降確実に加点し、仙台育英の攻撃を先の1点で抑えた。倉敷商と言えば『星野仙一』の母校、古豪が勝つと嬉しい。

16日は、第1試合明石商(兵庫)3-2桐生第一(群馬)。このところ強豪勢がひしめき合う兵庫で、明石商が頭角を現している。観ていても強い。私は桐生第一が大差で勝つように思っていたのですが、新聞報道などでは『明石商』が投打の総合力で上回ると書いてあった。やはり専門家の見方は、私らと比べるまでもなくレベルが違う。その通りの結果になった。

第2試合は帯広農(北海道)4-1健大高崎(群馬)の結果となった。健大高崎は、左腕の下と右腕の橋本投手の二枚看板を擁する好チーム。戦前は健大高崎有利とみたが、帯広農は、昨秋のチーム打率4割超の強力打線が売り物だった。その打線が、好投手を打ち込み、チャンスを確実にものにした。高校野球に限れば、過去のような『北海道・沖縄』はサービスゲーム(戦力的に劣っていた)の対象にならない。

第3試合は、鶴岡東(山形)5-3航空石川(石川)。鶴岡東も昨秋のチーム打率が4割超と強打を誇る。私は航空石川を応援していたが、獲って獲られてシーソゲームを展開。鶴岡東の先発阿部、変則右腕投手には驚いた。左バッターが6人いるチームに、左腕投手をぶつけてきた。左対左は、投手有利のセロリーは今でも変わらないようだ。背中からボールが出てくる感じで、打者は踏み込めない。

最終回裏、2アウトランナーなしから満塁まで盛り上げて、結果は打者三振で3アウト。鶴岡東が、女神をつかみ取った。面白い試合でした。大勢に多方面の皆さまに感謝です。明日から、仕事へ復帰でまたぼちぼちやります。県下の新型コロナウィルス感染症『陽性』は、63人。残念ながら、完全に封じ込めているとは言えない状況が続いています。


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| 社長日記 | 09:41 AM | comments (0) | trackback (0) |
終戦75年戦没者追悼式から考えること
終戦から75年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で行われた。今年は新型コロナウィルス感染症の拡大で、昨年の1割弱の540人の参列者となった。また20府県の遺族が、参加を見合わせた。参列者は戦没者約310万人を悼み、不戦の誓いを新たにした。天皇陛下は昨年に続き、お言葉に「深い反省」を盛り込まれた。

戦後生まれの天皇陛下は、天皇として2度目の参列。今年は、コロナの困難な状況を乗り越え、平和を希求することを願うお言葉を読み上げた。安倍晋三首相は、第2次政権発足後8年連続で、加害責任と反省に触れなかった。今年は「歴史と向き合う」との趣旨の言葉もなかった。

政府が主催する全国戦没者追悼式の対象となる戦没者は、1937(昭和12)年に始まった日中戦争以降で戦死した軍人・軍属約230万人と、空襲や広島、長崎の原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人約80万人の計310万人。このうち海外でなくなった人は、約240万人。

これとは別に話題になるのが、国会議員や国務大臣等の『靖国神社参拝』。諸外国では、戦争を引き起こした当事者が祀られる場所に、首相や閣僚が参拝するのは、再び戦火を交えようとするのかという考えが一般的だ。この中には東條英機陸軍大将・元首相などの、極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯14人が合祀されている。

日本人の心証としては、たとえA級戦犯であっても日本のために闘った軍人は、同じように御霊を追悼するのがあたりまえと考えがちだ。この考えをとる国会議員や国務大臣が、今年はここ数年で一番多い4人が参列した。小泉進次郎環境相、高市早苗総務相、萩生田光一文部科学相、後藤晟一沖縄北方担当相。安倍晋三内閣総理大臣は、代理人を通じて、『玉串料』を私費で納めた。

安倍晋三内閣総理大臣が、政権奪還後の2013(平成25)年12月に靖国神社参拝した際には、中国韓国、イギリス・ドイツ・EU(欧州連合)・ロシア・台湾・アメリカのオバマ大統領からも非難された。安倍晋三内閣総理大臣は、今日の式辞で「積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題に、これまで以上に役割を果たす」と強調したモノの、日本の戦争加害責任には触れず、過去の歴史に背を向ける姿勢を明確にした。

安倍首相は、武道館近くの千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花した。靖国神社は、戊辰戦争で死亡した官軍兵士の慰霊、顕彰のため1869(明治2年)年に「東京招魂社」が建てられ、10年後に靖国神社と改称した。戦後に宗教法人化された。私も参拝したことがあるが、それはそれは広くて大きくて立派な神社だ。

一方千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、身元の分からない「無名戦士」や民間人の遺骨を納めるため、1959(昭和34)年に造られた無宗教の国の施設。約37万柱が納められている。日本は不戦の誓いを新たにして、被爆国故、核廃絶を声高に叫ぶべきだ。『地上配備型迎撃システム・イージス・アショワ』の計画断念から、敵基地攻撃ミサイル防衛など「専守防衛の日本」が取るべき道ではない。そこそこの軍事力を持ったが故に、愚行を犯したニッポン。同じあやまちは繰り返してはなりません。


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| 社長日記 | 10:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
米中覇権戦争の行方by国際関係アナリスト北野幸伯
今日も暑い日でしたが、高校野球のなか日で、静かな1日でした。この『お盆休暇』は、12日の定休日から休暇に入りましたが、朝から草刈りに出かけました。その後TVで「甲子園交流戦」を観て、夕方は墓守に、家守りの長男の仕事であります。しかしこれも私の代でおしまい、やがてしたら法然寺さんにお返しすることになります。息子は、どうも関心がないようです。無理は言いません。

晴耕雨読ではありませんが、標題の本を読んでいます。国際関係アナリスト北野幸伯氏を、私は存じ上げていませんでしたが、なかなかの逸材です。最近は「STAY HOME」の影響からか、eメールが増えました。その中の1本で、知ったのかと思います。これまで小欄で書いていた『米中貿易戦争』の、延長戦『米中対立』から『覇権戦争』にまで拡大しています。

帯には、この本の第一の目的は、米中覇権戦争が、わが国にとって「深刻な問題」であることを理解していただくことです。米中対立の深刻さが理解できれば、日本の行動は、より戦略的大局的になるでしょう。第二の目的は、米中覇権戦争で日本が、「戦勝国」になる道を示すことです。第二次大戦の大きな教訓は、やはり「戦争は勝たねばならない」ということでしょう。

そうでないと戦勝国に、国の誇りも歴史も伝統も、すべて破壊されてしまいます。ですから日本は、米中覇権戦争で「戦勝国」になるべきです。どちらが勝つのか?日本は「戦勝国」になれるのか?モスクワ滞在28年、気鋭の国際関係アナリストが大胆予測。日本の進むべき道を指し示す。これは面白い、『過去・現在・未来を指し示した本』であります。

まず私が興味を覚えたのは、日本がアメリカを敵にしたのは、日米開戦の36年も前に起こったこの出来事が原因だった。この出来事というのは、1905年世界最大の陸軍国ロシアとの戦争に勝利した日露戦争。この時アメリカは戦費調達で、日本に多大な協力をした。クーン・ローブ商会の頭取『ヤコブ・シン(別の本ではユダヤ人だと紹介されている)』は、明治天皇から『勲一等旭日大綬章』を贈られたほど。

アメリカは、ポーツマス条約によってロシアから日本に譲渡された南満州鉄道の「共同経営」を求めてきます。これを日本は、「満州の利権にアメリカは入れないよ」と拒否したのです。当然アメリカは、激怒しました。アメリカ人ハリマンを袖にしたことが、アメリカとの戦争につながった。日露戦争の和解仲介をしたアメリカは、わずか2年後の1907年には「対日戦争計画『オレンジ・プラン』の策定」を開始します。

また日英関係も、同じように悪化したのです。イギリスは『日露戦争』から10年目、史上最大の危機に直面します。そう、『第一次大戦』が勃発したのです。日英同盟から日本は、地中海に艦隊を派遣し、大いに貢献しました。しかし日本は、イギリスからの陸軍派兵の懇願を拒否し続けた。「イギリスは、日露戦争時、全力をあげて日本を助けた。しかし今わが国の存亡の危機に立っている時、同盟国日本は、われわれを見捨てるのか」。

イギリス史上空前の危機に、日本は同盟国を助けなかった。第一次大戦後、イギリスは「日英同盟破棄」をします。太平洋戦争が始まる24年前、すでにイギリスは、「日本は本質的に侵略国家である」と宣言していました。米英はこの時から、「日本をいつか叩きつぶしてやる」と決意し、「ゆっくり殺していく」ことにしたのです。

英米だけでなく、日本は同時に世界中の国から「孤立」したのです。1932(昭和7)年、日本は『満州国建国』にでます。その背景は1917(大正6)年、ロシア革命で世界初の共産国家『ソ連』が誕生。1923(大正12)年関東大震災で、14万人の犠牲者を出します。加えて1927(昭和2)年の昭和金融恐慌、1929(昭和4)年アメリカ発世界恐慌。英米仏は、自由貿易から保護貿易に転じ、「ブロック経済圏」を作ることで、恐慌を乗り切ろうとした。

植民地を持たない日本は、『満州』に活路を求めます。『満州国』は、日本の傀儡政権だと『国際連盟』は断定します。リットン報告書からの勧告書採決の結果、「賛成」42、「反対」1(日本)、「棄権」1(シャム今のタイ)。日本は国際連盟を脱退して、「孤立」します。

日本人の常識からすると、「恨みを晴らす」のに25年も35年も掛けるのはあり得ないのですが、大陸国家の英米は「この恨みを楽しみながら打倒計画」を戦略として構築していったのです。歴史は続いています。日本人は、赤穂浪士の討ち入りでも2年足らずでの結末だ。こんな感覚の違いから、「あり得ない」戦略で覇権を迫ってくる。

ここからがクロージングですが、では日本はどう立ち回るか。「日本は孤立したから負けた」と北野幸伯氏は断じる。たから日本は、アメリカ側にいて、米中覇権戦争の戦勝国になるべきなのです。日本最大の敵は中国です。これからの最重要国は、言うまでもなくアメリカです。もう一つの最重要国は、インドです。常識的に考えると、インドはまだまだ「成長期前期」にいることがわかります。韓国も敵にまわせません。さらに重要国は、EU(欧州連合)、ロシア、中国の脅威を感じている国々(台湾・ベトナム・フィリッピン、オーストラリア)。




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| 社長日記 | 08:50 AM | comments (0) | trackback (0) |
夏の高校野球県大会決勝は尽誠の貫禄勝ち高松商及ばず
2020は新型コロナウィルスの感染拡大で、春の「選抜高校野球大会」が中止、夏の地方大会も全国選手権大会も中止、全てが異様な中で独自の香川県大会がここまで行われてきた。13日の決勝戦は、尽誠5-0高松商で、甲子園交流試合を17日に控えている『尽誠学園』が高松商を完封し、まさに王者として『智辯和歌山』と試合をすることになった。

今日の試合は、甲子園交流試合の『壮行会』のような試合に終始した。序盤の3回が勝負と読んでいた長尾健司監督の読み通り、序盤本塁が遠かった高松商が、『尽誠』の投打に圧倒され完封試合になった。尽誠村上侑希斗投手が、初回表高松商の1死1・3塁からの攻撃、4番の笠居小史朗選手をスライダーで併殺に仕留めた。結果的には、これが勝負の分かれ目となった。

ここまでの4試合を全てコールドゲームで勝ち進んだ尽誠は、強打のチームの印象が強かったが、やはり村上侑希斗投手を中心とした堅守のチームであった。特に走塁は、全員の足が速い。盗塁のみならず、隙の無い走塁が光った。走攻守と言われる『基礎野球力』を、レギュラー全員が身につけているし、常に考えた野球を構築している。今日の尽誠には、高松商も全く勝機が無かった。

そは言いながら、高松商の松田光稀投手も自らの『らしさ』を遺憾なく発揮していた。尽誠学園これまでの4試合、コールド試合もありながら42得点。チーム打率.369という猛打をうまくかわして、4回まで2安打(ただし5四死球)というのは素晴らしかった。尽誠最初の5回裏の1点も、四死球や盗塁で1死満塁から犠牲フライで奪われたがノーヒットだった。その後は、抑えてここは見事だった。

尽誠学園は、甲子園交流試合が決まり、県大会で優勝して甲子園へ乗り込むことを早くから目標にしてやってきた。今日の試合は、『尽誠学園』の執念が高松商に勝ったと言えそうだ。交流戦を観ると、県大会初戦敗退で甲子園へ来たチームもあった。そういう意味からも、尽誠は香川の代表として、『智辯和歌山』と闘って勝って帰ってきまい。

私は昨日から一人で悶々と、高松商サッカー部員や教員からPCR検査の『陽性』反応が出たら、今日の試合は「辞退」になるのではないかと心配したのですが、香川県下4校の166人は全員『陰性』という結果で、こうして優勝戦も戦えました。結果尽誠は、更なる自信を付けた「壮行試合」になりました。頑張って下さい。高松商選手学校関係者保護者の皆さん、お疲れ様でした。楽しませてもらいました。


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| 社長日記 | 07:53 AM | comments (0) | trackback (0) |
被爆から75年広島長崎原爆の日
長崎は9日、被爆から75年の「原爆の日」を迎え、爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。田上富久市長は平和宣言で、小型核兵器の開発などが進み「使用される脅威が現実のモノとなっている」と危機感を表明。各国の指導者に連帯を促し、実効性のある核軍縮の道筋を示すように求めた。

これに先立ち広島では6日、平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和記念式」(平和記念式典)が営まれた。あれから75年、私は終戦からの政治経済年表を作っていて、当初のタイトルは「戦後70年・・・」であったが、追加追加で今では「戦後75年・・・」になっている。タイトルはともかくとして、いろいろな本の中から資料の中から抜き出して、私個人に関係する記述が増えている。

日本人にとって8月の6日と9日は、特別な日であります。トランプアメリカ大統領までが、「リメンバー・パールハーバー」と言うのを聞いて、改めてアメリカ人の『非道』ぶりに腹が立った。日本は近代戦でただ1回の戦争に負けただけで、原爆の実験材料に生身の非戦闘人の市民を使われた。

「戦争を終わらせるため」とか、「これ以上の米兵を死に追いやることが無いように」と、原爆を投下した正当性をアメリカは言うが、アメリカの主張は、奴隷制度を正当化するのと同じ論調だ。トランプ大統領の言論は極端だが、「リメンバー・パールハーバー」は口にしないがほとんどのアメリカ人が持っている考えだろうか。

『米中貿易戦争から米中覇権争い』にまで膨張している両国の争いだが、そこに新型コロナウィルスの感染拡大で、これまでの地政学が一変している。歴史が変わりだした現象の一つとして、大英帝国がEUから離脱したことが大きい。イギリスが主張したグローバル化は、EU(欧州連合)の根本理念であったはずだ。グローバリズムを一言で説明すれば、「ヒト・モノ・カネ」の移動の自由化である。

まさにEU(欧州連合)は、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、加盟各国がその国境のあり方を異にした。自由に行き来していたのは平時のことで、新型コロナウィルスの感染拡大で、ベルギーなど国境を閉めきった国も多い。都合の良い時には自由な行き来を保証し、生命を脅かすコロナ禍が広がった途端に、『自国民の守り』に徹する。人間とは洋の東西を問わず、実に実に身勝手な生き物だ。

まず米中覇権争いからは、同盟国の日本はアメリカに追随し、中国との関係を全て断ち切らなければ生きていけない。つまり、アメリカにつくか、中国につくか選択を迫われているのが今だ。一日も早く、中国との関係を切ることだろう。そんなことが出来るかと言われる御仁も多いと思われますが、日本国や日本企業、もっと言うなら日本人の生きる道は、アメリカを盟主とする「自由主義経済国家群」に残るしかない。

そしてここからが今日の私の言いたいことだが、アメリカ側についたとしても、アメリカ追随一辺倒をやめて『独自路線』を歩むべきだ。『アメリカの核の傘の下』にいながら、そんな都合の良い主張が出来るかと言われそうだが、主張したら良いのです。ただし安倍晋三内閣総理大臣の元では、安倍晋三さんも可哀想だ。

トップを替えて、これからの日本の歩む道をトップリーダーの内閣総理大臣に考えてもらいたい。核の傘の下にあっても、米軍が日本から撤退すると言えば帰ってもらったら良いのではないか。防衛機器は、ロシアから購入すれば良い。今のアメリカ製は、どれもこれもロシア製に敵わない。ある意味割り切ろう。

今この戦後75年にあって、「リメンバー・パールハーバー」という大統領には、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」二度と原爆は使うなと言ってやれ。日本人よ、素直にロハスに生きようではありませんか。これからは今以上に、『日本人らしさ』をアピールしたらよい。怒りを一週間ためて、やっぱり公開することにしました。


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| 社長日記 | 10:07 AM | comments (0) | trackback (0) |
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