■カレンダー■
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<前月 2024年04月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2322561
今日: 1597
昨日: 5663
 

孫娘からの質問状おじいちゃん戦争のことを教えてby中條高徳
ニューヨークの高校に通う孫娘から、分厚い手紙が中條高徳氏の元へ届いた。戦争を体験した祖父への、孫娘からの質問状だった。歴史教育に疑問を抱いていた中條さんは、孫娘の質問に一つ一つ真剣に答えていく。「アメリカとの戦争は正しかったと思う?」という孫娘のストレートの質問に、中條氏は、「あってはならない戦争を、日本とアメリカはやったのだ。その責任は日本とアメリカの双方にある」と断言する。

孫娘は、高校の歴史のクラスで、戦争責任を勉強することになったという。手紙は、「戦争の見方、体験は国によっても違いがあるはず」との歴史教師の考えを受け、戦争体験者の祖父への質問状だった。かつて軍人を志した祖父は、自らの人生を振り返り、孫娘の問いに真摯に答えていく。

中條高徳(なかじょう たかのり)氏は、昭和2年長崎県生まれ。陸軍士官学校、旧姓松本高等学校を経て、27年学習院大学卒業。同年アサヒビール入社。平成2年アサヒビール飲料会長。10年より同名誉顧問。アサヒビール復活劇でも、登場する名物経営者の一人です。この本は、単子本と、小学館から文庫本も出ています。私は、小学館文庫を読んでいます。

昭和をひたむきに生きた日本人の誇りと、手紙を通じて心がつながる祖父と孫の感動を描いたベストセラーの文庫本化。高校生の孫は、忖度なくストレートに質問します。それを中條氏は、真摯に丁寧に答えています。私が孫に聞かれたら、戦争の話ではないと思いますが、『米中対立』や『新型コロナウィルス』のことでも答えられるか、心していなかったら大変だ。

「なぜ軍人の学校に進んだの?」
日本は明治維新後大急ぎで近代化を図り、日清・日露の戦争に勝利して、国際社会の中での地位を確保したことは、分かっただろう。ことに日露戦争の勝利は、白人国家以外の国が白人国家に勝利した世界で最初の事例だ。『富国強兵』の国策が、結果を誘引した。国のために尽くすには、軍人になるのが一番であり、それは人間として立派なことだという空気があった。

「アメリカとの戦争は正しかったと思う?」
日本にはソ連に備える意識はあっても、アメリカと対立し、まして戦争するといった事態は、予想もしていなかった。これは近代日本の伝統的意識と言って良いモノだ。日露戦争の勝利は、白人に対する黄色人のはじめての勝利であり、黄禍論の源となった。またアメリカは、1924(大正13)年5月には、『排日移民法』がつくられた。更に驚くべきは、この頃のアメリカは陸海軍統合委員会をつくり、日本を仮想敵国として「オレンジ計画(1907(明治40年)」を樹てていた。

その後、日本の中国大陸への戦線拡大が、アメリカに明確な日本に対する敵視政策をとらせることになった。アメリカはABCDラインという包囲網を構築し、日本に圧力を加えてきた。この米America・英Britain・中China・蘭Dutchの四国が同盟を結び、日本に経済制裁を加えてきた。特に石油の禁輸を、徹底した。

結論は冒頭にあるように、「あってはならない戦争を、日本とアメリカはやったのだ。その責任は日本とアメリカの双方にある」と。アメリカは最初から、日本を戦争に追い込むつもりだったのではないか。日米開戦までの経過を辿ると、そう思わざるを得ないのだ。対日戦争を考えて、アメリカが『オレンジ計画』なるものを構築していたことが、その証拠になる。

このことはアメリカ合衆国第31代フーバー大統領の回顧録、『裏切られた自由』にもハッキリ書かれている。第2次世界大戦中のアメリカ大統領はフランクリン・ルーズベルト。彼は「戦争はしない」と公約し、大統領選挙に勝利している。それでも『ハルノート』と呼ばれる最後通牒を日本へ突きつけて、日本からの仕掛けを待って『リメンバー・パールハーバー (卑怯な宣戦布告のないままの日本の攻撃を忘れない) 』を言い続ける。

戦争はいけない。どうしても避けなければ、今の地球は破滅する。そんな時代に、『アメリカファースト』を叫び続ける男が大統領に就任している。11月の選挙でも、僅少差で勝利するだろう。トランプ大統領の考え方は『利己主義』そのものだ。日本はそれに『利他』を加えた考え方をすべきだ。しかし、決して孤立しないこと。

最後にマレーシアの元上院議員ラジャー・ダド・ノンチックさんの詩を

かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命尽くしてくれた
何千万人もの 人のなかには 少しは変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
いなかったわけでじゃない

でもその頃の日本人は そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて
おおらかで まじめで 希望に満ちて明るかった
戦後の日本人は 自分たち日本人のことを 悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
まじめに 自分たちの父祖や先輩は 悪いことばかりした残酷無常な
ひどい人たちとだったと 思っているようだ

だから アジアの国に行ったら ひたすら ペコペコあやまって 私たちはそんなことはいたしませんと 言えばよいと思っている
そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ

本当に どうなっっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは 今は いつも 歯がゆくて くやしい思いがする

自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人だろうか

自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる 自分の会社が仕事をしている この国と 国民のことを さげすんだ目でみたり ばかにしたりする

こんな ひとたちと 本当に仲良くしてゆけるだろうか
どうして日本人は こんなになってしまったんだ




| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4983 |
| 社長日記 | 09:24 AM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑