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父親の58回忌
今日は父茂の58回忌(自分で名付けている)の宵、なにも特別なことはしませんが、定番の墓参りに行って来ました。仏壇は、かみさんが毎日手入れをしてくれています。たまに私は手を合わせるぐらい、こんなことから墓守は自分の担当と自覚しています。とは言いながらこの墓も、長男が東京からの転職時に、整備してくれたモノです。一基が二基と霊標の3点セットになりました。私一人では、決して出来なかった。

松野家の墓地は、高松藩松平家菩提寺の法然寺にあります。恐れ多くも、殿様と同じ場所の一角にあります。父親存命の代には、上の方にもう1基2基ありましたが、今の場所にまとめて寄せ墓にしました。これがもう50年も前の話。墓地は永代使用権で、決して所有権ではありません。新規の墓を造るとなると、頭で何百万という大金を払い、後は毎年の冥加金の支払いとなります。

法然寺は檀家が殿様一軒だけ。殿様の意向もあり、地元仏生山町や周辺香川町の町民墓が数多くあります。墓地収入が、寺の運営資金だった推察します。昨今は手入れが優れていて、蚊の大群も少なくなりました。子どもの頃は、両親の仕事を終えて夜墓参りに行きます。夏はヤブ蚊に、特に子どもは餌食になって、「もう二度と行きたくない」と思ったモノです。

事象的な墓も私の気になるところですが、それ以上に「松野茂」という人間ヒストリーがどうだったか、知りたとい思いながら、テレビ番組の「ヒストリー」を見ています。私自身がよわい70近くになり、もはや父を語る人もいません。残されたアルバムを見ると、満州で働いていたという証言は理解できます。その後敗戦で引き上げてきたのだろうと思います。この頃父は、成人式の頃です。

その後わが母『サチ子』と、ミシンの行商先の熊本で知り合い、縁あって2人は仏生山町へ帰って1950(昭和25)年結婚式を挙げています。そして長男の私が1952(昭和27)年に、次男光明が翌年誕生しましたが、わずか1年で他界しています。次ぎに妹恵三子が1956(昭和31)年に誕生し、初めての女児で茂は大層よろこんだと聞いています。

ミシンの行商は、母親ミツヱの縁先の仕事に従事したものです。高松拠点で、どうして熊本かと、ここは今でも疑問であります。当時の交通事情を考えれば、母サチ子も今で言う海外へ嫁ぐ覚悟でなにも分からない仏生山町へ嫁して来たのだと思います。25日は、土曜日だったと記憶しています。暑い1日でした。そして23日は、孫「百笑ももえ」の誕生日でした。可愛い嫁の美保は26日誕生日です。ヒストリーは、前へ向かって進んでいます。


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| 社長日記 | 10:21 AM | comments (0) | trackback (0) |
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