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YouTube100回を迎えるに是非紹介しておきたい家樹
尊敬してやまない金倉輝明氏から、TV番組『ファミリー・ヒストリ』を作るのに協力している家系調査機関があり、そこの出先としてこの新事業もこれまでの『現代仏壇』販売とあわせてやってみたい。と言うような突拍子もない申し出がありました。始めて間もないようですが、『変わり者』をある意味実験台として探しているようでした。

かねてより先祖捜し的な調査に関心があった私は、二つ返事でそれに乗りました。その報告書が、1年半2年近くの時間を経て、やっと届いたのです。勿論TVでやっているようなドラマ仕上げではなく、多くの日本人がそうであるように、『先祖は農民でしょう』という結論です。私も原戸籍や、墓に刻まれた『家紋』とか、これまでも入手出来るモノは手を尽くしていました。

報告書にも書かれていますが、現存する戸籍は『明治19年式戸籍』。ここに本籍は、『愛媛県山田郡三谷村(現在の高松市三谷町)57番戸借地』とあります。今から20数年ほど前に、「あなたの先祖はあそこの家に住んでいた」という町内の著名老婦人に導かれ、車で行ったことがあります。その脇に寄せ墓があり、そこにあって通行の邪魔になっていた『松野』と刻まれた墓石を今の墓所に祀りました。しかしその場所は同じ三谷町ですが、先の場所とは違うようです。

明治19年式戸籍で戸主は、『松野佐平』です。弘化元年(1844年)に誕生し、大正8年(1919年)に死亡しました。180年前頃の話しで、佐平の父親が『百造』であることは判りますが、生没年は書かれていません。このあたりのことは、菩提寺の過去帳調査が有効と聞きましたが、菩提寺は昭和20年の高松空襲で焼け落ちています。仏壇の位牌も、『百造』までは現存していますが、その前はありません。

よその家の先祖捜しですから、読んでいても面白くないでしょうから、詳細はこの辺にしておきます。時代が下って次の戸籍の本籍欄は、仏生山町となっていますが、近くですが私の産まれ居住する今の地ではありません。ここに書かれてある本籍の土地謄本も資料として添付されていますが、所有者欄には先祖の名前はありません。現在地もそうでしたが、借地を転々としたようです。大きな家に移り住んで、今のところでは小さな製麺工場にも使っていたようです。

同時に感心したのは、松野佐平から2代下った松野繁一が『全国工場通覧(昭和9年9月版その他)』にその名が掲載されていました。『松野素麺製造所』が、仏生山町に存在しています。この事実は私も承知していて、私が4代目、大学を卒業して7年間、その後麺業と宅建業の2つを7年間しました。私の代での廃業ですが、私は良い仕舞いだったと喜んでいます。廃業後は母は、指導者として10年も採用してくれていました。大感謝であります。そして竜雲学園舜虹苑で息を引き取りました。

このように麺業は私の代で廃業し、法然寺の竜雲学園に引き取って貰いました。元は徳川高松藩初代藩主松平頼重公がはじめた、門前町での麺づくり。仏生山町最後の素麺所から、菩提寺の法然寺境内の竜雲うどんへ一式をお返し、今は大人気を博しています。とくに家族連れのお客様で、ごった返しています。竜雲学園は社会福祉施設です。障害者雇用をしながら、美味いうどんを提供しています。

結果先祖は、その昔は藤原氏の武士だったかもしれませんが、江戸時代からは間違いなく農民でしょう。それが三谷町で2軒、隣町の仏生山町で4軒目が今の自宅であります。土地はこの間、借地であったと思われます。今の自宅敷地も、私の代になって買取をしました。昔は田はともかく、宅地は所有でも賃貸でも良かったのでしょう。

わが家のファミリー・ヒストリ、お世話役は金倉輝明氏でした。70歳になった私には、ありがたい先祖捜しでありました。彼は新たなビジネスとして、家系図を表装する次のステージも考案中です。
タイムアンドスペース㈱087-864-5450


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=5632 |
| 社長日記 | 09:22 AM | comments (2) | trackback (0) |
大変興味深く読みました。私もこの年齢になる少し前、引退後に、どうも両親の先祖への伝え聞きの精度の悪さを感じていました。そこで本籍地である東京・文京区役所を訪れ、職員に訪問の主旨を話し、協力を頂きました。
あれこれ関連する謄本などの発行代に5千円ほど払ったことを記憶しています。
子細は省きますが、調べられうる限りの古いものは戸籍上の先祖が兼松である事、そして、この剛太郎という人物の子息であった重三郎の生年が文久2年であり、その人物の東京以前の本籍寄留地が現在の静岡県掛川であることまでが判明しました。江戸幕府瓦解~徳川慶喜の駿府移動に伴う旗本サムライ達の殿を慕った江戸からの一時的な移住という曖昧な伝え話の簡潔でした。
| ユカワタダシ | EMAIL | URL | 2022/06/02 11:14 AM | gGLpXIsg |

大変興味深く読みました。私もこの年齢になる少し前、引退後に、どうも両親の先祖への伝え聞きの精度の悪さを感じていました。そこで本籍地である東京・文京区役所を訪れ、職員に訪問の主旨を話し、協力を頂きました。
あれこれ関連する謄本などの発行代に5千円ほど払ったことを記憶しています。
子細は省きますが、調べられうる限りの古いものは戸籍上の先祖が兼松である事、そして、この剛太郎という人物の子息であった重三郎の生年が文久2年であり、その人物の東京以前の本籍寄留地が現在の静岡県掛川であることまでが判明しました。江戸幕府瓦解~景気の駿府移動に伴う旗本サムライ達の殿を慕った江戸からの一時的な移住という曖昧な伝え話の簡潔でした。
| ユカワタダシ | EMAIL | URL | 2022/06/02 11:11 AM | gGLpXIsg |


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