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邪馬台国は存在しなかったby田中英道
『魏志倭人伝』にしか登場しない「卑弥呼」・「邪馬台国」。なぜ「卑弥呼神社」は日本国内に存在しないのか?『魏志倭人伝』はどのように書かれたのか?戦後最大の未解決問題に決着を付ける。どの角度から考察しても、邪馬台国は存在しなかった。ないことの証明は、『悪魔の証明』と言われて、非常に難しいモノだ。先の「日本の起源は日高見国にあった」の著者が、2019年1月7日に上梓している衝撃のタイトル本。

私も先に、「日本の起源は日高見国にあった」を読んでいて、その中で、「邪馬台国は存在しなかった」という田中英道氏の意見を読んでいて、この「邪馬台国は存在しなかった」の本を取り寄せたモノで、ある意味驚きは『中の上』程度であった。知らなかったら手にしていない『本』かも知れないし、事前に知っていなければ驚きは間違いなく『上の上』だったと思う。

『魏志倭人伝』や「卑弥呼」・「邪馬台国」や『金印』は、中学校の教科書にも掲載されていたし、その存在の「九州説」「畿内説」など多くの本が出版されている。その『邪馬台国』は、『魏志倭人伝』の著者『陳寿(ちんじゅ)』のフィクションだったという、大胆不敵な、日本中の全歴史家を敵にまわしかねないこの一冊。私は驚きと、新鮮な目で見て読んだ。新型コロナウィルス禍により、暇していて、一気に読んだ。

そもそも『魏志倭人伝』は、中国で三世紀に編纂された歴史書とされている、『三国志』の中のほんの一部であります。『三国志』の三国とは、184年に黄巾の乱で「漢」が乱れてから、280年に「西晋」が再統一するまでの約100年間の覇権を争った『魏』『蜀』『呉』の三国を指しています。三国間の内乱状態の時代が、後に「三国時代」と呼ばれて、大勢の英雄が群雄割拠しています。確かにウキウキワクワクするシーンが、多い。そこから邪馬台国へ、陳寿は飛躍させたのか。

三国志には、この『魏(ぎ)』『蜀(しょく)』『呉(ご)』(私はなぜか魏呉蜀の順で覚えています)の歴史がまとめられています。『三国志』は、『陳寿』という官僚が編纂しました。『魏志倭人伝』は400字原稿用紙5枚、僅か2,000字程度の書き物です。陳寿は最初、『蜀』に仕え、263年に『蜀』が滅びた後、統一王朝「西晋」に仕えて三国志を編纂します。統一王朝「西晋」にとっては、『魏』が元々の国です。

田中英道氏は、日本の神社を全部調べたようですが、『卑弥呼神社』がどこにもないというのです。従って邪馬台国も卑弥呼も、存在しなかったと結論づけています。そもそも邪馬台国も卑弥呼も、「蔑視」用の字です。邪馬台国の「邪」はどういう意味か。中国語では「正しくないこと」「道に外れていること」という意味です。卑弥呼の「卑」は、「いやしい」「賤しい」ですから、最大の軽蔑語。

「日本の王は、いやしい女であった」と言っているのです。本質的に邪馬台国論争とは、「日本の歴史の根幹は天皇である。」ということを否定するための論争です。この論争のケリをつけない限り、日本の歴史を無視するような左翼的な「歴史認識」が続くことになります。実際に今も、相変わらず「邪馬台国」論争は、九州説・畿内説が相乱れているだけで、調べれば調べるだけ、魏志倭人伝には、デタラメばかりかいていると言うことが明らかになります。

魏志倭人伝は、これまで金科玉条のような扱いを受けてきました。これは「中国の歴史書は信頼すべきだ」とする、日本人学者の奇妙な信仰から来ているものです。『呉』が滅亡して『西晋』統一した280年から『陳寿』が没する297年の間に出来上がっています。そして『魏志倭人伝』はすべて伝聞で書かれています。陳寿は、日本へやって来て取材した上で『『魏志倭人伝』を書いたわけではありません。これまでの、「仮説」と「妄想」しか書かれていない本が氾濫している理由を教えてくれる快書。目から鱗です。




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| 社長日記 | 09:36 AM | comments (0) | trackback (0) |

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