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高松藩主生駒親正菩提寺弘憲寺へ
恥ずかしながらついこの前まで知らなかった弘憲寺(こうけんじ高松市錦町)、高松藩主生駒親正の菩提寺で、春うららの25日午後、前回矢島藩(秋田県由利本庄市矢島町)を訪問した内の10名で押しかけました。境内には石造りの五重塔、本堂や生駒親正と婦人の墓石がありました。この「平和塔」は「庵治石」で作られ、高さ16m、土台石の広さは八畳敷、第一層の屋根の広さは七畳敷き、石の五重塔としては日本最大であります。



平和祈願のため、昭和25年に建立されています。私より先輩であります。また本堂は、昭和4年に再建され、重要文化財不動明王を本尊として祀り、多くの信者の参拝が後を絶たないようです。特に裏手の庭が見事で、庭先がもう瀬戸内海だったと聞きました。今あるJRの線路は、海の上であります。借景は、瀬戸内海に浮かぶ女木島とか。

そうそう線路が海の中というのは、日本初の鉄道路線である新橋駅 - 横浜駅(現桜木町駅)間が、明治5年9月12日(天保暦、翌年から採用されたグレゴリオ暦では1872年10月14日)に正式開業した「新橋-横浜間」も海のなかであったと聞いています。陸路の途中に大名屋敷があって、どうしてもそこを通る許可が出なかったと聞いたのです。それで海岸線沿いに、線路を敷設した次第です。

話を弘憲寺に戻すのですが、ここの庭は、枯山水式で小堀遠州流矢島生駒家の菩提寺・龍源寺と同じだと聞きました。讃岐国高松藩(17万1800石)の藩主であった生駒高俊(高松藩初代親正から4代目)は、家中不取締りを理由に領地を没収され、堪忍料として矢島1万石を与えられた。さらに、高俊の嫡男・高清が弟の俊明に2000石を分知したため、以降の生駒氏は8000石の交代寄合(最初は江戸詰交代寄合表御礼衆)となった。つまり大名にあらず、参勤交代を許され江戸詰となった。

したがって厳密にいえば、矢島配流(1640年)から交代寄合確定(1658年)までと、再立藩(1868年)から廃藩置県(1871年)までにしか、矢島藩は存在しなかったとことになる。廃藩置県後は、一時矢島県となったと記録されている。それから紆余曲折があって、今は秋田県であります。

やはり殿様の菩提寺は両寺とも、趣が違います。そのように見からもあると思うのですがそれなりの手も入って、特に弘憲寺は、檀家さんが日常手伝いに来ているほどの賑わいです。弘憲寺名誉住職・長尾恵証(けいしょう)さんに案内されて、一行は、なかなか拝見できない所まで案内されて、感動しました。山門は明和3(1766)年建立。翌年には、田沼意次が側用人になっています。瓦には、生駒の家紋がついています。





仏生山町法然寺には、高松生駒家に続き、高松に入譜した松平家累々の墓石がありますが、何度も言いますが、殿様関係先はやはりどこか違うように思います。

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| 社長日記 | 11:52 AM | comments (0) | trackback (0) |










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