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令和元年の大晦日
今年も、もうすぐ暮れようとしています。今年の一番の出来事は、「天皇陛下の生前退位」だったと思います。沢山の国費を費やし、世界120以上の国・地域から来賓を招いての国家行事でしたが、これまでのように、「天皇崩御」の交代では、新天皇に対しても「万歳万歳」とはならない。これまでの皇室典範という2679年続いている常識を変革し、国民が喜ぶ国家行事にされた上皇様に、恐れ多いことでありますが,改めてありがとうございましたと申しあげたい。

またこの退位発表の頃(2016年)は、安倍晋三内閣総理大臣が「改憲へ猪突猛進」の時と期を一にしていました。天皇即位行事が一段落した最近、また改憲に言及する安倍晋三内閣総理大臣ですが、自分の主張存在を上皇様に潰されたという思いがどこかにあったのではないか。私には「桜を見る会」が、天皇陛下の主催されている「園遊会」の向こうを張った大規模花見会(まるで秀吉が晩年行った醍醐の花見)のように思えてならない。

安倍晋三首相は意識していないのかもしれないが、心のどこかにそのような傲慢な心があって、参加者数の膨張へつながったように思えてならない。もう一つ拡大して考えれば、安倍晋三首相の祖父は岸信介元首相。岸信介元首相は満州帝国を作った人の一人で、その傀儡政権の頂点には「皇帝溥儀(ふぎ)」をつけて、彼もまた「陛下」と呼ばれた。傀儡ではあるが、表向きは同格である。

これは満州国に関して最近聞いた話だが、昭和20年8月12日、日本国海軍は満州国で、核爆弾の実験に成功したという秘密文書が、アメリカの秘密文書公開で表に出たという。陸軍は天皇陛下の反対で開発を中止したが、海軍が密かにその後の研究を引き継いでいて、終戦前に実験が成功していたという秘密文書。実験はビキニ環礁のような、海の中で行われたという。にわかには信じられないが、この核爆弾をソ連と中国が持ち帰ったのだという。

この数行は、年末のお屠蘇のせいでと、苦しい言い訳をしておきます。いずれにしても、この度の「生前退位」「新天皇即位」は、日本国の存在を世界へ改めて実感させた、それも強制的ではなくて、心の底からの畏敬の念を抱きつつ、改めて日本という神の国の不思議さを体験された世界からの来賓の思いだったことでしょう。

もう一つ紙幅を許されるなら、ラグビーW杯日本大会2019の開催にも言及しておきたい。44日間に45試合の試合が、全国北は釜石から南は熊本まで、失礼ながら田舎でも開催された。それだけ日本中が盛り上がり、「にかわファン」が出来た。改めてラグビー競技が、国民の中に浸透することは喜ばしいことだ。野球からサッカー、そしてラグビーまでもが、注目を浴びる。大学ラグビーファンとしては、溜飲が下がる。

そして私は今年も、色々なところへ参りました。その中で特に印象的だったところを2つ紹介します。その筆頭は、伊勢神宮(正式には神宮)であります。丁度天皇陛下の伊勢参りの前で、地元もざわついていました。天皇陛下も、神宮内の賢所で宿泊するのです。実に、神秘的なところでありました。







もう一つ、それは福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)」でした。冗談から駒、明大卒のゼミ仲間7名が、全国各地から三々五々、ハワイアンズホテルフロントへ集合。直ちに昼食会が、まるで宴会予行演習になりました。常磐(じょうばん)ハワイアンセンターの生みの親となる中村豊氏は、石炭採取のこの地の地場産業に危機感を抱き、湧出して採炭を悩ました温泉水を逆利用して、新しい地場産業(フラダンス付きの温浴施設)を計画しました。

ホームページでは、そこで炭鉱労働者やその家族の雇用創出、さらに同社の新たな収入源確保のため、炭鉱以外の新規事業を立ち上げることになり、『日本人が行ってみたい外国ナンバー1』だった「ハワイ」に着目。炭鉱で厄介物扱いされていた地下から湧き出る豊富な常磐湯本の温泉水を利用して室内を暖め、「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」(じょうばんハワイアンセンター)の建設を計画したとあります。



1955年から整理解雇が始まり、1964年東京五輪の年に「常磐湯本温泉観光㈱を設立し、1966年に「常磐ハワイアンセンター」をオープン。宿に置かれていた本(常磐音楽舞踏学院50年史)を読み、管内の歴史館を訪れて「ふむふむ」と歴史に蒸せっていた頃、偶然その1週間後の20日にかみさんから宴会中の私のスマホにラインが入ってきました。「ええ加減にしてはよ帰えらんの」という内容を予想して恐る恐る見ると、「フラガール」をBSでやっているという。

「フラガール(2006年)」は「裸姉ちゃん」と陰口をたたかれ、開業時に設立された「常磐音楽舞踏学院」で、専門家(松雪泰子役)からフラダンスを学んだ「踊り子」の孤軍奮闘記を映画にしたモノです。その録画を、もう5回見ました。涙が止まりません。中村豊氏には、フラガールは山を知る女でなければダメだという信念がありました。山の子、その子の子・また孫、山を知る踊り子であのチームは出来ているのです。



私も夜昼2度の舞台を見ましたが、もう地元の「いも姉ちゃん」はいません。宝塚の舞台と同じ程度に洗練されて、底辺のDNAは同じでも、55年の歳月を経た見えない外観は、まったく違ったものにまで進化しています。昨今色々なモノが破壊されて、過去の面影は全くない地方都市。もちろんこの地は、55年前に新しいモノに挑戦し、その後10年で採炭会社は倒産しています。

令和2年を迎えようとしている今、消滅都市のリーダーは、勇気を持って立ち上がらなければ10年50年後100年後はないと心配する次第です。たわけたことを言うのも、お屠蘇のせいであります。第70回紅白歌合戦を観て、第52回大晦日恒例年忘れ日本の歌100曲を聴きなから、年末の徒然に少し長いものを書いて見ました。読んで下さり、ありがとうございました。元気でありましたら、来年も毎日書きます。勿論年末年始も無休です。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4744 |
| 社長日記 | 10:21 PM | comments (0) | trackback (0) |

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