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カイナハレ・ハワイわくわく不動産情報Vol.119
盛和塾ハワイ三田英郎さんから、ハワイ便りが届きました。私の関心事の事が書かれているので、本人の了解を得て引用させて頂きます。皆さんの大好きなハワイ、不動産を買うなら三田英郎さんを指名して下さい。私は物件を見ただけで、買っていません。しかし流石ハワイ、高いですね。日本人のみならず、世界中から暑い視線が寄せられています。

そうそうハワイと言えばその昔、1881年カラカウア王が来日し、明治天皇と会見し、明治政府との間で正式に移民協定が結ばれる。また日本にとってハワイ王朝は、不平等条約改正を約した初の外国であった。なおこの時、アメリカの政治的経済的侵略に危機感を抱いていた王は、カイウラニ王女と山階宮(後の東伏見宮依仁親王)との政略結婚によるハワイ王朝と皇室との間の関係強化および連邦制を提案したが、アメリカとの関係悪化を懸念する日本政府に断られた。

このようなことが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に掲載されています。何と世が世であれば、ハワイ州は日本の国の一部になったかも知れないのです。カラカウア王は、アメリカより日本統治を懇願していたとある本で読んだことがあります。あの大王に、日本は認められていたのです。

それは1868年(明治元年)横浜から、日本人移民148名がハワイに移住した。これは貿易商ユージン・ヴァン・リードの斡旋による移民であった。明治新政府はこれを公式に認めておらず、移民達はパスポートすら持っていない、いわば非合法状態であり、密出国というべきものであった。このときの移民は、のちに「元年者」と呼ばれる。彼らが、良い仕事をしたのでしょうね。

今年もパールハーバー記念行事が12月7日に行われました。太平洋戦争開始から77年目にあたります。12月9日には第46回ホノルルマラソンが開催され、日本からの約1万2千人を含め3万人を超える参加者が42.195キロのランを楽しまれました。優勝者は男女ともにケニア出身の選手でした。

私は体調が整わず、今まで17回参加してきましたが、今年は参加を断念しました。そのマラソンコースの途中にあたるカハラ地区で新しい商業モールができることになり、そこにあったガソリンスタンドなどの取り壊しが進んでいます。カハラ・ジッピーズのすぐ近くで2020年には新モールが完成する見込みです。

パールシティ・ショッピングセンターに日本の「ダイソー」がハワイ1号店をオープンしました。ハワイでは将来、最低でも6店舗を開く予定とか。このパールリッジ店では、午前11時の開店のところ7時半ごろから列ができたとのことです。大半の製品が1ドル50セントとのことで、ハワイの住民から大歓迎されることになりました。

続々と開発されているカカアコ地区で、「ワイエア」「アナハ」に次ぐ3番目の高級コンドミニアム「アエオ」が12月6日に完成し、入居が開始されました。このほぼ階下にホールフーズマーケットがあります。一方、60%がアフォーダブル(手ごろな低所得者向け)用に作られた「ザ・カピオラ二・レジデンス」がアラモアナセンターの山側に完成し、こちらも12月10日に入居が開始されました。

「アエオ」と「ザ・カピオラ二・レジセンス」を合わせると両方で約1千戸近い住宅が増えたことになります。ちなみに「アエオ」の平均価格は100万ドル、もう一方は59万ドルとのことです。ちょうどこのタイミングでホノルルスターアドバタイザー紙にホノルルの「手ごろな住宅」は全米で一番高いという記事が出ていました。

ホノルル市の中間世帯収入は8万1284ドルのところ、中規模サイズの住宅の中間価格は81万8600ドルと年収の10倍以上に達しており、全米で最も高いとのことです。

カイナハレへどうぞ

| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=4359 |
| 社長日記 | 09:47 AM | comments (0) | trackback (0) |

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