昨日フォレスト鳥海へ到着したのは19時少し前で、すっかり暗くなっていて、周りが良く見えなくて、そして愉快な矢島の住人と楽しく呑んで、早く寝ました。すると今朝は、6時には目覚めて温泉に浸かりました。塩化ナトリュウム系の、肌にぬるぬる感がへばりつくあの温泉らしい温泉でした。
フォレスト鳥海は、山深いところにあるようで、朝食後30分もバスが下り、由利本庄市矢島総合支所(清水隆司総合支所長)へ到着。まず矢島町歴史交流館(道益苑)で、平成11年に当時の増田昌三市長、諏訪博文市議会議長が姉妹都市提携した時の写真と署名を拝見しました。讃岐高松藩17万石余の領主生駒家四代生駒高俊公が、故あって幕府の領地収公にあい、寛永17(1640)年1万石で矢島藩に移封となったご縁であります。
その後も小学生同士の交流もあり、またスポーツ少年団の行き来もあったようです。それで昨日の交流会に、前・元・現矢島小学校校長先生が駆けつけてくれた次第です。その後、生駒藩菩提寺の龍源寺へ。ここの本堂は実に立派で、平成16年に国登録有形文化財に指定されていますが、屋根が茅葺きであります。1623年に、打越左近光隆の手によって建立されています。
この寺の御本尊はお釈迦様で、本日2月15日がお釈迦様の命日だそうです。生まれは私と同じ4月8日でありますが、しかしすべてが旧暦です。従ってここ龍源寺でも、3月15日に涅槃会大法要を営んでいるようです。加えて5月第二日曜日(今年は10日)には、生駒家の遠州流茶道「第18回矢島茶会」が予定されています。
ここ矢島は、生駒公をお迎えして自分たち祖先が、生駒公の指示の元まちづくりをしたという自負があります。新聞ネタですが、「矢島高存続へ応援する会」が昨年12月に発足しています。その会長に昨日の交流会で一緒のテーブルだった、元副市長の藤原由美子(70)さん。副会長は、隣席にいた茂木好文(73)さん、名刺を3枚頂いた佐藤健一郎(67)さんら。
矢島高の前身は、大正15年に設置された矢島町立農業補修学校の農業専修科。昭和の初め、学校に農場を整備する際、町の篤志家が寄付金や土地を提供した。「住民たちでつくった学校」という自負と、守らなければとの熱い思いがある」(茂木さん)という。すべてにおいて、生駒顕彰会がになっているようです。
また矢島は、由利高原鉄道鳥海さんろく線の起点で、ここから8つ目の湯川駅までこの「ひな祭り号」に搭乗します。もちろん一両単線ですが、コトデンよりローカル線でした。湯川駅に降り立つと、送迎バスが待機しています。ここから5分かけて、「鳥海山木のおもちゃ博物館」へ。ここは小学校跡地を活用し、木造の校舎を実に上手く使っています。稼いで、組織を維持しています。