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円安が続く肺炎・景気に不安材料112円台10ヶ月ぶり水準
外国為替市場で円安が進んでいる。日本時間20日夜、約10ヶ月ぶりの円安・ドル高水準となる1ドル=112円まで下落した。米景気の底堅さを示す経済指標が相次いだことに伴うドル買いに、日本での新型コロナウィルスによる肺炎の感染拡大や景気の先行きへの懸念を背景にした円売りが重なった。「リスク回避の円買い」という、これまでの構図が変わる可能性が出てきた。

外為市場ではこれまで、リスク回避姿勢が強まると円買い、薄れるとドル買いが勢いづくという流れが定着していた。日本の円と、スイスのフランが、世界中のリスク回避貨幣のように言われていた。投資家が高い収益を狙ってリスクをとりに行く「リスクオン」と、リスク回避を強める「リスクオフ」の絶妙なバランスが、史上最少値幅となった2019年の「動かぬ円相場」につながった。

今回の急落は、こうした均衡に偏りが出てきたことを示唆している。従来なら円安進行はリスクオンと一体だったが、国内ヘッジファンドの投資責任者は、「今回はリスクオン相場ではない」と話す。実際20日の株式市場では、大幅な円安を受けて日経平均株価も急伸したが、その後は急速に伸び悩んだ。背景にあるのは、日本経済の先行きに対する懸念だ。

19年10~12月期は台風被害や消費増税の影響でマイナス成長になり、新型コロナウィルスの感染拡大で景気回復が遅れるとの見方が強まっている。ここ1週間の主要通貨の対ドルの値動きを見ても、円の下落率が最も大きい。円相場は20日、東京市場で1ドル=111円85銭まで下落し、欧州市場に移ってさらに円安に振れた。対ユーロでも、1ユーロ=121円台前半と約2週間ぶりに安値をつけた。

世界中が日本の新型コロナウィルス対策を注視しており、政府の対応は勿論のこと、国民の動向まで見ている。さりとて絶対的対策があるわけでもなく、私もおろおろしているだけだが、ワクチンがない中とりあえず効果があったという別の病気のワクチンでも、投与してみる価値はあるように思います。「座して死を待つ愚かさ」、これだけは何としても避けたい。意味のあった人生だったと、せめて自分だけでもそう思いたい。頑張ろうニッポン。


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| 社長日記 | 09:57 AM | comments (0) | trackback (0) |
県下唯一のスキー場スノーパーク雲辺寺も雪不足
香川県内唯一の人工スキー場「スノーパーク雲辺寺」(観音寺市大野原町)では、今シーズン暖冬の影響でゲレンデが例年の半分以下の規模しか造れず、対応に苦慮している。昨日の小欄では、島根県浜田市のスキー場が閉鎖するニュースを紹介しましたが、どこでも暖冬の悪影響を受けているようです。うどん県唯一の人工スキー場は、私も数度滑りに行きましたが、近いのは有り難いのですが、雪質はあまり良くないゲレンデです。

標高が920メートルと高いのが利点で、駐車場からロープウェーで一気に上がります。この標高差が、ゲレンデとしてのメリットですが、もともとは「雲辺寺」という寺詣でための仕掛けで、それを利用して人工スキー場が開設されています。人工というのは裏を返せば、雪が降れば自然の雪で滑るというモノですから、どちらかというと大雪が喜ばれます。

客足も伸び悩んでいる中、立春を過ぎて寒波が相次ぎ、18~19日は一晩中氷点下を記録、「今季初のベストコンディション」になったと言う。ただスキーシーズンは終盤を迎えていて、関係者の思いは複雑です。造雪機をフル稼働して雪を造っても次から次へ溶けてしまい、ゲレンデ整備に必要な雪量を確保出来ない状況が続いている。

例年なら40~50メートルあるメインゲレンデのコース幅は19日現在、10~20メートルにとどまる。毎年お目見えしているジャンプ台も充てる雪がなくて、造ることが出来ない。来場者も例年より2割ほど少なく推移しており、「暖かい日が多く、ウィンタースポーツという気分になれないのかも知れない」と担当者は言う。

それでも11日の建国記念の日には、山麓の駐車場は朝から近県ナンバーも目立った。晴天下のもと、白銀がまぶしいゲレンデでは、スキーやスノーボード、そりと思い思いのスポーツを楽しむ家族連れらの姿が多く見られた。今季の営業は3月8日(日)まで、ただし金曜定休だから気をつけて。水・土曜日はナイター営業もしている。

高台にある「スノーパーク雲辺寺」では、眼下に観音寺市内が一望できて、遙か向こうには瀬戸内海も望める。南国うどん県で、スキーが出来るというのも意外でしょう。「うどん県」などと知事が言う「面白い県」それが香川県です。関係性は全くありませんが浜田恵造香川県知事は、ここの出身です。


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| 社長日記 | 10:46 AM | comments (0) | trackback (0) |
ついに雪不足でスキー場破産へ
島根県浜田市のスキー場「アサヒテンクストン」の運営会社が、雪不足を理由に自己破産する準備に入ったと18日、発表された。私の心配が、現実のモノになってしまった。このスキー場は比較的新しく、広島県との県境にある。隣が「瑞穂スキー場」だったと記憶している。ここ数年は全く行かなくなったが、行ったことは数回あります。

うどん県からスキーへ行くのは、古くは「鳥取県の大山」や「兵庫県の山」と決まっていたモノですが、「アサヒテンクストン」のような新しいスキー場が、20~30年位前から出来た。特徴は、滑るためだけのゲレンデで、レストハウスはありますが、宿泊施設は全くありません。日帰りの若者相手のスキー場です。もう一つの特徴は、高速道路インターから至近距離にあること。チェーンの装着も、運が良ければ要らない。

今シーズンは、暖冬の影響で1日も営業が出来なかったという。運営する「ユートピア・マウンテンリゾート」によると、暖冬だった昨シーズンは約6千人が来場し、売上は約2千万円。今年も数千万円かけてリフトの整備などを進めたが、ほとんど積雪がなく営業に至らなかったという。同社によると、負債総額は約2千万円、意外と少ない。将来的にも、雪不足が続くと読んだのかも知れない。

松江地方気象台によると、昨シーズンに浜田市で雪が降ったのはたったの26日、今シーズンは、今月17日までに5日しかない。これでは雪不足と言うより、雪皆無と言った方が適切な表現かも知れない。過日の東北、山形・秋田でも雪は10分の1程度と住民はいう。全国的に雪不足だが、これがまたこれからの水不足につながる。雪解け水があるから、酒造りとか生活のための営みが出来るわけだ。

ここの「アサヒテンクストン」などは、新しい考え方で設計されているが、それにしても客単価が3千円余りでは、そもそも商売にならない。スキー客と言っても「スノボー」が多くて、道具も安くてこちらも儲からない。若者は滑ってすぐ帰るが、おじさんは宿泊してワイワイガヤガヤが好きだ。1泊2日でも3万円以上使う。そして遠くへ来て、1泊とは普通ならない。

もう随分昔の話になるが、宿やホテルがあるところは、もう50~100年の歴史があるところだが、「村あげてのスキー場」だった。山深い雪国に、冬の仕事はない。だから男衆は、「出稼ぎへ」行っていた。それがスキー場が出来たお陰で、冬の仕事が出来たモノだから、出稼ぎへ行くこともなくなった。村の衆が、大変喜んだわけだ。

それに私たちの世代は、家族や友達と一緒に団体で駆けつけていた。学生時代は東京から長野へ夜行列車で1週間ほど行ったものだが、うどん県からも、鳥取県の大山や、兵庫県・滋賀県ぐらいまで行ったモノです。雪も減ったが、スキー客も減った。60過ぎてからは、私も遠ざかっています。スキーにゴルフ、時代と共にブームは終わった。今でもやっている人は、本当に好きな岩盤ファンであります。


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| 社長日記 | 09:05 AM | comments (0) | trackback (0) |
親子で楽しむ庄内論語1
致道館(ちどうかん)は、庄内藩の藩校。所在地は山形県鶴岡市馬場町11-45。文化2年(1805年)、庄内藩七代目藩主・酒井忠徳によって創設された学問所に始まる。当時は現在の鶴岡市日吉町にあったが、文化13年(1816年)に八代目藩主の酒井忠器によって鶴ヶ岡城三の丸曲輪内に移された。明治6年(1873年)廃校。
東北地方に現存する唯一の藩校建造物で、孔子を祀る聖廟、講堂、御入間、表御門などの建物とその敷地一帯は国の史跡に指定されている。ここで、
先に小欄で紹介したように、ここで標題の小冊子を買い求めた。私は恥ずかしながら、論語の勉強をしたことがないのです。藩校での教科書に使われていたと聞き、迷わず買い求めた次第であります。中身を拝見すると、現代訳もつけられていて、今に通じるモノがあります。夫れ故、大勢の人が今でも論語を学ぶのだと悟りました。

その小冊子の中に、令和元年10月の「庄内日報」の記事の切り抜きが入っていました。致道館の日第11回児童生徒論語作文発表⑤で紹介された上郷小学校5年生石川心菜さんの作文です。彼女のお気に入りの論語は、以下のモノです。

「子曰く。之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」この論語の意味は、「先生がおっしゃいました。ものごとを知っているだけの人は、それを好きになって必死にやっている人に及ばないモノだ。必死にやっている人は、それを楽しみの境地でやっている人に及ばないモノだ」。

彼女は習い事を二つやっているが、「楽しんでいるか」と言われると怪しいと自戒している。理由は、習いごとをしている時、時々、心が乱れている気がするとも言っている。だから、「知ったら好きになる。好きになったら楽しむ」を忘れずに、上手になりたければ、他の人よりも誰よりも練習をして、楽しんでやることだと思いましたと。

流石に、新聞に取り入れられるだけのひらめきのある文章でした。不定期に、またこの小冊子からネタを取り上げることにします。そして少しだけ、ここから学ぶことにします。過去に古文の勉強にも行きましたが、やはり解説がないと心許ないモノです。逆にここには現代訳があります。助かります。


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| 社長日記 | 12:30 PM | comments (0) | trackback (0) |
讃岐の著名人平賀源内は角館に滞在して解体新書に貢献
秋田県仙北市角館町の武家屋敷について、昨日の小欄でも書きました。偶然入った「青柳家」の資料の中に、郷土の発明家・平賀源内の名前が各所に出てきて、一同ビックリ。「こんな所より郷土で頑張らんと」という声もありましたが、彼は高松市郊外の志度町に生まれ、上京しています。

簡易発電装置の「エレキテル」とかを発明したり、ユニークな人物だったと地元では言われております。土用の丑の日を制定したのも、彼だったと聞いています。そのネーミングのお陰で、今では考えられない、売れなくて困っていたウナギが飛ぶように売れたのでした。私も長男の小学校卒業記念プチ旅行で、この平賀源内記念館へ二人で行きました。ここには、平賀源内の偉業の一端が展示されています。

平賀源内が地元ではともかく全国区でない一番の原因は、土佐の「坂本龍馬」のように、活躍を物語紹介した本がないことではないかと考えます。坂本龍馬ブームは、司馬遼太郎の「竜馬が行く」が爆発のきっかけだったと言われていて、私もそのように理解しています。「竜馬が行く」は幕末維新を先導した坂本竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描いた大歴史ロマン。

「竜馬が行く」は司馬遼太郎が書いた、長編時代小説で、司馬遼太郎がかつて勤務していた「産経新聞」夕刊に、1962年6月21日から1966年5月19日まで連載し、1963年から1966年にかけ、文藝春秋全5巻で刊行された。1974年に文春文庫創刊に伴い全8巻で刊行、単行・文庫本ともに改版されている。今から60年近く前ですが、「竜馬ブーム」はこの後からでした。

たびたびドラマ化もされ、現在の竜馬像はこの本で形づくられたと言っても過言ではない。累計2500万部の国民的ベストセラー。弱虫の末っ子だった竜馬が、19歳で江戸へ出て高知の田舎しか知らなかった若者が、見たこともない江戸の街や人と交じり合うところに、竜馬の成長があり、日本人の生活向上のエネルギーにもなりました。

話を平賀源内に戻しますが、青柳家と姻戚関係になる小田野直武は、平賀源内に師事、秋田蘭画を確立し、『解体新書』の挿絵を描き、その名を高めました。西洋の陰影法を取り入れ、後の洋画界に大きな影響を与えた秋田蘭画は、小田野直武と、時の秋田藩主・佐竹義敦によって完成されました。









『解体新書』は日本で初めて翻訳された全5冊の西洋医学書で、1774年(安永3年)、江戸で発刊されました。翻訳したのは、杉田玄白、前野良沢等ですが、発刊と同時に評判となりベストセラーになりました。『解体新書』が当時の日本に衝撃を与えたのは、初めて正確な人体解剖図の付図1巻がついていたことです。この人体解剖図を描いた画家が、小田野直武です。

青柳家と小田野直武は姻戚関係にあり、何度も互いの家の間で養子縁組みや婚姻関係を結んでいます。青柳家と関係の深い小田野直武と『解体新書』、その画業について展示しています。「みちのくの小京都」と称される、風雅な町並が残る秋田県角館。江戸中期、学者、画家、発明家など多方面で活躍した平賀源内は、秋田藩に招かれ、角館に滞在しました。

その期間は、わずか1か月でしたが、角館に花開く文化の発展に寄与しました。地元の文化を広く紹介する「角館歴史村・青柳家」。源内の薫陶を受けた美術作品が、ここに展示されています。洋画の陰影、遠近法を日本画に取り入れた秋田蘭画です。大胆な構図の風景画は、後に北斎、広重にも影響を与えたと言われています。

また、青柳家では大変貴重な「解体新書」の初版本を展示しています。実は、この挿絵を手がけたのは、秋田蘭画の画家。なんでも源内が強く推薦したのだとか。当時、最先端の文化を角館にもたらした平賀源内。
もしも源内がこの地に滞在していなかったら、現在とは異なる歴史になっていたかも知れません。説明書には、このように「よいしょ」されています。

今回の研修では、生駒藩のことを由利本庄市矢島町ではじめて知り、郷土の偉人・平賀源内がこの地まで招聘されて、秋田蘭画にまで影響を与えていたことを知り、大変有意義なものでした。ありがとうございます。



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| 社長日記 | 09:18 AM | comments (0) | trackback (0) |
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