2025,01,17, Friday
1995(平成7)年1月17日午前5時46分『阪神淡路大震災・兵庫県南部地震』が発生し、死者が6千人を超える大震災が起こってから今日で30年。今日は私も、あの時の時間前に目覚めた。あの時は高松でも突然の突き上げるような揺れで、目が覚めた。たたき起こされた感じで、夫婦で「地震だ」と身構えたことを思い出す。6時前で、世の中が動き出す前の惨事、高速道路上の崩壊を免れた道路の先に止まったバスが象徴的だった。
追悼式典など各種団体が、数日前から準備をしていて、「あの日を忘れず、風化させない」と盛んに喧伝している。香川県などでは教訓から学ぶとして16日、南海トラフ巨大地震を想定した災害対策本部の運営訓練を県庁で実施している。われわれが取り組むことは、教訓を課題として次の発生するかも知れない大地震に備えることだろう。もっとも大震災や津波は、われわれの想定外になることが多い。 大型地震の記録は古く、1707年10月の宝永地震(300年以上前だが、東海・東南海・南海の『三連動型地震』と言われている)まで遡るようだが、推定数千人以上が死亡し連動型と言われるように49日後、富士山で宝永噴火が発生しています。これは富士山の歴史上、最後の噴火であり、噴煙や火山灰が広範囲に降り積もり、農作物に甚大な被害を与えたと記録されています。 30年という期間は、次の地震に備えるための準備期間であるはず。国県市町こぞって準備を進めるが、起こってみないと判らないと言うところは確かにある。13日成人の日夜、『南海トラフ地震臨時情報』が出た。大事に至らず、その日のうちに『調査終了』となった。昨年8月には初めてのことで、『巨大地震注意』になって政府は1週間程度、強い揺れや津波への注意備えの再確認を求めた。 国や行政の取り組には期待するところだが、われわれが出来ることは地震臨時情報が出たらまず身構えて、安全なところへ逃げることだ。長期になるかも知れないが、とりあえず今生きるすべを探すことだろう。『オオカミ少年現象』になるかも知れないが、まずは構えることだ。わが家の隣には、仏生山コミュニティセンターがあり、避難場所として指定されている。冷静に考えたら、ここで何人の被災者を収容できるのかおぼつかないが、とにかく在宅していたらここへ夫婦して逃げ込むことに決めている。 しかし日常生活中に地震が発生したら、さてどうするか。ある意味緊張感を持って、その場で身の安全策を考えざるを得ない。生きるということは、かくも過酷な選択の連続になるのだろうか。南海トラフ地震の発生確率は、30年間で80%に上がった。生きてる間に必ず来ると、「覚悟」せざるを得ないだろう。 ボーイスカウトの格言「備えよ常に」は、英語では「Be Prepared」と表現され、1907年にロバート・ベーデン=パウエル卿(ボーイスカウト運動の創始者)が提唱しました。この言葉は、ボーイスカウトの基本的な理念の一つであり、スカウトたちが人生のあらゆる状況において準備を整え、責任感を持って行動することを促すものです。少年がやっていること、大人が率先垂範しなくては。 |
2025,01,16, Thursday
今年の賀詞交換会が16日(木)、JRホテルクレメント高松で開催されました。正月明け、少し遅いと言われて来ましたが、第3木曜日が一般社団法人香川宅建と公益社団法人香川県宅地建物取引業協会合同の入会審査会&正副常任幹事会が定期開催されています。これにあわせた開催のため、毎年この日あたりになっています。
今日も来賓と会員をあわせ200人以上が、3階飛天の間に参集しています。今年の私の席は最後部左手で、デザートコーナが近いのですが、その他食べモノは臨席の友と話している内に、半分以上なくなっていました。着席バイキング形式で、テーブルは20席以上10人掛けで、会費は2千円徴収、コンパニオンさんが15名プラス佐藤良重(香川バンケットサービス)社長が会場狭しと挨拶回りです。 詳細は四国新聞記者がいたことから、紙面報道があると思います。そちらをご覧下さい。ところで今日一番のトピックスは、アットホーム(株)の吉川隆雄氏に本当に久しぶりにお目にかかったことであります。高松営業所の所長時代いやその前からもう20年以上になりますか、私は彼に罵詈雑言「将来アットホームがわれわれ協会からの儲けを独占する」と言い続けていました。 確たる根拠はありませんでしたが、遅れている不動産業界は一気にITデジタル化が進み、その中心核にアットホームがいると断言していました。香川宅建も当時それなりの流通近代化に邁進していましたが、その当時からリクルート社のコスモシステムより、どこよりアットホームが強いと感じていました。一番は、身近な吉川さんが熱心だったからそう感じたのかも知れません。 私の当時の難題投げかけにも、真摯に答えを持って来ていました。その吉川さんが高松営業所に復帰したことは後輩連から聞いていましたが、『リアル吉川』は本当に久しぶりでした。昨年7月から第2創業で、一から売物件の仕入れ、物件調査、営業活動等取り組んでいますが、『浦島太郎』状態であります。半年が経過し、ますますアットホームの凄さを痛感する日々を送っています。 「将来アットホームがわれわれ協会からの儲けを独占する」と予言したとおり、業界は一気にITデジタル化へ向かっています。この勢いは一企業のアットホームのみならず、国(国土交通省)が率先垂範してリードしています。所属する上部団体、全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)もこのITデジタルに突き進んでいます。一番のメリットはデジタル契約をすれば、売買契約書へ貼付する印紙が要らなくなります。 通常の売買契約では、売主・買主が売買価格に応じた印紙(軽減措置が続いています)をそれぞれが保有する契約書に貼付し、消印を押すとされていますが、田舎は印紙代が一万円程度でも、都会では10万100万円となり得るのです。このような最新のシステムは全宅蓮から有料で提供されていますが、契約に至るまでの営業活動ではアットホームが有料提供ですが、アットホーム様々です。 いつの間にか弊社への請求額もウナギ上り、それでも早くアットホームを使う業者は「一人雇うよりコスト安」と言いきります。私も先輩を見習いそう考えて、物件登録のみならずホームページもアットホーム製です。登録物件が自動でMYホームページに飛びます。まさに不動産DX(デジタルトランスフォーメーション)の一つです。吉川さんのような努力家がむかわれる時代は、良いですね。 |
2025,01,15, Wednesday
香川県産ヒノキ(かがわヒノキ)の利用拡大に向けた動きが、活発化していると聞く。県内では1970(昭和45)年前後(50年前)から、松食い虫の被害で枯れたマツに代わりヒノキが盛んに植林された。私の印象でも、香川県は山が少ないこともあり森林産業はさほど隆盛とは言えない。それでも現在は民有人工林の約6割をヒノキが占めている。そのうち約8割が植林から30年を超えて、木造住宅の柱材などに利用可能な時期を迎えているという。
県産ヒノキは雨が少ない気候に加え、讃岐山脈の北傾斜面で育つため、成長が緩やかで年輪が詰まって美しく、香りが良いのが特徴です。一方で、県産ヒノキは市場での知名度が低いため、現時点では供給量が少ない。森林整備の作業員はこの30年で3分に1に減り、伐採、搬出などの作業の担い手不足も課題になっている。高齢者の引退に伴い、新規参入が少ない。 この問題に対しては、担い手不足の解消を目指し、本年度から県立農業大学校(琴平町)に林業分野のコースを設け、実践的なカリキュラムを通じて即戦力を育てようとしている。香川県森林・林業政策課は「ヒノキの利用を拡大しながら、森林整備を推進し、資源の循環利用を進めたい」としている。昔から良く言われる言葉に、「海の水質改善や藻場の保護を目指すなら、山の手入れを怠るな」と。 森林に手つかず放置された、植林されたままの木々(ヒノキが多い)群は、暗くうっそうとして成長も悪そうに感じる。早くから枝打ちをしたら、節も少なく見栄えも良くなる。間伐も必要だが、問題は先にも書いた人手不足だ。若者を呼ぶには教育も必要だが、『生計が成り立つ収入』が必要だ。安定供給で県産ヒノキの価格がある程度の水準で推移したら、若者も振り向くと思うがどうだろう。 良く言われる植林活動に市民はボランティアとして参加するが、成長までの長い期間の手入れはプロにしか出来ない。古木になると木は炭酸同化作用をしなくなる。この頃がまさに伐採期と一致する。伐採には機械化も必要だろうし、県木材協会などの流通業者の販路の整備にも県の力が必要だ。 この先百年を展望しても、『木造建築』がなくなることはないだろう。これまでは価格勝負で、カナダやアメリカ、ロシアの木材を輸入していた業界だが、やはり安定供給の意味からも地政学上の観点からも『自前調達』が望ましい。伊勢神宮や京都の神社などは、自前の山で40~50年先の遷宮木材を仕込んでいると聞く。アメリカのような広範囲の山火事は、日本では少ない。十分採算は獲れると思うのです。 |
2025,01,14, Tuesday
四国新聞の1面『2025年を読む』で、政治ジャーナリスト・石橋文登氏が、「石破茂が首相のまま衆参同時選挙になれば自民党は衆参ともに惨敗しかねない」と断言する予想を書いている。もう一つ特筆すべき記述は、「安倍晋三が絶対に首相にしてはならない」と名指ししていた石破茂を新総裁に選出した。その結果10月の衆院選で自民党は大敗、少数与党に転落している。
その石橋文登氏は、首相は石破茂首相、自民党総裁は別の人物という『総々分離』で選挙戦に突入することもありえると警告している。何が起こるか分からないのが今年の日本政界のようです。一方世界で一番力を持つアメリカの大統領も、あと数日でトランプ氏が就任する。言うことと為すことが違うという、実に難解な大統領が誕生する。何が起こるかまさに読めない、混沌とした暗黒の時代が再来する。 そんな背景に政治ジャーナリスト・石橋文登氏は、標題のように乙巳(きのとみ)は努力を重ね、物事を安定させていく縁起の良い年だと今年を占う。ただし645年には中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我氏を滅ぼした『乙巳の変』が起きたことを忘れてはならないと結んでいる。実に不気味な警鐘だが、『乙巳の変』とは何か歴史の教科書を紐解いてみる。 「乙巳の変」(いっしのへん) は、日本の古代史における645年に起こった政治的な事件を指します。この事件は、日本の政治体制に大きな変化をもたらした重要な出来事であり、後の律令制度の基盤を形成しました。 背景 当時の日本では、蘇我氏(そがし)が大きな権力を握っており、特に蘇我蝦夷(そがのえみし)とその子である蘇我入鹿(そがのいるか)が朝廷を支配していました。しかし、彼らの専横(権力の私物化)に対する反発が高まり、皇族や他の豪族たちの間で不満が募っていました。 内容 645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり、後の藤原鎌足)が中心となり、蘇我入鹿を暗殺しました。この事件をきっかけに蘇我氏の勢力は衰退し、皇室を中心とした新しい政治体制が築かれることになります。 意義 乙巳の変の結果として、以下のような変化がありました: 1. 蘇我氏の排除: 長らく続いていた蘇我氏の専横が終わり、天皇を中心とする政治体制が復活しました。 2. 大化の改新: 乙巳の変に続いて「大化の改新」と呼ばれる一連の改革が行われ、中央集権的な国家の基礎が築かれました。土地制度の改革(公地公民制)や税制度の整備などがその例です。 名前の由来 「乙巳(いっし)」は干支の1つで、645年が乙巳の年であったことからこの事件が「乙巳の変」と呼ばれています。この事件は日本史の中でも特に重要な転換点とされ、後の天皇制や律令国家の形成に大きな影響を与えました。 以上が『チャットGTP』が導き出した「乙巳の変」(いっしのへん)の解説です。大きな政治変革の年にもなりかねない、昨年の乙辰が続いている感もあります。どうなるか、市井のわれわれも気になるところです。もう一つ今風の受験語呂合わせでは、「むちゃしごかれ蘇我氏は退場」となるそうです。 |
2025,01,13, Monday
ハンドボールの全国高校選抜大会県予選最終日は13日、高松市香川総合体育館で男女の決勝リーグの残り試合を行い、男子は香川中央、女子は高松商がそれぞれ3戦全勝で頂点に立った。香川中央は26大会連続34度目、高松商は20大会連続35度目の優勝。県内にはまさに敵なしで、2月1日からの全国切符のかかった四国予選に2位校と共に臨む。全国大会制覇の実力を持つ両校、次の愛媛での四国予選も期待が広がる。
高校生県勢の全国レベルは、このハンドボールくらいか。先のマラソンでも、男女45位あたりが定位置。同日に行われたサッカー全国高校選手権決勝も、前橋育英(群馬)と流通経大柏(千葉)がPK戦で雌雄を決する戦いをしたが、香川代表は初戦敗退、どう見ても香川代表(選手数3桁に及ぶ)が弱いのではなく、勝ち進んだ高校が強いのだ。 同じことが香川中央と高松商にも言える。他校の少なくとも倍は練習に励み、高松商は毎週末ぐらい遠征を重ねて研鑽している。遠征のバスがくたびれるほど、練習相手を求めて出かけている。もう随分前になるが、私が香川中央高校のPTA役員をしていた頃男子香川中央も、日頃から研鑽を積んで全国制覇をはたした。近くに大学チーム、実業団チームがないハンディキャップを自ら出かけて克服していた。 私は一に指導者、二に学校の協力だと思います。指導者は監督コーチ、勿論教諭ですから教育者であります。寝食忘れて指導に励み、長期にわたり栄光を勝ち取らせています。何の競技でも同じですが、生徒選手は1~2年で入れ替わります。中学生の全日本級はそうはいません。普通の選手を、常勝チームのトップアスリートに仕上げる。結果仕上がるのであり、途中では生徒も指導者も気がつかないことが多い。 香川県立高松商業高等学校の女子ハンドボール部の監督は、河合哲(かわい さとし)氏です。彼は以前、香川県立香川中央高等学校で19年間監督を務め、同校を全国選抜大会優勝に導いた実績があります。その後、高松商業高校に異動し、女子ハンドボール部の指導を続けています。また、河合氏は日本ハンドボール協会の活動にも携わっており、女子U-20日本代表の監督を務めています。 香川県立香川中央高等学校の監督は、高松商から転勤された田中潤氏です。 |