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香川コロナ死者279人全国19位
新型コロナウィルス感染法上の位置づけが5類に移行した昨年5月からの1年間に、香川県内で新型コロナウィルスへの感染が原因で亡くなった人数は279人もいたことが、厚生労働省の人口動態統計で分かった。人口10万人当たりは30.1人で、全国平均(26.2人)を上回った。この傾向は四国4県ともに高く、コロナの脅威は全く減じておらず、付近のクリニックでもマスクの提供がされているほどだ。

人口動態統計によると、県内で新型コロナウィルスが原因で亡くなった人は、2022年5月から1年間で550人、21年の同期間が102人、20年の同期間が24人と年々増えている。新型コロナウィルスの流行は、5類分類になって以降から減少しているとばかり勝手に思い、安心していました。確かに職場でも、『初感染』と聞く。コロナ菌は、まだうようよしているようだ。

また不思議な事に、先にも書いたように香川以外の四国内でも、愛媛県が361人、高知県が304人、徳島県が284人と多い。こうしてデーターを見ると、新型コロナウィルス感染症は、少なくとも四国内ではまだ収束にほど遠い状況と言わざるを得ない。今年に入ってからは、1月2月3月が279人の平均値1ヶ月23人より1.5倍2倍ほど拡大し、4月になって10人台と落ち着いている。

昨年8月は2023年で一番多くなっていて、年間統計も気にかかるところですが、この暑い夏に拡大するとなると、「えらいわ」がまだこれからも続く。夏の疲れを私もひしひしと感じている。体力をつけ免疫力を高めておかないと、私の場合は『がん』も再発症しかねない。エアコンの下で暮らしていると、コロナにも取り憑かれそうだ。かと言って山へ行くと落下するし、よわい70か。


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| 社長日記 | 09:35 AM | comments (0) | trackback (0) |
月曜の屋島組で思わぬ事故
この時期の登山は、真夏より汗をかいてしまい、汗対策が関心の一つになっています。今日は前半の山道登りをティシャツに『レッグウオーマー』をつけて、後半の下りはレッグウオーマーを外してティシャツで涼しく下山するとプランを立てて臨みました。これが結果良かったのです。現在リーダー不在で、わずか数人のグループでも、元いたリーダーが不在となると、ぎくしゃくします。

そのせいにするわけではありませんが、6人の最後尾の私は、足を滑らせて転落、わずか2メートル程度でしたが、まずは心の緩みです。何でもない1歩ですが、油断から転んで登りですからそのままずり落ちました。幸い地盤が軟らかくて、写真のように膝の外側とレッグウオーマーの肘あたりが汚れている程度で、軽くて助かりました。

レッグウオーマーが大正解でした。慣れ親しんだ道ですから、足を踏み外すこともないのですが、こうした油断からの事故が山では常識ですね。転んで考えたことは、落下距離を少なくすること。体勢を整えて、いち早く木にしがみつくことです。リーダー不在ですから、みんなに迷惑はかけたくない。列の途中であれば、後ろへの迷惑度を考慮し、もう少し慎重に行動していたかもしれません。

屋島登山を始めて1年数ヶ月、大いに反省する事故(未遂)でありました。気を取り直して、下山後は、途中一部参加のリーダーも『わら家』でうどんを食べました。2回目ですが、四国村への入り口のある、徳島からの古民家を移築した藁葺き屋根のうどん店舗で、広い店内で大勢が食しています。

「四国村」は、香川県の屋島山麓に広がる広大な敷地に位置しています。この場所は、江戸時代から大正時代にかけて建てられた建物を移築・復元した野外博物館として知られています。具体的には、四国四県から33棟の建物が移築されており、その中には国指定の重要文化財も含まれています。これらの建物は、住宅や作業小屋、寄合い所、芝居小屋、米倉、醤油醸造所など、実際に人々が使ってきたものです。

柱や梁、展示されている民具には、人々の知恵や労苦、祈りが染み込んでいることでしょう。四季折々の自然を感じながら散策すると、鳥のさえずりや滝の音に癒され、現代人が失ってしまった何かに気づくことがあります。「幸せとは何か」を考えるきっかけにもなる場所です。

さらに、四国村には魅力的なスポットが点在しています。たとえば、建築家・安藤忠雄氏が設計した「四国村ギャラリー」や、先に紹介した古民家を改築したうどん店「四国村わら家」、神戸の異人館だった「四国村カフェ」などがあります。今日のわら家には、大型バスが入ってました。聞くと、盛岡(東北・岩手県)からの観光客。暑い暑いを連発されていました。



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| 社長日記 | 09:34 AM | comments (0) | trackback (0) |
芸術家郷祥展が27日まで珈笛画廊・ほのほで開催中
芸術の世界だが、何と表現したらおわかり頂けるか甚だ疑問でありますが『墨』だけを使った作品を、珈笛画廊・ほのほ(高松市中野町)で展示しています。今日は作者にもお目にかかり、その神髄を伺ったのですが、これはオフレコですが彼は某電力会社(四国には一つしかないが)の社員だという。これを聞いて、距離が急に縮まった。近く退社し、芸術家として1本道に精進するようだ。

私などは、この珈笛画廊・ほのほに常置している週刊新潮の表紙を書いている成瀬政博氏の作品などを見るにつけ、別世界の話題であり作品だと感じてしまう。高額なのも遠ざける材料だが、作家が身近であれば作品も近くなる。その為に展示会などに、作者が在席するのだと思うのですが、今日郷祥(Goshow勿論ペンネーム)にお目にかかり、イケメンの36歳だけど、彼がサラリーマンだと聞いて何だかほっと安心した。

墨絵は松ヤニから抽出した墨を画材としているが、先に『書道家』としての顔も持つ。頂いた『感謝』も私が好む書体だ。加えて絵はがきは3枚も貰った、作品のサンプル的な縮小版は、1枚購入しました。週刊新潮の表紙を書いている成瀬政博氏の作品も、その他著名人の作品も、私の懐事情もあるが、なかなか買うところまでいかない。飾るところもないと言うが、本当に好きな人はトイレにも飾るのだが。

8日11時30分過ぎからRNC番組で、展示会風景がニュースとして取り上げられていました。珈笛画廊・ほのほ(高松市中野町)での展示会は、27日まで続きます。この先作家さんがどう活路を拓いていくか、楽しみです。マスメディアも有効ですが、デジタルネイティブには、SNSの活用も必要かと思います。銀座の画商よりも、今の時代はこうした小さい小屋での展示会が火を付けるかもしれない。

本人は製作に追われて、情報発信までは出来ない。誰か助ける人があると、短時間に作品が広がるかもしれない。一度メジャー作家になれば、もう流れですから、押しも押されもされない芸術家になるのでしょう。今のうちに買っておくのも、投資かもしれない。投資は、長期・積立・分散が肝要です。



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| 社長日記 | 08:30 PM | comments (0) | trackback (0) |
テレビ東京番組『ガイヤの夜明け』病院再生で大津市民病院が
9月6日(金)午後10時から、テレビ東京の人気番組『ガイヤの夜明け』で、私が2010(平成22)年9月、今から14年前に受けた『変形性頸椎症頸椎弓形成手術』の病院だった大津市民病院が紹介されていました。懐かしさとともに、あの病院が医師不足で廃院のピンチだったことが報じられています。報道されると言うことは、ピンチのピークは越えて、回復基調にあるからと少し安心しました。

私は医療界のことは良く分かりませんが、よく言われる『医局』の問題で、京都大学医学部のトップが、大津市民病院へ派遣した仲間の待遇等に不満があり、彼らを市民病院から引き上げたようだ。板前の世界でも、このような徒弟制度がいまだに残る。経営者が魚の両身を使ってくれと言えば、板前の親方は片身を使いもう片身は売って金にして、その金で弟子らをコントロールしているから、経営者の言うことは聞かない。「上がらせて貰います」と、調理人一同をつれて親方が退社する。

大津市民病院もこれとよく似た話で、市民病院が誰のために存在するのかは二の次三の次の話しで、自分たちだけの『利己』を通そうとする。その為に大量の医師不足を招き、機能しなくなった。2019年からの新型コロナウィルスの流行対策で裏目に出たことも、解決を遅らせていた。そこに再生の白羽が立った医院長と理事長が、悪戦苦闘の戦いを続けて数年。徐々に、市民病院らしさを取り戻してきた。

興味のある御仁は、ティーバなど番組無料再生があるから、ご覧下さい。私が手術を受けた平成22年頃は、病院は至って平穏だった。盛和塾に入塾して、その会合で「左手がしびれて首があるところで激痛がする」と塾生の竹中右門(名古屋塾)さんに打ち明けたところ、同じ塾生の成田仁孝氏(東京塾)を紹介して下さり、大津市民病院のK先生に辿り着いた。そのコネで、迷うことなく先の手術を受けて今に至っている。日常生活が出来ているから、これほどまでの幸せはない。

頸椎の手術は微妙で、大量の出血時には輸血も必要になり、後遺症で半身不随になることも告げられた。番組の中で登場した麻酔科の橋口光子先生は、私の術前カンファレンスで「たまに目覚めない患者もいる」と脅した先生だ。随分はっきり言う先生だと、腹も立ったが、同情しても仕方ない。いまだに覚えている。彼女も医局組だが、麻酔科がなくなれば病院が機能しないと踏みとどまった貴重な一人だ。地域医療として、市民病院の手術室を、町医者のオペに麻酔科付きで貸し出したりもしている。

まさに市民病院ここに有りで、彼女がこの先副医院長として、医院長を補佐していくようだ。この先長く停止している、新生児の誕生にも取り組む。私も高齢者ですが、高齢者医療はそこそこ大事だが、それ以上に産科や婦人科・小児科はもっと手厚く取り組んで貰いたい。残せるモノは人材だ、大津市民病院でも若い医師も育っているし、市民病院らしく訪問診療もドクターカーまで作って取り組んでいる。

院長先生は私も毎日通った病院内の生協で買ったインスタント昼食で、昼は済ませている。若い女先生は、この病院へ赴任して「カルテを書くパソコン操作と食事が早くなった」と明るく喋る。ここには、小さな矜持に突き動かされている医者がいる。最後に付け加えておきますが、私の主治医はもっと早く騒動の前に京都市内にクリニックを構えて独立しています。『頸友数人』で、記念の机を贈りましたから、間違いありません。


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| 社長日記 | 03:11 PM | comments (0) | trackback (0) |
「ひげの隊長」こと佐藤正久参議院議員の講演会
善通寺陸上自衛隊駐屯地体育館において6日、佐藤正久参議院議員の講演会がありました。演題は『我が国の安全保障環境について』、約90分に及ぶ体育館で聞く話にしては長いものでしたが、われわれ民間人は30人程度、大多数は制服組でした。「ひげの隊長」として、自衛隊が海外に出た当時の文字通り『隊長』でした。大リーグへ行った野茂投手のようなモノで、今では大リーガーは大谷翔平選手をはじめ日本人が多く活躍していますが、最初は何でも大変だったことでしょう。

見ていたように書いていますが、自衛隊への世間の風当たりが変わったのは1995(平成7)年1月17日早朝に発生した『神戸淡路大震災』からで、今からわずか30年前のことではなかったでしょうか。それまでの自衛隊は憲法違反だとか、アメリカ合衆国の言いなりになる日米安保の悪産物だとか、人間でないように言われて来ました。震災復興で自衛隊員の献身的活躍を多くの被災者と日本中のテレビ前の国民が、これを見て言うことが変わったと思います。

その後の東日本大震災や熊本・倉敷の大雨、最近では能登半島震災で自衛隊の活躍に多くの日本人が安堵しています。自衛隊は臨時復旧隊ですから、1次被害が落ち着けば直ちに撤退します。別れを惜しむ国民が最近は多くて、涙なくして見ておれないシーンが拡大放映されます。佐藤正久さんは、第7普通科連隊の長や福知山駐屯地の司令を務めました。

2004(平成16)年イラク先遣隊の初代隊長として、イラク復興業務支援に従事。ゴラン高原派遣輸送隊の初代隊長としても活躍されました。また陸上自衛隊幹部学校では、主任教官として指導されていました。佐藤正久さんは、国内外での経験を活かして、政治家としても活発に活動されています。彼の「ヒゲの隊長」としての愛称は、そのリーダーシップと献身的な働きぶりから生まれたもので、多くの人々に親しまれています。

大半が自衛官に聞かす内容でしたから、隊長(リーダー)のあり方について前半は自らの体験の、現状の話しが後半続きました。防衛費が拡大していく国家予算の中で、食事費や装備費など隊員が身近に感じる話しの内容でした。私は尖閣諸島など中国との熱い戦いの内容を期待したのですが、このあたりは国家秘密に該当し、お互いに触れたがりません。当然のことであります。

最後まで隊員には、誇りを持って厳しい訓練に耐えて下さいと訴えていました。訓練は決して裏切らない。「ひげの隊長」こと佐藤正久参議院議員は、貴重な存在です。次が選挙ですかね、「ひげの隊長」と投票用紙に書かないで下さい。私がこのことを言ったら、しっかりうなずいていました。『佐藤正久』と正しく書きましょう。



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| 社長日記 | 08:49 AM | comments (0) | trackback (0) |
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