2023,12,08, Friday
香川県の西讃地方、三豊市北部の地下に、約1400万年前の巨大噴火で出来たくぼ地『カルデラ』跡が存在する可能性が高いとの調査結果を、観音寺市在住の前川久則(68)氏が発表したと地元紙に大きく報道されています。前川久則氏は、香川大学認定のジオガイドと言うから、当然香川大長谷川教授の意見も反映されていると思われ、まんざらの発表ではないと私は見ています。
昨秋、ジオガイドの下見で弥谷山の中腹にある四国霊場71番札所・弥谷寺(いやだにじ・三豊市三野町)を何度も訪れ、南方に広がる風景を眺めていて「阿蘇カルデラに似ている。カルデラ噴火ではないか」と疑問が浮かんだそうだ。下高瀬の一帯は、弥谷山のほか火上山、爺神(とかみ)山、七宝山、汐木山などの点在する山々に囲まれた平野で、古三野津湾と呼ばれて古くは海が入り込んでいた。 前川久則さんは、ここでカルデラ噴火が起きていたとすれば、台地状の『メサ』や火山岩頸部を形成している周辺の山々の地質とも符合すると仮設を立てた。高松市仏生山町周辺で、1991年に発見された『高松クレーター』がヒントになったという。高松クレーターとは、高松市仏生山町周辺にあるクレーター状の地下構造。重力異常によって、高松市内の地下にクレーター状の地下構造が存在する事が判明した。それによりこの地下構造は、『高松クレーター』と呼称されるようになった。 調査の結果、衝撃石英が発見された事もあり、隕石のような小天体の衝突を成因とする仮説が裏付けられたかにみえたものの、実際には古代の噴火口の跡との説が有力である。1990年代初頭に渇水の時期があり、豊富な地下水が期待されていたが、調査の結果は芳しくなかった。当時地元仏生山では、隕石が堕ちた跡が地下にあり豊富な水がそこにあるのではないかと期待が膨らんだ。 結果隕石跡とは確認されず、噴火跡つまりカルデラ説で落ち着いた。当時不動産鑑定士吉野伸先生が、東京新宿のオフィースで私的勉強会を主宰されていて、その席で高松市仏生山町の紹介をする際にこの『高松クレーター』が大いに全国的注目を浴びたのを、昨日のことのように思いだします。その頃は『隕石跡』説が期待されて、結果は残念となりましたが、ここへ来て『カルデラ』の活字を目にして、30年前が蘇りました。 前川さんは、下高瀬のある地点でのボーリング調査のデーターがインターネットで公開されているのを見つけ、柱状図から地質の深度分析などを調査した。また、重力図によると、掘削地点付近を中心とした同心円状に負の重力以上が認められ、その直径は約3~4キロに及ぶとしている。これらの点から『カルデラ跡の存在がほぼ確実であると推定している』と、結論づけている。 前川さんは先の30年前の『高松クレーター』の第一人者・長谷川修一教授の指導の下、10月27~29日に千葉県で開かれた日本ジオパーク全国大会in関東でポスター発表を行った。同時に長谷川修一香川大学特任教授(地質工学)が重力異常の有無について検証し、『三豊コールドロン』(三豊カルデラ跡)と命名したとも報じられている。 |
2023,12,06, Wednesday
恥ずかしのですが、日頃偉そうに書いている私のよくある失敗談の極めつけを聞いて下さい。3日の日曜日、かねてより明治大学校友会香川県支部の小野啓一幹事長の手配で、ラグビー関東大学対抗戦の最終戦である早明戦のプラチナチケットを得て国立競技場へ行く計画が自分の頭の中で出来ていて、悪いことに石巻市の宮本嘉二君も国立競技場へ誘っていました。
ところが3日は、高松でのっぴきならない小用が複数あり、とても高松を離れることが出来る状況ではなかったのです。これを配慮したのか、JALエアーチケットは翌4日の『朝一最終便』でした。要するに一日ずれているのですが、これに気づいたのが3日前でした。間違いの原因追及はあとにして、失敗は失敗として終わらせない経営者魂から、予定通り4日上京しました。 これまで訪問したいと考えていたお客様宅や、自宅を出られなくなった友を見舞いに行きました。ここからの体験が小欄の読者にも有効ではないかと考えて、披露します。まず高松空港でスマホの非接触型支払アプリ『スイカ』の残高確認。Suicaは、鉄道、バス、お買い物などでご利用いただけるJR東日本のICカードです。 高松で暮らしていたら、JR岡山駅へ行く場合ぐらいしか使えなくてしばらく見ていなかったのですが、残高5千円ほどでした。スマホ内のクレジットカードから1万円をチャージしました。この仕組みは、あなたの子どもや孫さんに教えを乞うことを提案します。これで1.5万円分が利用できるようになりこのあとは、スマホの頭部を改札口の指定箇所にかざすと改札口機械が読み込み、そのまま通過することになります。これはありがたい、いちいち切符を買っていたら倍から3倍の時間が掛かったでしょう。 そして行き先は、スマホの『Google Maps』で検索します。私は羽田空港第1ビルから目的地を入力して、ルート案内をクリックすると、最寄り駅までの乗換方法と、駅からの徒歩地図を出して、どちらへ歩くか指示されます。これだけのことですが、実に便利で土地勘のない田舎者にはありがたいシステムです。おまけに私は『Apple AirPods』を片方だけですが耳に入れています。スマホのリモート通話のためですが、これが音声案内もしてくれます。 私が驚愕した、スマホの使い方のほんの一端を紹介しました。まさに古希高齢者のためのスマホです。私よりスマホに精通された先輩諸兄が、これをお読みになったら大笑いでしょうが、今回の上京で恐れながらもこの程度の活用が出来ました。どちらかというと私はパソコン派で、スマホをバカにしていましたが、いまさらカバンからPCやアイパッドを出す気にはなりません。 自慢話と取らないで、『そんな使い方も出来るのか』と刮目して下さい。実に便利な大人のオモチャの一つです。今私は、スマホをWi-Fiルーターとしても使います。専用のWi-Fiルーターの持ち歩きがなくなり、少しですが負担が少なくなりました。スマホは、知ればますます使える道具です。しつこくて、誠に申し訳ありません。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
2023,12,05, Tuesday
40年の会歴でも、今日のように2つの例会を一つで開催する企画は、私は初めてのことのように思います。運悪くどちらかが開催できずに結果、1つの例会になったことはこれまでにもあります。コロナ禍から解放されて、ライオンズ界も通常のやり方に戻りつつありますが、新たな悩みとして会員減が運営の壁となっています。
特にアメリカ産のライオンズクラブにあっては、12月の第2例会はクリスマス例会として、一年を通じても比較的食事の提供等が充実しているのがこれまでの慣例でありました。悪いことに、ホテルから提供される食事代も値上がっています。極めれば、ライオンズクラブの例会食事が必要かと問われかねません。食事がコンビニ弁当という例会も耳にしますし、食事のない例会もあります。 今ではライオンズクラブ国際規約でも、月2回の例会開催義務、委員会開催負担はなくなってきています。傾向から言えば、世界各地のその地区に合致した運営方法に委ねる方向に流れています。過日の高松屋島ライオンズクラブのお茶会も、少なくなった会員でやりくりしていました。ライオンズクラブだけではありませんが、ボランティア活動組織は総じて人が激減しています。 ボランティア団体の活動は、経済情勢に当然比例しています。不景気になったら自らの生活維持が優先されて、反対にバブル景気の頃をピークに会員増、そしてクラブ分割まで進みその反動が今、どのクラブとも足かせとなっています。極端な例としては、クラブ合併も散見されるようになってきています。比較的プロトコルや、組織が世界的にしっかりしているLC界にあっても、日本国内のクラブはそれらに忠実ですが、持ちこたえられないクラブが出て来そうです。 さて各論ですが、高松栗林ライオンズクラブ第61期もほぼ半分が経過しました。L那須雅人会長の挨拶でも、半期経過の感謝が込められていましたが、来年6月までの舵取りをお願いしますよ。また今日の例会後には、次期役員構成をどうするかの第1回の話し合いが始まりました。高松栗林ライオンズクラブは単年度の任期、従って毎年次期会長幹事会計の3役選出が難しくなっています。いずれにしても、ライオンズクラブもリーダ次第です。 ![]() ![]() |
2023,12,04, Monday
屋島LC主催の茶会が、玉藻公園披雲閣で9時から開催されました。私も1席狙いで出かけたのですが、途中で戸惑い1席に間にあわず2席でお手前を頂戴しました。このところ朝は冷えています、暖房がない館内は人が熱源ですが、待合は人が移動して静まりかえって寒さが応えます。わが高松栗林LCもかつては1月、ここで『こどもカルタ大会』をやっていました。建物内の冬の厳しさは、十分体験しています。
屋島LCの今回の茶会は、認証59周年記念ですから、来年はこの茶会が60周年のメモリアルイベントになることでしょう。会員数が減少する中での茶会開催はさぞかし大変だと思いきや、高校生ボランティア活動チームの協力を得ています。高松栗林LCも、秋の高校生茶会を応援しています。その高校生の助けを、借りています。妙案を考えましたね。 受付のお嬢さんは、藤井高校と高松西高の二人だと記憶していますが、『そば』の担当は母校高松商の女子でした。「いたか高商」、高商の茶道部も部員が少ないとは聞いていますが、少数でも他校と交流する機会は自己啓発の機会です。大いに楽しんで下さい。勉強も大切ですが、これからの若人は、校内は勿論のこと国内また海外まで視野を広げて研鑽を積んで下さい。 日本の茶道は、私が言うまでもなく世界中どこでも通じます。着物も着られるならそれにこしたことはありませんが、海外での『お手前』は留学や海外表敬訪問時に大変喜ばれます。今の私は恥ずかしながら正座が叶いませんので、後方の椅子席に陣取っていますが、それでも屋島LCの茶会にはほぼ皆出席であります。 負けじとわがクラブも『日暮茶会』と称して、特別名勝栗林公園内の掬月亭で60年近く開催して来ましたが、L横井潔の没後、中止のやむなしに至っております。開催に際してはリーダーが必要です。リーダーは、まずは集団に対して、夢あふれる『ビジョン』を描く。お茶会の社会的意義を教えてくれます。同時に、なぜそれを目指すかという『ミッション』を説く。さらに集団を正しい方向に導いていくことができる高邁な『人格』を自分自身が身につける、それを実践していたのがL横井潔でした。 話しが随分逸れてしまいましたが、屋島ライオンズクラブのみなさま、お疲れさまでした。特にL多田昌弘元会長は茶会で活躍され、12時からの高松源平ライオンズクラブ結成30周年記念式典にも出没、十重二十重の活躍であります。ご苦労様でした。 ![]() ![]() ![]() ![]() |