2019,09,14, Saturday
アマリア・カランバカホテルで、目覚めました。体が、ギリシアに慣れてきました。畑の真ん中のホテルですから、「スナックあけみ」や「スナックけいこ」の類いはありません。夕食時にしたたかワインを飲んで、部屋へ帰って、もう日記を書く余裕はありません。焼酎のお湯割りを一杯頂いて、熟睡です。負けじと日記は、もっぱら移動中の車内で書いています。
肝心の「湯沸かし器」は、アマリアホテルには常設器がありました。私は、もともと湯沸かし器を持ってきています。これは必需品で、もう30年近く使っています。同伴の一人石川修一氏はそれを知っていて、提供してと言います。彼とは香川県宅建協会のツアーで、何度か同行しています。 小型軽量で、大変重宝しています。昔はインスタント味噌汁や、ラーメンにもこれを使って作っていました。電気の取り込み装置は、これまた必需品です。世界各地で異なるのですが、ここギリシアはCタイプ、横丸二本ソケットですこれとは別に、世界中のコンセントに対応する器具を持ち込んでいます。 これも、もう長く使っています。コンピュータの充電、Wi-Fiルーター、携帯電話等、オモチャを多く持っていることから、電気を取り込む装置は、必需品です。従ってボストンバッグは、重いのです。そうそう今回の旅行から、バッグを変えました。常用品の自重が8㎏もあったので、かみさんの4㎏のバッグを借りました。彼女は多くのバッグ持ちです。その分、サイズは小さくなりました。 今朝は9時と、これまででは一番遅い出発です。世界遺産の、メテオラの観光に出かけます。ピントス山脈の麓に広がるテッサリア平原に突如20~400mに及ぶ奇岩群が現れます。この岩山の頂や洞窟に隠修士が住み始めたのは、10世紀頃と言われています。しかし記録がありません。ここに建つ修道院を訪ね、美しいフレスコ画や共同生活の場を見学しました。 巨大な奇石の上に作られた数々の修道院。今回の二つ目の見所のメテオラ。眺めるだけでも、われわれ日本人は、宗教とは何だろうかと考えてしまいます。このツアーを企画した十河伯行・むれ百年会ツアー事務局長は、過去に上映された「ジェームズ・コバーン」の映画「スカイライダース」では、岩の上の修道院に籠城したテロリストを「カイト」で空から攻撃するというシーンもここで撮影されたと書いています。 『007 ユア・アイズ・オンリー』(ダブルオーセブン ユア・アイズ・オンリー、For Your Eyes Only)は、1981年公開、007シリーズ第12作。そのメテオラでは当初、「エロと暴力に満ちた映画」ということで修道僧達の反発をまねき、修道院の屋根に撮影反対を訴える派手な布が覆い被せられていた。他にも様々なトラブルがあったこのメテオラのクライマックスのシーンは、苦労に反してあまり評判が良くなかった。 総括するとメテオラは、ギリシア北西部・セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群と、その上に建設された修道院共同を言います。いわゆる、メテオラ修道院群の総称であります。その地形及びギリシア正教の修道院文化の価値から、ユネスコ世界遺産(文化・自然複合遺産)に登録されています。その名はギリシア語で、「中空の」を意味する「メテオロス」という言葉に由来していると書かれています。 メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち、祈りと瞑想に生きる修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていたようです。この時代の修道士は、現在のような修道院共同体を形成することはなく、単独で修行する隠修士が主流であったようです。 「タベルナ(ギリシアのレストランはタベルナという)・バッカスで食事頂き、一路アテネを目指して高速道路を走ります。途中のトイレ休憩は、高速道路脇にしつらえられた「トイレ」。かなりの数あるようで、上下線に一対として作られています。男性用2、女性用2。そして本日のホテルは「ウインダム・グランド」、ここに2連泊して、エーゲ海ミニクルージングに出かけます。もう終盤にかかっています。 夕食は景色の良いところへ行くと言って、これまでの大型バスを小型にして、いさんで会場へ向かいます。ところが若い運転手が道を間違えて、30分が60分程度かかりました。しかし本来なら腹が立つところですが、迷っているのを察知した1台の乗用車が近づき、運転手と短い会話の後、誘導してくれました。かみさんは偶然知り合いが通りかかったと言うが、そんな可能性は千%ない。 そのレストランだが、看板も外灯も何もない。疑心暗鬼で、添乗の大川観光の湯之上一彦さんが様子見に行きます。正解でした、確かに夜景は綺麗でした。パルテノン宮殿の照明が、とても綺麗でした。食事内容もデリシャスで、帰りのバスでは、若い運転手に拍手がわいていました。彼も焦ったことでしょう、それにしてもギリシアの人は、困っている人には温かい。 |
2019,09,13, Friday
イテアのホテルから出て、世界遺産のデルフィへ向かいます。そうそうこのホテルの前には地元スーパーがあり、ガイドさんに薦められて大勢が「オリーブ3㎏缶」を買ったようです。安いのは有り難いのですが、3㎏は多くない?そうでなくても重い大型トランクの岩本和敏さんの荷物は、私には持ちあげられない重さ。ファーストクラスでなければ、追加料金を請求されそう。
さてさてデルフィですが、世界遺産に登録されている、古代ギリシアの「聖地デルポイ」の現代名であります。現代のデルフィは、デルポイの遺跡の付近にある集落の名であり、フォキダ県所属の基礎自治体(ディモス)の名でもあります。自治体としてのデルフィ市の中心地は、アンフィサに置かれている。 デルフィ市には、遺跡に興味を持つ観光客以外にも、パルナソス・スキーセンターを訪れるスキー客や、海岸を訪れるリゾート客が訪れる。地中海ギリシアでスキーをすると言えば、日本人のわれわれには大いに疑問がわく。しかしドバイ空港の壁面にも、スキーをしている姿がポスターになっていた。 ここから専用バスで、世界遺産のオシオス・ルーカス修道院へ向かいます。オシオス・ルーカス修道院は、ギリシア共和国中央ギリシア地方ヴィオティア県ディストモのヘリコン山の麓にある、ギリシア正教会の修道院であります。10世紀に設立され、中期ビザンティン建築の傑作と言われる聖堂と、11世紀に作成されたモザイクが残る。 1990年、他の2つの修道院とともにユネスコの世界遺産に登録された。 カランバカは、ギリシアのテッサリア地方トリカラ県の都市で、世界遺産のメテオラ観光の拠点となる町。ドイツ・バイエルン州のシュヴァバッハと姉妹都市(ギリシアとドイツは昔から犬猿の仲であるが)。1881年8月27日、カランバカはトルコの支配からの独立が認められた。1943年4月23日にギリシア軍とイタリア軍の間で戦闘が起き、イタリア軍兵士70名が亡くなった。1995年、紀元前20世紀の墓が見つかった。 ギリシアについて、少しまとめてみます。20年前の前回は、エーゲ海クルージングだけのギリシアでしたが、今回は一週間、むれ百年会ツアー事務局長の十河伯行さんの呼びかけ文でも大書されている、「古代文明の国ギリシア」だけで、よく見て回ると色々なことを見聞きして、印象が随分変わりました。 そもそも論ですが、ギリシアは正式には「ギリシア共和国」。首都は「アテネ」で、人口約1,100万人、日本の1割。国の面積は13万2,000K㎡、日本の面積のざっくり3分の1程度の国土です。瀬戸内海と似た多島美を誇りますが、その島の数は3600あります。公用語は「ギリシア語」、宗教は「ギリシア正教」。日本との時差は7時間ですが、サマータイム(時差6時間)を導入しています。 通貨はユーロですが、このところユーロ安になっていて、1ユーロ=120円前後、日本円からの換金は関西空港内の窓口を使いましたが、交換手数料を2円とられて、¥121.34でした。消費税が23%と聞きました。大卒の初任給は1200ユーロ(15万円)、1,000ユーロあれば1ヶ月の生活には支障が無いとか。自動車は日本の倍額、従って小型車が多く、特に最近日本からの低燃費車が入っていて、人気を博しているようです。 エーゲ海や山々が織りなす美しい自然のなかに、西洋文化(唯一の海洋文化)の基礎を生み出した古代の遺跡群が点在するギリシア。アルバニア・マケドニア(旧ユーゴスラビア)・ブルガリア・トルコと直接国境を接し、アドリア海を挟んでイタリアとも接している。そのため太古の昔から戦いに敗れ、大勢のギリシア人が殺戮された歴史がある。海の民は温厚だが、大陸の民は戦闘好きで征服欲が強いとは木下ガイドさんの言葉。 |
2019,09,12, Thursday
ホテルを出て、世界遺産ミケーネへ。ミケーネは、ギリシャ・ペロポネソス地方アルゴリダ県アルゴス=ミキネス(英語版)市の古代都市であります。ペロポネソス半島東部に位置し、ミキネス(英語版)の2km西に位置する。1872年に、「ハインリヒ・シュリーマン」によって遺跡が発掘され、古代ギリシア以前の文明が発見された。これは、この地の名をとってミケーネ文明と呼ばれている。
近隣の都市としては、約30キロ北東にコリント、10キロ南にアルゴスが位置している。ミケーネの遺跡は、獅子門(二頭のライオンが台座に足をかけている像、ただし頭がない)、円形墳墓、王室、アトレウスの墳墓が有名で、そのいずれも巨大な切り石を用いた建築となっている。ミノア文明のものに比べ、これらは非開放的で求心的、かつ重装備である。 次に向かったのは、ディアコフトとカラヴリタ。今回の旅の一つのハイライト、カラヴリタ〜ディアコフト間のオドンドトス登山鉄道。乗車時間は片道約22km、約1時間ほど。麓のディアコプト駅を食事後の14時に出発。カラヴリタの駅に15時前に到着。全席指定で人気があるので、週末は満席になりやすいそうでだ。 途中これも断崖絶壁の細い空間を、縫うようにして登る。「ぽつんと一軒家」のような、険しい軌道敷の上に線路がある。車窓から下を見たら、奈落の底へ落ちそうだ。方や岩山が迫っている。この時期雨が少ないから、落下物もないのだろう。すぐに運休になりそうな、登山鉄道が進む。 この鉄道は「オドンドトス」と呼ばれますが、直訳すると歯型の電車、つまりラック式鉄道のこと。歯軌条鉄道とも呼ばれ、2本のレールの中央に歯型のレールを敷き、車両の底に設置した歯車と噛みあわせて急な勾配を登り下りする鉄道となっている。この手の鉄道は欧州でも珍しく、人気を博している。 悪戦苦闘しながら列車は、頂上のカラヴリタへ到着。ここでは、千人以上の定住者がいるようで、日本の軽井沢かな、過去にドイツに攻め込まれ、13歳以上の男子が撃ち殺された。第二次大戦でもドイツは、「独裁権力ナチスヒットラーがしたことだから」と、一切の賠償をしていない。ナチスヒットラーは、選挙で選ばれた正式な政党、つまり独裁政権国家であった。同盟国であったイタリアは、国家賠償を終えている。 15:30分、頂上のカラヴリタで待機していた専用バスで、イテアヘ向かいます。途中でギリシア第三の都市パトラ郊外のハラリオス・トリクビス橋(ギリシア本土とペロポネンス半島を結ぶ)を渡る。イテアは、デルフィから南下した場所にある海辺の町。ギリシアに来て、オリンピアとデルフィを含むツアーに参加した人の中には、イテアで食事をしたり、宿泊した人も多いはず。本日は、イテアの「カフシカ・パレス」に投宿します。 ガイドブックには良い街、良いレストランのように書かれていてシーフードとワインを楽しみにしていたが、ワインは「スクリューワイン(コルク栓でないモノ)」で、味にも失望。前夜のワインが美味かっただけに、失望も怒りもわいてくる。赤がダメなら白と思い直し、白で最低限の納得をした。ヒサモトのワインが恋しい。もう寝ます。 |
2019,09,11, Wednesday
個人一年ぶりの外遊は、牟礼百年会の第17弾「ギリシア+エーゲ海クルージング」の企画にわれら夫婦が参加させて頂いたモノです。昭和62年、今から32年も前から、2年に一度の海外ツアーを実施している牟礼町民の一団隊。確かに石材関係者が多いそうですが、今回はドタキャンが多くて、総勢12人というのは私らよそ者からすると、丁度良いサイズの団体です。
という訳で記事の掲載が遅れましたが、9日(月)からギリシアへ来ています。と言いながら日本を出たのが9日ですが、実際は10日から。関西空港からドバイへ10時間飛んで、ここで乗り換えて、アテネへ入りました。トランジット6時間、ドバイへは何度か来ていますが、とてつもなく大きいターミナルビルですね。ドバイは、世界中から訪問者を引き寄せる磁石。一時の狂乱から、少しは落ち着いたようですが、空港はデカい。 到着した瞬間から、その理由がわかります。多くのエミレーツフライトは、ドバイ国際空港エミレーツ・ターミナル3の発着となります。 そのほかの便、エミレーツ航空によって運航されないフライトは、ターミナル1の発着となっています。世界で最も優れた空港に引けを取らない新しい最先端施設、 エミレーツ・ターミナル3はエミレーツのお客様専用です。 ここで6時間待機し、乗り継ぎのボーイング777機でアテネへ。関西空港発9日23:45、ドバイに現地時間4:50分(日本時間9:50分夏時間)到着。ドバイ発10:50分、アテネ到着が15時(日本時間21時、時差が6時間に広がる)。空港からホテルへの途中で、コリントス運河に立ち寄りました。ギリシアの、コリントス郊外にある運河。 ペロポネソス半島の根元にあるコリントス地峡に開削されたもので、エーゲ海とコリンティアコス湾を結び、1893年に完成したモノ。コリントス運河は、閘門を持たない水位が一定の運河で、コリントス地峡の丘を一直線に縦断して掘られています。両側が断崖絶壁の谷底に、細い運河があります。 鉄道橋があるところでは標高60m、開口部に長さ約33mほどの鉄橋がかかっている。大きな船は、タグボートに曳航されて水路を通る。この様子は、絵はがきの写真をご覧下さい。絵はがきを現地人は買わないのでしょうね、もう何年も飾られた跡のある葉書です。 この運河の開通で、従来のペロポネソス半島を大きく迂回するルートに比べて航路が400kmあまり短縮された。作った理由は、利便性の追求もありますが、通行税の獲得も期待されて作られました。しかし、幅が狭いため大型貨物船の通航はできず、現在では主に観光船の通航に利用されているのです。年間11,000隻あまりの船が、この運河を往来するようです。 一方本日の宿泊地「ナフプリオン」は、ペロポネソス半島北東部に位置し、古代以来の歴史を持つ港湾都市であります。ギリシア独立戦争中の1829年から、ギリシア王国建国直後の1834年まではギリシアの首都が置かれたと木下女史(ガイド)さんから聞いた。しばしば、「近代ギリシア最初の首都」として言及される。 ナフプリオンのホテルは、「アマリア ナフプリオ」。田舎の畑の中にある低層階のホテルです。「アマリア」ホテルチェーンは、良いホテルでした。7,000年前オリエントの地で始まったワイン造りがギリシアに伝わったのは、紀元前2,000年頃。ヨーロッパワイン発祥の地、私は、赤ワインを頂きましたが美味い。オリーブの生産も、ギリシアが世界一。ギリシアの産業は、「観光」「海運」「農業」です。 ギリシアは、10年前から「ギリシア危機」と言われ、破綻した国ですが、EU(欧州連合)からの援助で、何とかやって来たようです。直近の2ヶ月前に、この10年間やりたい放題していた革新政権が崩壊し、保守政権が誕生し、眼に見えてギリシア経済が変わって来たと木下さん。夕食頂き、やっと横になって寝られる。神さんありがとうございます。 |