2019,09,10, Tuesday
2017年10月に第7刷が行われて、何かの機会に購入したモノの読むのが今頃になってしまいました。気になる本というものがあって、私の机の上には、山積みになっています。なかなかまとまった時間というモノがなくて、晴耕雨読にはまだもう少しかかるようです。それでもあと10年もすれば、嫌と言うほど本を読む時間も出来るでしょうね。しかしその時になって、目が正常かどうか一抹の不安もよぎります。
さて本日のお題は、標題の本です。裸の王様にならないため、表現力が足りないせいで、思っているとがうまく伝わらない気がする。自分が何気なく使っている言葉は、実は間違っているのでは?言葉の引き出しが少なくて、馬鹿っぽく見られているかも知れない。このような心配事は、少なからずわれわれの中にあると思います。 あの偉大な稲盛和夫塾長でも、奥さんに呆れられるくらい、語彙力が無かったと自らが告白しています。稲盛和夫塾長の講演は、短いモノであっても原稿を起こし、それを読みます。生の声を聞いた最初は、正直なところ、「読むのかい」と思いました。あんなに修羅場を超えて、豊富な経験があれば、簡単に喋れるではないかと。 そこが私の浅はかさ、知れば知るほど聞けば聞くほど、稲盛和夫塾長の語彙力には感心します。原稿を書き上げ、それに何度も何度も墨を入れるのです。もっとも今は墨ではないと思いますが、それがそのまま上梓原稿になるほど、精緻なモノであります。京セラ本社記念館には、そのような直筆原稿も数多く残されています。 稲盛和夫塾長も今年87歳。盛和塾も今年末で解散します。そしてやがて彼が「お隠れになる」日が来るでしょう。多くの講演記録をCDやDVDに残し、数多くの著書があります。その中には、英語・中国語などに翻訳されたモノもあります。多くの著名人、例えば松下幸之助翁などいらっしゃいますが、稲盛和夫塾長だけの記録と記憶を残した経営者はいないでしょう。 そんな稲盛和夫塾長も、経営者となってから、数多くの本を読み勉強したと言います。私が言うまでもなく人間は、気がつけばやれば良いのですね。すべてが成否が、「考え方」一つにかかっています。良きことを考え、良きことを行えばかならず良き結果が現れるはずです。 さてさて前書きが長くなりましたが、語彙には、「認知語彙」と「使用語彙」があるそうです。要するに日頃使える語彙力を付けることがここでも求められています。一例に「はなむけ」、門出を祝い、贈り物をしたり宴席を設けたりすることの意味があり、漢字では「餞」あるいは「鼻向け」と書くそうです。 元は「馬の鼻向け」といい、旅立つ人の無事を願う、おまじないのことを指しました。馬の鼻を目的地の方向に向けることで、安全に目的地まで到着することを願ったのです。このような分かりやすい解説もついています。私のような浅学非才なモノには、しみいる解説です。 そこから旅立つ人の門出を祝って激励する壮行会・送別会のような宴席、また、その際に送られる金品や言葉などもことも「はなむけ」と呼ぶようになりました。送り出す際に渡す品のことを、「手向けの品」とも言います。実に女性目線で書かれた、珠玉の一冊です。 そうそう「珠玉」の解説もあります。尊いモノ、美しいもの。元は真珠や宝石のことで、そもそも小さな真珠や宝石の粒を指す言葉ですから、「珠玉の長編小説」「あそこのコース料理は珠玉だ」などと、規模の大きなモノを褒めるのに使うのは誤りだそうです。「珠玉の顔立ち」のように人を褒めることに使うこともありません。あくまで、小さな品を褒める時に使うと覚えて下さい。 そうなると、先の私の使い方は誤用か。ほぼほぼ合っていたら、前へ行きましょう。使いたいなと思ったのは、「慧眼(けいがん)」であります。物事の本質や裏面まで見抜き得る、優れた眼力とあります。相手の洞察力が優れていて、物事の本質や裏側を見極めることを褒めるときに、使う言葉です。今起きている問題の原因や背景を深く分析できたり、業界や市場の先行きを言い当てられたりする人に使います。 もう一つ、「眼光紙背に徹す」があります。稲盛和夫塾長の講話にもこれがありました。書物を読み、その表面的な字面だけでなく、著者の真意や書かれていることの背景まで理解が及ぶことを「紙の裏側まで眼光が届く」と例えた訳です。 最後にもう一つ、ビジネスシーンで見聞きするカタカナ用語にも言及しています。私が使用語彙力に入れたいと思ったのは、「ダイバーシティ」人材の多様性です。「プライオリティ」優先事項、「アジェンダ」協議事項、行動計画。簡単に読めて、奥の深い珠玉の一冊です。 |