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ラグビーワールドカップ2019釜石復興スタジアムで初戦に大歓声
ラグビーワールドカップ日本大会は25日、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市に新設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムで、D組のフィジー対ウルグアイ戦が行われ、晴天下のもとで午後2時15分からおこなわれた世界レベルの戦いにスタジアムが沸いた。大会名誉会長の秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻も、熱く観戦された。

震災から8年余が過ぎ、復興を世界に発信する象徴と位置づけられた同スタジアムに、1万4025人の観衆が集まった。ここ釜石は、1978~84年度にラグビー日本選手権で7連覇した「新日鉄釜石(現釜石シーウェイブス)」の本拠地で、「ラグビーの街」として知られていた。震災で、千人以上の死者・行方不明者が出た。高松へも、釜石からの被災者が移住している。

新日鉄釜石には、私も思い入れが強い。明大卒の森とか松尾雄治がいた。彼らは私の二歳後輩、一学年下。私は、彼らの大学生の頃を見ている。今は昔、明治・早稲田が強い頃の話しである。松尾選手は、大学2年までスクラムハーフ(スクラムにボールをいれる人)で、日本代表にも選出された。1年時の大学選手権では、劇的な逆転トライを導くパスを通し、早稲田の公式戦連勝を36で止めた。

しかし3年時に、北島忠治監督の指示でスタンドオフ(攻撃を組み立てる司令塔)に転向。本人はこれに一時くさったが、後に奮起。4年時に大学選手権優勝、第13回日本選手権では、三菱自動車工業京都を37-12で破り、司令塔として当時低迷していた明大ラグビー部を悲願の日本選手権初優勝に導く。

新日鐵釜石入社後もスタンドオフとして、日本選手権7連覇を含む優勝8回を達成する主力選手として活躍。また日本代表の不動の司令塔としてキャップ24(試合出場回数)を獲得、1983年にはウェールズを相手に24-29の大接戦を演じた。こんなスター選手が失礼ながら田舎の釜石で、地元高校卒選手を仲間として7連覇を果たした。

試合は、格下のウルグアイ(19位)がフィジー(10位)を30―27の僅差で破り、勝ち点4を獲得した。接戦で、序盤はフィジーが優勢に動いていたが、言われているようにフィジーは次の試合を意識しすぎて、先発12人を控えに回すなど、これまでの戦績を過信しすぎたきらいがある。ランクよりも、その日の状態が心身共にどうあるかが重要だ。

本当に楽しんでいるワールドカップだが、A組の日本の次は28日静岡スタジアムでのアイルランド戦、アイルランドは世界ランク1位。まともには勝てない相手だが、勿論奇襲攻撃でも勝てない。でも圧倒的な下馬評を覆して、アイルランドから負けても勝ち点を得るなら、決勝リーグ進出(目標のベスト8)も夢ではなくなる。日本戦でなくても良い、生が見たい。


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| 社長日記 | 10:09 AM | comments (0) | trackback (0) |
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