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愛知県研修二日目は熱田神宮から大樹寺を経由して岡崎城へ
昨日今日と日課のウオーキングが出来ず、疲れた割りには歩数が伸びません。そこで今朝は、名古屋の繁華街『栄』がホテルから近いもので、6時から付近を歩いてみました。流石大都会、まだまだ若者の姿が多い。仕事上がり風もいたり、遊び疲れてひと寝入りした男女がたむろしています。タクシーに、女性一人を乗せる男もいます。カラオケ店頭は、どこもまだ賑わっていて、メシ屋は満席。

今日一番は熱田神社参拝からで、相変わらず大勢の参拝客で賑わっています。次の八丁味噌蔵の『カキキュー八丁味噌』見学は、江戸初期から昭和16(1941)年初めまでが踏襲されていて、手作り味噌造りの一連の工程が再現されています。昭和バブル前の昭和62(1987)年から構想し、平成3年12月1日に開館しています。史料館の建物は明治40 (1907) 年に出来た、発酵の場を兼ねた仕込み蔵を改装したモノです。広さは延べ463㎡(140坪)で、平成8年に国の登録有形文化財に登録されています。こんな保存方法が、今流であります。

『八丁味噌』は、愛知県岡崎市の八帖町(旧・八丁村)で、江戸時代初期から作られてきた豆味噌のことです。八丁村は、岡崎城から西へ約870メートル(8丁)の距離にあったので、つけられた地名です。この地は、矢作川の舟運と旧東海道が交わる水陸交通の要所でした。 江戸時代には土場(船着き場)・塩座(塩の専売)があり、舟運を利用して原料の大豆や塩を調達し、味噌の出荷が容易だったため、味噌作りが盛んに行われました。

次の徳川家菩提寺の大樹寺は、驚きました。ボランティア案内人の加納さんは御年81歳とは言え、声も大きいし、態度もでかい。と言うのも檀家一門の一員として、旦那寺を守っていくという覚悟が自信となって態度に出ています。言葉も方言バリバリで、われわれにはきつく聞こえます。大樹寺は松平家の菩提寺ですから、檀家は殿様1軒。徳川将軍14代の等身大位牌が安置されていますが、明治政府からこちら、130人ほどの檀家が出来ています。その内の名誉ある一人が、加納さんです。

これは高松松平藩の菩提寺・法然寺も同じです。ただ法然寺は檀家を増やさず、墓所を貸出し冥加金収入を得ていました。冥加金を払う町民大勢を味方にして、明治時代前から営々と寺院経営を続けています。ある意味法然寺は、高松城の出城です。井戸が12、米蔵が2つありました。私も法然寺大好き人間ですから、加納さんの心意気はよく分かります。大政奉還後、大樹寺の収入は江戸から届くことはありませんでした。

この危機感から大樹寺はどこからの施しもうけず、檀家130軒余で寺を守っています。昨年は、NHK大河ドラマ『どうする家康』で潤ったと加納さんは正直です。みずから集合写真のシャッターを切り、1000円で販売します。本堂内には物品販売品が多く、収入を挙げる姿勢を貫いています。私は宗教法人も積極的に稼いで、税金を払うべきだとだと考えています。創意工夫しないと生きて行けない世界は、どこでも同じです。

『厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)』大樹寺13代住職が「戦国乱世を住みよい浄土にするのがお前の役目」と訓し、悩める家康を翻意させ、家康はこの八文字を終生座右の銘とした。もう一つ家康の名言。『人の一生は重荷を負(おう)て遠き道を行くが如し、急ぐべからず。

不自由を常と思へば不足なし、心に望(のぞみ)起こらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ、勝つことばかり知りて負くることを知らざれば、害その身に至る。己を責めて人を責むるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。

面白い愛知県研修でした。特に松本信一・村山裕子・低田陽介さんに世話になりました。大勢の参加ありがとうございました。










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| 社長日記 | 11:52 PM | comments (0) | trackback (0) |

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